第35話 メイド先生は闇夜を駆ける

 燈火たちが紅義山に出現した鬼と戦っていた頃、山の南側の麓に待機していた教師たちは妖力を感知し、それら討滅のために動き出していた。

 楪は『中崎陰陽退魔塾』の職員数名と紅義山の南西側を担当し、その他教師たちは東側に向かう。

 学校や陰陽退魔塾との連絡係や避難してきた生徒の治療のため、保険の先生である明海は麓に残った。


 散開して各々妖を倒し生徒を救出する作戦だ。

 北側にいる生徒は位置関係から救出が難しいため、救出は先送りにされ確実に助けられる命を助けるという苦渋の判断が下されていた。

 その中にあって楪は、燈火なら教師たちがこのように動くと判断し北側の生徒たちを助けに行くと確信していた。


「私がやるべきは西側にいる生徒たちを迅速に救い出して、いち早く燈火君と合流すること。燈火君のチームは一緒に動いているはず。それなら藻香ちゃんを狙って般若面が現れる可能性が高い。彼らを大量の妖から守りながら般若面と戦うのはいくら燈火君でも難しいはず」


 闇夜の森を駆け抜けるクラシカルなメイド姿の女性。暗闇が視界を支配する中で、何か光るものが見える。

 

「あれは符術の光。生徒たちが妖と戦っているんだわ。急がないと!」


 楪は全速力で生徒たちのもとへ向かう。そこでは四人の生徒が一体の鬼から必死に逃げていた。

 時々符術で足止めをしながら力の限り逃げる。体長三メートルほどの鬼はこの状況を楽しんでいるように、笑いながらか弱い獲物を追いかけまわす。

 全力を出せば捉える事はさして難しくはないだろう。しかし、それではこの楽しい時間がすぐに終わってしまう。

 この愉悦の時間を長く味わうために鬼は彼らが恐れる姿を眺めながら、ゆっくりと歩いていた。


『逃げろ逃げろ。一生懸命逃げないと、捕まえて食っちまうぞ。きひきひきひきひきひ』


 鬼の気持ち悪い笑い声がすぐ後ろから聞こえてくる。生徒たちはその不快な音を聞いて益々恐怖を煽られていった。


「うわああああ、来るな来るな!」


「お母さん、助けてーーーーー!」


『おいおい、お前らの母親が助けに来たところで何もできないぞ。俺に殺されて食われるだけだ。そんな結末を望むなんて残酷なガキどもだなぁ~』


 鬼は醜悪な笑みを見せながら生徒たちに迫った。彼らを追いかけるスピードを

速めていき、両者の距離はほんの数メートルにまで縮まる。


『さあて、飽きてきたしそろそろ終わりにしようか。じゃあな、ガキども――』


「そうはさせませんよ」


 漆黒の森の中から、メイド服に身を包んだ女性がロケット弾のように飛び出し鬼の顔面に蹴りを入れ吹き飛ばした。


『がふぁっ』


 よろめき尻餅をついた鬼は顔面を手で抑えながら、自分に不意打ちを仕掛けた元凶の姿を捉えようと周囲を見回す。

 その人物は正面にいた。本来であればこのような真夜中の森にいるはずはないであろうメイド姿の若い女性。

 シュールな光景に鬼は一瞬思考が停止したが、自分を傷つけた存在に対して怒りが頂点に達し身体を起こす。


『よくもやってくれたな、女ァァァァァ。お前から先にぶっ殺してやる!』


「そうしてもらえると助かります。そちらから近づいてもらった方が面倒くさくないですから」


 鬼を正面に据え黒いボブヘアをたなびかせながら、楪はロングスカートの左右のスリット部分に手を入れて中から二丁の黒い拳銃を取り出した。

 

「これが私の式武、〝闇払い壱式〟と〝闇払い弐式〟です。すぐに終わらせましょう」


『拳銃の弾なんぞに鬼がやられるわけがねぇだろうが』


 鬼は、はき捨てるように言いながら楪に向かって正面から突撃を敢行する。圧倒的な体格差による大きな凶弾が楪に迫る。

 だが楪は表情一つ変えず二丁の拳銃の銃口を敵に向けた。


「ただの銃なわけないじゃないですか。これは式武だと言ったでしょ? 魂式伝達――発射!」


 引き金を引くと右手に持った闇払い壱式から炎の銃弾が、左手に持った闇払い弐式から風の銃弾が発射され、正面から接近していた鬼に直撃する。

 二つの弾は当たった瞬間に炸裂し、その巨体をのけ反らせた。


『ぶべらっ』


「まだまだ、終わりませんよ」


 楪は炎と風の銃弾を連射し容赦なく眼前の鬼に当てていった。炎の銃弾は鬼の分厚い皮膚と肉を焼き、風の銃弾は身体を穿うがち動きを止める。

 一瞬で勝敗は決し、楪は近距離まで接近し銃口を鬼の頭に向けていた。鬼は驚愕の表情で目の前に立つ、か細い体躯の女性を見つめていた。


『こんな小娘に俺がやられるとは信じられん』


「小娘ではありません。退魔師です」


 楪は躊躇なく風の弾丸で鬼の頭を吹き飛ばし、首から下は地面に力なく倒れて数度痙攣すると灰になって消えていった。

 普段は天使のような笑顔で優しい楪先生の容赦ない戦いぶりに、救出された生徒たちは畏怖と尊敬の眼差しを向けるのであった。


「楪先生、めちゃくちゃ強い」


「先生、助けてくれてありがとうございます」


「皆さん無事で良かった。――でも他にも妖に襲われている生徒がたくさんいます。私は彼らを助けに行かなければなりません。この場所から麓にある待機所までは妖力の反応はないので問題なく山を下りられるはずです。皆さんだけで行けますね?」


 楪が同行出来ないと分かると生徒たちの表情は暗くなった。そんな彼らの肩に手を置き、楪は優しく微笑んだ。


「いいですか? 私たちは本来妖と戦う側の人間です。今皆さんが感じている恐怖は、妖に抗う術を持たない一般の方々の思いそのものです。その恐怖を忘れず、人の心に寄り添える立派な退魔師、そして陰陽師を目指してください。だから、今は勇気を振り絞って自分たちの力で下山してください。頑張って」


「――はい!」

 

 楪に激励された生徒たちは紅義山の麓を目指し全速力で駆け下りていく。

 彼らの姿が見えなくなると、楪は他の生徒を救うべく次の妖に向けて暗闇の中を駆けて行った。

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