第9話 魔の国に在った紫色の宝石(前編)

 ※本編21話の過去編を詳細に掘り下げた話です。




 それは……まだ魔王領が魔の国として世界と戦っていた頃の話。



「魔王様。我が国に潜入してきた勇者がおりましたが……城にたどり着く事のなく息絶えた、との事です」


「ふん……本当に愚かだな」


 彼がこの地に生まれたのは、もう自身さえ覚えていない程遥か昔。記憶がある頃には魔の国は人間と対立していた。

 対立……というには一方的で、最初に仕掛けてくるのはいつも人間の方である。

 魔族はせん滅しなくてはいけないだのと勝手な理由をつけては軍隊を送り込み、魔の国の者達と戦っては荒らしていく。

 人間の戦う理由は至って勝手なものである。豊富な資源のある領地が欲しいのか、魔獣の素材が欲しいのか、はたまた魔王を倒したという名声が欲しいのか。

 軍隊を送り魔の国に生きる彼の子供達を殺した国には、同じように軍隊を送り報復した。

 勝手に侵略しておきながら、高みの見物をしている者に限って、なり振りや恥を捨てて許しを乞う。魔族の家臣達はそんな輩を見て、簡単には殺さず地獄を味合わせてやればいいというが、あまりの見苦しさにそれすらも愚かしいと思い塵と消した。

 昨今は召喚勇者という面倒臭い者達も増え、こうして魔の国に勝手に侵入しては魔獣の手に落ちていく。いい加減身の程を知って欲しいとため息が増えるばかりだった。

 異世界から来た者は本当に訳の分からない愚か者が多く、やれレベル上げだ、アイテムだと言っては弱い魔獣を殺していく。

 レベルとは鍛錬や学びで上がる物なのだと、この世界の者は知っている。弱い者をいくら殺したって少しも強くなんてならない。

 愚かな勇者達は自分よりもはるかに強い魔族が出て来ただけでルール違反だと叫き罵ってきた。

 稀にチートスキルと本人が言う、謎のスキルや加護を持つ者が居るから更に面倒臭い。誰が異世界から送っているのか、どういう理で来ているのかは分からないが、力を与える者をちゃんと見極めて欲しいものだと辟易するばかりだった。

