堺との決裂
「はぁ、ようやく終わったか」
本日なんとか足利 義維御一行の追い出しも完了する。ここまでに一〇日も要した。
関係者全員を船に乗せて阿波細川領の港に送り出すだけだというのにこれである。護衛兼案内役も仁木 伊賀守殿が快く引き受けてくれたというのもあり、阿波細川家本拠地までの道中に問題がある訳ではない。
問題があったのは追い出しをする足利 義維側であった。
やれ今の薄汚れた状態では体裁が悪いと、衣服を新調しろと言い出す。調度品は大事な物だから全て船に積み込めと言う。わがままが派手に炸裂した。
俺も俺で磁器などの高価な調度品まで奪い取るのは罪悪感を感じたというのもあり、渋々ながら了承。結果、急遽荷造りと運搬の仕事が追加された。
それに、義維が持つ資産価値の高い品々は売ればそれなりの値が付く。ならば、万が一生活が困窮した際にも何とかなるだろうという思惑もあった。無いとは思うが、もし阿波細川家で庇護を拒否されたとしても、これで野垂れ死にだけは避けられるだろう。さすがに俺も足利の名を持つ者に餓死されてしまうと寝覚めが悪い。
後は、家族水入らずの時間を作ったというのもある。
何故なら、今回の土佐行きには嫡男である亀王様だけでなく、その弟達や妹、果ては母親である周防大内家の令嬢まで付いてくるという形に収まってしまったからだ。家族が足利 義維に付いていけば、公方就任活動の足手纏いになるという危惧があったらしい。
随分と図々しい話だとは思うが、こちらもこちらで足利家の領地を奪い取った引け目もある。このまま路頭に迷わせる訳にもいかないため、この話は受け入れざるを得なかった。但し、贅沢な暮らしは約束できないという条件となる。
それにしても、西国の大大名である周防大内家の令嬢が土佐にやって来るとはな。母上が卒倒しないか少し心配ではある。
なお、土佐行き組には義維重臣の
とは言え、誰一人家臣がいないというのも不便かと思い、畠山 維広の息子二人の同行は許した。どちらも一〇代後半という年齢から、まだ柔軟な対応ができるだろうという考えである。但し、こちらのやり方に異を唱えるなら即刻追放するという条件付きとした。
こうした顛末で疫病神とはおさらばとなった訳だが……本当に疲れた。もう二度と足利 義維とは関わらないつもりである。
余談ではあるが、見栄を張るための衣服の新調は当然ながら拒否をしたのを追記しておく。追放された身なのだから、それなりの格好で阿波細川家当主と会うのが正しい姿と言えるだろう。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
俺の家臣達はどうしてこうも血の気が多いのか。
今回の作戦で未来の穀倉地帯と国際港を手に入れたのだから、普通ならそこで満足する。だと言うのに、いつかどこかで聞いた「敵が弱過ぎたから消化不良だ。もっと戦をさせろ」という言葉が足利 義維問題が片付いた途端に噴き出していた。
曰くまだ占領の終わっていない阿波国南部の山間地域を平らげたいらしい。
現状で言えばこの阿波国南部の沿岸地帯は、土佐から離れた飛び地となっている。そうなれば統治が安定しない上に、有事の際の援軍派遣に困るのは道理だ。特に北、南、西の三方向から攻められてしまえば一溜まりもない。
だが、ここで土佐との国境に接する西の山間部を制圧すれば、点が線となり、補給線が確立される。そうすれば物資の運搬、援軍の派遣が容易に可能となり、一気に安全性が増すのだと。
なるほど。とても理に適った考えだ。確かに今のままでは常に敵からの脅威に晒されており、俺もこの地に留まらなければならない不安定さがある。土佐に戻ろうにも戻れない。南の海部家には使者を送ったものの、当主である海部 友光様が未だ畿内から戻られていない事情では、交渉は棚上げとなったままである。その現状を憂いたのだろう。とても主家思いな家臣達だ。
ただ、
「俺の身を案じてくれるのは嬉しいが、敵はしばらくは戦を起こせないぞ。阿波国は兵を大動員したのだからな。仮に無理矢理戦を起こそうにも兵糧の確保から始めないといけない。それを知ってから傭兵を依頼すれば良いだけだな」
敵にも敵の事情があるというのを忘れてはならない。
俺が海部家との交渉を焦っていないのもこれが理由であった。
「それに山間部の主要産業は木材でな。幾らでも土佐で手に入る物だ。急いで欲しいと思う場所ではないな」
「木材ならば畿内で幾らでも売れるではないですか。むしろ今後の遠州細川家の発展には木材の確保は必要かと思われます」
「ああ、そういう事か。相政はまだ知らなかったのか。実は遠州細川家はな……うん?」
そんな時、ドタドタと大きな足音をさせて廊下を走る集団が近づいてくるのに気付く。何か緊急の報せでも持ってきたのだろうか?
