幼馴染の好きなコロッケの話
月之影心
幼馴染の好きなコロッケの話
「おはよう!」
一人暮らしのアパートから出ると、元気な声が飛び込んで来た。
色々話せば長くなるが、萌奈は僕が親元で居た頃から仲良くしていた幼馴染で、萌奈が引っ越し、僕が親元を離れ、高校に通うようになって偶然同じ高校となって再会した。
これも偶然、僕の住むアパートと萌奈の引っ越した先は100mも離れていなかったので、こうして登校時には顔を合わせて一緒に登校する事も多い。
「おはよう。」
抑揚の無い声で萌奈に挨拶を返す。
僕は
明るく活発で美人、誰からも好かれ、クラスの人気者の萌奈とは正反対の、5人の中に紛れたら記憶に残らない程度の存在感しかない僕が、幼馴染とは言え、萌奈とこうして一緒に居て良いものだろうかと思っている。
「昨日のあのテレビ観た?面白かったよねぇ。」
「ううん、観てない。」
「そっかぁ。録画してるから今度観においでよ。」
「うん。」
そんなどうでもいい会話をしながら学校に近付くのだが、校門をくぐるかくぐらないかくらいの所から萌奈は僕以外の友達に囲まれ始める。
挨拶を交わし、楽しそうに話をして、なかなか下駄箱まで辿り着かない萌奈をおいて、僕は真っ直ぐ校舎へ入って教室へと向かう。
僕が教室に入って鞄を置き、1時間目の準備が終わっても、萌奈は教室にすら姿を見せていない。
途中で大勢の友達と挨拶したり話をしたりして辿り着けないのだろう。
「ねぇ快斗。帰りに買い物付き合ってくれない?」
萌奈はあれだけ美人で人気があるのだから、僕なんかに構わないで仲の良い友達とか、それこそ彼氏作ってそっちで一緒に居ればいいと思う。
実際、校内では萌奈と話す事なんか滅多に無いのに、何故か学校の外の事になると僕を誘ってくるので不思議に思っている。
「いいよ。」
「じゃあ放課後、一旦駅前のスタバで打ち合わせしよ。」
「分かった。」
打ち合わせと言っても、萌奈がスマホで色々検索して僕に見せてくるだけの事なのだが、買い物に行く時は毎回同じパターンなので、特に気にする事なく提案に乗っている。
「この服可愛いと思わない?」
「可愛いね。」
「でもこっちも捨てがたいんだよねぇ……快斗はどっちがいいと思う?」
「こっち。」
「やっぱりそうだよね!快斗ならこっち選ぶ気がしたんだよ!」
萌奈はスマホを忙しなく操作しながら映し出された画像を僕に見せ、その都度『どっちがいい?』と訊いてくる。
大体萌奈は美人でスタイルも良いのだから何を着ても似合う。
だから僕は見比べもせずに指差しているだけなのだが、何を選んでも萌奈は嬉しそうな顔をして『じゃあこっちにする』と僕が選んだ方を買う。
正直、僕が居なくても結果は変わらないんじゃないかと思っている。
「お腹空いたなぁ。今晩何食べるの?」
「コロッケ。」
「コロッケ!いいね!コロッケ毎日でも許せる!」
萌奈は僕の言う事を絶対に否定したり反論したりしない。
『そうだよね!』『いいね!』『分かる!』
とにかく共感してくる。
それが無意識の内に出ている萌奈のコミュニケーション力だとは分かっているにも関わらず、何となく認めて貰えたように頭が勘違いしてしまい、内心喜んでしまっている。
「じゃあまた明日ね!バイバイ!」
アパートの前まで来ると、萌奈は僕の方を見て『これでもか』と言わんばかりの笑顔を浮かべながら手を振って家に走って行く。
「ばいばい……」
とっくに走り去って行った萌奈の背中に向かって呟くようにそう言って小さく手を振るだけの僕。
アパートの外にある武骨な鉄の階段を、足音が鳴らないように静かに上がって自室の前に来ると、ポケットから鍵を取り出して解錠し、静かに中に入ってドアを閉めた。
「おはよう!」
今朝も萌奈の元気な挨拶が耳に飛び込んでくる。
「おはよう。」
相変わらず抑揚の無い声だと自分でも嫌になる事がある。
こんなのだから誰からも相手にされないと分かっているのだけれど。
「昨日の晩御飯ね!うちもコロッケだったんだよっ!」
目をキラキラとさせながら萌奈が嬉しそうに話し掛けてくる。
「良かったね。」
「うん!でもねぇ……何か違う気がしたの。」
「何が?」
「小さい頃、何処かで食べたコロッケが凄く美味しかったんだぁ。」
「うん。」
「それから私はコロッケ大好きっ子になったんだけど……」
「だけど?」
「そのコロッケを何処で食べたのか思い出せないのよね。」
