その命の価値は
何故俺との決戦を前に長宗我部 国親が港を押さえに走ったのか? この時代の価値観で言うなら、どう考えても穀倉地帯を持つ方が重要度が高い。腹が減っては何とやらという言葉にもある通り、食料が無ければ戦を行なうのは元より飢え死にしてしまう。
港の領有により得られる物と言えば様々あるが、極論すれば「銭」へと集約する。
そう、長宗我部 国親はこの時代の武士には珍しく銭の意味が分かると見るべきだ。戦に必要なのは銭だと理解しているに違いない。
この見解に立てば、今の長宗我部が最も困るのは城を強襲して落とす事ではなく、
「国長頼むぞ。鯨油は好きなだけ使ってくれて良いから、港に停泊する船を可能な限り使いものにならないようにしてくれ。港に被害が出ても構わないからな」
船という外貨を獲得する手段を潰す事である。今回田村荘で手にした略奪品も、銭に変えられなければ宝の持ち腐れと言えよう。
本音を言うなら船は接収はしたい。選択肢の一つとしてある「海上封鎖」を行なえばそれも可能だと思われるが、それをすれば長期の作戦行動となり、捕鯨事業に大きく穴を開けてしまう。船の売却益と食料等の必要経費を考えれば捕鯨を優先せざるを得ない。結果、この案は却下となった。
「海に油を撒いて火を付けるだけですから、そう難しくはないか。ついでにボロボロになった船に火を付けて突っ込ませましょうか?」
「それで問題無い。派手にやってくれ。だが、深入りだけはするなよ。怪我だけはしないようにな」
「相変わらずウチの大将は無茶ばかり言うな。まあ、全力だけは尽くしましょう」
長宗我部軍のお陰で田村荘はボロボロとなり、かつての穀倉地帯が嘘のような姿となる。さすがに田畑をぐちゃぐちゃにするまでには至っていなかったが、それでも井戸には毒が投げ込まれ、用水路も破壊し尽くされていた。
しばらくこの地でこれまでのような生活は不可能と言えよう。
田村荘は遠州細川家の本拠地だ。長正にも言った通り今の俺が当主である以上は、この地に住む民を見捨て飢え死にさせる訳にはいかない。そのため、全住民には須留田に避難してもらい、いつものように一度常備軍に吸収する形で保護を行う。衣食住を都合し、生活の再出発となる起点を作り出した。
並行して軍にはこの地の復興を行なわせる。とは言え最前線であるために最低限だ。長屋を建設し、水の確保を行なう。現状では長宗我部との争いよりも人の住める環境へと再整備するのが最重要であった。
馬路 長正に使いを出してもらい水軍大将の惟宗 国長に来てもらったのには、こうした背景も理由となる。
兵を使った殴り合いだけが戦の形ではない。敵の力を削ぎ、確実に勝てる状況を作り出すのも戦の一つと言える。そういう意味から言うと、俺と長宗我部は全面戦争に突入している。どちらが早く勝ち筋を作り上げるかという争いだ。
前回はやられたが、これで今回は俺の一歩リードとなる。将棋に例えるなら、敵は角を捨て飛車を手に入れたが、それを今度は俺が桂馬で奪うようなものだ。栗山城という防衛線を飛び越えての海からの攻撃。水軍を持たない向こうにはそれに対抗する術は無い。
「後はこれで干上がってくれるかどうかだな」
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
畿内では思わぬ方向に事態が動いていた。一言で言えば細川 晴元の大失態である。尾州畠山家の当主問題でやらかした。
普通に考えれば武家の当主が亡くなった場合は、その嫡男が跡を継ぐ。しかし嫡男がいない、もしくは幼少である場合は時として元当主の弟が跡を継ぐ場合もある。また事情によっては、他家から養子を迎えて当主を継がせる事もあるだろう。
亡くなった畠山 稙長に跡を継ぐ嫡男がいなかったのが、この問題の切っ掛けであった。
詳しい事情はよく分かっていないが、どうやら畠山 稙長は生前
なるほど。それ程の家から養子を迎えるなら能登畠山家が強力な後ろ盾となり、当主の力が強められるだろう。その意味は分かる。
だがそれは、逆を言えば能登畠山家から内部干渉をされかねないリスクを背負っているとも言える。尾州畠山は有力家臣である遊佐 長教が当主を挿げ替えてしまうほど家臣の力が強いため、家臣側からすれば自分達の力を削ごうとする行為に見えるだろう。そうなるとまず受け入れられない。誰だって一度手にした力を失いたくはないというものだ。
更には畠山 稙長の弟である
この時点で畠山 稙長亡き後の尾州畠山家内では次期当主が畠山 政国で一本化された事になる。
ここでそうした空気を読めずに細川 晴元が尾州畠山家に養子を送ろうとした。しかも何を考えたのか、畠山 義総の子供ではなく、それとは全く関係無い
つまり、細川 晴元は尾州畠山家を
もうここまで来ると当然の成り行きだが、尾州畠山家は反細川 晴元一色となった。結果、細川 氏綱殿をこれまで以上に支援しようとなるのは火を見るより明らかと言える。
細川 晴元は一体何がしたかったのか俺には理解不能だ。
畠山 稙長が亡くなった時点で、細川 氏綱殿及び高国派残党はある意味存亡の危機に立たされていたとも言って良い。もし細川 晴元が政権基盤を強化したいと言うなら、尾州畠山家とは表面上だけでも仲良くするのが最も堅実である。目障りで力を削ぎたいというなら、尾州畠山の家臣団の対立を煽れば良いというのが分からないのだろうか?
