水が滴る農業チート

 ようやくお待ちかねの開発の時間がやって来る。


 領地が増え、食わせる民が増えた以上は、更なる稼ぎが必要だ。持ち弾をどう配置し、どう収益へと結び付けるか。


 こういうのを俗に「取らぬ狸の皮算用」と言うのだろうが、それでも自分の考えが形となり人々が笑顔となる。更には銭が転がり込んでくる。俺はこの時間がとても気に入っていた。


 ただ、それも時と場合によりけり。中には苦痛となる場合もある。


「一体どうしろって言うんだよ」


 いきなり泣き言から始まらざるを得ない現状。その理由は切実なものだった。


 本山家を降した事で広大な土佐平野が手に入ったのは良いが、それと併せて、果てしなく面倒臭い山間部の土地までもが漏れなく付いてきた事実を知る。


 それが何故果てしなく面倒臭いかというと……国境線まで含まれていたからだ。それも隣接する勢力は、阿波大西家という阿波三好家の傘下の勢力である。平たく言えば、阿波三好家と領地を接してしまった。


 知っての通り阿波三好家は、細川 晴元の最大与党である。そして遠州細川家は高国派の勢力だ。ついでに言えば、先だって俺達は土佐における晴元派を駆逐したばかりとくる。


 こうなれば国境線を何もせずに放置するという選択はあり得ない。戦端を開く大義名分を与えてしまったのだから、三好軍がいつ侵攻してくるかもしれない状況である。かと言って防衛線を下げてしまえば、敵はこれ幸いと国境線を越えてくるのは明らかだ。より三好の版図が広がる形となる。


 ならば結論は一つのみ。最前線となる粟井あわい城近辺を最優先で開発するしかないという現実であった。周辺の支城は破棄しなければならないと思うが、きっちり防衛体制を整えなければいけない。


 しかし、国境線は山間部である。その地は平地が少なく道も狭くて荒れ果てている場所だ。そんな所では防衛施設の規模も常駐できる兵もただか知れている。そうなると、万が一には後詰として援軍を派遣可能な体勢も整える必要が生じた。


 さてここで問題です。山中にある集落に、後詰の兵を置けるような都合の良い土地があるでしょうか?


 そんなものがある筈がない。地図を広げて梅慶と防衛体制の構築を話し合っていたが、どう考えても西に四里強 (約一七キロメートル)離れた本山城周辺以外にその候補となる地が無いというとんでもない状態であった。現代では早明浦さめうらダムの置かれている地域となる。こんな形で防衛線を張らなければいけないなら、いっその事大軍を率いて大西領を切り取ってしまった方が早いんじゃないかという馬鹿な考えが頭を過ぎる程だった。


 ただ兵を置けば良いだけなら他に幾らでも方法はあるが、それでは今度は軍としての体をなさなくなる。平地の少ない山中に防衛体制を整えるのが、こんなにも頭を痛める事案だったとは思わなかった。


「……で、それを相談しにここに来た訳か。それは分かるが、国虎の後ろにいる二人は何だ? 場違いだぞ」


「親信、悪いがこの二人は空気とでも思ってくれ。俺達が普段どういう話をしているか是非聞きたいんだそうだ。無闇に話には割り込まないし、話の内容は絶対に外に漏らさないと約束してくれている」


 親信の言う後ろの二人というのは、本山 梅慶と谷 忠澄の二人である。よく分からないが、二人共俺の考え方に少しでも触れて学びたいらしい。そう言われると邪険にするのもどうかと思い、許可を出した。


「国虎がそう言うなら俺は別に構わないが……」


 親信も一羽の経験があったからか、無理に二人だけの密談に拘ろうとはしない。俺が大丈夫だと言えば、隠し事をするような真似はしないでいる。 


 なお、一時期監視役と称してこの場にも紛れ込んでいたアヤメは、俺の側室入りを了承して花嫁修業中の身となった。和葉と同じく武家の作法等を学ぶために現在は本山家預かりとされている。


 話は逸れたが、ここからは気の知れた会話だ。雑談を交えながら情報の共有を行いつつ、俺が疑問点に答えていく。気兼ねなく横文字を使い、度量尺は全て現代基準となる。和葉との時間も貴重だが、親信とこうして遠慮の無い会話ができるからこそ俺がこの時代で頑張れるのだと常々思う。


「……とまあ、ぶっちゃけて問題点を言えば、万が一大軍が来た時にどうするかの一言に尽きるな」

 