「そうなんだ。」
「そのコロッケに出会うまで、お小遣いの続く限りコロッケ探しの旅に出ようかしら。」
結局、学校が見えて来るまでずっとコロッケ談義を続けていた萌奈の隣を、ただ頷きながら並んで歩き、次第に学校の友達に囲まれていく萌奈から少しずつ離れて別行動になったのはいつも通りだった。
それはその日の放課後。
担任に頼まれた用事を片付けていつもより少し遅い下校となった夕方。
廊下を曲がれば下駄箱という所で、窓の外から聞き覚えのある声が聞こえて足が止まった。
『ごめんなさい……』
萌奈の声だった。
『や、やっぱりか……』
『やっぱり……って?』
『相良のヤロウだろ?アイツと付き合ってるからなんだろ?』
『え?快斗……とは付き合って……ないよ……快斗はただの幼馴染……だから……』
『じゃ、じゃあ何で俺と付き合えないんだよ?』
『それは……』
僕はその場を立ち去った。
萌奈が僕の事なんか何とも思っていないというのは分かっていた事なのでそれほどショックは受けなかったが、それでも胸の奥のもやもやは否定出来なかった。
その日は家に帰るとそのまま布団に突っ伏して眠ってしまった。
次の日、起きて時計を見るなり『寝坊した!』と飛び起きて、直後に土曜日で学校は休みだと気付いて再び布団に寝転がった。
頭の中には何故か……
『快斗はただの幼馴染』
……という萌奈の声が響いて離れなかった。
分かっていたのにこの言語化しにくい心情は何なのだろうかと、悩む程に体からやる気が抜けていくような感覚が腹立たしかった。
夕方になってお腹がぐぅっと鳴って、そう言えば昨日のお昼を食べてから何も口にしていないと思い出し、重たい体を強引に起こしてキッチンへと向かった。
冷蔵庫や食品庫から食材を取り出してシンクの横に並べていたが、キッチンのすぐ横が玄関という典型的なワンルームであるが故に、キッチンに立っているだけでドアが閉まっていても玄関の外に人が居る気配が伝わってくる。
僕はこっそりドアの覗き窓から外を伺ってみた。
(誰か居る……萌奈?)
見覚えのある赤いリボンの付いたツバの狭い麦わら帽子が見えた。
何処かへ出掛ける時、萌奈がよく被っていたのと同じだ。
僕は鍵を開けてドアを開いた。
「きゃっ!?」
萌奈は短く声を上げた。
「何やってんの?」
「あ、あの……」
萌奈は胸の前で手を組んでもじもじしていた。
「入る?」
「う、うん……」
僕はドアを大きく開いて萌奈に入るように促した。
萌奈は麦わら帽子を被った頭をちょこんと下げて中に入って来た。
中に入って部屋の真ん中に置かれた机の横に、入り口に背を向ける場所を選んで萌奈が座った。
南側の窓の右側からオレンジ色の夕陽が射し込んでいた。
「快斗、何で制服なの?」
「着替えてないから。」
「え?昨日から?」
「うん。」
「何かあったの?」
「何もないよ。」
僕はキッチンでお茶を入れて萌奈に出してから、料理の続きをしようと再びキッチンへと戻った。
と言っても、歩数にして5歩と離れていないのだけど。
「それで僕に何か用だったの?」
「あ……うん……」
萌奈が出されたお茶を一口飲んで小さく咳払いをした。
「あのね……単刀直入に聞くね……」
「うん。」
「快斗って私の事どう思ってるの?」
昨日、萌奈が言っていた言葉をそのまま返すなら『萌奈はただの幼馴染』というところだが、何となくガキっぽく思えてきて口を噤んだ。
「どうって、幼馴染じゃないの?」
真剣な眼差しで僕を見詰めていた萌奈が、少し目線を落として寂しそうな顔になったが、気を取り直したように顔を上げて再び僕の顔を見詰めてきた。
「幼馴染っていうのは私もそう思ってる。」
それは昨日聞いたのもあるから僕も分かっている。
「幼馴染以外には?」
「以外?」
「そう。例えば……その……異性として……とか……」
僕は野菜を調理しながら考えた。
僕が萌奈を異性としてどう思っているか……という事だが、昨日のあれを聞いてしまった後ではどう答えれば良いものか、すぐには言葉が出てこなかった。
「それを聞いてどうするの?」
「え?」
「僕が萌奈の事を異性としてこう思ってるってのを聞いて、萌奈はどうするの?」
萌奈は黙っていた。
「どうする……」
暫くして萌奈がぽつりと呟いた。
「昨日ね……
あの相手の声は氷川だったのか。
あまり話をした覚えは無いし殆ど関わった事も無いけど、クラスのムードメーカー的な存在で明るいイケメンだったと思う。
