第41話 不知火の幻影
一進一退の攻防が続いていた燈火と般若面の戦いは終盤に入ろうとしていた。
「決着をつけるぞ、般若面。これ以上お前の
「やれるものならやって見なさい。遠距離攻撃が当たらないのなら接近戦でけりをつけるまでです」
藻香たちは湖のほとりから燈火の戦いを見守っていた。二人の魂式が高まっていくのを感じ、お互いに決着を付けようとしているのだと悟る。
藻香は手を合わせながら燈火の勝利を祈る。その様子に気が付いた楪は藻香の肩に手を置いて微笑んでいた。
「燈火君なら大丈夫です。必ず勝ちます。彼はもの凄く強いんですから」
「――楪さんは燈火を心から信頼しているのね」
「ええ、そうですね。燈火君とは数年前に『六波羅』で会いました。その時、彼は既に退魔師として一人前の実力者だったんです。彼の背中を守れるような、そんな一流の退魔師になるのが私の目標なんです」
藻香が楪の顔を見ると彼女は頬を染めて微笑んでいた。燈火をまっすぐに見つめるその表情から、彼に対して信頼の他にも特別な感情があるのだと気付く。
(私は燈火と知り合って一ケ月くらいしか経っていない。けど、楪さんは何年も前から彼のことを知っている。私の知らない燈火を沢山知っているんだわ)
藻香の胸に楪を羨ましく思う気持ちが芽生える。湖の上で敵と戦っている少年に自分は恋心を抱いているのだと藻香は自覚していた。
白面金毛九尾の狐として生きていた時代、玉藻前という女性の姿でいた時にも経験したことのない感情。
最初は淡い種火だったそれは次第に勢いを増していき、今では身を焦がすような炎へと成長していた。
その一方で楪も藻香に対し嫉妬していると自覚していた。
かつて『六波羅』で出会った燈火は、まだあどけなさの残る少年だった。楪の弟と年齢が近いこともあり、彼に対してもそのように接していた。
そして一ケ月前、数年ぶりに再会した燈火は大人の男性になっていた。
あれから人として退魔師として経験をさらに詰んだ燈火は、とても頼もしくて逞しい男性に成長し優しい部分は変わっていなかった。
そして、成り行きとはいえ同じ屋根の下で暮らすうちに弟に対する親しみの感情は、一人の男性への恋慕へと変化していったのである。
その燈火はずっと藻香を守ることを最優先にしており、そこまで彼が入れ込むのは単に任務に対する義務感だけではないと一緒に暮らしていて良く分かった。
自分の思い人が無自覚に心を寄せる少女に対してドロドロとした感情を抱いていることに楪は戸惑うのであった。
その時、湖の上で赤い光が広がっていくのが皆の目に入る。
藻香と楪が見守る中、燈火の身体を赤い魂式のオーラが包み込み周囲を照らしていたのである。
「はああああああああああああああああ!」
雄叫びと共に燈火の身体から深紅の炎が発生し、それを身に纏う。彼の足元の湖面はボコボコと音を立てて沸騰し、その驚異的な魂式を目の当たりにして般若面は後ずさりしていた。
「行くぞ、般若面。六波羅炎刀流、
燈火を包む炎はさらに勢いを増し、周囲の湖水は蒸発し大量の蒸気が発生する。
般若面が一瞬蒸気に気を取られた瞬間、目の前にいた燈火の姿が掻き消える。そして、般若面が燈火の姿を見つけようと意識を周囲に向けた直後、顔面に衝撃が走った。
目の前に突如現れた燈火の拳が般若面の顔を捉え、力の限りに殴り飛ばしたのである。
「ぐふぁっ」
般若面は湖面に叩き付けられてそのまま湖に沈みかけたが、その前に燈火は敵を空中へ蹴り上げる。
二十メートルほどの高さに到達し落下を開始する直前で、真上に回り込んでいた燈火が般若面の背中に両拳を叩きつける。
「でえりゃああああ!」
「かはぁっ」
般若面はかすれた声を出しながら湖面に勢いよく激突し、その場に留まった。
「くそっ、何というスピードとパワー。魂式を高めて身体能力を引き上げる技か……厄介な」
般若面が悪態をついていると後を追って来た燈火が湖に着水し、殺気に満ちた目で敵を睨み付ける。
「もう一発顔面にかませば、そのけったいな般若の面は完全に破壊できそうだな」
