第37話 玉白藻香の真実

 燈火と別れた藻香たちは救助した女子生徒に案内され、彼女のチームメンバーと合流を果たした。

 腹部に怪我を負っていた男子生徒は治癒の護符により一命をとりとめた。

 彼らが身を隠していたのは古くなった社で、治療が終わると藻香はぼろぼろの正面扉から外の様子を窺っていた。

 かなみが藻香の様子を見に来ると、遠くから誰かの叫び声が時折聞こえてくる。

 それを聞いていると、今自分たちが置かれている現状が非現実的で異常だと思わされるのであった。


「この悲鳴はもしかして生徒の声?」


 かなみが恐る恐る尋ねると藻香は首を振って否定する。


「鬼の断末魔の叫びよ。あの声が聞こえると同時に妖力が消えていく。――燈火がやっているんだわ」


「鬼は妖の中でも上位種のはず。式守君はそんな相手をものともしないのね。私たちとは全然違う」


 鬼の叫び声が轟く暗い森の中を見つめながら、藻香は遠い過去の記憶を思い出していた。

 広大な都では多くの人々が生活し、夜のとばりが下りると同時に人々は建物の中に入り夜道を歩く者はいない。

 いや、人ならざる者に限ってはそうではなかった。妖が夜を支配しどこかで誰かの悲鳴が聞こえる中、人々は建物の奥で怯えながら陽が差すのをひたすらに待つ。

 ――そんな時代。


「燈火にとっては、こういう戦場が日常なのね。妖と戦って人を助け、それを何度も繰り返す。あの頃も今もそれは変わらない、か」


「藻香、どうかしたの?」


 遠い目で独り言を言う藻香をかなみは心配する。昔から藻香は時々こういう顔をする時があった。

 そんな藻香を見る度にかなみは、藻香がいつか自分の前からいなくなってしまうのではないかと言う不安に駆られていた。


「ねぇ、藻香。……いなくならないわよね?」


「え?」


「私を置いて急にいなくなったりしないわよね?」


 かなみは目に涙を溜めて身体を震わせていた。いつも飄々としているかなみの突然の涙に狼狽える藻香だが、その原因が自分の態度にあるのだとすぐに理解して彼女を優しく抱きしめた。


「大丈夫よ、かなみ。あなたに黙って急にいなくなったりしないわよ。約束する」


「――いなくなっちゃうことは否定してくれないの?」


 涙声で見つめて来る親友に藻香は胸が締め付けられるような思いをしていた。

 自分のことを燈火に告げた後、自分を取り巻く環境はこれまでの様にはいかないだろうと藻香は思う。

 最悪の状況を考えれば、もしかしたら命を奪われるかもしれない。それだけの覚悟を持って藻香は燈火に真実を打ち明けようとしているのであった。

 だから、かなみに「ずっと一緒にいる」という一言が言えない。目の前にいる大事な親友に嘘だけは吐きたくない。


 沈黙が二人を包む中、気が付くと遠くから聞こえていた悲鳴が止んでいることに気が付く。

 同時に彼女等が避難している社の付近で何者かの気配がした。それも一人、二人ではなくもっと多い。


 藻香とかなみは扉の影に隠れ、息をひそめて気配の主が姿を現すのを待つ。間もなく木々の暗闇から何人もの少年少女が月光の下に姿を見せた。


「うちの生徒たちだわ」


 疲れ切った彼らの最後尾には燈火の姿があった。周囲に気を配り、万が一の状況に備えている。


「燈火、無事だったのね。良かった」


 藻香は燈火の姿を見ると笑顔になり彼の傍まで走っていった。その姿を複雑な気持ちでかなみは見つめていた。




 俺が紅義山の北側で戦った鬼の数は六体。どれも鬼として最弱のレベルばかりだった。そのおかげで俺が駆け付けた際には、生徒は誰一人欠けることなく生存してくれていた。

 藻香たちから一旦離れて救出した生徒は八人。この付近には妖力の反応は既にない。社に避難していた生徒四人と合流し山頂を目指すことにした。

 朝斗と松雪には先頭に立ってもらい、藻香には殿しんがりをお願いした。社に避難していた負傷者は傷こそ塞がっていたが自分で歩ける状態ではない為、火狐の背に乗せて運んだ。

 俺は皆の周囲を動き回り、敵の奇襲に備えたが襲撃はなく無事に山頂に到着したのであった。


「皆、無事でよかったです。ここで休んでください」


 山頂に到着すると、楪さんを始めとする教師たちが救出した生徒たちと共にいた。

 彼女たちも山頂に到着したばかりで、これから北側に向け人を出すところだったらしい。

 楪さんの話によると紅義山の西側、東側、南側の生徒たちは全員救出したとのことだった。自力で下山できた生徒たちの無事もふもとで待機していた明海先生から確認が取れている。

 このような不測の事態であったにも関わらず死者が出なかったのは奇跡だ。

 そう思う一方で、俺は今回の鬼の襲撃の不自然さが気になっていた。俺が考えていると楪さんが心配して来てくれた。


「どうしたんですか、燈火君。難しい顔していますけど?」


「おかしいと思いませんか、楪さん。今回襲撃してきた鬼は雑魚ばかりでした。それに連中は暴れていただけで藻香を連れて逃げる素振りはありませんでした。それどころか、彼女を手に掛けようとした」


「つまり鬼たちは藻香さんの件とは無関係ということですか。でも護符を使う周到な手段も使っているし……う~ん」


 般若面の男が関わっていることは間違いない。だが、結局ヤツは姿を現さず用意した鬼も全滅している。

 生徒も全員無事だった。敵の真意が見えずまるで遊ばれているような感じがして、正直面白くない気分だ。

 俺と楪さんが考え込んでいると、今度は藻香が神妙な面持ちでやって来た。


「燈火、楪さん、ちょっといい?」


 彼女の目は何かを決意したかのように真剣だった。彼女と交わした約束を思い出し、皆から離れて湖のほとりまで三人で移動する。

 湖は月明りを反射し輝いていて、藻香はその光の中で俺と楪さんに向かい合う。


「あなた方が『陰陽退魔塾』から与えられた私、玉白藻香を守れと言う命令。そもそも私が何者なのかを話したいと思います」


 楪さんは心配そうに藻香と俺の顔色を窺うが、俺たちは頷きで答え彼女は納得し何も言おうとはしなかった。

 藻香の口調はいつものフレンドリーなものとは違い、まるで別人のような丁寧な話し方だ。


「こんな事をいきなり話しても信じられないかもしれませんが、私には前世の記憶があります」


「前世の……記憶?」


「はい。当時の私の名前は玉藻前たまものまえ、または白面はくめん金毛きんもう九尾きゅうびの狐と呼ばれていました」


 彼女の前世の名は俺たちに十分すぎる衝撃を与えるのであった。

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