ただいま寄生虫
「辺境に飛ばすようで気が咎めるが、大事な国境線だけに元明しか頼れる者がいないんだ。そうそう戦にはならないと思うが、相手は阿波三好家だからな。何があるか分からん。まあ、拠点開発が主な仕事だと思ってくれ」
「相手が阿波三好家となれば大事な務め。その大役を命じてくださり感謝しております。絶対に土佐の地をあ奴らには踏ませません」
「肩の力は抜いていけよ。実際に領境を接するのは傘下の阿波大西家だからな。出入りする商家に繋ぎを取って、兵糧の調達をしているかどうかを確認させておけば向こうの動きは事前に察知できる。対策はそれを知ってからで大丈夫だ。多分、塩を融通すれば協力してくれると思うぞ。内陸の商家なら塩は喜ぶからな」
「はっ。かしこまりました」
「それと、この機会に肥溜めは廃止しておいてくれ。人糞はオガクズと混ぜて天日に干せば数日で土になる。順次こちらに切り替えるように」
三日後、仕事の引継ぎを終わらせた畑山 元明に最前線への赴任を伝える。俺としては後ろ髪がひかれる思いであったが、当の本人は「三好」と聞いた途端俄然やる気となり、悲壮感を全く感じさせない。よく分からない反応である。
とは言え、阿波三好家と接する訳ではないのだから、そこまで気を張る必要は無い。所詮は内陸にある地方豪族だ。豊富な資金源を持ち、多数の兵を動員できる勢力ではない。敵領内の物流を把握しておけば痛い目を見る事はまずないだろう。
本来であれば杉谷家の誰かを潜り込ませておくべきだとは思うが、そこまでの警戒はしなくとも役割は商人で十分に代用可能である。
こうした事情から軍事的な緊張は低いと見て、ついでとばかりに「肥溜めの廃止」という超重要任務を与えておいた。
肥溜めと言えば、日本では鎌倉時代より続くと言われる伝統的な屎尿処理施設である。現代ではもう見なくなったが、それでも多くの日本人に市民権を獲得しているとんでもない存在感とも言える。朝鮮通信使からは、肥溜めの恩恵によって日ノ本では農作物の生産性が高いと有用性を認められた程だ (但し真似をしようとは思わない)。
あくまで個人的にだが、そうした有益性に対してこの肥溜めが原因で日本は長年寄生虫に苦しんでいたと思っている。きちんと発酵を行なえば機能的として寄生虫を死滅させられるのは知っているが、それには一年という長い時間が必要だ。実際の現場では一年を待てない、もしくは何らかの理由で発酵が進まず、不十分な状態で使用されている事例が多いのではないかと踏んでいる。
また、肥溜めの設置は蝿や蚊の大量発生という問題も起こす。どちらも人体に悪影響を及ぼす害虫であるのは言わずもがな。これも廃止の理由と言って良い。
勿論、ただ廃止するだけでは反発されるのは目に見えているので、代わりとなる方法も用意した。バイオトイレの原料であるオガクズの登場となる。人糞はオガクズと混ぜれば臭いは消せるし、一月もすれば寄生虫の問題も無くなる。後は炭や糠や腐葉土を混ぜて馴染ませれば肥料になるという寸法だ。多少手間は掛かるが、肥溜めよりも短い期間で肥料化できるのが利点と言える。こうした形で肥料化できるなら反発も起きないと思っている。
既に奈半利を含む安芸郡ではバイオトイレを徹底させているし、新しく併呑した領地も順次導入させていた。使用後は肥料にするも良し、海に投げ捨てて魚の餌にするも良しという優れもの。土佐湾で獲れる豊富な魚資源は俺達のウンコで大きくなっている。
目に見えた成果が出る施策ではないが、民の衛生状態を改善するのも為政者にとっては大事な役目である。気分はGHQのダグラス・マッカーサーといった所か。
こうして兵四〇〇を率いて畑山 元明は粟井城へと旅立つ。本山 梅慶からは、自身の弟である
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
荒れ果てていた吸江庵もようやく改修工事を終える。報告を受けた時は驚いたが、長宗我部家は吸江庵の別当だというのにおざなりな管理……いや、放置と言った方が正しい。歴史ある吸江庵はあばら家へと成り下がっていた。
なのに、逃げる時だけは責任者である
誰の発案かはしれないが相変わらず知恵が回るものだ。
それはそうと、吸江庵の寺領には面白い物があった。茶畑である。場所は
土佐での本格的な茶の栽培は大正時代に入ってからだと聞くが、その下地はこの時代から既にあった事になる。なら、時代に先駆けて俺達が茶の栽培を手掛けようじゃないかと、吸江庵に京から技術指導できる人物を派遣してもらうように依頼した。江戸時代に入ってからの話となるが、吸江庵の大元である妙心寺は、修行の妨げになるからと茶道を禁止していたにも関わらず、隠し茶席を作る和尚がいたという逸話さえ残っている。これだけ見ても茶に対する執着が強いのが分かるというもの。なら本山のある京には、契約農家の一つや二つは抱えているだろうと踏んだ。
それに対する見返りは、定期的な吸江庵への寄付である。さすがは坊主共は欲の皮が突っ張っているなと思いつつも、俺も資産の差し押さえや無理難題を押し付けたので自業自得だ。向こうからすれば、損を取り返したという言い分なのだろう。それは分かる。とは言え、こちらは茶の製造で多くの利益が約束されるのを知っているため、当然その要求には応じる。また、いずれ良い茶が採れるようになれば、吸江庵並びに妙心寺系列の寺もこれが縁で良い顧客となるだろう。
