第34話 霊安局3 *三人称視点



 森の中をスーツの男が駆けている。


 濃紺のスーツと革靴は、森を駆けるのには向いていない。それを証明するように、男のスーツの所々には枝を引っ掛けて解れさせた跡が残り、革靴には穴まで空いていた。


「ハア、ハア、……くそっ!」


 足を止め振り返った男が、追いすがってきた餓鬼を殴り飛ばす。息が上がってしまったのか、再び走り出す気配はない。


 ザザザザザザザザ、と男の周りの木々や藪が激しく揺れる。どうやら追い付かれ、包囲されてしまったようだ。


 ガサガサと藪から追跡してきたのであろう餓鬼共がワラワラと姿を現す。ジリジリと距離を詰めてくるのは、警戒している為か――――もしくは品定めでもしているのか。


 それは男と餓鬼の関係を如実に表していた。


 追う者と追われる者。


 どちらが獲物でどちらが狩る者なのかを。


 それももうすぐ、敗者と勝者に変わるのかもしれない。


 しかしこの極地で、男は笑みを浮かべた。


 それは自分の方が優位であることを疑っていない笑み。


 勝ちを信じている者のそれだ。


 男は勿体ぶるように、懐から剥き出しのタバコを一本取り出して、口に咥える。反対の手にはポケットから取り出したライター。


「舐めんなよ?」


 男が決め台詞を吐き、火を付けようとした刹那。


 男の眼前を、猛スピードで飛来した独鈷杵が通り過ぎていく。


 たった今、火を付けようとしたタバコを削りとって。


 ――――トン、と。


 男の走る音と比べると、やけに軽い音を響かせて癖毛の激しい男が、どこからか降ってきた。


 男と餓鬼の間に。


 黒いジャージ姿で運動靴を履いた男だ。


 周りを囲む餓鬼の群れを一瞥すると、面倒臭そうな表情で投げやりに手を振る。


「五行陰陽『浄〜化』」


 その適当な振る舞いとは裏腹に、変化は如実に訪れた。


 男達を囲んでいた餓鬼が、突然、空間に溶け出すように消えていく。瞬く間にそれは広がり、数秒と経たない内に全ての餓鬼が消え去った。


 自分を追い詰めていた脅威が消え去ったというのに、右京は苛立ち混じりに口に残ったタバコを吐き捨てて問う。


「……何してくれてんだ」


「はあ? いや、馬鹿かよ。こっちの台詞だわ」


 右京の台詞に、癖毛の男は振り返り顔をしかめる。


「あんたが余計な手出しをしなくても、自分でなんとかしたさ。それどころか、こちらの道具が……」


「――それさ、火気の術だろ?」


 右京の台詞を遮って、癖毛の男が面倒臭そうに吐き捨てたタバコを指差す。


「……だから、なんだ?」


「いや、なんだはねーだろ? こんだけ木気が溢れてるとこで火気を撒き散らしたら、どうなるかもわかんねーのか? それとも事後の手段でも持ち合わせてるってか? ああ? 霊力が切れてライターなんて使ってんのに?」


 図星を刺され、黙り込んでしまった右京に、癖毛の男が悪態をつく。


 そんな、或いは先程より悪くなった空気の中に、さらなる闖入者が現れる。


 スーツにヒール、こちらも森を歩くには適していない格好をした右京の相棒。


 瑪野 凛だ。


 ガサガサと、藪を突っ切って現れたにしては綺麗な姿で、尚且息を切らした様子のない凛だったが、右京はそれを可笑しく思わなかった。いや、思う暇がなかった。


 現れるなり、右京を指差して笑いだしたからだ。


「あははははははは! 先輩怒られてるぅ! クソだせー! マジウケる。かわいソス」


「くっ、お前! 黙ってろ!」


 八つ当たりなのか羞恥なのか、赤くなった顔の右京が凛を睨む。


 しかし凛がそれに怯むことはなかった。普段ならもう少し空気を読んだ振る舞いで、怖がらずともなどを見せるのだが、どうしたことか、笑顔の奥にある瞳には冷たさすら宿している。


 凛は、右京の馬鹿さ加減というか選民意識というか英雄願望というか、そんな幼稚な虚栄心の現れのようなものに、呆れ果てていた。


 餓鬼に囲まれていようが傍観する程度には。


 この森には、実行部隊のサポートという役割で訪れていたのに。あろうことか右京は、独断で地を清め邪を祓い始めた。


 術具を用意するなどして実行部隊が行っていた段取りを無視して。


 右京は「この方が早い」などの素っ気なさを装った発言をしていたが、自分の力の誇示を第一としていた。


 捜査を担当する課と実力行使を担当する課では、その力量は後者の方が高いとされている。術の相性などもあるにはあるが、危険度から考えれば、その経験は間違いなく後者に軍配が上がる。


 だからだろうか?


