4
フィフィと手を繋いで孤児院に戻ると、子供たちが慌ただしくはしゃいでいた。
何をしているのかと廊下を覗くと、汚れた足のままで好き放題に歩き周って遊んでいる姿が目にとまる。
全部とは言わないが、せめてある程度は汚れを落としてから歩いて欲しい。
まだ掃除をしていない場所なので良かったものの、掃除した自分の部屋でやられたらたまったものじゃない。
これは最低限のルールを設けなくれてはならない。
「いつもこうなのですか?」
「こうってどういう事?」
無邪気な表情でアセリアの問いの意味を逆に聞き返す。
「汚れを落とさずに家に入るのですか」
「うん。また汚れちゃうからみんな気にしないの」
そう言ってフィフィは自身の足をアセリアにみせた。
一部が剥がれた状態の簡素な麻の靴をみせてくれた。
至るところに砂利程度に固まった泥が付着しており、フィフィが軽く揺らすとパラパラと下へ落ちていく。
「なるほど」
アセリアは納得のいく言葉で納得せず、フィフィに靴を再び履くよう言った。
そして、片付けていた掃除道具を持ってくるよう伝え、フィフィの他に三人の子どもたちにも掃除をするようお願いをした。
「でも掃除しても意味ないよ?」
「意味があるようにすればいいだけのことです。では、始めましょう」
アセリアの指示のもと、掃除が始まった。
フィフィは厨房を、他の三人は自分たちが汚した廊下を任せる。
掃除する苦労をすれば自ずと汚すことは控えるようになるだろうと期待してからの采配であった。
アセリアは子供たちの寝室を掃除することになり、いざ中へと入る。
掃除道具を取りに入った際には気にかけなかったが、腐ったような匂いが立ち込めている。土など外からのものが長年溜まり、いずれは腐敗などが進んだ臭いと人間の体臭および垢や汗脂が発酵したものとが合わさった、鼻の曲がるような臭いであった。
よくここで寝ることができると感心してしまう。
アセリアは自室と同じ要領でまずは上から掃除することを考え、ゆっくりと天井を見上げた。やや変色しているがそこはさして気にはならなず、問題は部屋の隅々に蜘蛛の巣が張られており、中にはまだ巣の主が残っている場合があった。
柄の長い藁箒で円を描きながら巣を絡めて取り除いていく。
一辺毎に先端には大量の蜘蛛の糸が纏わりつき、数匹の蜘蛛が閉じ込められている。
先端を窓の外へ出してやり、激しく上下に揺すり外へと逃してやり、残った蜘蛛の糸は自室を掃除した際の汚れが落ちにくくなった雑巾で拭いて取り除く。
4辺全て終わるとそれだけで息があがってしまう。
天井の掃除が終われば今度は壁の拭き掃除が待っている。
予備に用意していた雑巾で一吹きすればこちらも埃がこびりつく。
それに加え、随所に逆剥けが発生しておりそこへ多くの埃が捕まっている。
手袋をしているとはいえ、手を切ることもあるだろう。
アセリアは注意を払いながら、逆剥けのある場所は雑巾で数回軽く叩きながら掃除することで拭いたこととした。
それも終われば最後に床となるが、一番悲惨な状態となっていた。
掃除しながら歩きまわる中で気にかけていたが、綺麗な場所がどこにもない。
アセリアは出入り口の境目に立ち、床に置いた雑巾を木の棒の先で押し付けながらゆっくりと磨き始めた。陽が暮れるまでに綺麗になればいいのだが、無理かもしれない。一度では色は様変わりせず、数度強くこすることでようやく汚れた部分が薄まる。額に湧いた汗を手首で拭い、一息つく。
先は長い。アセリアは根負けしまいと握る手に力を込め直した。
部屋の半分まできた所でフィフィ達が掃除完了の報告をしにきた。
掃除の途中であったが、どうなったか気になり持ち場を離れることにした。
寝室を出てすぐの頼んでいた廊下だが、想像していたよりかは綺麗になっており、床に残っていた足跡は一切見受けられない。土埃も完全とまではいかないが目立たず、このぐらいなら十分に清潔といえるだろう。
次いでフィフィが担当した厨房を見る。
乱雑にかけられいた調理器具は整頓され壁掛けに片付けられており、床に落ちていた食料のカスは一つ見当たらない。コンロ周りの染み付いた跡もなくなり、料理を作る所として申し分ない程に衛生は保たれている。
全く掃除を知らない子供かと思っていたがそれは大きな間違いであった。
アセリアは一人ずつ頭を撫でてやり、褒めてやる。
「もっと撫でて」
一番年上のフィフィが催促するので少し考え、まだ終わっていない寝室の掃除を手伝うことを条件に出すとすぐに了承してくれた。他の子供達も頷き、5人で掃除を進めると苦戦していたのが嘘のように瞬く間に終わった。