やがて足音はこの部屋の前で止まり、その主が勢い良く引き戸を開けて入り込んでくる。
更には開口一番、
「ボウズ聞いたぞ! 堺から取引停止されて完全に閉め出されたんだってな。やるじゃねぇか!」
と満面の笑みで、俺が先ほど木沢 相政に伝えようとしていた衝撃の事実を来客の津田 算長が知らせてくれた。
どうやら、近頃の緊急の報せは紀伊国から船に乗って阿波国までやって来るようである。
それはさて置き、
「誰かと思えば津田殿か。嬉しそうな顔して言う事じゃないだろうに。随分と耳が早いな」
「そりゃ俺の所も堺に工房があるからな。嫌でも耳に入ってくるってもんよ。畿内の争いも交渉が最後の詰めの段階に入ったとなれば、もう俺達の出番は無いからな。ようやくこちらに顔を出せた」
実は根来の種子島銃を製造する拠点は堺にもある。これは、堺の
競合他社が一等地に拠点を構えたなら、即座に乗り込んで顧客独占を阻止する。攻めの経営戦略と言えよう。口で言うのは簡単だが、実際にそれを行なおうとしてもそう簡単にはできない。これだけでも算長がやり手なのが良く分かる。
「だから嬉しそうな顔をして言う内容じゃないだろう」
「まさか……国虎様、今の話は誠ですか?」
「相政、本当の話だ。遠州細川家は堺と決裂してもう取引ができなくなった」
そう、俺が相政を始めとする家臣達の提案に及び腰だったのは全てはこれが原因である。
領地が増え、皆を養うためには更なる収益の増加が必要となった矢先に、取引停止で売り上げの激減が確定した。この状態で兵を出せば赤字が加速するのが目に見えている。商いが要の遠州細川家にとっては、その生命線を切られたような気分と言って良い。
「取引停止の話を聞いて、ボウズが困っているんじゃないだろうかと思ったんだがな。その顔じゃ取り越し苦労だったようだな」
「心配掛けたようだな。これでも困っているのは困っているぞ。ただ、本願寺から耐火煉瓦の大量発注をもらった上に、今度担当者を交えて取引の話をするからな。何とか首の皮一枚繋がっている」
これが俺がまだ平静を保てている理由である。今も続けている炊き出しの一件で信行寺の僧達が耐火煉瓦の有用性に気付いてくれた。早速耐火煉瓦を使用したロケットストーブを作り、寺に導入してくれている。後はそのままとんとん拍子に本部の石山本願寺からも声が掛かったという流れだ。燃料代が大幅節約できるのはいつの時代も魅力的と言えよう。
問題があるとすれば発注量が万という桁違いの量だという点と、通常価格より低い納入価格を要望されている点である。要するに大量発注するから価格を安くしろと言ってきた。多分石山本願寺は仲買人 (中間業者)をしようと考えているのだろう。
こちらも背に腹は代えられないのでその要望には応じるが、大量発注過ぎてすぐには全てが用意できないと分割納品で何とか手を打ってもらう形となった。
堺の商人よりも商人らしい存在が宗教団体というのが笑うに笑えないが、今の俺にとっては救世主とも言えるべき存在である。
「そう言えばボウズは本願寺を抱き込んだのだったな。話題になっているぞ」
「『抱き込んだ』は言い過ぎだな。思った以上に利に聡い相手だったんで提携した。俺からすればその辺の商人より話が分かるのがありがたい。そういう意味では津田殿も同じか。……とそれはそうと、その嬉しそうな顔はどういった理由だ」
「……相変わらずの反応だな。まあ、ボウズだから仕方ないか。けど、そんなだから堺に取引停止されるんだぞ」
「もしかして『新居猛太』の一件を言っているのか? あれは当たり前の事をしただけだぞ。津田殿の協力が無ければそもそも俺達は今こうしてこの地にいられないんだからな。下手すると長宗我部に負けていたとも思っている」
