第5話 魔王と夢の温泉(後編)



 脱衣所の迷路は複雑怪奇だった。明らかに温泉地の広さを超えている。こんなに脱衣所が遠いと温泉から上がったら湯冷めしてしまうのではないだろうか。


「何だこれ……広すぎない?」


「恐らく、幻術を操る者の仕業だろう」


 魔獣の中には人を惑わす術を使う者が沢山いる。森で人を惑わしたり眠らせたりする魔獣達は飼育して力を使わないように教育していたのだが…飼育していた魔獣が逃げたりしたのだろうか? それか魔族の中に何らかの目的でそんな魔法を使う者が……

 女性の脱衣所を……? 何の為に?


(そうかー。そういや最初に来た時も迷って魔王に道案内して貰ったなぁ。アレも幻術だったんだよね)


 いや……こっちの事については良く知らないが、あっちのジェドと同じならお前らが勝手に迷っていただけだぞ?


 迷路をしばらく走ったが、全くゴールが見えなかった。他の女性客の心の声もそこかしこから聞こえるが、浴場にたどり着いたという声は全く聞こえなかった。


(もーやだー……汗だくなんだけど……早くお風呂入りたい……)

(疲れた……もう……むり)

(ここどこー? 温泉はー?)


 ううむ……誰が何の為にこんな事をしているのかサッパリだが、女性客も皆早く風呂に入りたいみたいだから早く解決せねば。


(はぁ……どこまで走るんだ。何か暑いし……)


 ちらりとジェラを見た。走っていて汗だくなのか服をパタパタとさせていた。うん、いい。


「ん? どうしたんだアース」


「いや、何でもない」


 チラチラ見えた服の隙間が気になっていたが、思わず目を逸らす。


「……ん?」


 逸らした先、天井の方に一瞬目が見えた。

 すぐさまその辺りにあった籠を投げつけると天井から猿が落ちて来た。


「さ……猿?」


「キキーッ」


「お前……」


 コイツは普通の猿に見えるが、立派な魔獣である。自らの毛で分身を作ったり幻術を見せたりする事も出来る……まさか、コイツが犯人か?


(魔王様……ちくしょう、隠しきれない……)


「やはりお前が犯人なのか? 何故こんな事をしたんだ? 早く元に戻せ」


(嫌だ……)


「は?」


(絶対に俺は譲らんぞー!! 魔王様と言えども女性達を通す訳にはいかない!!)


 猿の魔獣は何故か頑なに幻術を解くのを拒んだ。何の理由があってそんな頑ななんだ……?

 ジェラが手を離して猿に詰め寄る。


「おい。私達や他の客は風呂に入りたいんだ。何の理由があるのかは知らないが、早く元に戻しなさい。こちとら我慢の限界なんだよ」


 ジェラの詰め寄ってきた胸元を見て、猿は真顔になった。


(汗に濡れた服……良い。色っぽい。ああ……この女性、いい匂いがする。やはり風呂には通すべきではない。風呂に入らないのが……正義)


 ………

 ヤバい、変態だ。相当な趣味のヤツが居たようだ。危なかった、ジェラに聞かれなくて良かった。


「いや、どう考えても温泉に入れた方が良いだろ」


(良くないです! 何故なら女湯に入れる訳では無いから!! だったら汗だくでちょっとムワムワした感じの方が見ていて楽しい!!)


 くそ……とんでもないヤツが立ちはだかって来た。確かに猿の言う事は分かる。いくら温泉内は楽園だとしても、あくまで男達は楽園の想像をするしかないのだ。ちなみに温泉における覗きは重罪であるので厳しく守られている。だからと言ってそんな強行に出る輩が現れるとは……これは考えものだな。仕方ない……


「浴衣……」


(……え?)


「風呂上りの女性には着替えとして無料浴衣貸し出しサービスを付ける事にしよう」


 浴衣とは……はっぴ同様異国から取り入れた服である。温泉地では愛用されていると言う事なので魔王領温泉でも取り入れている。殊に、浴衣から覗くうなじや見え隠れする肌……これは湯上りのロマンなんじゃないかと同じ男として思う。


「湯上りの浴衣美人……見たくないのか……?」


(……見たい……です)


 猿が頷くと周りの景色が元に戻った。良かった……男同士話が通じたようだ。


 猿は普通にスタッフだったらしく、仕事に戻って行った。どうやら男湯の清掃員だったらしい。そりゃあ毎日男の裸を見てたら嫌になるよな。


「何だか知らないが、解決したのか?」


「ああ。話し合いに応じてくれたようだ」


「そうか。じゃあ、これで心置きなく温泉に入れるわね」


 ジェラが上着を脱ぎ始めた。

 おお……ついに……


「……何だよじっと見て。私、装備を外すのに時間がかかるから先に入っていていいぞ」


 そう言われたので、大人しくタオルを巻いて先に風呂に行く。うーむ、我ながら意外とナイスバディなのでは?

 ああ、いけない。湯船にはタオルをつけてはいけないのだ。


 温泉はビックリする程気持ちが良かった。ここの温泉は効能が良く、疲れが取れるんだよな。

 ……ダメだ、寝てしまいそうだ……


 湯船に浸かる音がした。うっすらと長い黒髪が見える……


「……大丈夫か……?」


 もう少しで……見え……



 ★★★



「魔王様……アーク様……」


 揺さぶり起こすベルの声に目が覚めた。


「……温泉は……?」


「まだ寝ぼけているのですか?」


 ベルの言葉に現実に引き戻され、辺りを見回すとそこは温泉ではなく執務室だった。

 そうか……夢から覚めてしまったのか。残念だ……もう少しだったのに。

 だが、よく寝たせいか疲れが取れていた。そう言えばマッサージも受けていたのだった。


 中々見る事が出来ない並行世界のジェドに再び会えたのも良かった。最後まで見れなかったのは残念だが、夢なので仕方ないだろう。さて、仕事に戻るか……


(さっきも喜びながら自分の身体触りまくって無いとか有るとか言っていたけど大丈夫だろうか……やっぱアーク様疲れてるのかしら。何か喋り方も心なしが女っぽかったし)


「……ちょっと待て。何だって……?」

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