般若面が自身の面に触れると所々に亀裂が入っていることに気が付き、身体が震えていた。
「この私が恐怖しているだと。こんな屈辱は初めてですよ。――絶対に殺してやる!」
般若面はおもむろに立ち上がると、再び刀に風を纏わせ四方八方に風の刃を放ち始める。
正確性を欠いたその斬撃は燈火にかすりもしない場所に放たれるような滅茶苦茶なものであった。
「まともにやっても当たらないから無差別攻撃に出たか……いい加減に倒れろ!」
炎を纏い無数の風の刃を避けながら燈火は敵に近づいていく。湖の上は般若面の風の斬撃で荒れ狂い、燈火が通り過ぎた場所は炎で燃え盛り地獄絵図と化す。
燈火がそんな地獄をかいくぐって猛スピードで突撃したその時だった。
「バカが、そう来ると思ったよ!!」
風の嵐の中から姿を現した燈火に向かって般若面は刀の切っ先を向けて突貫した。風を纏わせた狂気の刃は燈火の腹部を貫通するのであった。
燈火の身体は力を失い手足をだらりとさせる。その様子を仮面越しに見ながら般若面は狂気の高笑いをするのであった。
「くくく……あははははははははは! バカがバカがバカめが、やったぞ。まんまと罠にかかった。私が何の策も無く闇雲に風刃を放つ訳ないだろうが。最終的にお前が私の目の前に出てくるように計算して放っていたんだよ。どんなに素早く動けても、何処に姿を現すのか分かっていれば――この通りよ!」
般若面は串刺しになった燈火の身体を藻香たちに見せるようにしながら、勝利の笑い声を上げる。
その凄惨な光景を前に藻香はガチガチと身体を震わせながら涙を流していた。その隣では楪も顔が真っ青になっている。
「燈火……こんなの嘘よ……」
戦いに決着がつき般若面が笑っていると、目の前で不思議な現象が発生する。刀に貫かれてうなだれていた燈火の身体が崩れ始めたのである。
その異常な光景を前に呆けていると、少年の身体は完全に崩壊し間もなく炎の塊に変化した。
「え?」
般若面が目をぱちくりさせながら間抜けな声を出した瞬間、燈火の姿をしていた炎は爆発し周囲を巻き込む火柱を発生させた。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああ!!!」
激しい火柱に巻き込まれた般若面は絶叫を挙げながら、抵抗も出来ずに身体を燃やされていく。
戦いを見守っていた藻香たちは、燈火が爆発した状況を目の当たりにして訳が分からないという表情だ。
「燈火が炎になって爆発した。いったいどうなっているの?」
「藻香ちゃん、これはもしかしたら――」
火柱が止むと、そこには黒焦げになった般若面が立っていた。般若の面は半分近くが破壊され、破魔装束もボロボロになっている。
その時、湖上で燃えている炎の中から燈火が姿を現した。それを目の当たりにして般若面はわなわなと身体を震わせている。
「そんな……バカな……お前は確かにこの手で突き刺したはず」
「本物と偽物の区別がつかないからそうなるんだよ。お前は不知火を身体能力を向上させる技だと思っていたみたいだが、それだと半分正解ってとこだ。――不知火は大気に干渉して蜃気楼のような現象を起こし、敵を混乱させる効果を併せ持つ。お前が俺だと思って突き刺したのは俺が炎で作ったダミーだったのさ」
「なん……だと!?」
燈火が技の正体を教えると般若面は身体を震わせながら残った魂式を集中し始めた。プライドを傷つけられた敵は最後の攻撃に打って出る。
「よくも私をたばかったな。死ねえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
真っ正面から無策に突っ込んで来る敵に対し、燈火も魂式を高めて迎えうつ。
「六波羅炎刀流、参ノ型――
ぶつかり合う炎の刃と風の刃。炎の一太刀は風の刃ごと刀を真っ二つに折り、般若面を焼き払い湖のほとりに斬り飛ばした。
「――俺の勝ちだ」
紅義山の湖を舞台にした燈火と般若面の戦いは燈火の圧勝で幕を閉じたのであった。
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