3
少しため息を吐き、孤児院の扉を渋々あけた。
足跡やら引っかき傷などで跡が残る汚い廊下が現れる。
出来ることならば、廊下が見えなくなるほど布を敷き詰めてから歩きたい。
アセリアは一歩進もうかと伸ばした足を一度は止め、暫くは廊下を眺めていたが意を決して土色で染まった廊下に一本踏み出した。
木の歪みからか心地悪い床の軋む音が耳に残る。
足底に何かひっついていないだろうかと、はしたなく足を曲げて確認するが今の所、問題は起きていない。
立ちっぱなしのままでこれ以上先には進みたくないなと、ふと視線をあげる。
廊下の突き当りはどうも丁字になっているようでその途中には幾つかの扉が備わっている。
扉の間隔から察するに部屋はある程度の広さはあるようで、各扉の上部には小窓がついており、そこから中が覗ける構造となっていた。
この場所を知るためにも一応の確認が必要だと、アセリアは手前右手の扉まで嫌々進み、小窓を覗き込んだ。
そこはどうも厨房のようで2つのコンロの他に一通り揃った調理器具が壁にかけられている。部屋の奥はテーブルと椅子が置かれており、よく見ると別の扉があることに気づいた。
視線を再び廊下に戻し、調理室の扉の隣の扉が今しがた見えた別の扉のようで、食堂と一体になっていた。
椅子の数から察するにある程度の子供がいることが想像がつく。
再び視線を厨房のかまどに戻すと、横の空いた場所に踏み台を見つけた。
おそらく子どもたちが料理をする際に使われるもので、ここには大人はいないのだろうかと考えてしまった。
焦りはそれから残りの部屋を一つ一つ確認して周った。
食料庫と使われていない空き部屋が2つ、そして一番大きな部屋は食料庫である。
その食料庫に入る。壁に付けられた棚が三台、天井の高さぎりぎりまである長さで、横幅は互いに干渉しないよう詰められて置かれている。棚幅も短くすぎず、かといって長いわでけはなく麻袋一つぐらいは置けるだろうかという大きさであった。
部屋の中には確認できたので袋一杯に入った塩と果物と思われる物が二つのみで、他には何も貯蔵されていない。
これでどうやって生活しているのだろうかとアセリアは不思議に考えた。
退出しようとすると、空けた扉で見えていなかった出口側の隅に麻袋が一つ置いてある。
勝手に紐を解いて中身を覗くと大量のカボチャが詰めこまれていた。
大きさは疎らで主食にできそうなものはこれぐらいしかない。
まだ何か見落としがあるのではないかと反対の隅を確認するも埃が溜まっているだけ、まさか毎食カボチャだけなのだろうかとひどい想像をしてしまう。
見なかった事にしようとそっと扉を閉じ、一先ずは使われていない部屋を借りるべく、持ち込んだカバンを比較的汚れていない場所に起き、動きの悪い窓をあけて、外の空気を取り込み始めた。
次いで掃除道具がないので別の部屋をあたると寝室に無造作に投げられているのを見つけた。箒一つ手にとるが、道具の管理が行き届いてないが故に先は折り曲がり、柄の部分は黒カビが湧いている。身につけている手袋がこのように役に立つとは考えたくはなかった。
天井から床まで順を追いながら掃いていく。
長年の埃や汚れが落ちてくるが避けきれるものではないので諦め、黙々と掃除をする。頭に重さがある埃が当たりその衝撃で塊だったものが解け、小さく分散して肩や控えめな前の方へと落ちていく。
鼻の頭に爪の先ぐらいのものが落ち、頭を振るいながら懸命に落としてやる。
掃き作業が終われば拭き作業をしたいところではあるも、寝室に雑巾の類は見当たらなかった。代わりになるものはなく、諦めてここまでとした。
一息つこうとしたのも束の間で窓より差し込む陽光に照らされ、顕となった無数の矮小な埃たちに目が止まる。換気は最初にやるべきではなかったなと反省をしながら、再び窓をあけると奥の方に掘っ立て小屋が建ててある。
こちらも随分とした外観の荒れようで材料が揃えられなかったのか、壁の各面がてんでバラバラなものを使用しており、色も違えば形も違う。