「それでね……学校の行き帰りって快斗と一緒な事が多いから、私と快斗が付き合ってるんじゃないかって言われてね……」
「うん。」
僕はボウルに入れた食材を混ぜつつ、意図せず盗み聞きしてしまっていた内容と同じだなぁと思いながら萌奈の話を聞いていた。
「で、『快斗は幼馴染だ』って言ったんだけど……何か胸に引っ掛かってて……」
「うん。」
「それから家に帰ってずっと考えてたの。」
「うん。」
僕は油を入れた鍋を火にかけて油を温めた。
「私……」
食材を手の中でまとめ、小麦粉と卵を付けてパン粉を塗し、温まった油の中に静かに落とした。
「快斗が……好き……」
食材が沈み込んだ油が激しく泡立つ。
僕は泡立つ食材に視線を置いたまま、萌奈が僕の事を好きになる理由を考えたが何も浮かばなかった。
「どうして?」
「え?」
「どうして僕なんかが好きなの?」
油の中で泡立つ食材を、菜箸を使って裏返す。
「僕は萌奈と違って頭も良くないし運動も出来ない、明るくもないし友達もいない……萌奈が僕を好きになる要素が無い。」
狐色になった食材を油の中から取り出し、キッチンペーパーを敷いたお皿の上に並べていく。
「そんなの……関係無いよ……」
萌奈の声は震えていた。
「私……ハッキリ分かったもん……何度も好きじゃない人に告白されて……違うんだって……快斗じゃないとダメなんだって!」
震えながら繋ぐ萌奈の言葉は、最後は嗚咽混じりに絞り出すような声になっていた。
萌奈はモテるなりに色々と苦悩もあったのかと気付いた。
僕は狐色になった食材を並べたお皿を持って萌奈の方を向いた。
「萌奈……」
「ん……」
萌奈の綺麗な顔が涙でぐちゃぐちゃになっていた。
僕はお皿を持って立ったまま萌奈を見て言った。
「萌奈は僕には勿体無いと思ってた。萌奈ならもっと頭のいいスポーツの出来る明るい友達の多い奴じゃないと釣り合わないって。」
「そんな事……」
「だから僕は萌奈の事を幼馴染以上に思わないようにしてたんだ。」
「快斗……」
僕は萌奈の前にしゃがむと、お皿を萌奈の前に出した。
涙で顔を濡らしたままの萌奈の目が大きく開いた。
「あっ……コロッケ……」
「うん。食べて。」
箸を渡すと、萌奈は少し不思議そうな顔をしながらも不器用にコロッケに箸を入れ、サクッと音を立てて4分の1程を切り分け、更にそれを半分くらいに切って一切れを口に入れた。
「え?……これ……」
熱々の出来立てコロッケをほふほふと言いながら味わっていた萌奈が驚いた顔をした。
僕は萌奈の顔をじっと見たまま頷いた。
「何で……快斗が……?」
僕は萌奈が箸で切り分けた半切れを指で摘んで口の中に放り込んだ。
サクサクと衣を咀嚼する音が心地良い。
「これ、お袋の味なんだよ。」
「え……おばさん……の?」
「うん。」
僕はコロッケの入ったお皿を机の上に置くと、萌奈の前に腰を下ろした。
「僕が親元を離れるようになった時、お袋が教えてくれたんだ。『ある女の子が母さんのコロッケをとても気に入ってくれたわ。その子の気を惹くにはこの魔法のレシピを覚えなきゃいけないのよ。』ってね。」
僕は萌奈から箸を受け取ってコロッケを一口サイズに切り、その一欠片を萌奈の口に入れた。
「それから一週間くらいだったかな。毎晩練習してようやくお袋から及第点貰えたんだ。親父は一週間毎日、弁当も晩御飯もコロッケでうんざりした顔してたけどね。」
口に入れられたコロッケをゆっくり噛み締め、コクンっと飲み込んで言った。
「じゃあ……私が凄く美味しかったって言ったコロッケって……」
「うん。多分お袋のコロッケだね。」
「でも……どうして……」
僕はコロッケの乗ったお皿を見てから萌奈の目へ視線を移した。
「昔からお袋のコロッケを変わらず好きで居てくれる女の子の気を惹いてみたくなったんだ。」
萌奈は睫毛を涙で光らせながら僕の顔をじっと見た。
「今まで幼馴染以上に思わないようにしてたけど、今からでも萌奈の事を好きになってもいい?」
涙で濡れていた萌奈の目から、再び涙が溢れ出して頬を伝った。
「ぅうぇ……えぇ……」
声にならない声で萌奈は泣いていた。
部屋に満ちたコロッケの香りは香ばしく、そしてどこか懐かしく感じた。
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