第31話 鬼を斬る
俺は自分の唇を藻香の唇に向けてゆっくり近づけた。
目標との接触距離がどんどん近くなっていく。あと数センチで大人への階段を一歩上がるというその瞬間、背筋が寒くなる感覚が俺を襲った。
紅義山内の複数の場所でいきなり出現した妖力を感じ取ったのだ。
俺が藻香から離れると彼女は戸惑っている様子だった。非常に名残惜しいけど緊急事態だから仕方がない。
「藻香、どういうトリックか分からないけどこの山に妖がいきなり出現した。この付近にも一体いるみたいだ。俺は今からそいつを倒してくるから、お前は朝斗と松雪を起こしてここで待っていてくれ。――すぐに戻る!」
「わ、分かったわ。気を付けてね、燈火」
俺は頷くと護符を取り出し額にかざす。護符の術式が展開され俺の身体を包み込み、一瞬で俺は漆黒の装束姿になっていた。
左の腰に式武〝緋ノ兼光〟を差し、付近に察知した妖力に向かって走り出す。脚に魂式を集中させ目にも留まらぬスピードで夜の森の中を疾走する。
「――いた!」
ものの二、三分で俺は一番近くの妖力の主に会敵した。それは全身が灰色で頭部に角が一本ある人型の妖。――鬼だった。
向こうも俺の存在に気付いたのか、両手に鎌のような得物を装備して待ち構えている。
俺は鞘から緋ノ兼光を抜刀し、そのままのスピードで前方にいる鬼に突っ込んだ。 互いに言葉を交わすこともなく出会い頭にそれぞれの武器をぶつけ合う。
刀と鎌の刃による鍔迫り合いで火花が散る。刃の向こうから覗き込む灰色の鬼は殺気に満ちた形相で俺を睨んでいる。
人間に酷似した体躯と言語を操りながらも人とは相いれない存在である鬼。そんなヤツに全力で殺気を向けられれば一般人はそれだけで卒倒してしまうだろう。
退魔師として修業を重ね、鬼とは何度も戦ってきた俺からすれば、この状況は近所の人と挨拶を交わすくらい日常的な光景だ。
さしずめ近所のおじさんと久しぶりに会ったかのような懐かしい感覚すら覚える。
『キシャアアアアアアアアアアアアア!!』
何度も刃をぶつけ合っていると、甲高い声で威嚇しながら灰色の鬼が俺に斬りつけようと鎌を思い切り振り上げた。
素早い剣戟を繰り返していた中でその行動は悪手だ。俺は、鬼が振り上げた腕を刀で斬り飛ばした。
『ガアアアアアアアアアアア!!』
「うるせーよ」
片腕を失い悲鳴を上げながら狼狽する敵のもう片方の腕を俺はすかさず斬り裂いた。両腕を斬り捨てられ動きを止めた鬼の腹に蹴りを入れて後ろに吹き飛ばす。
鬼は後方にそびえ立っていた大木に激しくぶつかり、頭上から小枝や葉がいくつも落ちて来る。
『が……あ……』
鬼が再び動き出そうとした時、俺は再接近し刀でヤツの胴体を貫き後ろの木ごと串刺しにした。
鬼の口から妖特有の黒い血液が噴き出す。切断された両腕の断面からも同様の血が滴り落ち、地面に血だまりを作っている。
『く、くそ……こんなはずじゃ……ここには戦闘経験のないガキどもばかりがいるはずなのに、どうしてこんな退魔師がいるんだ』
灰色の鬼は納得のいかないような憤怒の表情で俺を睨む。俺はそんな敵にお構いなしに情報を引き出そうと考えた。
「消える前に答えろ! お前ら妖をここに送り込んだのは般若面の男だな? ヤツは今何処にいる? それに、あの金髪の少女を手に入れて何をする気だ?」
『目的なんて俺は知らねーよ。それにしても〝般若面の男〟……か。くく、くははははあはっはははははは!! バカが!! そんな調子じゃいつまで経ってもあいつを掴まえる事なんて出来ねーだろうよ! それに、この山には俺以外にも何人もの鬼が入り込んでいる! お前はともかく他のガキどもじゃ、とても太刀打ち出来ないだろうな! 仲間が食い散らかされるのを絶望しながら見るんだな! ぎゃはははははははは……がふぁっ!!』
鬼は俺を挑発するように大笑いしながら力尽き灰となって消えた。すると一枚の札がひらひらと舞い落ちるのが見えた。
その札を空中でキャッチすると、それは結界用の護符だった。これで突然妖力が紅義山のいたる場所で現れた理由が分かった。
結界用の護符には使用者の魂式や姿を外部から察知されないようにする機能がある。護符一枚なら鬼一体程度の妖力の気配を消すことは十分可能だ。
連中が活動を開始したことで、護符の効力が消えて妖力が開放されたと見て間違いない。
ここで重要なのは妖がどこで護符を手に入れたか、そして誰が護符を使用したかということだ。
護符は魂式を込める事で初めて機能する。妖には扱えない。と言う事は魂式を扱える人間、それも護符を入手できる立場にある者が関わっているということになる。
恐らくそいつが般若面の男の正体だ。護符は『陰陽退魔塾』で管理されており、学生が簡単に手に入れることは不可能。
一方、教員は正式な退魔師または陰陽師であるため護符を携帯している。
これで標的がかなり絞れてきた。般若面は『中崎陰陽退魔塾』の職員もしくは『中崎陰陽退魔塾付属高校』の教師の可能性が高い。
般若面の正体について推理していると近くに新たな妖力を感じる。そいつはまっすぐに藻香たちの所へ向かっているようだ。
「くそっ、藻香たちがヤバい! 般若面の正体を考えるのは後回しだ!」
俺は藻香たちと合流すべく来た道を急いで戻っていった。
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