「あの新兵器は『新居猛太』という名前か。随分と変な名前を付けるな」
「国虎様、『新居猛太の一件』との何の事でしょうか? 堺との取引停止に何か関係あるのでしょうか?」
「相政、堺との取引停止の原因は俺が『新居猛太』を売らなかったからだ。これは津田殿との約束だからな。例え大金を積まれても俺達を信じて技術を教えてくれた津田殿を裏切る訳にはいかない」
「堺の奴等に聞かせたい言葉だな。嬉しい事を言ってくれる。今時の商人はそこまで仁義を通さないぞ。平気で人を裏切るからな」
俺も堺から突然の取引停止を通達された時は驚いたが、原因がこれであったと知った時には呆れるしかなかった。随分と大人気ない真似をする。
阿波国での占領を終えた翌日から、引っ切り無しに堺の商人が俺との面会を求めた。それはもう狙っていたかのような早業である。それだけ遠州細川家が畿内で大きな戦果を上げたというのは理解したのだが、俺からすればその立役者を簡単に売ってもらえると考える方が間違いである。
最初は二束三文で買い取ろうとして、次は高価な品を差し出して「製造方法を教えろ」と当たり前のように言い出す。当然袖の下は付き返した。最後は大金をちらつかせて「これで売らないなら後悔するぞ」と脅してくる。そんな日々だった。
そして、全てに対して拒否した結果が今となる。
「そう言えば、最後の方は罵倒されたりもしたな。津田殿、堺の奴等に嫌がらせをされなかったか? 俺と津田殿との繋がりは有名らしいしな」
「その辺は心配無用だ。ボウズの言う肉体言語で話し合いをすれば皆納得したぞ。そこらのゴロツキで根来の
「やっぱりかー。嫌な思いをさせたな。今度詫びに試作品の梅酒を贈るから、それでチャラにしてくれ」
「俺とボウズの仲じゃないか。そんな事気にするな。ただまあ、その試作品は気になるから送ってくれ」
「そう言ってくれると助かる。しかし、新居猛太一つでここまでの騒動に発展するとは思わなかったぞ。長宗我部を倒した時は何の反応も無かったからな。油断してたよ」
「そりゃ畿内であれだけ派手にやればな。しかも相手は舎利寺の戦いで一躍有名になったあの三好 範長だぞ。それを退かせるのだから大したものだ」
「退かせた原因は津田殿や細川 氏綱様の奮闘じゃないのか?」
「そう言ってくれると俺も面目が立つな。それもこれもボウズのお陰だ。俺はその新居猛太を売ってくれとか作り方を教えろとは言わないから安心しな。幾人からか献上するように伝えろと言われているが、全部突っぱねてある」
「ありがたい。所で今日の用件がまだ残っているなら先に片付けないか? 話は後で飯を食いながらでも良いだろう」
「おおっ、そうだったな。太田殿、お待たせした! それじゃあ入ってきてくれるか?」
算長がそう声を掛けると部屋に一人の男が入ってきた。涼やかな風貌と流れるような所作はその辺のゴロツキや武辺者とは違っており、由緒正しい家柄の出身だと見受けられる。太田という名はどこかで聞いた事があるような。一体どこだったか……。
その太田殿は算長に促されるまま隣へ座り、気が付けば優雅な動きで平伏をする。
「……えっ?」
その行動の意味が分からず俺が言葉を詰まらせていると、追い討ちを掛けるべく透き通るような声で自己紹介が始まる。
「細川様、お初にお目にかかります。
戸惑う俺の姿を見て、算長がしてやったりという顔をしているのが無性にムカつくが、今は気にはしないでおこう。
それにしても参ったな。最近の自己紹介は俺の知っているものとは随分と違うらしい。
仕方ない。いつも通りまずは事情を聞く所から始めようか。
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