 危険な者は魔王自ら手を下した。中には手強い者もいたが、そんな力が有るのならばもっと有意義な使い方をした方が良い、と何度か言ったが聞き入れた事は1度も無かった。

 異世界人は殊に固定観念が強すぎて、魔王の言う事など罠だと決めつけてかかる。本当に力のある者の『力』とは、そういうものではないと、彼は常々思っていた。


「魔王様! 侵入者が!! ……それも、不思議な力を使うらしく……かなりの魔獣が倒されています!!」


 窓から入る大きな烏の魔獣に手を触れると、仲間の魔獣の目を通してその姿が見えた。

 森の中で魔の国の者達を屠る数人の人間の男。男達は魔獣を斬りながら何かを追いかけている。魔獣達がその行く手を塞ぎながら必死で抵抗していた。


「……ゴミ屑共が……」


 魔王は窓を飛び出て、その方向へと向かった。



 ★★★



 森を必死で走る魔族の女性がいた。


 彼女を追いかける男達。そしてその行く手から身を守ってくれる魔獣達……その目は逃げろと言っていた。だが、次々と斬られ血を流す魔獣達に耐え切れず、女は足を止めた。


「お? 観念したのか??」


「手こずらせやがって……へっ、見ろよ!」


 男が服を掴み身体を拘束し、胸元を無理やり破く。

 その胸元には濃い紫色に輝く大きな美しい魔石が埋まっていた。


「いやぁ!!!」


 涙を流す目も同じ色の宝石眼だった。


「この魔族……かなり値打ちがあるんじゃねえ?」


「どうする? 素材だけ持って帰るか? このままでも高く売れそうだけど……」


「これだけの器量なら目を潰して宝石を奪っても奴隷として高く売れるさ。それより、売る前に楽しまねえか……? 俺、こんな遠い所まで来るのに何日も我慢しててさぁ」


「魔族を? 変な趣味してんなぁ。ま、分からなくも無いけどなぁ」


 ニタニタと嗤う男達が女の宝石眼に映った。地面に倒されて手足を押さえつけられる。

 追いかけている途中、彼らは自分達は正義だの、勇者だの、神の加護だのと言っていた……女には分からなかった。

 一体、神とは何なのか? 正義とは何を基準に誰に言っているのか。


 上に乗った男の汚い手が触れかけた時――その手が消えた。


「……え? なん――」


 言葉を最後まで発する事なく男は消えた。周りで押さえつけていた男達も跡形もなく消える……いや、その居た場所には大量の血が流れていた。彼らは突然血の中に消えたのだ。

 訳も分からず周りを見る彼女の後ろに男が1人立っていた。

 また人間かと思い身構えるが、その容姿は魔族だった。深緑の長い髪、長いツノ……その姿には見覚えがあった。


「……どうして人間はこうも愚かなんだろうな」


 女の記憶が確かならば、彼は魔王である。魔の国を統べる魔王はどんなに恐ろしい人間の軍隊も、強い勇者もその手で簡単に屠る強い御方。

 彼の心が魔の国の者の心を左右すると言われているが、魔族や魔獣の多くは畏怖し近付く事さえ出来なかった。


 魔王は羽織っていたマントを女にかけた。血で汚れたその場所から抱き起こし、木の陰に座らせる。

 彼女は驚いて言葉を発する事が出来ず、今更になって涙が次々と目から溢れ出た。


「どうした………怪我をしているのか?」


 魔王は押し倒された時に擦りむいたのであろうあちこちの傷に優しく触れた。自身に触れる手が優しく、安心すると今になって恐怖が思い出され、魔王にしがみ付いて声をあげて泣き始めた。

 今までされた事の無い行動に、魔王は戸惑った。

戦いの中で育ってきた魔王は愛を知らない。どこから生まれたのか分からない純然たる存在である魔王は、生まれた時から1人であった。

世の全てを知っているつもりだったが、助かったはずの彼女が自分にすがりついて泣いている理由も、その彼女をどうしたら良いのかも分からなかった。

 魔王は生を受けて初めて、愚かな人間以外に困らされた。


「……涙は出尽くしたか?」


 安易に触れてしまうと壊れてしまいそうだったので、魔王はそのまま胸で好きに泣かせた。

 返事を聞く事は出来なかった。彼女は泣き疲れて眠ってしまったから。

 魔王はそのままマントに包み抱き上げた。

 腕の中で揺れる彼女……名前もまだ知らないが、魔王はそれを独占したいと感じていた。

 魔の国の者は魔王の子も同然であり、全ての者は魔王に忠誠を尽くし従った。

 だが、そういう事ではない。彼女にしか感じない特別なものが芽生えたような気がした。


 そのまま城に連れて帰り自室のベッドに寝かせた。魔王がしばらく見守っていると彼女は静かに目を覚ます。


「あの……魔王様! 私……」


 焦ってベッドから抜け出そうとする彼女を魔王は優しく抱き止めた。


「……大丈夫だ、お前を襲うような者はもう居ない。……身体に魔石を持っているのだろう? 森に戻るのは危険だ」


 魔族の中に、ごく稀に強い魔石や宝石の眼を持つ者が現れると言われている。

 彼女が宿す宝石は目に見えているものだけでは無い……その者が宿す子供は必ず無二の不思議な力を持つと言われる。人間に捕まればどんな酷い目に遭うかは判りきっていた。


「でも……ここは魔王様の……」


「名前……」


「え……あの……」


「名前を教えろ」


「……ヴァイオレット……」


 紫色の宝石の眼が魔王を驚き見た。溢れてしまいそうな美しい瞳……


「ヴァイオレット。お前が嫌で無ければここにいていい。全ての汚らわしいものから……お前を守ってやる」


 魔王はそう言うと部屋を出ようとした。


「あの! 魔王様の……お名前は……」


 魔王の名前を聞くなどと、恐れ多い事をしてしまいヴァイオレットは酷く後悔した。

 だが、魔王は怒る事もなく足を止めただけでヴァイオレットを振り向かずに言った。


「ふん……誰も呼んだ事が無いから忘れた。……ベリル。好きに呼ぶがいい」


 ヴァイオレットは部屋を出て行く、高貴な緑の長い髪の余韻を目に残していた。


「ベリル……さま……」


 それから数年、魔の国は静かで穏やかな時を過ごした。


 

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