閑話:算多きは勝ち、算少なきは勝たず
天文一四年(一五四五年)冬 岡豊城内 吉田 孝頼
「国親様、お喜びください。お役目、無事果たしました。安芸の子倅から七〇〇貫をもぎ取ってまいりましたぞ」
「誠か! さすがは孝頼だ。こうして無事戻ってくるだけではなく、しっかりと成果まで残す。儂の右腕に相応しい働きをしてくれたな。ずっと戻らぬから、安芸の子倅に首を刎ねられたのではないかと心配していた者も多かったがなかなかどうして」
田村荘住民の人質返還も終わり、無事岡豊城へと戻ってきたが……笑いが止まらん。七〇〇貫は吹っかけ過ぎだとは思ったが、それをぽんと出してくる辺りが安芸の裕福さであろう。それも一切値切ろうともしない。忌々しいがな。とは言え、値切ろうとするならこちらは人質を盾に取って脅すつもりだったので、どの道支払うより他はなかったであろうが。
儂が
十日もあれば終わると思っていただけに、随分と長滞在となってしまった。国親様や皆には心配を掛けたようだ。後で皆には元気な姿を見せなければな。
「御心配をお掛けしました。病で伏していた訳ではございませんので御安心くだされ。人質返還が終わるまで身柄を拘束されておりました」
「なら良いのだが。それで、拘束中は何もされなかったのか?」
「はっ。むしろひたすらに飲み食いしていただけなので力があり余っておりますぞ。是非、次の安芸との戦では儂も兵を率いさせてください。この吉田 孝頼、齢五〇を超えておりますがまだ若い者には負けられません」
「それは頼もしい言葉だな」
これは誠の話だ。従者と共に部屋に押し込められ、厠へ行く (監視付き)以外は一歩も外には出られない生活ではあったが、食事だけは豪勢であった。米が出る上に副菜が何品も出る。それも一日三食。更には酒も好きなだけ飲めた。常に監視されてはいたが、それも柱の染みだと思えばそう気にもならない。開き直ってしまえば、何もしなくてもただで美味い飯と酒にありつける夢のような毎日であったと言える。
ただ、もう二度と御免ではあるが。
こうして岡豊城に戻ってくると、やはり儂にはこの場所の方が落ち着く。安芸を倒した後はここで宴を開きたいものだ。
「それでどうだ。この七〇〇貫があれば安芸には勝てるか?」
「はっ。これで我等の勝ちはほぼ間違いないかと。七〇〇貫あれば傭兵を雇う前金を払うには十分です」
「確か鈴木と言ったな。雑賀荘への移住を前に、足掛かりとして傭兵で名を売っておきたいという話だったか」
安芸との戦いを前に我が長宗我部家に幸運が舞い込む。国親様が積極的に行っていた寺社の保護が功を奏した形と言っても良かろう。領内の民の慰撫として始めたものであったが、それが本願寺との縁へと繋がり、更には紀伊の鈴木家への伝手を得る。
現在の鈴木家は、紀伊国で
儂等には根無し草のように自らの本拠を捨てる気持ちは分からないが、より豊かな生活を目指すという気持ちは分からいでもない。雑賀荘は豊かで魅力ある場所なのだろう。ここ土佐とは違い、あり得ない量の銭や国内外からの様々な物が集まっていると伝え聞く。
ただ、そんな所へ進出をしようにも現実はそう甘くない。新参者では何もかもが厳しい。どんなに豊かな場所に移り住んでも、自分達も豊かになれるとは限っている訳ではない。例え鈴木家に本願寺の後ろ盾があろうと、受け入れてもらえるかはまた別の話と言えよう。鈴木家を認めさせる何かが必要となる。
ならばと「傭兵」を行えば、名が売れ、自らに箔が付くと考えておかしくはない。
雑賀荘は武家の治める土地ではなく、小規模な土豪や地侍の寄り合い所帯である。誰かの命を受けるのではなく、様々を自分達で考えて居場所は自分達で守る。そんな中で強さは頼りになるという話だ。
武家とは違い、血筋や家格は関係の無い実力主義的な集まりが背景にあるからこその選択と言えた。
「はっ。その鈴木家が今回南郷の勢力を取り纏めて土佐まで赴くとの事。安芸は南郷に相当恨まれておりますからな。安芸との戦いならばと南郷のほぼ全力を出してくれるようで」
雑賀の地は雑賀荘、
「しかも傭兵を雇う銭が安芸から奪った物と言うのがまた良い。言わば自らで自身の首を締めるようなものだな」
「国親様の言う通りですな。その上、安芸の子倅がこちらの動きに対抗して傭兵を雇おうとしても、まず無理であるのが何とも。完全に畿内情勢を読み間違えておりますな」
「尾州畠山の動きをしっかりと見ていれば
「誠に。念には念を入れて、尾州畠山の挙兵に合わせてこちらも動けばより確実となりますな」
皮肉な結果ではあるが、尾州畠山の前当主が亡くなった事で細川 晴元様との敵対が明確となった。このままならまず間違いなく尾州畠山は、細川 氏綱や高国派残党と合流して大規模な軍を起こす流れとなる。挙兵をするには先に兵を集める必要がある。そうなれば尾州畠山が雑賀衆や根来に声を掛けないという馬鹿な真似は絶対にしない。勝つためにより多くの傭兵を掻き集めるであろう。そうなれば、後から割って入る席は安芸の子倅には残っていまい。