「なるほど。状況は理解した。大した事はできないが、それなら防衛用の大筒でも設計するか。大軍で来ても兵を展開できないだろうから、これでかなり凌げると思うぞ。ただ、口径はそんなに大きくできないから、それは諦めろよ」


「そうか。人の代わりに火器を使えば良いのか。よく気付いたな。さすがだな」


「まあな。それにしても、こういう時に国虎が意外と軍事に弱いのが分かるな。前の長宗我部戦もそうだが、守りが下手だよな」


「無茶言うなよ。俺は商売してる方が性に合ってるんだから、軍事は元からからっきしだ。それを言うなら、親信が軍を率いて戦え」


「だが断る。俺だって開発の方が性に合っている。それに、今の国虎はいつ今孔明と言われてもおかしくないレベルだぞ。常勝の将軍なんだからもっと胸を張れ」


「はぁ? 何だそりゃ? 馬鹿も休み休み言え。俺程度なら朶思 大王だしだいおう辺りだ。南蛮一ならぬ南海一の知恵者 (笑)カッコわらいだな」


「おっと、朶思 大王と来たか。それに負けた長宗我部が可哀想になってくるな。……と雑談が過ぎたか。今回の件、俺としては一つ気になる点があるんだが」


「ここで変に足を掬われたくはない。気になる事があれば、何でも言ってくれ」


「軍事じゃないからそこは安心してくれ。俺が気になるのは国境線の食糧問題だ。国虎なら道の整備は予定に入れていると思うが、山間部への輸送は限界があるんじゃないのか? 効率から考えれば現地生産の方が良いと思うが、耕作地自体が少ないんだろう? そこら辺をどう考えているか聞きたい」


 なるほど。相変わらず親信は良い所に気付く。


 国境線である粟井城及び本山城周辺は、道が悪く物流が困難な地域である。輸送可能となる物資の量は限られてくる。それで兵を養うのは不可能だという話だ。


 回避するには現地生産に舵を切るしかない。だがそうすると、今度は耕作可能な土地が少ないために、結局は兵を養えないというジレンマが起こる。


 兵を養える食糧が満足に供給されなければしっかりとした防衛戦は築けないというのが、親信の意見であった。


 本山氏が南下して土佐平野を手にしたのも、この食料問題が背景にあったと言って良い。少ない食料を皆で分け合い、時には口減らしと称して子供や老人を売りに出したり殺さなければ生きられない過酷さ。


 何もしていない初期状態からこれだというのに、更に人を置くというのは自殺行為に近いと考えているのだろう。


 しかし、こんな時こそ元現代人という前世の知識が活かせる絶好の機会でもある。


「安心しろ。そこは秘策があるから大丈夫だ。親信は点滴灌漑てんてきかんがいという言葉を聞いた事があるか?」


 点滴灌漑というのは、平たく言えば作物への水やりを水滴を落とす事で行い、消費水量を最小限とする方式だ。一九三〇年代に発明された。


「点滴灌漑? イスラエルだったか、聞いた事があるな。あれはデカイ設備が必要じゃなかったのか? ……って、ちょっと待て。その顔はもしかしてそれが簡単にできるのか?」


「御名答。水の入った瓶に麻縄を突っ込んでおけば、水を吸って水滴が落ちるようになる。簡易的な装置だが、それでも水やりの手間が大幅に下がるのが利点だ。結果、管理できる耕作地が増える。つまり新たに土地を開墾できる。水は何日かに一回、瓶に継ぎ足すだけで良いからな。小規模の栽培に向いているから山間部にはもってこいだろう。これで、馬鹿高いコストを掛けて揚水水車を作らなくても何とかなるぞ」


 この時代の作物栽培は、詰まる所水の確保が最も大事だ。例え平地でも川から大きく外れ、水やりが困難な場所では作物を育てられないという問題が生産性を低くしていた。だからこそ村同士の水争いが絶えず起こり、腐心する。


 しかしここで、その水やりの労力が大きく低下するならどうなるか? 多くの問題が解決するのは火を見るより明らかだ。山間部ならではの高い位置へ水を運ぶという重労働さえも負担が減る。加えて低コストなのも大きな魅力だ。なら、これを導入しない手はないと言えるだろう。


