第17話 聖女 茜は湖からあっちに行く(後編)

 


「……で、結局ここなのかよ」


 聖女の茜と女版騎士団長ジェラはタオル1枚で露天風呂を挟み睨み合っていた。


「まぁ、変なところで戦われて魔王領を破壊されても困るからな」


 アッシュと男版ベル……男版ベルはベスという名前である。それに女版の魔王は、露天風呂の縁に座り足湯を楽しんでいた。


「ってゆうか……何で魔王領なのに私が戦わないといけないの?」


 ジェラがアースを睨むとそれを受けてため息をつく。


「だから、私が聖女と戦える訳無いだろ。勝っても負けても大事だ。ルークも私もそう簡単に戦えるような立場じゃ無いんだよ」


「陛下は割と簡単に戦ってる気もしなくないけど……」


「ごちゃごちゃ言ってないで、早く勝負を始めるわよ」


 ジェラがぶちぶち文句を言うので茜は苛々としていた。

 早く始めないと、このままでは露天風呂どころか本当に魔王領が聖女によって破壊される……と、アッシュは気が気ではない。


「というか……私は騎士だから剣が無いと無力なんだけど」


 丸腰の騎士と、魔法使いのくせに武闘家のような聖女では女騎士団長がかなり不利である。アースはため息を吐いた。


「その辺にある物好きに使えばいいだろう。ただし、怪我させたりは無しだからな」


「いや……お前も中々無茶な事言うな」


 アースの許可が出たのでジェラは掃除用具入れからデッキブラシを持ち出した。そんな装備で大丈夫なのか? とアッシュは心配した。


「はぁ……後で陛下に怒られそう……」


「準備はいいの?? ならば行くわよ!!!」


 茜が待ち切れずに桶を取り出してジェラにお湯を浴びせた。だが、ジェラがデッキブラシを1回りさせるとその風圧でお湯が弾き飛ばされる。


「!?」


 茜が瞬きした一瞬でジェラは間合いを寄せ、そのデッキブラシを鬼の様に繰り出した。


「くっ!」


 茜も必死で交わすが、そのブラシは致命傷を狙うものではない。千と繰り出されるブラシの突きは少しずつタオルを切り裂いていた。


「ジェラがまともに戦うところ初めて見たんだが、あんな強かったんだな」


「魔王様も皇帝陛下も雑に扱いすぎですが、一応伝説の剣鬼の娘なんですからね?」


 アッシュも話に聞くだけで部隊も違うので、稽古以外で騎士団長が剣振ってる姿をほぼ見た事はなかった。

 何なら稽古も舐めプなんじゃ無いかと思わせるような素振りだったが、本当に手を抜いていたのか……とアッシュはゾッとした。


 デッキブラシが大きく一閃する。茜は後ろに避けるが、タオルの真ん中部分が横に大きく裂けていた。


「デッキブラシってあんなに切れるのか……?」


「武器っぽいものがあれば何でも剣代わりになるのは流石クランバル公爵家です。しかしながらジェラ様、お湯を使ってタオルを落とすのがルールです! ちゃんと温泉を利用して下さい!」


