第30話 燈火の過去

 日が暮れる前に俺たちは紅義山の山頂付近で野営の準備を始めた。

 男女別の二つのテントを張り、落ち葉や木の枝などを集めて火を起こし夕食の準備をする。

 夕食を作ると名乗り出た藻香が何を作っているのか見てみると、そこには大量の饅頭が置いてあった。

 竹串一本に対し饅頭を四個突き刺しずらりと並べていく。軽く二十本はあるだろう。


「藻香さん? これはもしかして――」


「焼きまんじゅうよ。燈火も食べたことあるでしょ?」


 焼きまんじゅうとは群馬県のソウルフードである。使用されるまんじゅうには、餡子が入っていない物が使用される。

 竹串にまんじゅうを数個刺して甘くて濃厚な味噌だれを塗って火にかけ、焦げ目をつけて食する。

 濃厚な味噌だれとフワフワなまんじゅうの組み合わせは素晴らしく、割と軽い事もありするする食べられてしまう定番のおやつだ。


 しかし、それでも限度というものがある。


「毎度の事だけど量が多すぎなんだよ。まんじゅう百個近くはあるぞ、これ!」


「焼きまんじゅうは飲み物みたいなものなんだから、これくらい問題ないわよ」


 数分後、藻香は焚き火周辺に土台を作り網を置いてその上で焼きまんじゅうを焼き始めた。

 焚き火を囲むようにして丸太の椅子を人数分配置し夕食を食べ始める。あれだけあった焼きまんじゅうは食べ盛り四人の胃袋の中に消えて行った。

 疲れた身体に甘いたれが染みわたり、割と大量に食べられてしまった事実に絶句する。

 

「それじゃ、しめのうどんにしましょうか!」


 藻香のリュックからカップうどんが取り出され湯が注がれる。そこに彼女がいそいそと用意したのは油揚げだった。


「追いお揚げ!? どんだけだよ!」


 藻香は焼きまんじゅうとお揚げが大好物だ。こうして夕食は彼女の好物祭りで幕を閉じたのである。


 日中の山歩きと楪さんとの模擬戦で疲れていた三人は満腹になった後、猛烈な睡魔に襲われて早めに入眠することにした。

 俺は後で交代する時に起こすと言って見張り番を買って出たが、三人はこのまま寝かせておこうと考えていた。

 慣れない事をした時は肉体はもちろん精神も思ったよりすり減っているはずだ。十分な休息が必要だろう。


 俺はこういう事は日常茶飯事だったので、むしろ落ち着いている。周囲は静かだ。遠くでフクロウが鳴く声が聞こえるだけで穏やかな時間が過ぎていく。

 他の班も今頃寝入っている頃だろう。

 周囲には妖力も感じないしこのまま何事もなく朝になってくれれば良いのだが、果たして般若面が黙ってこの状況を見過ごすのだろうか?


 教師たちが目を光らせてくれてはいるだろうが、それはあくまで今回の行事における生徒の安全のため。

 般若面の存在を知っているのは楪さんだけだ。

 もしも、俺が睨んだ通り般若面がここの陰陽退魔塾や高校の関係者であったなら自分に対する警戒が緩いと知っているはず。

 ――だったらヤツは必ず仕掛けて来る!