「そうだな。動くとすれば、時期的には来年の夏辺りか。次の農閑期であろう。それを見越して本山にも兵を出してもらうよう伝えねばな。孝頼、頼まれてくれるか?」
「かしこまりました。忌々しい存在ではありますが、こんな時くらいは役に立ってもらわないとなりませんな。援軍の礼金も安芸から奪った銭で何とかなるでしょう。それにしてもここまで役立ってくれるとは、安芸の長宗我部家への忠義心は目を見張るものがありますな。功績を称えて葬ってやらねばなりませぬ」
「よく言うわ。とは言え、これぞ一石二鳥……いや一石三鳥だな。安芸がどれほどの銭を持っているか儂には分からぬが、それでも七〇〇貫も出せば向こうもしばらく身動きが取れまい。こちらに攻め寄せようとしても先に銭の工面が必要となろう」
長宗我部家にとって本山は不倶戴天の敵である。先代が討たれ、長宗我部家が滅亡寸前まで追い込まれた要因の一つだからだ。だが、それを承知の上で国親様は自らの娘を本山に差し出し同盟を結んだ。全ては目的のため。恨みをはらすため。それには力が必要であるからだ。分かっていてもなかなかできる事ではない。
しかし立場を変えて本山から見れば、長宗我部家は
そうした考えで今回の安芸の勢力拡大を見ると、本山の思惑とすれば長宗我部家には是が非でも負けてもらいたくはない。何故なら、長宗我部家が負けてしまえば本山は西と東の二つの戦線に兵を割かなければいけなくなるからだ。これでは西に集中して勢力を拡大できない……と言うより、本山は安芸の次の標的にされるであろう。そうなれば、本山は最早勢力拡大など言えなくなる。
結果、長宗我部家と安芸との戦いにおいて、本山は全力で長宗我部家を支援する必要が生じていた。
「安芸の懐を痛め、時を稼いだのが最後の一鳥ですな。これだけの布陣で挑む。まさに必勝と言えるでしょう」
「もしかしたら、儂達に恐れをなして安芸から和睦の話が出るかもしれんぞ」
「それはあり得ないかと。……いや、是非それを見たいですな。その時は散々に辱めてやりましょう」
「どの道儂は安芸と和睦する気はないがな」
「国親様も人が悪い。まあ、幾ら向こうが焙烙玉やてつはうのような火器を揃えた所で、最後にものを言うのは兵の数ですからな。例え銭儲けが上手くとも、肝心の戦で兵を動員できないなら武家としては失格と言わざるを得ません」
これまで商人を使って安芸の戦いを調べていたが、ある事実に気付く。
安芸の戦いは火器を使った派手なものばかりではあるが、それは兵の動員の少なさを補うための策ではないだろうかと。焙烙玉一つ使うのに、一体幾らの銭が必要となるのか? 正確な所は分からぬが、それ程の銭があるなら儂であれば兵の数を揃える。
これが安芸の最大の弱点と言えよう。
根来から傭兵を雇った際も大した数は揃えない。やろうと思えば馬路家や惟宗家、果ては海部家から兵を幾らでも借り受ける事ができるというのにだ。銭が無いからできない訳ではない。湯水のように使う火器を見れば、安芸は大量に銭を持っている。
そこから考えるに、安芸は兵の数が揃えられないという結論となる。理由は分からぬが常備兵でしか戦をしたくないのであろう。それこそ戦の基本を忘れているとしか言わざるを得ない。
確かに火器を大量に使用されれば、音や爆発により兵は萎縮し力を出せなくなる。
だがそれだけだ。効果は限定的なものばかりである。城攻めにおいては抜群の効果を発揮しているようだが野戦は違う。裏崩れを起こさせるのが主な目的でないかと勘繰る程だ。見た目と実害に大きな差があると感じた。
それならばこちらは督戦で何とかなる。最悪、逃げようとする兵を何人か切り殺してしまえばそれが見せしめとなり大きく崩れる事はない。
つまり、対安芸への勝ち筋は圧倒的な兵の数で押し切れば良いだけなのだ。基本ではあるが、数の暴力でどうにかなる。
それに気付いたからこそ、儂は国親様に十市細川や池を攻めるよう進言した。田村荘を手放すのは長宗我部への大きな痛手となる。しかし、後で取り返せるというのであればそれ程惜しくはない。それに安芸を倒せるなら、山田の地や香宗我部氏の地までもが一気に手に入り、領地が二倍にも三倍にもなる。
それが此度の儂の策の全貌であった。
故に戦う前から勝敗は既に決している。最早今の安芸に儂の策は覆しようがないであろうと。
「……それと最後に小川殿に連絡を取っておかなければなりませんな。忘れる所でした。今でも勝利は確実でしょうが、念のために。小川殿も儂等同様に安芸への恨みが深い御仁ですから、裏切る事はないでしょう」
「クックック、まさに『算多きは勝ち、算少なきは勝たず』と言った所か」
「『孫氏』ですな。武家が学ぶのは兵法であって商いに非ず。それを見せ付けてやりましょう」
これまでは安芸の子倅に良いようにされてきたが、じきにそれも終わる。国親様と共に土佐の覇権を長宗我部家が握る時は近い。
ここから、ここからだ。儂等の巻き返しが始まる。
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