「えー……もう、仕方ないなぁ」


 ジェラが露天風呂にデッキブラシを漬けると、それを斬り上げた。


「どりゃああ!!!!」


 デッキブラシの毛に吸われた水が千本の針のように茜に向かって飛んだ。茜は1刃を交わすも、2撃、3撃とデッキブラシ温泉針が飛んでくる。


「!?」


 交わし切れなかった温泉針が茜のタオルの端を掠めて一瞬壁にタオルを縫い付けた。お湯だったためすぐに溶けるが、茜が一瞬判断を見誤たためタオルが解けそうになった。


 茜は解ける寸前でタオルを押さえて持ち直す。


「おお、今危なかったなー」


「タオルが落ちたら負けですからね」


 そう、これは互いを攻撃するのではなくタオルを落とす勝負なのだ。色々と危な過ぎてアッシュはハラハラした。


「聖女がこんなに押されてるなんて……やっぱ騎士団長に挑むにはまだ早かったんだなぁ……ぶはっ!」


 呟くアッシュに茜からお湯が飛んで来た。隣にいるベリスにもちょっとかかっている。


「うるさい!! ここからよ!! アンタは黙って見てなさい!!!」


「お前、それは完全にこの後負けるヤツが言うセリフだぞ……」


 明らかに力量差があり茜の不利だった。黙って見ていろと茜は言うが、いずれかが負けてその裸を見るまで居なくてはいけないのか、とアッシュはげんなりした。


「……」


 せっかく乾いたアッシュの服は茜のせいでまたびしょ濡れになった。

 ……ふと、アッシュが視線を感じて隣を見るとベスが自分を見ていた。


「……何だよ」


「……いいや?」


 ベスはニコリと笑った。


「??? 何?」


 その笑みに見覚えがあった。昨日の露天風呂で見たベルの笑顔にソックリである。だが、今は男同士だから何かされる事も無いだろう……と安心したアッシュだったが――


「?!!!」


 違和感を感じて後ろを見ると、ベスの手がアッシュの尻に伸びていた。


「……え????? 何してるんだお前???」


 アースがアッシュの心の声に気付いたのか振り向きドン引きしていた。

 しかし、ベスの手は構わずシャツの後ろの裾から入って背中に伸びてきた。アッシュは背中がゾワゾワとする。


「いや、お前何してんだよ!!!? 何で触ってんの??? 怖いんだが???」


「いや、何か色っぽいなぁとつい。昨夜を思い出して……」


「……それは、女の俺の話だよな……俺は見ての通り……男なんだが……?」


「私は細かい事は気にしないタイプでな。好みならば割と……」


 と言ってアッシュに迫った。


「ギャアアアアア!!!」


 隣のアースは赤面して目を手で覆い、その隙間から2人を見ていた。


「いや、見てないで何とかしてくれ!!! お前の部下だろ?!!」


「いや……その、私はこういう事にあまり遭遇した事がなくて……魔王領も帝国も自由恋愛だからな……その……場所を考えてくれるとありがたいが」


「何で肯定する方で話進めてるんだよ!! 帝国や魔王領が自由でも俺は何1つ承諾してないんだが??? あと、今勝負中だよな??」


「まぁ、勝敗は明らかだからな。場所を弁えろという事だから人気の無い所に行こうか?」


「行く訳ねえだろ!!!」


 冗談かと思っていたベスの行動は本気だった。昨夜の事は帝国で流行っている薄い本のようだと感じていたが、まさか男同士でそんな馬鹿なとアッシュは恐怖した。女性恐怖症になりそうだと言ったが、これならば女性の方がマシである。


 一方的な攻撃を仕掛けていたジェラだが、アッシュの異変に気付いてその手を止めた。


「え……?? 貴方達何してるの……男同士で……えっ??」


 ジェラも赤面して目を覆った。


「隙ありいいい!!! どおりゃああああ!!!!」


 ガラ空きになったジェラのタオル目掛けて茜が露天風呂の湯を滝のように浴びせる。

 お湯の猛攻撃に押されてジェラのタオルは無残に飛び散った。

 こちらの女性達は男性に免疫が無いのだろうかとアッシュは思った……確かに騎士団員や宮廷魔法士達も女性には免疫が無かった。


 ジェラのタオルの中身は残念ながらベスに押し倒されているアッシュには見えなかった。


(イヤアアア!! 誰かー!!)


 と、アッシュの心の叫びがアースの耳を打った直後、露天風呂のお湯が滝のように飛んできて2人とも吹っ飛ばされた。アッシュの貞操は無事守られたようだった。



 ★★★



 温泉での戦いを終えた2人は湖の近くの洞窟に来ていた。

 茜は戦いには勝ったが不満そうにブツブツと言っていた。


「あんな勝ち方……全然意味無いし……そもそもデッキブラシだし」


「はは……まぁ、せいぜい修行に励む事ね」


「また来るから」


「……いや、もう来ないで」


 ジェラは心底疲れていた。こんな厄介な人物に目をつけられてはたまらない。アッシュは気の毒そうに手を合わせた。


「ところで、ここから戻れるって話だが、どうやって元の世界に戻るんだ?」


「ああ……どういう理屈なのか原理なのかはさっぱりわからないが、ここでキスをすると何故かその泉に元の世界への扉が開かれるらしい」


 アースの話を聞いたジェラは何故か真っ赤な顔をしていた。何があったのかはアッシュには分からない。


「……ん? て事は……え? 誰と誰がキス……?」


 アッシュが恐る恐る茜を見ると物凄いしかめっ面で嫌そうな顔をしていた。


「何でだよ、俺だって嫌だわい!」


「はぁ……このまま戻れないのも何だし、アンタには犠牲になって貰うわ」


 そう言って茜はアッシュの肩を掴んだ。


「……え? マジなの?」


 と、思った直後、アッシュは茜にそのままグイッと押されてベスの元に持って行かれた。

 アッシュの目の前にはベスの目があった。


 静寂する洞窟内。ベスは一瞬驚いた表情をしたが、そのままアッシュの腰に手を回した。

 茜が乱暴にベスから引き剥がし、泉に投げ捨てると自分も後を追って泉に飛び込んだ。


(……ああ……何で俺ばかりがこんな目に……)



「ぶはっ!」


 アッシュが水から上がるとそこには男の魔王と女のベルがいた。そこは元の世界である事に安堵する。すぐ後から茜も上がって来た。


「あ!」


「……何?」


「ノエルたんに会えなくなるのが悲しくて戻って来たけど……男の子版のノエルたん見損ねた。よし、修行してもっかい行くわよ!!」


 意気揚々とする聖女にアッシュは愕然とした。


「頼むから1人で行ってくれ……俺は2度と行きたくない……」

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