無言の精霊師

無気力カンガー

プロローグ

 ――どうして……どうして……。


 いつの頃からかそんな声が聴こえ始めた。

 嗚咽としゃくりが混じった幼い声。泣いているのだと、初めて聴いた時から分かっていた。

 薄暗い森。その奥にある湖の傍で溢れる涙を手で拭いながらもただ「どうして」と繰り返している。

 少女はよくこの湖に来る。間隔としては一週間に一度。

 銀髪碧眼の綺麗な子だが、来る時は決まって辛そうな表情で、湖の畔に着くと決壊でもしたかのように延々と泣き続ける。

 最初の頃は物珍しらしさから暫くは観察していたが、流石に何度も同じような事を繰り返されると迷惑だ。

 だから――


「うるさい」


 つい声に出してしまった。

 それが届いたのか、少女はビクッと身体を震わせた後、ゆっくり目線を上げる。

 大きく見開いた碧には自らの姿が写っている。

 湖の中央の宙で胡座をかき、頬杖しながら不機嫌な顔をしている白髪の男。

 我ながら柄が悪いと自覚しているが、それで少女が二度と近付かなくなればオの字だろう。

 そう思い、更に威嚇する様に目付きを鋭くすると、少女はビクッと身体を強張らせた。

 綺麗な碧色の瞳が恐れの色に染まる。

 それはそうだろう、今し方まで誰もいないと思っていた場所――しかも空中に人が座しているのだ。

 驚くなというのが無理な話だし、更にその人物が睨み付けてくるとなれば、怖がるのもまた仕方ない事。

 そのはずなのだが――


「あなた……精霊? どうして……わたしの“声”が聴こえるの?」


 少女の心には好奇心が芽生え、そちらが優先されたらしい。

 ――精霊。それは自然界に存在する超常的な存在であり、何らかの属性を司るモノ達だ。

 少女が問い掛けた通り、己は精霊であるが、はて「声が聴こえる」とはどういう事か?

