第14話 月夜の魔族と聖国人
深夜の静かな露天風呂。
聖女と魔族が戦った所へアッシュはコッソリ入りに来た。
背中の傷は絶対に他人に見られたくなかった。人間だろうと魔族だろうと。
(騎士団の時も着替える時は気をつけていたが何故か騎士団長にだけは見られていたんだよな……)
脱いだ服を端に置く。服は砂と海水にまみれてドロドロしていた……着替える暇も無かったから。綺麗な服は持っているが、アッシュは茜に着替えを見られるのも嫌だったのでそのまま着ていた。やっと落ち着いて着替えられてホッとする。
着ているものを全部脱ぎ露天風呂に足を踏み入れた。肩まで漬かり空を見上げる。建物からかなり離れていて街灯も無いので灯りは月のみだった。
魔王領から見える月はアッシュの目には不思議な色に映った。魔王領全体を包む魔気がアメジスト色なので、白い月も青みがかって見えると聞いてはいた。
オペラは魔の国全体を覆う魔気はどす黒い血の色と言っていたが、アッシュが実際に見る魔王領にそんな色味は無かった。
「血の色じゃないんだな……」
何だかここに来てから今まで憎んでいた気持ちも、怖がっていた気持ちも……全て裏切られたような気がした。
だが、嫌っていた魔の国が平和だからと言って、良かったねと終わる事は出来なかった。
聖国人はずっと魔の国を憎む事で自分を保って来たのに、行き場を失ったら何処に向かえばいいのだ。とてもじゃないがこんな話は国には持ち帰れなかった。
「血の色じゃなくて残念だったな」
声がする方を振り向こうとしたが、ひり付くような魔気が辺りを包み、アッシュはあの時の恐怖を思い出して振り向く事が出来なかった。
「……その声……昼間戦った……魔族か?」
「ふふ……驚かせてすまないな。だが、後ろは振り向かない方がいいぞ」
湯に入ってくる音がした。そのままピタリと背中に柔らかい肌の感触がしてアッシュは驚いた。
辺りの恐ろしい魔気は消えていたが、アッシュは違う意味で振り向く事は出来なかった。
「ちょっと待て……1つ聞いていいか……? お前、今……服を着ているか……?」
「何を言っている? 風呂にはタオルだってルール違反だが?」
ベルはアッシュの背中に爪の長い指を這わせた。爪が背中を微妙に擦り、ぞわりと鳥肌が立つ。
「っ! 何して……」
「この傷口を見られたく無かったのか? 聖国人の証の羽を落としてしまったみたいだな。傷口が羽みたいな形で綺麗だと私は思うが?」
アッシュが1番見られたく無い背中を、よりにもよって魔族に見られてしまう。心臓が裂けそうになり、これならばまだ陵辱された方がマシだと思った。
ベルの手がするりと後ろから胸に回された。痛む胸の辺りを爪で撫でるのでアッシュは痛痒くてゾワゾワとした。
「この辺りが痛むか? お前達聖国人は、魔族に襲われて……魔族を憎んでいるんだってなぁ」
その言葉に、魔王領に入ってからずっと耐えていた怒りが胸に集まってきた。だが、その胸にベルが爪を食い込ませた。爪の間から血が滲む。
「お前達だけが被害者だと思うなよ。我々は人間共に多くの同胞を殺され……誰よりも大切な者の命を奪われた」
爪がギリギリと食い込んだ。10数年前、魔族が暴走したのは、魔王が愛する者を失ったからだとは聞いていた。
「だからって……だからって何も知らない聖国を襲うのはっ」
「お前は1つ大きな勘違いをしている」
「何っ?!」
「魔王領に来る者達から情報を集めた。そして、先日聖国に行って直接女王と話をしたルーカス陛下の見解だから間違い無い。……聖国が襲われたのは……そのもっと前だ」
「は……? どういう事だ? 何が言いたい? じゃあお前達が先に襲ってきて、俺達が報復の為にお前らの大事な物を奪ったって事か?!」
アッシュにはベルの言いたい事がわからず、腕を払って振り向いた。その瞬間、蔑んだ目で見て笑うベルの瞳が飛び込んで来て、その唇が重なった。口をこじ開けられ舌に牙を立てられる。
「なっ?!」
驚いて離れようとするが、直後、アッシュは身体に思うように力が入らなくなった。
「本当に話を聞かない男だな。まぁ最後まで聞け」
「……何をした……」
