第1話

 この世界には精霊が存在する。

 属性により司るものは違い、その姿も多種多様。自然の化身として崇められる時もあれば恐れられる時もある。

 身近にありながらも遠い存在。

 そんな彼等を知覚し、共にあろうとする存在を精霊師という。

 精霊師には通常の五感の他に、精霊に対して働くもう一対の器官が存在する。

 精霊を見る視覚。その声を聴き取る聴覚。匂いを感じ取る嗅覚。触れる事ができる触覚。そして言葉を交える為の声……声帯の五つ。それらを備えている。

 基本的にその五つが揃っているのが前提とされているが、それでも数多いる精霊師の中にはいずれかが欠けた状態の者もいる。

 『五霊格』と呼ばれるそれは、生まれた時には決まる。一般人でもそのいずれかだけを持っているということもある。

 精霊という存在が身近にある世界故か、知覚出来る者の方が多いのだ。

 しかし、それでも“精帯”だけは別だ。

 精霊と言葉を交わす事を許された証ともいうべきそれは、精霊師にとっては正に生命線。

 それを持たぬ者は“声無し”と揶揄、蔑まれることすらある。絶対的な『価値』を持っている。

 もし、仮にそれを持たず生まれた精霊師がいたとして、己が境遇を呪わずにはいられないだろう。

 そして、過去にその境遇に追いやられた少女は今――。




 人里離れた森の中に佇む洋館があった。

 二階建ての大きな建物であり、荘厳華麗な見た目通りそこには貴族が暮らしている。

 『ルーヴィック』の姓を持つ彼等は貴族であると同時に『精霊師』の一族だ。

 貴族でありながらも辺境の土地に屋敷を構えているのは、彼等は元々は精霊師であり、それらの功績によって得た富によって貴族となったからだ。

 貴族という役職を得たものの彼等の本質である精霊師は常より精霊と交流を交わすことを生業としている。

 村や街にも精霊はいる。しかしやはり、自然豊かな場所の方がその数も質も段違いに多いのだ。

 必ずしも出会った精霊全てが『契約』してくれる訳ではない。『波長』が合わなければいけないし、『契約』の条件を呑めるのか、まず精霊の眼鏡が適うかも問われる。

 自らのパートナーを見つけるのは容易な事ではない。

 だからこそ、精霊の数が少ない街とかではなく、森の中に居住しているのだ。

 そんな精霊師が住まう屋敷の中を忙しなく歩き回る者がいた。


「もう! あの子何処いったのかしら」


 背中に掛かる程の長さの銀髪。ビシッとした服装に凛々しい顔立ち。中性的でありながらも、どこか色気を感じさせる美しさを持っている。

 狐を思わせるツリ目は次の目的地を捉えた。

 屋敷の二階にある一室は図書室となっている。一度は探したのだが、もしや入れ違いになったか、はたまた見逃したのかもしれないと思い、ドアノブを回し入室する。

 多くの本棚が立ち並ぶ中々の広さが確保された部屋。その中央に置かれた机で本を読む少女がいた。

 自分よりも長い銀髪と年下故が持つ特有の可愛さからか、いつ見ても人形のようだ。


「エスライン……エスラ!」


 少女――エルデシア・ルーヴィックは読書に夢中になっている妹に声を掛けた。


「わ! どうしたの? お姉ちゃん!」


 唐突な意識の外からの声に少女――エスライン・ルーヴィックは驚き、その声の主に視線を向けた。

 そこには三つ年上の姉が呆れた顔をしていた。


「どうしたのじゃありません。まったく貴方はまた本ばかり読んで」


 エルデシアの言う通り確かにエスラは今本を読んでいた。

 精霊に関する小難しい事が書かれているもので、中々に頭を使う。その為没入し過ぎていたからだろう、近くで大声をかけられるまで姉の存在に気付かなかった。


「えぇ、いいじゃん別に。知識を身につけるのはちゃんと意義ある事だよ」


「それはそうですが……」


 不満そうに言い返すエスラに対して、エルデシアは口ごもる。

 ……まあ、エルデシアが口を出したい気持ちも分かる。