一体誰が設計して建てたものか。
素人目のアセリアからみても粗末なものであったが、一応の確認をしなければと掘っ立て小屋へ向かうことにした。
表の教会入口を左手に周り、裏側にやってきた。
窓があいている部屋があり、空き部屋の位置を把握する。
長い間、誰も出入りがなかったのか引き戸に歪みが生じ、思うようにあけることができない。木同士の擦れる何ともいえないあの音が耳に障りつつも、力任せに上下にガタつかせてることで徐々にあけることができた。
大方の予想どおり中身は日用雑貨が入っており、アセリアが探していた布も見つけることができた。虫食いによるせいなのか、小さな穴が点在しているが折りたたむことで塞ぐことができる。使いやすい大きさに裁断するため傍に落ちていた握り鋏で切っていく。錆びているため切れ味は相当悪く、挟んで切るというよりかは押して斬り落としているという方が正解かもしれない。
上々に仕上げ、あとはバケツと水の問題が残る。
孤児たちが住んでいるので井戸ぐらいは流石にあると思われるが、どこだろうかと歩いた敷地内を頭に描く。
アセリアの現在地は空き部屋が見える位置から計算して孤児院の左手の中庭に位置する場所で、掘っ立て小屋は建物の影より少し離れた場所にある。
未だ見てない場所といえば、まっすぐと伸びた孤児院の表面だろうか。
井戸があるとすればそこぐらいしか考えられず、アセリアは気になる方へと向かった。
やはり井戸はそこにあった。
井戸屋形が付いた馴染みのあるもので、括り付けられている木桶の状態を確認する。
問題なく使えそうなので水のほうは解決したが、バケツをどうするかであった。
掘っ立て小屋には水を貯めれるようなものは無く、アセリアの持参物に代わりになるものは持ってきていない。
なにか手はないかと考えると、ふと厨房の鍋が頭にうかんだ。
だがすぐに忘れて別の手立てを考える。
調理道具に雑巾をいれる者がどこにいるかと反省をする。
しかし使い方次第ではないかと調理道具の鍋を頭に浮かべ直した。
直接は鍋に入れずとも、窓から水をかけて雑巾を濡らせばいいだけではないか。
変わったやり方だが、やり方としては悪くない。
アセリアはすぐさま厨房に行き、使われていない鍋に自分が運べる重さまで井戸水を入れ、両手で息を漏らしながら空き部屋までなんとか運んだ。
そして、考えた通りに鍋を窓枠に落ちないように上手く置き、角度をつけてゆっくりと外へと向けて水を落とす。布が水に打たれ始め、すぐさま水を吸ってくれた。
よく絞り、僅かに手に水気がつくことを確認し、アセリアは床を拭き始めた。
一応の考えとしてはここをアセリアの個室にする予定なので、気合を入れて床を拭いていく。少しでも汚れが落ちる事を願いながら懸命に擦る。
最初からあまり良い色ではなかった布は瞬く間に黒く汚れ、布の面が全て黒に染まると、再び水をかけてやる。
そうして気づけば小一時間が過ぎ、最初の頃と比べ見間違える程に綺麗になった。
完璧とはいえないが、人が住むには十分な清潔さを取り戻した部屋に満足のいく表情で頷く。
そろそろ子どもたちが帰ってくる時間だろうか。
アセリアは掃除道具を片付け始めた。
子どもたちの帰りを待つ間、早めの昼食をとることにした。
掃除したばかりの場所で食べるのは気が引けるので小さな畑の傍に一本だけ植えてある木の木陰に腰掛け、修道院を出る前に餞別で頂いた干し肉と白パンをゆっくりと食べ始めた。
馬車の中でもったいぶるように食べていたが今回で無くなりそうだ。
横には聖書を置き、空を見つめながら無心で食べる。
そよ風が木の葉を揺らし、耳を澄ませば森の奥で鳥達が囀る音が聞こえてくる。
食べ慣れた食事も今はどこか特別なもののように思え、心が穏やかになった。
しばし贅沢な時間を過ごす中で、鳥の声に混じって黄色い笑い声が聞こえ始めた。
複数人はいるだろうか、その声は着実にアセリアの方へと近づいている。
まだ姿は見えないものの孤児院の子どもたちであろう。
