第32話 炎の狐

「二人とも急いで起きて、緊急事態よ!」


 藻香はテントで寝ていた朝斗とかなみを起こし、二人は寝ぼけ眼でテントから出てきた。


「もう交代の時間か? ……あれ? 燈火は何処だ?」


「緊急事態って何かあったの?」


「この山の中に妖が何体も現れたのよ! 妖力を感じるでしょう?」


 最初は藻香が悪ふざけをしていると思っていた二人であったが、言う通りに魂式をソナーのようにして周囲に意識を広げて確認をすることにした。

 すると自分たちを取り巻くいくつもの妖力を感じ取り、事の重大さを理解した。半分眠っていた意識は完全に覚醒し、頬を冷や汗が伝っていく。


「嘘……だろ? どうしてこんなことになったんだ?」


「原因は不明だけど、このままここにいたら危険よ。偵察に出ている燈火が戻ってきたら移動するから二人ともいつでも戦える準備をしておいて」


「分かったわ」


 藻香たちは授業用に配られた護符を破魔装束に忍ばせ、燈火が戻って来るのを待つ。

 その中で藻香はこのような事態を引き起こした原因は自分にあると苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


(この妖たちは十中八九、般若面の仲間たち。狙いは私のはず。――私のせいで皆が巻き込まれた!)


『パキッ!』


 暗い森の中から枝が折れたような音が聞こえ、何かが藻香たちに近づいてくる気配がした。


「燈火?」


 藻香が闇の中に声を掛けると、暗がりから姿を現したのは頭部に角を生やした人型の大男だった。

 下顎の左右から巨大な牙が生え、その存在が人外の者であると主張していた。その者は身体に貼ってあった護符を取り去り咆哮を上げた。


『うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』


 大声と同時に解放される妖力が周囲の木々を激しく揺らし、同時にその場にいた少年少女に分厚くどす黒い殺気を叩きつける。

 朝斗は目の前に現れた怪物のプレッシャーに心が押し潰されそうになる感覚を覚え、かなみは心臓を直接握られたかのように青ざめ身動きが取れない。

 藻香は護符を手に取って二人の前に立ち、正面にそびえ立つ怪物――鬼を睨み付ける。


「どうやってこの山に侵入したかは知らないけど、今すぐここから立ち去りなさい! そうしなければ酷い目に遭うわよ!」


 牙の生えた鬼は藻香たちを見やると、ニヤリとした表情を見せながら声を出して笑い始めた。


『どうして俺よりも脆弱な人間に指図されなければならない? お前らは俺たちのためにこの山に放たれた餌だ。餌が偉そうに喋るなよ、不愉快だ!』


「あ、妖が喋った!? 何で!?」


 朝斗は怪物が言語を操る事態に衝撃を受け狼狽し、それを見ていた鬼は不愉快そうに顔に青筋を立てて少年を睨む。


『ふざけるなよ小僧! 言語を操れるのが貴様ら人間だけと思うな!! 我ら鬼をたばかった貴様は四肢をもいで生きたままはらわたを身体から引きずり出してやろう!!』


「お……鬼? どうして鬼がこんな所にいるんだよ!?」


「萩原、鬼を始めとする妖は常に私たちの身の回りにいるのよ。私たちが今まで遭遇せずに生きて来られたのは、そうなる前に現職の退魔師や陰陽師たちが討滅してくれているからよ。それと鬼の知能は人間と差はないわ。それに加えて身体が頑丈な分、鬼は人間よりも強力な存在なのよ。――だから」


『だから、どうするつもりだ女? そいつらを逃がすためにお前が犠牲になるかぁ? いい肉付きをしているようだし、中々楽しめそうだな。ぐははははははははは!』


 牙の鬼は藻香の身体を舐めるように見ながら下卑た笑いを見せる。口の端からよだれが滴り落ち、地面に悪臭を放つ液溜まりを作っていく。

 藻香は醜悪な鬼に対し眉をひそめ、指に挟んだ二枚の護符に魂式を込めて詠唱を始めた。


「熱き炎、竹の段――炎球!!」


 二枚の護符は激しい炎の玉となって牙の鬼に直撃し、その大柄な身体を包み込み燃え始めた。

 