尾州畠山もここまで虚仮にされれば黙っていられない。近い将来、間違いなく全面戦争となるだろう。「舎利寺の戦い」は細川 晴元が引き起こしたようなものだったのかと思わずにいられない。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
中央ではこうしてまたもきな臭い雰囲気となりつつあるが、ここ土佐ではそれとは関係無い日々が続いている。
最近では恒例となった細川水軍の通商破壊が続いていた。あの時の縦帆の試作機が大活躍である。風の良い日も悪い日も関係無く、思い出したかのように浦戸湾へとお出掛けし、停泊する船に火をかけて帰っていく。それを月に二度か三度行なっていた。ちょっとコンビニに買い物に行くような手軽さである。
お陰で商人連中からはクレームが大量にやって来るようにもなっていた。勿論無視する。中には「積荷を含めて被害に合った分を全額弁済しろ」などと馬鹿げたものもあったりしたが、それも当然突っぱねている。俺の立場からすれば「長宗我部や本山と付き合うお前等が悪い」の一言で終了だからだ。こんな時までしがらみに縛られる必要は無い。
そんな商人連中に恨まれる行為を続けていくと、目に見えて種崎や浦戸から活気が失われていると報告を受ける。さすがは国長、良い仕事をしてくれる。このままどん底まで追い詰めて最後の王手を掛けたかったのだが……やはり現実はそう上手くはいかないらしい。
もう二度とその顔を見たくない人物が俺の元へ使者としてやって来る。
「お会いするのはこれで二度目ですな。安芸殿」
「よくのこのこと私の前に姿を見せられましたね。この場で拘束して首を刎ねても良いんですよ。田村荘に何をしたか分かっているんですか?」
彼の名は吉田 孝頼。長宗我部 国親の懐刀だ。今回も絶対に禄でもない要求を突きつけてくるに違いない。その薄ら笑いが証拠とも言えた。
「戦国には良くある事ですな。ですが、これでずっと怨敵というのは悲しいものかと。どうですかな? 近々岡豊城へお越し下さるというのは。会談をして和睦の誓約を結び、同盟を組みませんか?」
初手からいきなりこれである。こちらの通商破壊には一切触れず、いきなり和睦と同盟と来たか。最早ネタにしか聞こえない。本気でそれを考えているなら、まずは田村荘に行った焦土作戦を詫びるのが筋である。
要は言葉とは裏腹に腹の内では同盟をしようとは決して考えていない。いけしゃあしゃあとよく言える。
「……本気でそれを言っているのですか? 本気なら今ここで首を刎ねますが。それに今の私は安芸ではなく細川です」
「これは失礼をしました安芸殿。それでは此度は安芸殿がとてもお喜びになる提案を致しましょうぞ」
俺が細川だと言えば、逆に安芸を強調する。ここまで来ると挑発だな。隣に控える一羽は勿論の事、周りを固める家臣達がいつ刀に手を掛けてもおかしくないほど殺気立っている。もしかしたら、本気で俺に首を刎ねられに来たのだろうか?
……いや、違うか。その「提案」が鍵だろう。俺が首を刎ねられない何かがあるという意味だ。絶対に生きて帰れると考えているからこそ、ここまで尊大な態度を取っていると見た方が良い。
「話だけは聞きましょう。乗るかどうかは内容次第です」
俺がそう言うと小さく「ほぉ」と呟き、口角を上げ嬉しそうな顔をする。まるで術中に嵌ったかのような表情で吉田 孝頼がゆっくりと話し始めた。
「そう恐い顔をなさらなくとも大丈夫かと。なあに、提案というのは田村荘の元住民の話です。それをお返ししましょう」
「…………続けてください」
「ですが一つ問題がありましてな。今我が長宗我部家はどこぞの賊によって大きな被害を受け、食うにも困っている有様でして。銭を多くお持ちの安芸殿から援助を頂けなければ、元住民の命が保証できない状態となっています」
まさかの
…………その通りだ。痛い所を突いてきた。田村荘はやっと取り返した遠州細川の本拠地である。今の俺にその住民は絶対に見捨てられない。
「……幾らだ」
「そうですな。被害金額他、諸々合わせて七〇〇貫という所ですな」
「分かった。支払う。銀で良いな。後、攫った全員を返せよ」
一羽に銀を取ってくるように頼むが動こうとしない。交渉とは言えないその内容に怒り心頭なのだろう。その気持ちは分かる。俺も今この場で吉田 孝頼を切り殺したいが、それをすると二度と攫われた人質が戻ってこないと理解しているから何とか堪えてこのぼったくりを承諾した。
それでも言葉を取り繕う余裕は失くしてしまったが。
一言「何とか堪えてくれ」と言うと、深呼吸をして一羽が立ち上がる。そのまま銀を取りに奥へと足を運んだ。
「おおっ、さすがは安芸殿。何の迷いもなく七〇〇貫を出すとは。これで交渉成立ですな」
冷え切った空間で吉田 孝頼の勝ち誇った高笑いが虚しく響く。俺達の悔しがる表情を見てさぞや気分が良いだろう。戦国の世にやって来て数多くの手痛い洗礼を受けたが、今日以上の屈辱はこれまで無い。初めて純粋にただ憎いと感じた。
勝った気でいるのも今だけだ。覚えていろよ。
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