第13話 聖女 茜は魔王領温泉に行く(後編)


 

 揺れる意識の中……アッシュが見たのは10数年前の記憶だった。

 強烈に残ったあの日の記憶――絶対に忘れる事なんて、聖国の生き残り達には絶対に出来なかった。


「いやぁ……それにしても酷い事しますよね」


 沢山の魔族が美しい故郷を壊して行く。逃げ惑う人達に紛れて転んでしまい、そのままうずくまった子供。

 聞こえて来た声が印象的で、そちらを見た。見えたその男は、何故か笑っていた。


(何がおかしいのか? こんなに怖くて、痛くて、苦しいのに……)


 遠くの空にオペラが戦っているのがアッシュの目に見えた。撃ち落とされても、血だらけになって何度も向かっていた。

 

(何で俺は子供なんだろう。同じ子供のオペラは戦う力があるのに……どうして戦う力も、自分を守る力も無いのだろう)


 あの事件後、アッシュは沢山訓練した。魔族が来ても大丈夫なように……魔族を倒せるように。


 しかし、アッシュがあの頃の夢を見ると、そこにはいつもうずくまる自分しか居なかった。


「大丈夫?」


 え?


 うずくまる自分に誰かの声が聞こえた。


 声の方に顔を上げようとした時……

 見えたのはマッサージ室の壁だった。



 ★★★



「ねぇ、大丈夫? 何かすげーうなされてたけど」


「えっ……いや……」


 アッシュは魔王領の温泉でマッサージを受けていた事を思い出した。いつの間にか眠ってしまった事も。

 その夢はアッシュがいつも見る夢だったが、いつもと違って冷や汗はかいてなかった。身体の疲れも取れていた。本当に騙されているのだろうかとアッシュは首を傾げた。


「マッサージ終わりましたよー、お疲れ様でした。あ、温泉はこの先ですのでごゆっくりどうぞ!」



 マッサージ室を出て温泉へと向かう。アッシュは魔王領への恐怖心はだいぶ薄れたものの、夢の中の記憶が気になって仕方がない。


 だが、ふと我に返り茜を見ると、その手にはいつの間にか細身の剣が握られていた。


「……お前、剣なんて持ってたっけ?」


「さっき土産屋で売ってたのよね。何でこういう所の土産屋ってこういうヤツ置いてあるのかしら……そこまで再現しなくても良いのに。気になって思わず買っちゃったわ」


「……剣なんて使えたのか?」


「使った事無いけど。私、魔法使いだし」


「……魔法……使い……?」


 真顔で言う茜にアッシュは1度顔に手を当てて考えてから真顔で返した。


「いやツッコミが追いつかないんだが。まず何で土産屋に剣があるんだ……? 魔王領だからか……? やっぱ危険なんじゃないのか……あと何で使えないのに買うの?? 魔法使い??? 魔法を使う人で魔法使いだよな??? 初耳なんだが???」


 茜は無言でステータスを開いた。種類の所には【召喚聖女/魔法使い】と書いてある。だが、アッシュは魔力の項目が気になった。聖気はめちゃくちゃ高いのに、何故か魔力は無いどころかマイナスだったから。


「マイナスなんて表示あるのか……?」


「何かノエルたんに会う為に時間を遡る魔法だけ覚えたんだけどさ、そのペナルティでこうなったのよね。ま、他に魔法知らないし覚える気も無いし、全然不都合は無いけど」


 そう言って茜は剣をぶんぶん振り回した。

 やはりコイツは戦闘ゴリラだ……と、アッシュは残念な顔をした。


 温泉の大浴場が2人の前に見えて来たが、そこには清掃中という看板が出ていた。


「清掃中か……タイミングが悪かったな。ま、俺は別に入りたくも無いから行こうぜ」


「何でアンタってそんな頑ななワケ……」


「ああすみません、今掃除中で……」


 女湯と書かれた暖簾から出てきた魔族の女を見た時、茜の顔が険しくなった。

 魔族の女の方も茜に見覚えがあるのか、表情が魔族特有のいやらしい笑みに変わる。


「いやお前さっきは普通に従業員顔してただろうが。何で急に顔を作るんだよ……」


「アンタ……確かベルとかいうやつよね。こんな所で会えるとはね……」


「ふっ、ちょっと温泉が繁盛しすぎて人手不足なものでね」


 アッシュが見た所、彼女は魔族でもかなりの実力者に思えた。だが、何故こんな所で掃除をさせられているのか。人手不足か? とアッシュは首を傾げた。


「武闘会の時の決着、今着けてもいいかしら?」


「よかろう。……こちらへ来い」


 そう言ってベルは清掃中の看板と掃除用具を片付け、違う場所へと案内した。清掃が終わった大浴場へは客がワイワイ入って行った。仕事はちゃんと終わらせてから行く几帳面さである。



 ベルが案内したのは建物から少し離れた、誰も居ない広い露天風呂だった。


「人間との蟠りが少なくなったとは言え、未だ勘違いして戦いを挑む者達がいるので……各場所にはこうして決闘が出来るような場所がある。殊に温泉は客が集まる反面、そういう事態も多いからここで戦って貰うわ。ただし、我々のルールには従って貰うがな」