 妹は生まれ付き“精帯”を持っていない。

 一般的な家庭においてそれはまったく問題はないが、彼女は精霊師の一族の子だ。

 精霊師にとって“精帯”は商売道具にして生命線。それを持たないという事は精霊師として『欠陥品』なのだ。

 昔父の同業者にあった時にもその事を指摘され“声無し”と揶揄された事実もある。

 それから妹は元々あった劣等感が増したのか、度々家を出ては日が暮れるまで泣き晴らすようになった。

 いつの頃かだったか、気付けばそんな事はなくなったが、代わりに精霊や精霊師について熱心に調べるようになった。

 何が彼女を変えたのかは分からないが、血を分けた姉妹だからこそその真意は悟る事が出来る。

 エスラはどうやってかは不明だが、精霊師になろうとしているのだ。

 その手段の一つか、彼女はやたらと自分の『価値』を上げようとする。

 実際、知識を得るのは多いに意義がある事だが、それを活かす場がなければただの雑学に変わる。

 エスラのその行いがただの悪足掻きに見えてしまうのはきっと自分が恵まれているからだろう。

 姉妹でありながらも同じ立場に立てない。同じ視点になれない。

 だからこそ理解が出来ない、無駄だと心の中で思ってしまう。

 ――哀れな子。

 そう蔑むような自分がもう一人いるようで――。


「それでお姉ちゃん、何か用?」


「っ! ……そうでした」


 自己嫌悪に陥る寸前に妹の言葉で我に返った。

 何故自分がエスラを探していた、その理由。


「エスラ、私はこれから暫くの間家を空けます。身の回りのことはメイドの皆さんにお任せしますが、何かあった場合私はいないので危ないことはしないように」


「え、お姉ちゃんも?」


「ええ、本来はお父様に依頼された仕事なのですが、お父様は今別件でいませんから私が名代として行くことになったのです」


 この世界には精霊が存在し、それに由来、関連した事件や事故といった物も多い。

 精霊師はそういった案件を解決する術を持ち、そしてその役割でもあるのだ。

 特に貴族を兼用している精霊師はその領地で起きた問題を解決しなければいけない義務がある。

 父は既に別件で家を空けている。本来なら当主たる父が行わなければいけない責務だが、問題は待ってはくれない。

 長引かせて事態を悪化させるのは愚の骨頂。

 故にエルデシアが名代として動くようだ。


「……お姉ちゃん」


「大丈夫よ、エスラ。これでも私、育成学校を主席で卒業したんだから」


 心配になった妹を優しく抱き締める。

 精霊師を育成する学校は確かに存在する。素養さえあれぱ誰でも入れる所だ。

 エルデシアはそこを卒業したばかりであり、在席中は常に成績優秀だった。

 守護精霊も高位に近い力を持つ中位の風の精霊だ。下手な悪漢や悪党なら余裕でノシてしまえる実力はある。

 ただそれでも実戦は初めての事。しかもそれが父が本来受けるはずだった仕事、その名代となれば不安がないと言えば嘘になる。

 ルーヴィック家当主の父の守護精霊は代々一族を護ってきた高位の精霊だ。その力を宛てにした仕事なら簡単な物では決してないだろう。

 だからといって領地の民が困っているのは見過ごせない。

 ノブレス・オブリージュ。貴族として当然の責務。それを真っ当しなければいけない。


「ねぇお姉ちゃん、仕事って一体……」


 実の姉の初陣が心配なエスラはその仕事の内容が気になった。

 妹としては危険な物でなければそれでいいのだが……。


「……ある化け物に関する調査です」


 その希望は見事に打ち砕かれた。


「化け物……?」


「ええ、その化け物は巷でこう呼ばれているらしいです」


 不穏な物言いに嫌な汗が流れ、嫌な予感がした。


「――“精霊喰い”、と」


 その言葉は精霊と共に歩む者にとって正に鬼一口だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る