 顎に手を当て暫し思案した後、合点がいったのか「ああ」と声が漏れた。


「なるほど。お前“精帯”がないのか」


 精霊とは人間と身体の構成が違う。実際に肉体に持っている訳ではない。この為、意思疎通が難しい。

 だがそれに特化した能力を持つ者達がおり、彼等は一般に『精霊師』と呼ばれている。

 その『精霊師』にとって不可欠とされる器官が“精帯”。精霊と交わす言葉を作り出すもう一つの口、あるいは喉と称される物だ。

 言動からして少女は『精霊師』の一族か何かだろう。そんな生まれでありながら“精帯”を持たなかったのは不幸な話しだ。

 事実、未だに「どうして?」と何度も訊ねている事から精霊と意思疎通出来た試しはなかったのだろう。


「……精霊と一言にいっても色々だ。普通に言葉を交わせる奴もいる、ただそれだけのことだ」


 あまりにしつこい為に嘆息混じりに応えてやった。

 とはいえ、これは半分は本当、半分は嘘だ。

 “精帯”無しで言葉を交わせる精霊なぞ極一部。基本的に人間に信仰されるようなものや高位の精霊を除けば、大半は人間の言葉なぞ理解出来ない。

 自分は出生が特殊である為出来るが、この付近ではたして人語を理解出来る精霊なぞいやしないだろう。それまでに稀少な存在だ。

 流石にそこまでの面倒を見る気は欠片もない為、敢えて触れはしない。

 だがそれで希望でも見出したのか、少女の瞳は爛々と輝いていた。


「じゃ、じゃあじゃあ……お願いです! わたしの守護精霊になってください!」


「断る」


 守護精霊とは精霊師と契約を交わし、力を貸す事をよしとした精霊の事だ。

 契約の仕方は様々だ。一族そのものと契約を交わしたもの、個人を認めその者だけと交わすもの、想定された状況になった時にだけ力を貸すもの等多岐に渡る。

 ただそのいずれもが精霊の許可を得る事によって初めて成立する為、一方的な契約は存在し得ない。


「……う、うぅぅぅ……」


 まだ幼い時分であろう少女はそれを理解する事が出来ず、ただただ一蹴されたショックでまたうずくまり泣き始めてしまう。

 精霊でなくとも、言われた側からしてみれば会って間もない奴に力を貸せとせがまれたのを断っただけなのだが……幼き少女の心は繊細で言葉には気を付けねばならないようだ。

 本当に人間とは面倒だ。そう思い、頭を搔きつつどうするかと考えるが、人との交流など何十年もしていない為どう接すればいいか分からない。

 幾ら思考しようとも自分が気の利いた事など言えるはずがないと諦めた。

 ここは多少厳しいだろうが、その『理由』を説くとしよう。


「……『契約』とは、力や功績、実績などを以って己が価値を証明し、精霊が見定め、認めた事によって成立するものだ」


「……え?」


「お前はただ泣きじゃくり、この俺に縋るだけの惨めな姿しか見せていない。そんな奴を『価値ある者』と誰が認めようか」


 幼き少女に掛ける言葉では絶対にない。それを自覚して尚、言葉は止まらなかった。

 事実、ただ『可哀想なだけの人間』に精霊は力は貸さない。稀に気分屋や底なしのお人好しもいるが、基本的には人間が自らの『価値の証明』が条件だ。

 その原則にのっとるのてあれば、少女は正に『価値の証明』が出来ていない。


「じゃ、じゃあ! どうやったら認めてくれるの!」


 厳しい事を言ったはずなのにも関わらず少女は更に問い掛けた。

 その姿に「ほぉ」と感心する。

 遠回しとはいえ「無価値」と断言してやったのだ。罵声を浴びせるか何かしらの言い訳でもするかと思っていた。いや、いっそとっとと逃げ帰って欲しくもあったのだが。

 予想を裏切って少女は中々に逞しいらしい。

 興味が湧いた。少しだけこの問答に付き合ってやろう。


「『価値』とは力ではない、意義だ。知識にしろ、行った言動にしろ、そこに意義があれば『価値』となる。少なくとも我等にとってはそうだ」


「意義?」


「精霊師の一族が精霊と『契約』ができ、力を貸り続けれるのは初代が意義ある行為を行い、その一族、血族に価値があると知らしめたからだ。一代限りの奴は、その個人が知識や功績を以って価値を証明したからだ」


 価値の証明。それは何も精霊との『契約』だけに要約している訳ではない。

 商売等でもそうだ。どんなに優れた物でもその価値を知られなければ売れる訳がない。

 簡略化すればそれと同じということだ。

 如何に価値を証明し、精霊と『契約』できる段階まで持っていけるか、それ自体もまた一つの見極めでもある。


「どうしたらわたしの『価値』を認めてくれるの?」


 しかし、幼い少女はまだその真意がわからない。


「……それを聞くか」


 いや確かに小難しい事を言ってしまい、幼い彼女にそれを理解しろというのは無理も話しではあるか。

 回りくどい言い方で何か証明しろと言っても察する事は出来ない。そこを見ても知識に関しては間違いなく『価値』に能わない。

 まだ幼い所、大半の精霊師にとって生命線ともいえる“精帯”を持たない事を加味し、功績などもありはしないだろう。故に『価値』に能わず。

 さて、ならば小さな子に何が出来るだろうか?

 品定めでもするかの如く、頭の天辺から爪先まで舐めるように眺め、思案する。

 そして何か思いついたのか、ほくそ笑むと胡座を解き、立つ様な仕草をする。


「――え?」


 しかし立ち上がったと思われた時には少女の眼前に立ち塞がっていた。

 目の離した訳でもないのに、いつの間に移動していたのか。

 驚愕し呆けていると、ポンポンと頭を叩かれた。

 

「なるほど、『触われる』か。なら欠けているのは“精帯”のみ、他の問題はなさそうだな」


「あうあうあう」


 痛くはないが、何度も叩かれる。その最中も精霊はぶつぶつと独り言を言っている。

 少女からしたら何が「なるほど」なのか何が「問題ない」のか理解は出来ない。

 ただ、どうやらまったく見込みがないという事はないらしい。


「ちょうどいい、暇潰しだ。定期的に俺はお前に課題を出そう。何心配するな、頑張れば・・・・出来る範囲のものさ。それらを突破し、『価値』を証明すれば、守護精霊の件考えてやらないこともない」


「ほんとう!?」


 その言葉に目を輝かせ、嬉々として少女は喜ぶ。

 確定的な言い方ではなく、若干のはぐらかしの言葉だが、それでも少女にとって嬉しかったのだろう。

 「やった! やった!」と全身で表す様に飛び跳ねる。

 つい先程まで延々と泣き続けていたというのに、切り替えが早い。

 まあ、泣きじゃくられるよりかはマシか。


「さて、なら一つ目の課題といこう」


 そう思いつつも早速一つ目の課題を与えることにした。

 自らの右腕を胸の位置にまで挙げる、すると皮膚が剥がれヒラヒラと舞う。

 最初こそは驚いたが、よくよく見るとそれは白い蝶であり、宙を踊るように飛んだかと思えば、少女の手に止まった。


「まずは“慣れる”所からだ」


 そうして精霊は不敵に笑い、“声無し”の少女に手を差し伸べた。

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