「……その挑む奴らが心配するように、魔族は本当に人間を襲う事がないと言い切れるのか?」


「お前、聖国人だな……? 聖国の奴らは未だにそんな事を言っているから。まぁ、此方で湯にでも浸かって見ている事だ」


 そう言いながらベルはアッシュの服のボタンを外し服を脱がそうとした。


「ん??? って、さり気なく何してんだよ! 俺は入らないぞ!!」


「待っている間、暇だろう?」


「……俺は人に裸を見られたくないんだよ」


「そうなのか? 勿体無いな。私好みのいい身体つきをしてそうなんだがな」


 ベルはアッシュの身体を舐めるように見始めた。


「いや、やっぱ魔族やべぇヤツじゃねえか」


 ベルに迫られそうになっているアッシュを茜が後ろから掴み、温泉に向かって投げ飛ばした。


「アイツはどうでもいいのよ。で、あんたらのルールって何よ」


 茜に投げ飛ばされたアッシュは全身水浸しは免れたものの、足が温泉にどっぷり浸かってしまった。仕方なく靴を脱いで裾を捲り、足だけ温泉に浸かった。


「………」


 意外と悪くないかもしれない、とチャプチャプ足を泳がせた。


「武器は……この温泉よ。お互いにこの温泉をぶっかけ合い、先にタオルが落ちた方が負けだな。防御は何でしても構わないが、攻撃はお湯のみだ」


 ベルがバサっと服を脱ぎ捨てると、その身体には大きなタオルが1枚巻かれていた。


「バスタオルをお湯で吹き飛ばせばいいって訳ね……望む所よ」


 茜も服を脱ぎ捨てた一瞬で下が大きなタオル1枚になっていた。

 女子は見えないように着替えるのが上手いと聞いた事があるが、どうやって一瞬でタオルになったのかアッシュには分からなかった。


「……ん? ちょっと待て。タオルが落ちた方が負けな戦いを俺が見ていていいのか……?」


「誰かが見張って無いと意味がないだろう。女の裸を見られるという事は、生命を取られるのと同じ位恥ずかしい事なんだぞ」


「恥ずかしいという心があるならこんなルールにはしないと思うが。後、勘違いして戦いを挑む者達は本当に勘違いしているのか? むしろスケベなリピーターじゃないのか……?」


「アンタ、私が負けるとでも思ってるワケ? そこで大人しく見てなさい」


 アッシュの気持ちに反し、2人ともやる気満々である。

 ちなみにスケベとは、好き者の好兵衛から由来される異世界の言葉である。アッシュはスケベではないし魔族とゴリラの裸には全く興味が無くてげんなりとした



「はあああ!!!!」


 そうこう考えている間に茜が露天風呂に向かって正拳を放った。お湯が一気に吹き上がり、辺りが何も見えなくなる。ベルは上に飛び上がっていた。

 飛び上がったベルを追いかけるように茜は桶を持ってジャンプした。だが、上空に上がったベルの周りには沢山の桶が魔法で浮いていた。


「あの時から随分腕を上げたんじゃないか? でも、私も大人しく過ごしていた訳では無い」


 ベルが桶の1つを取ると、勢いよく振って中のお湯を飛ばした。お湯は水刃のように聖女のタオルを掠めた。掠った所はパラパラと糸が崩れる。


「そのタオル、切り刻んでやろう」


 次々と桶を取り、放たれる水刃を聖女は必死で避けた。


「……それもうお湯の域超えて凶器では? あと上空で闘うと見ちゃいけないものが見えそうで気が気じゃ無いんだが……」


 特に興味の無い裸が見えそうで気が気じゃないアッシュの心に反して戦いは続く。


 茜は負けじと持っていた桶を宙に浮かし、桶の裏側から拳を繰り出した。


「はああ!!!」


 拳に押し出されたお湯が波動となってベルに襲いかかる。


「くっ!」


 お湯の波動を桶で受け止めたベルだったが、その一瞬でベルの上に移動した茜がもう1発お見舞いした。

 2発目も桶で受けたものの、流石に2発は抑えきれなかったのかベルは露天風呂へと真っ逆さまに落ちた。


 ドオオオオン!!!


「おお、いいぞ、風呂の中に落とされたら流石に……」


 露天風呂に落とされたと思われたベルだったが、落ちる寸前に露天風呂に向かって爪を繰り出した。その衝撃波で露天風呂のお湯はベルの周りに空洞を作っていた。


「ちっ」


 茜に手持ちの桶は無い。

 ニヤリとベルが笑うと、その周りに気流を作りお湯をまるで竜のように操り出す。


「食らえ!『魔王領温泉昇竜撃』!!!」


 ベルが長い爪の手を聖女に向けると、露天風呂のお湯が天に登る竜のように茜に襲いかかった。全てのお湯が一気に向かう。


 ああ、完全にダメか……とアッシュが諦めかけたその時、茜の開いた傘でお湯がガードされた。

 ――いつの間に傘を?! と思いよく見れば、その傘の柄はアッシュにも見覚えのある剣の持ち手だった。


「いやあのお土産屋で買ったヤツ。傘だったのかよ……」


「ふっ、この技を受けれるなんて中々やるな! だが、そのまま耐えているだけでは攻撃出来んぞ?」


 聖石の傘はお湯を受け止めていたが、お湯に押されてミシミシと壊れそうになっていた。


「…はああああああああ!!!」


「?!」


 茜が傘を回すと竜となって襲いかかっていたお湯がその流れに動かされ、お湯の竜巻のようになっていた。

 竜の動きを完全に操った傘を閉じ、その竜巻の中心に茜が拳を繰り出す。


「『聖女竜巻温泉撃』はああ!!!!」


「くっ!!! ぐああああ!!!」


 ベルの技名にに触発されたような名前の竜巻がベルを襲い、耐えきれず全てを受け止める。お湯はベルごと露天風呂へと戻った。

 露天風呂にベルのタオルが浮いていたので茜の勝ちと思われる。

 タオルが落ちてその中身が見える前に茜に目を覆われたのでアッシュには勝負の行方が分かったが。


「何でそいつの目を隠してるんだ? 私は見られても一向に構わないんだが」


「いや俺が構うわ」



 かくして、武闘会で着かなかったベルとの勝負の決着は茜の勝利で幕を閉じた。

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