第10話 魔の国に在った紫色の宝石(中編)



「ベリル様……」


「………」


 ヴァイオレットの腕に抱かれた小さな生命。

 自分の生まれた時とは違う、生命の誕生をベリルは見た。


 彼女と出会ってからの感情は何もかもが知らない事ばかりだった。

 ベリルはヴァイオレットだけを大切にした。もちろん魔の国の者は全てが自分の子だったが、それとは違う感情が湧き上がり、毎日のように戸惑いながらヴァイオレットを抱きしめた。


 数ヶ月前、ヴァイオレットが急に体調を崩した。そのまま病で死んで居なくなってしまうのでは無いかとベリルは酷く憔悴した。だが、そんなベリルにヴァイオレットが微笑みながら告げたのは、2人の想いが一つの魂になって新たに自身に宿っているという事実だった。


 ベリルは知らなかった。生命は愛し合う2人の間にそうして誕生するものだという事を。


 ヴァイオレットに対する感情も、その感情が昂る時に彼女を抱きしめ、壊れないように触れた事も……全てが許される事だと知り、ベリルは初めて安心した。


 小さな生命を手渡された時、ベリルは心配だった。

 微笑みながらヴァイオレットが渡す大切なもの……だが、自分はヴァイオレットの大切なものを彼女以上に愛する事なんて出来ないのではないか? はたまた嫉妬して感情のままに壊してしまうのではないか? と。

 だが、包まれたその小さな手や、ヴァイオレットと同じ濃い紫の美しい瞳を見た時……ベリルの目からは涙が溢れてぽたぽたと落ちた。

 安堵した。彼女にとって大切なこの生命は、自分にとってもどうしようもないくらいに愛しく大切なものだった事に。


「ベリル様? 大丈夫ですか……?」


 狼狽る彼女にそっと我が子を返し、ベリルは手の中に1つの指輪を出した。

 大切な者に自分のものである事、また自分が相手のものである事、永遠を誓う事の証として装飾品を送る、遠い地の風習が有るのを思い出したので用意した。


「……? それは?」


 彼女や我が子の瞳と同じ色の小さな宝石と、緑の宝石が埋め込まれた黒い指輪だった。


「ずっと……共に在ることを誓うものだ……」


 ベリルは泣きながらヴァイオレットの指に指輪をはめた。それを見た彼女の目からも、涙が溢れた。



 ★★★



「……また侵入者か」


 しばらく何の音沙汰も無かった魔の国に、また侵入者が増え始めた。

 魔族や魔獣が大人しくなったと噂を聞きつけた人間達が度々森に魔獣を狩りに来たのだ。


(やはり人間は懲りないものだ……)


 ベリルとて黙っていられなかった。今は昔よりも絶対に守らなくてはいけない大切なものがあるから。魔王城に何人たりとも近付かせる訳にはいかなかった。


「ベリル様……」


「少し手強い相手らしい。大丈夫だ、すぐに戻って来る」


 ヴァイオレットの側には、少し大きくなった息子のアークが居た。ヴァイオレットに似て優しく可愛らしい子供……愛おしい2人を絶対に守らなくてはいけないと思い、ベリルは森へと向かった。


 ベリルが去った扉……その閉まった扉を確認してヴァイオレットが振り向いた時、窓の近くに男が1人居た。


「……奥様、早く逃げないと大変なことになりますよ?」


 男は目を細めて笑いながら本を見ていた。



 ★★★



 森に着いたベリルは侵入者を片付けていた。

 だが、手強いと聞いていた割にはあっさりと消える人間達。森にはもう人間の気配は無かった。


 確かにあの魔族の家臣が言っていた、魔王が行かないと大変な被害になると。

 だが、それを伝えた魔族の顔がベリルにはどうにも思い出せない。

 急に、心臓が締め付けられる程の胸騒ぎを感じ、ベリルは魔法陣を描いてすぐにヴァイオレットの元へと移動した。


 景色が森から城内へと変わる。だが、元の部屋に2人はいなかった。

 遠くで悲鳴が上がる。その声を聞いたベリルの手足が冷たくなる。声のする扉を探し当て、開けた瞬間に見たのは……人間達がヴァイオレットを剣で刺す所だった。

 何人もの人間がヴァイオレットに刃を突き立てる。ヴァイオレットの美しい瞳や口からは彼女の血が止めどなく流れていた。


「っ……」


 ベリルには一瞬理解が出来なかった。理解した時に見えたのは1人が刺した聖気を纏う剣が魂の核を貫いた瞬間だった。


「やめろおおおおお!!!!!!」


 その場にいた人間全てを消し去った。血の海に溺れるヴァイオレットに回復魔法や蘇生魔法をかけるが、彼女は指先から綺麗な紫色の霧となり溶けていくようだった。


「だめだ!! そんな事は許さない!!! 待ってくれ!!!」


 彼女は消えかける指を血の海の方に向けた。


「たす……け……」


 彼女の指す方には傷だらけのアークが転がっていた。

 ヴァイオレットを抱いたままアークに駆け寄り、蘇生魔法をかけた。アークは息を吹き返し、紫色の瞳に光が宿る。


「……よか……った……も……あえな……ぃ……ごめ……」


 アークの無事を見届けたヴァイオレットはベリルの腕の中でアメジスト色の霧となって空気に溶けて消えた。

 この世界の者は核を貫かれた時、その魂が消滅すると言われる。

 輪廻からも外れ、どこにも存在しなくなる。来世も無い。ヴァイオレットはもう……どこにもいない。


 ベリルの手の中には、彼女に誓った指輪だけが残っていた。



「うわああああああああああ!!!!!!」


 ベリルはアークを抱きしめながら今まで感じた事の無い怒りと絶望感に押し潰された。


 ヴァイオレットはベリルに戸惑いを教えた。愛を教えた。愛おしいと思う心を教えた。……そして最後に、深い絶望と憎しみをベリルは知った……




 その夜、平穏になったと思われた魔の国の全ての者が……人間を襲い始めた。


 本能のままに、肉体の損傷も忘れ……破壊の限りを尽くす……

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