「我々が体内に聖気を取り込むと魔気が排除しようとして苦しくなるのだが……やはりお前達も同じみたいだな。羽が落ちても聖国人で良かったな。まぁ、暫くしたら動けるようになるだろう」
ベルが言うように、体の中に少し残る聖気が熱くなるような感覚をアッシュは感じた。
力の入らない身体を岩場に押し付けられる。目を逸らす事も出来ず、ベルの猫のような目に吸い込まれた。
「我々魔族は、侵入し襲って来る人間は殺し……軍隊をけしかけた者にも報復はしていた。向けられた悪意は匂いを辿れば分かるんだ。だが、それ以外の罪なき者達には一切手を出さなかった。何故だか分かるか?」
「魔族に……良心があったとでも言いたいのか?」
「それは少し違うな。先代魔王様は知っていたからさ。罪なき者を襲うとそれは復讐を呼び、憎しみは更に憎しみを呼んでいつまで経っても終わらなくなる。そうなれば傷つかなくていい者達まで傷つく。そうならない為に侵略は一度もしなかった。現に、襲撃事件があるまで、お前みたいな弱っちい羽虫達はのうのうと暮らしていたんだろう?」
アッシュは納得しかけたが、すぐに首を振った。
(騙されてはいけない。現に魔族に聖国は襲われているのだから……)
「だったら、だったら一体聖国を襲ったのは誰なんだよ!」
「分からないんだよ」
「は? 分からない?? そんな言い訳みたいな話をして今更無責任な……っ!」
ベルが首筋に噛み付き、歯を立てる。そこからビリビリと熱を持つように痺れが襲ってきた。魔気のせいなのか、そうじゃないのかはアッシュには分からない。
「そういう事を言っているんじゃない。本当に分からないのだ。我ら魔族の心は先代魔王様と繋がっていた。魔王として最初に生まれたベリル様は我らの始祖。ベリル様の御心が我ら魔族の心。あの御方が居た時まで……我々の心は繋がっていた。その誰もが、そんな事件なんて知らないんだよ」
「何……? 話の意味が分からない……俺は確かに見た……憎しみに目を血走らせた……魔族を……」
「……その位の頃、力のある魔族が何人も行方不明になっている。問いかけても何も答えず、死んだのかすら分からなかった」
「その魔族達が操られて利用されたとでも言いたいのか?」
「そうだ」
ベルは一瞬何かを思い出したように傷ついた顔になった。
「……そういう事は往々にしてある。私はアーク様ですら傀儡になる未来を見て来た。……聖国人が魔族を憎み、魔族が人間を憎むように仕組んだ者がいてもおかしくはない」
「そんな話……信じられる訳……」
ベルがアッシュの顎を掴み、乱暴に自分の方へと引き寄せた。
「信じて貰おうだなんて思ってないさ」
「………」
「私はな、同じ様に襲って来た人間も、その裏に聖国人が居たと噂されていても、全ての人間がそうじゃないと知っているから……ここに来る人間達に悪意は向けてない。それとここに遊びに来る人間とは話が別だからさ」
「……俺は……」
「いいんだよ別に。だが、私はお前の事が嫌いじゃない。少し……好きさ」
その言葉を聞いた直後、アッシュの意識は途切れた。
★★★
気がつくとアッシュは温泉宿の寝室で寝ていた。記憶の最後は温泉の中で裸だったのだが、幸い宿の着物を着せられていた。
ほっとするも、昨日の話を思い出してアッシュは微妙な気持ちになった。
真実はどうなのかは分からない……だが、ベルが言っていたように、今の魔族達に人間への悪意が無い事だけは、少し信じてもいいかもしれないと思った。
「ちょっとー! 起きてんでしょ! 早く湖に行きたいんだけど!!」
ゆっくりと考える間もなく、茜が乱暴にドアを叩く音がした。
「はぁ、待てって、今行くから……」
起き上がり布団を出ようとした時、アッシュは自身の横に何かの感触を感じた。
布団を捲って見ると、そこにはベルが寝ていた。
「いや、何で一緒に寝てんだよ」
「まだ?! 早く行くわよ?」
聖女の叩く音が強くなり、ドアが壊れそう。
だが、ベルを揺するも全然起きない……
「いや、本当にちょっと待って、頼むから」
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