 術具を使う実行部隊に、己の実力の方が上だとばかりに無手で挑み――――窮地に陥った。


 体力も霊力もそこを尽き掛け逃げる右京を、凛は一定の距離を保って追いかけていたのだが、助けるつもりは無かった。


 『この程度で死ぬんなら早いとこ死んでくれ』とすら考えていた。


 今回のように当人だけを払う形になるのならまだマシなところだが、今後ワリカンにされては堪らない。


 なら、今死んでくれ、と考えていた。


 (千くんは優しいっスよねー。なんだかんだアドバイスまでしてあげてるし)


 チラリと癖毛の男――――幡ヶ谷はたがや せんに目配せすると、彼は鬱陶しげに視線を切って木に刺さった独鈷杵を抜いた。


 撤収の確認。


 足手まといがいるのだ。撤収は妥当な判断だろう。


 そんな千はしかし、独鈷杵を直すことなくクルリと手の中で回すと、その鋭い視線を森の奥へと向けた。千が独鈷杵を回すと同時に凛も気付いた。


 そんな二人の様子を見て、右京も、いつの間にか存在していた何者かに気付き、誰何の声を上げる。


「……誰だ?」


 森の奥側にあった苔むした岩の上に、その何者かは腰を降ろしていた。


 男なのか女なのか分からない、酷く中性的な出で立ちの、中学生ぐらいの子供に見えた。


 上から下まで黒い。黒いベレー帽を被り、黒いコートを纏い、黒いタイトなジーンズに黒い靴を履いている。


「あれ? ボクの事って聞いてない?」


 声も中庸だ。変声期前の男の子のようでもあり、甲高さが抜けてきた頃の女の子のようでもある。


「証明になるか分かんないけど……」


 そう、黒い装いの子が呟くと、曇り空が割れた。


「なっ?!」


 驚きの声を上げたのは右京。しかしそれも致し方の無いこと。


 雲の割れ間から現れたに、感情を抱かぬというのは無理なレベル。


 龍だ。


 西洋の竜ではなく、東洋圏に伝わる長い体を持つ龍が、雲の割れ間から顔を覗かせたのだから。


 事はそれだけに留まらず、龍は右京達の方へと近付いてくる。その一呑みで、この場に居る全員を口に納められるであろう巨体が。


 しかし不思議な事に、龍がこちらに近付くに連れて、その体が縮まってゆく。最終的には首に巻くマフラー程度のサイズに収まり、岩の上で座る子供の首に巻き付いた。


 子供は、それを当然として受け止める。


「どうかな? まだいた?」


「…………おら、ぬ…………」


 黒い装いの子の問い掛けに、龍が腹に響く低い声で答える。


「ウソつくんじゃないわよ! まだいるじゃない!」


 それに反論する声が、岩影から響く。


 龍の声とは反対に、高く耳に残る声だ。


 今度は岩影からスルスルと、巨大な蛇が姿を現す。龍とは比べるべくもないサイズだが、普通の蛇よりは遥かに大きい。


 まさに大蛇と呼べる。


 全身を現した大蛇。その尻尾が、子供サイズの餓鬼を締め上げていた。鳴動するように尻尾が一瞬だけ縮まり、鈍い音が響き渡る。もがいていた餓鬼から力が抜け、空間に溶け込むように消えていく。


 大蛇は尻尾を振ると、スルスルと体を這わせて岩を登り、黒い装いの子の周りを自分で囲い、鎌首をもたげて龍を睨んだ。


「適当なことコいてんじゃないわよ! あんたが取りこぼした分はアタシがやったのよ! あんたご主人様に泥を塗る気?!」


「…………さま、つ…………」


「あぁん?」


「ハイラ、インダラ、二人とも止めなね?」


 睨み合う二匹を黒い装いの子が止めた。二匹はそれに従うように黙り混む。


 それは二匹とその子の力関係を表していた。


「あ…………あっ」


「……ご協力に感謝します」


 言葉を失ってしまった右京に代わるように、千が頭を下げる。本来なら頭を下げるべき当人である右京を、凛が一睨み。


 (本っ当に! 足を引っ張る先輩っスね? 礼儀もなってないし。これだからガキは嫌いなんスよ。やっぱペア組むんなら年上っス。リード求むっス)


 混乱を招いた右京を責めるでもなく、黒い装いの子は、鷹揚に手を振り感謝を受け取った。


「この区画はもう大丈夫だから…………ってどしたの?」


 問い掛けたのは主。答えるのは従。


 急に同じ方角を睨みつけた自分の式神から、『危険』に値する何かが、たった今、その視線の先で起こったのだと感じたとれた。


 その余裕とも取れる態度が崩れることはなかったが。


「…………ねこ、だ…………」


「……猫ね」


 しかし返す側の声は厳しい。


 その巨躯に違わぬ能力を内包する存在としては、想像も出来ない程に警戒した声だった。


「…………猫?」


 主人の疑問を呈す声だけが、森に響いた。


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