こうして手綱はこちらが持つものの、結果的には吸江庵は寺領を手放した以上の収益を手にする形となった。お互いの思惑が一致したためではあるが、結果的には手を結べたと言って良い。これで両者が対立する事はもう無いだろう。これも偏に、長宗我部家が吸江庵を蔑ろにしていたのが背景にあったと見るべきである。
さて、最後は長宗我部の問題だ。吸江庵の管理者としては失格ではあるが、それでも復興はさせなければいけない。これも吸江庵との和解の条件の一つとなっている。例え実体は無くとも、体面上別当を受け持つ者が必要なのだとか。
その流れから、俺はある人物に白羽の矢を立てる。
「武家としての役割を求められないのでしたら、やぶさかではありませんが……」
「今回は名義貸しのようなものだと思って欲しい。その代わりと言っては何だが、遠州細川家で
「そこまで言われたなら、受けない訳にはいかないですね」
長宗我部家の復興であるなら、その当主には長宗我部の血を引く者が必要となる。そこで俺は、廃嫡された山田 元義殿の嫡男を引っ張り出してきた。以前に吉田 孝頼から、元義殿の妻が長宗我部 兼序 (元秀)の妹であるという話を聞いていたのを思い出したからだ。
つまり、元義殿の嫡男である
お飾りとしてこんな都合の良い人物はそうそういない。野心の欠片も無いのが美点だ。実際、山田家が当家に降った後も反抗的な態度を一切見せず、むしろこれまで以上に芸術方面にのめり込んでいた。最近は特に書画に嵌っているという。そんな治部殿は新たな長宗我部家当主にぴったりだった。
勿論、これだけなら土佐に残った長宗我部家臣は納得しないだろう。そこは対策として長宗我部 国親の遺児を養子に迎えさせ、次期当主に据えると約束させる。長宗我部 国親の息子は元親始め全員を取り逃がしたものだと思っていたが、一人だけ置き去りにされた者がいた事でこの手法を採用する。
聞けばその子供は家臣の妻を寝取った末に生まれており、しかも昨年生まれたばかりの赤子である。逃亡には足手纏いな上に、家中の恥さらしの存在では連れていけないのは自明の理と言えよう。名を島と言っていたが、夫婦共にその子供と同じく保護している。まさかこの時代にこんな理不尽があったとは。……せめて、こういう事はバレないようにやれ。
正直な所、この子供が物心付いた時を考えれば、俺が長宗我部 国親を殺したのは正しかったかもしれないと思いさえもした。複雑な事情がある子供だけに、治部への養子縁組は渡りに船であろう。それと島夫妻には可哀想な措置ではあるが、子供への影響を考えて二度と顔を会わさないように共々元明のいる最前線へと派遣をする。
遺児の養育は今も安芸城で生活をしている母上にお願いした。事情が事情というのもあり、子供好きの母上は二つ返事で了解してくれる。他にも保護した中に赤子が数名おり、それも纏めて引き受けてくれるという大らかさであった。母上の厚意に付け込むようで申し訳なく思うが、成長した子供達は未来の遠州細川家を支える存在へとなるだろう。急がば回れというアレである。なお、この話を聞きつけた梅慶が、自身の孫の養育をお願いするというよく分からない一幕もあったりしたが、深くは触れまい。
これにて土佐長宗我部家が復興となる。吸江庵の別当は治部が受け持ち、赤子が成人すれば隠居する段取りとした。けれども、これだけでは赤子が成人した際に格好が付かないという事態になるため、こちらで家臣団を編成しておく。
長宗我部家臣団の編成と言っても、ほぼ残りカスなのでたかが知れている。重臣には保護した中にいた
加えていつも通りの俸禄雇いとして兵を持たせないようにもした。家人等の雇い入れはあるだろうが、この規模では家臣団も余計な真似はできないだろう。しばらくの間は道普請等の地味な作業を割り振って様子見していくつもりだ。真面目に頑張っていれば新たな役目を与えようと考えている。
なお、保護した中にいた空念とその息子達の僧侶組に付いては、行政官として使えるためにこちらの預かりとさせてもらった。
そう言えば、長宗我部家臣に扱いが面倒な者達がいた。
「こちらが最初に申し出た際に無視をしたのですから、もう同族扱いはできませんよ」
「……分かっております」
土佐にいるもう一つの細川家である十市細川家及びその分家の池家である。長宗我部・本山連合軍に攻められた際、こちらで保護すると申し出ていたにも関わらず、あっさりと降伏して長宗我部の家臣に納まっていた。あの時点では両軍が纏めて遠州細川に負けるとは考えられなかったのだろう。その気持ちは何となく分かる。
現当主に話を聞いて知ったが、どうやら十市細川家は同族でありながらも、
とは言え、別陣営を選んだ彼らも今ではこうして俺達の軍門に降らざるを得ない状態となる。逃亡には足手纏いだと捨てられた者達だ。これで少しは素直になってくれるとありがたい。現状では俺もどう扱って良いものか分からないので、しばらくの間は室戸で漁に専念してもらおうと思っている。
陸の仕事では細川の名が邪魔をして色々とやりづらいだろう。その点、海の仕事は生まれも血筋も関係無い。ぼさっとしていると死ぬだけだ。いきなりの辺境送りは可哀想な気もするが、生活面で不便をさせるつもりはないので頭を冷やしてくれればと期待している。
色々と思う所はあるが、総じて俺を頼ってやって来た者達だ。路頭に迷わす真似だけはしたくない。俺の考えを理解してくれて、真面目に頑張ってさえくれればと願わずにはいられない。
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