「二人とも今のうちに逃げるわよ! 練習用の護符じゃどんなに魂式を込めても鬼は倒せないわ!」


 三人が牙の鬼と逆方向に逃げ出そうとすると、その先に人影がいる事に気が付く。体長は成人男性と同程度であったが、頭部に角を生やし右手に斧を持っている。

 その風貌と発せられる妖力から牙の鬼と同類であると瞬時に藻香たちは察した。


「こっちにも鬼が! くっ、気が付かなかった!!」


 藻香は唇を噛み悔しそうな顔で斧の鬼を睨む。かなみと朝斗は新たな鬼の出現による絶望感で顔が真っ青になっていた。


「そんな……鬼がもう一体……」


 二体の鬼に挟まれた状況になり三人が身動きを取れずにいると、牙の鬼を包んでいた炎が内側から吹き飛ばされ消失した。

 その中から身体の表面がすすだらけになった大柄の怪物が藻香を睨む。その姿を見た斧の鬼は指を差してゲラゲラ笑った。


『げはははははははは! だせーなお前! こんなガキどもに黒焦げにされるとか! 俺なら恥ずかしくて死にたくなるね!』


『うるせー! 表面を軽く炙られただけで痛くも痒くもねーんだよ! おい、そこの金髪の女は俺がもらう! お前には残りの二人をやる!』


『ちっ、しょうがねーな。とりあえず、このガキどもをとっとと潰して他のガキの所に行こうぜ。こんな美味しいシチュエーションは滅多にないんだからよぉ』


 二体の鬼は舌なめずりしながら藻香たちににじり寄っていく。周囲は木々に囲まれ、逃げ場はない。

 強大な敵が近づく中、藻香は魂式を高めながら牙の鬼の方に歩き出した。


「かなみ、萩原。こいつは私が倒すわ。その間、その斧を持っている鬼を抑えて。こいつを倒したら次はそいつを倒すから」


「相手は鬼だぞ、玉白! 俺たちの力でどうこう出来る相手じゃないよ!」


「だからって、このままじゃ私たちはこいつらになぶり殺しにされるだけよ。戦わなければ活路を見いだせないわ。とにかく符術を撃ちまくって時間を稼いで!」


 朝斗たちに檄を飛ばすと藻香は集中させた魂式を解放した。彼女の足元から火柱が発生し彼女を飲み込む。

 その異様な光景を前にして牙の鬼はニヤついた表情を崩さずに火柱の中にいるであろう藻香を掴まえようと手を伸ばした。


『自分で起こした火柱に焼かれるはずはないよなぁ? そんなもので俺が怯むと思ったら大間違いだ。そこから引きずり出して玩具おもちゃにしてやるぜ』


「誰があんたなんかの玩具になるもんですか! あんたは私が滅してあげるわよ!!」


 そう言うや否や火柱の中から巨大な獣の腕が現れ、油断しきっていた牙の鬼を殴り飛ばした。

 牙の鬼は殴られた衝撃で地面を転がっていったが途中で体勢を立て直して起き上がり、自分にダメージを与えた元凶を確かめようと火柱を注視する。

 間もなく火柱の中から体長五メートル近くの四足獣が姿を現した。それは全身が赤い炎で形成された巨大な狐の姿をしており、甲高い雄叫びを上げた。


『クオォォォォォォォォォォォン!!』


 炎の巨大狐の傍に藻香が立っており、愛おしそうな手で狐の頬を撫でると四足獣は目を瞑り主人からの愛撫を心地よさそうに受け入れていた。


「標的はあの牙を生やした鬼よ。他にも敵がいる。一気に決めるわよ!」


 藻香は巨大狐から手を離すと同時に敵を倒すように指示を与える。すると狐は全身の炎の出力をさらに上げて前方にいる敵目がけて走り出した。

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