想定していた時間よりも早く終わり、陽がまだ十分高いのを知ったアセリアは寝具として使用している藁を室内の陽光が当たる場所へと移動させた。
藁の上で敷布団として利用している薄い布は持ってきた石鹸で丁寧に洗い、掘っ立て小屋で見つけた長いロープで物干しを作り、干してみせた。
「ご苦労さまでした」
綺麗になった布を満足のいく表情で見ながら、アセリアは手伝ってくれた子供たちの頭を撫で続けた。すると、外で遊んでいた子供たちが気になった様子で近寄ってきた。頭を撫でて欲しいのかと思ったが、どうも干してある布団から漂う石鹸のいい香りに惹かれたらしく、鼻を近づけて嗅ぐ姿に少し笑ってしまった。
「他にすることある?」
子供の中からそんな声が出始めた頃、遠くに立っていたあの少年の姿が目にとまった。少年は他の男の子たちと木の棒を使って、遊んでいたが視線を感じたのか、足を止めこちらを眺めている。
目を合わせまいとアセリアは見て見ぬ振りをしようとしたが、フィフィがそれに気づいた。
「なんか文句あるの!」
フィフィが聞こえるようにわざと大きな声を出した。
少年の周りの男の子たちも足を止め、視線を向ける。
両陣営に不穏な空気が立ち込め始め、地面に絵を描いて遊んでいた幼い子どもたちは怖くなってアセリアにしがみついた。
「そんなやつと一緒にいるな、フィフィ!」
「うるさいノア!あたしがアセリアお姉ちゃんと一緒にいたっていいでしょ!」
アセリアはそこで少年の名前を知った。
互いに言葉の応酬が飛び交う中、しがみついていた子供の一人が泣き始め其れにつられてか別の子も静かに泣き始めてしまった。
慌てて背中を摩りながら宥めてやり、フィフィがそれをみて我に返り、口を閉ざした。反省した表情で顔を俯かせるフィフィを心配しつつもノアの事を気にかけていたが、いつの間にやら姿はもうなかった。
「ごめんねアセリア」
厨房で晩飯の仕度をするフィフィを手伝っていると、いきなり謝られた。
元気のない声で時折、ため息を吐く。
「気にしないでください、フィフィ」
アセリアは少年の持ち帰った麻袋に入っていた南瓜の切りながら、ノアという少年について考えていた。
フィフィとノア。二人はこの孤児院の父親役と母親役なのであろう。
難儀な相手なのは間違いないが、決して悪い子ではない。
彼とは早めに信頼関係を築き、ここでの暮らしを快適にする必要がある。
そのためには信用を勝ち取らなければならないが、何かしらの糸口が分からない。
そもそも彼がどうしてそこまで自分を嫌っているのか、明確な理由が知りたい。
「ノアはね、本当は悪い子じゃないんだよ」
顔に出てしまっていたのだろうか、フィフィが答えた。
「でもね、村の大人はみんな良い人ばかりじゃないの」
「どういうことですか?」
フィフィは手を止めて、アセリアの手を握った。
「アセリアはきっと良い人だよね?」
今まで向けたことのない表情で訴えかけてきた。
手をふるわせ、目には涙をためている。
思わず抱きしめてやると、フィフィも力強く抱きしめ返した。
頭を優しく何度も撫で続け、話してほしいと伝えると、少し躊躇った後に口をひらいた。
フィフィとノアにはそれぞれ家族がいた。
他の子供達ももちろんそうだが、孤児院ではなく村の中に家があったそうだ。
しかし度重なる不作や納めきれない重税に耐えかねた村人達は家を捨て、フルト村を去っていった。
アセリアも昔どこかで耳にしたことのある、農民の捨て子。
この村でもそのような事が起きていたのかと胸の内が苦しくなる。
そして家族がいない二人はいつしかこの場所を見つけ、住み始めた。
まだノアが8歳、フィフィが5歳の頃である。
似た環境の子供たちが次第に集まり始めた頃、みかねた一部の大人たちが食料などを提供してくれたが、それもいつしか滞り始めた。
村の方でも何とか不作などを耐えいてた家々も絶え間なく続く凶作に、ついにはとある一家がまとめて餓死してしまう事態さえ起きてしまったという。
そんな中、ノアは率先して大人たちに頼みこんで農作業の手伝いの報酬として食料をわけてもらいはじめた。それを聞いたフィフィ達も加わり、今は毎日、森を抜け農場がある村の外れまで子供たち総出で出かけるという。
その帰りに見つけたのがアセリアであったそうだ。
大人は憎いが、生き抜くためには村に力を貸さなくてはならない。
自分の気持ちを押し殺してでも幼い子どもたちの生活を助けなければならない。
フィフィもそんなノアの姿勢に寄り添う形でここを支えているのだという。
年端のいかぬ子供がする事ではない。
ついには泣き始めたフィフィをアセリアは再び力を込めて抱きしめた。
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