 山間部に住む民だって馬鹿ではない。棚田も段々畑も作ろうと思えば作れる。けれども、栽培ができないならそれをした所で意味が無いというだけである。


 現実として点滴灌漑の栽培は、陸稲を含めた稲は難しいと思われる。とは言え、麦ならまず問題無いし、とうもろこしやカボチャ、サツマイモ辺りも大丈夫だろう。つまり今回対象の地域は、吉野川よしのがわ流域では米を生産し、それ以外の水遣りに不便な場所ではこの点滴灌漑を利用して各種作物を育てる。この二本立てで行けば、まず食糧不足には陥らない事になる。


 この地域に赴任する兵は最初はひたすら開墾作業と道の整備になりそうだな。完成の暁には一気に食糧問題が解決するだろうから、それまでは我慢だ。数年後には食糧輸送の負担は大きく減ると踏んでいる。その間ひたすら輸送する羽目になりそうではあるが。


「チートの見本のような知識だな、それは。低コストで効果も高いのがありがたい。俺も揚水水車の設計とかしたくないしな。面倒だ」


「元々が砂漠で作物を育てるための技術だからな。効果が高いのは折り紙付きだ。それに兵の派遣は五〇〇未満だから、大量生産までは考えなくて良いと思うぞ。冷害には勝てないけどな」


「けどそれなら、他にもやれる事があるんじゃないのか? 水やりの負担が減った分、自由な時間は増えると思うんだが」


「あくまで予定だが、食糧問題が落ち着いたら商品作物も育てさせる。メインはアブラナと山ブドウ、それと果樹だな。果樹は梅辺りから始めるのが妥当だと思っている。後は麻や硝石丘も作らせて小遣い稼ぎもさせよう。山間部もこれで少しはマシな生活ができるようになると思うぞ」


 ここまで言うと親信は納得したような顔となり、「これだから国虎はおもしろい」と小さく呟く。相変わらずの過大評価だが、この辺は気にしたら負けだと思っている。

 

 と、ここで話が一区切りしたのを見計らったように、梅慶が普段とは違うか細い声で俺に声を掛けてきた。


「国虎様……」


「どうしたんだ梅慶? 泣きそうな顔になっているぞ」


「本山の民を代表してお礼申し上げます。遠州細川に降る決断をしたのが正しかったと今確信しました。これで生まれ育った地が貧しさから解放されます。今後はより一層国虎様に忠誠を誓いますぞ!!」


「大袈裟な。そんな凄い話じゃないから気にするな。それにまだ何の成果も出していないぞ」


 こういう時、この時代の人達は感情が豊かだなと感じる。感極まったのか、ついに梅慶は泣き出してしまった。


 点滴灌漑という技術は、この時代の人達には眉唾にしか見えない技術だと思っていたのだが、それを疑いもしない姿に逆に驚く。何だろうか。この俺に対する信頼感は。


「……あのう国虎様」


「今度は忠澄か。何だ一体?」


「その点滴灌漑ですか? それを使えば水争いが無くなるのではないですか?」


 そうかと思うと、今度は忠澄までこれだ。親信は親信で、俺が困惑する姿を見てニヤニヤし始める始末である。助け舟を出そうとする気が一切感じられない。


「無くなるとは思うが、この方法は大規模な場所には向いていない。平野部の農地はきちんと水路を引く予定だ」


「それでもです。これを使えば、これまで栽培に適していないと開拓してこなかった場所でも生産できるようになると思います」


「言いたい事は分かるが、それは土地割と開発が終わってからだな。今は手付かずの場所が大量にある。それにさっきも言ったが、まだ何の成果も出していない。導入はそれからでも遅く無い筈だ」


「……はい」


「意見を言ってくれるのは俺としても助かるが、考えの飛躍が無いようにしてくれ。物事は順番に頼む」


「肝に銘じます」


 興奮する二人の姿を見ると、土佐での食糧問題の根深さを痛感させられる。奪わなくとも生きられるというのは、それを聞くだけで違う明日が見える気分となるのかもしれない。


 何にせよ、これで三好との国境線も何とかなる。まだしばらくは畿内のゴタゴタが続くので、こちらに目を向ける余裕は無い筈だ。その間に一気に堅固な体制を整えてしまおう。また、土佐一条家との最前線である吉良城は、既にしっかりとした防衛体制を整えてある。これで安心できる。


 後は、国境線に誰を派遣するか……となるが、大事な戦線だけに信頼の置ける者にしか任せられない。そうなると、畑山 元明しかいないとなるのだが……本気で手元の人材が危うくなってきた。


 これまで後回しにしていたが、次は保護した長宗我部関係にも手を付けていくか。

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