やがて声の数は増え、何人いるのか分からぬほど混ざりあいながら大きく聞こえてくる。
微かだが揺れる人影も目に留まり、アセリアはおもむろに隠れて森から出て来る子どもたちを待った。
最初に、背の高い子が現れた。
両肩に一つずつ麻袋を担ぎ、後ろの子たちを先導している。
そしてすぐ後ろの女の子がおり、列の子達を気にかけながら歩いており、歩幅を調整しているのだろうか、時折、足を止めて待つ素振りをみせている。
最後の子の姿が森から現れ、全員で12人いることが判明した。
誰しもみすぼらしい服を着――しかし、足取りはしっかりとしている。
アセリアがもう少し詳しく観察しようとした時、木陰から覗かせていた視線が先頭の男と目が合ってしまった。
「誰だお前!」
突然の大声にアセリアと子どもたちは体を一瞬、身体を震わせた。
先程まで笑っていた子供とは思えないほどの気迫に足がすくんでしまう。
「出てこい!」
再度の怒声にアセリアは観念して申し訳無さそうに姿をみせた。
「女の人!」
後ろの女の子が驚いた声を出した。
それに続くように後ろの子どもたちが横に広がってアセリアの姿を確認する。
男の子は後ろの子たちを守るように手を広げ、その場で留まるよう伝えた。
そしてゆっくりとアセリアの前までにじり寄るように近づいてきた。
遠目でしかわからなかったが、大人のような体つきと目つきの悪さ、それに加えて前髪が揺れる度に見える額に残る横一線の傷跡が印象的であった。
「ここは俺達の場所だぞ!」
辺り一帯に大声が木霊し、枝で休んでいた鳥達が一目散に飛び去った。
少年の目には怒りが満ちている。
例え子供であっても下手に刺激するとどうなるか分からない。
まずは自己紹介をする必要がある。
アセリアは震える身体を落ち着かせるべく、深く息を吸った。
「私はシスター・アセリア。今日からあなた達のお世話をさせていただきます」
相手を宥めるような口調で自己紹介を試みるも、鋭い目は和らぐことはない。
「そんな話、俺達は聞いてないぞ」
少年は首を振った。
アセリアが来ることは子供たちには伝わっていないようで、離れた場所にいる子供たちが心配そうに見ている。
「村長から聞いていませんか?」
「聞いてない。聞いていたとしても信じるわけがない。お前も他の連中みたいに俺たちをこき使う気か?」
瞳の怒りが更に勢いを増したように思えた。
他の連中と言ったが、アセリアの前任者がいたのだろうか。
「他の方々がどうであったか私には分かりませんが、私はあなた達のお世話をするだけです。それ以上のことはしません」
アセリアは誓うように言った。
それからしばし互いに黙りこみ、先に動いたのは男の子であった。
大きなため息を漏らすと、早足でアセリアの横を通り過ぎ、孤児院の中へと入っていった。
取り残される形で残っていた子供たちにアセリアが優しく手を振ると、一部の子たちは怖がりながらも、歩み寄ってくれた。
一人ひとりが短く自己紹介をしてくれ、少年の後を追うように走って自分たちの家へと急ぐ。
最後にあの女の子が残った。
所々に継ぎ接ぎの跡が残る一張羅を着たその少女は不思議そうな顔でアセリアを見つめた。
思わず顔を引いてしまったが、それを気に止める子ではなかった。
「あたしフィフィ。アセリア?は、今日から私達と一緒に暮らすの?」
「ええ、そうですよ。宜しくおねがいしますね」
淡々と伝えたが、少女は小さく笑ってアセリアの手を握りしめた。
彼女の手には乾いた泥が残り、数時間前に出来たのであろう擦り傷があった。
農作業の手伝いと村長は言ったが、一体どんなことをやらされているのだろう。
年端のいかない子供の手ではないのは確かであった。
「じゃあ今日からフィフィのお姉ちゃんだ」
嬉しそうにその場で飛び跳ね、喜びを伝える。
思いの外強い力に揺らされながら、アセリアは今日一番の幸せを感じた。
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