 調査で尻尾を掴めなかった以上、現行犯でぶちのめすしかない。


 ――パキンッ

 枝が折れる音がして後ろを振り向くと藻香の姿があった。


「ごめん、驚かせて。――隣座ってもいい?」


「どうぞ。目が冷めちゃったか」


「うん」


 藻香は俺の隣に丸太椅子を置いてそこに座った。お互いに焚き火を見つめるのみでしばらく無言の状況が続く。

 口火を切ったのは藻香だった。


「見張り番ありがとう。燈火も休んで。見張りなら私がするから」


「俺なら大丈夫だよ。寝ずの見張りなんて今まで当たり前だったから」


「――そっか」


 再び沈黙が訪れたが、今度はそんなに長くは続かなかった。躊躇いがちに彼女が質問をしてきたからである。


「燈火ってさ、退魔師として実戦を何度も経験してるのよね? 結構長いの?」


「うーん。初めて実戦に出たのは十三の頃だから。もうすぐ四年になるかな。ってか、もうそんなになるのか。時間が経つのは早いなぁ~」


「すごいね、もうベテランじゃない。――ねぇ、前から訊いてみたいことがあったんだけど、いい?」


「俺に答えられる範囲ならいいよ。『六波羅』の機密に関わる事は無理だけど」


 そこで藻香は首を横に振う。


「燈火ってどうして退魔師になったの?」


 この世界に身を置く者は大抵は家が代々退魔師なり陰陽師の家系である者が多い。それでも俺のような若さで実戦に出ているのは珍しいのだ。

 そこに疑問を持つのは当然だろう。俺が答えるべきか考えあぐねていると藻香が慌てる様子が目に入る。


「ご、ごめんね。そう言う事を訊くのは無神経だったわね」


「そう言うんじゃないよ。ただ、あまり面白くもない話だからさ。――それでも聞いてみる?」


 彼女は大きく頷き黙って俺の顔を注視している。焚き火がパチッと音を立てたのと同時に俺は話し始めた。


「俺の家は代々『陰陽退魔塾』を支援する家系でさ。親戚にも退魔師が何人かいたんだよ。だから俺もいつかは皆みたいに刀を振るって妖と戦いたいって思ってた。――そういう漠然とした目標を持っていた八歳の頃、アレが俺たちの前に現れた」


「それはいったい何だったの?」


「――荒神」


「え? ちょっと待って!? 荒神が出現した……の?」


 〝荒神〟――その名に藻香は狼狽した。

 それも当然だろう。人の負の念の集合体である荒魂が生み出す存在の中で、最も凶悪で強大な怪異。それが荒神だ。

 通常の妖は勿論、妖の中で上位種に当たる鬼をも凌駕する悪意の塊。この世に生きとし生ける者にとっての天敵。

 出現したが最後、周囲にいる全てを破壊し尽くす究極の破壊者だ。


「ああ。そしてヤツは俺から全てを奪った。あの場に居合わせた俺の家族と親戚全員を俺の目の前で殺害し、生き残ったのは俺だけだった。――その後は俺を助けてくれた師匠に弟子入りして退魔師になったという訳です。以上!」


「――ごめんなさい。そんな事情があったなんて思いもしなくて」


 藻香の顔は真っ青になっていた。内容が内容なだけに衝撃が大きかったようだ。


「気にすんなよ。もう九年前の事なんだから。それに悪い事ばっかりだった訳じゃない。良いことも沢山あった。師匠や兄弟弟子も出来たし、今まで色々な人に出会うことも出来た。それに、今こうして藻香と一緒にここにいる訳だし」


「えっ、それって――」


 藻香が金色の瞳で俺の顔をジッと見ている。すぐ隣で話を聞いていたからか、思っっていたよりも顔が近い。

 目が大きいしまつ毛も長く、はっきり言って美人だ。白磁の肌は焚き火の色で赤く染まり、まるで火照っているように見える。

 ポカンとしているのか、小さ目の口が少し開いている。

 何だろうこの感じは? どうして俺は目を逸らさず、彼女も目を逸らそうとしないのだろうか?


 目を合わせていると、磁石が引かれ合うように相手に引き寄せられるような感覚に陥る。

 このまま顔を近づけて、彼女の唇に俺の唇を重ねてしまいたい衝動に駆られる。

 そういう事は普通、恋人同士とか互いに同意があって成り立つものだ。俺が自分の欲求を満たすためにそんな事をするのは彼女を傷つける行為に他ならない。

 そう思って俺が距離を取ろうとすると、藻香が俺を見ていた目をゆっくり閉じる様子が目に入った。


 ――マジか? ちょっと待って。え? これってそう言うこと? このままいって良いってことですか?

 藻香は何も言わず、目を瞑ったまま口を閉じて桜色の唇を少し尖らせるような姿勢を取っている。

 その姿を目の当たりにして俺の中の理性がガラガラと音を立てて崩れていくような感じがした。

 同時に俺の中に芽生えた衝動が爆発的に高まっていくのを感じる。俺は自分の手を藻香の手にそっと添えた。

 彼女の手は少し震えていた。それでも彼女には逃げるような仕草は無く、一度うっすらと目を開けて俺を見ると再び目を閉じた。

 ――式守燈火、十七歳を目前にして大人の階段を一歩上ります。

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