第31話
機械は緊急停止しても構わないという指示を出したにも拘わらず、停止するのを待ってから手順通りに電源を切り始める組員。
中には清掃を始める者もいる始末。
今一こちらの緊迫感が伝わっていない。普通に仕事を終える時の対応だ。
もう一声必要なようだ。
「ちが……」
叫ぼうとした刹那。組員の一人に不自然な影が掛かる。ほとんど反射的に結界を発動させた。
青い光の壁にぶつかった落下物が、通路まで跳ね、ゴワンと鈍い音を響かせて転がった。
……鉄材だねぇ。
光る壁に守られた組員は、それに気付くことなく、ただ音に驚いていただけだが、周りの組員からしたらバレバレの所業。
しかし、もしも当たっていたのなら、痛いでは済まなかっただけにしょうがない。
鉄材が落ちてきた方角を見上げると、天井の壁をむしっている子供サイズ餓鬼がいた。
また数が増えている。見えるだけで五匹以上。
「え、組ちょ……」
「もういいから! ほら、全員帰れ! 変な動物が入りこんで危ねぇから!」
「渡くん!」
手振りで出ていけと促していると、後輩くんを連れた課長が到着だ。
「課長も早いとこ……」
「なーにをやっとるんだね君は」
……あん?
課長は、さぞや焦った表情を浮かべているかと思いきや、やや呆れ混じりの怒り顔をしていた。
「誰の指示でラインを止めたりしたんだね? おい、直ぐ戻れ! ほら、君達はラインを復旧させて」
なんかさっきからずっと噛み合わないと思っていたが、課長の態度でようやく納得がいった。
平和ボケのようなものなのでは? なんて考えていたのだが、正確には認識の違いなんだろう。
車をバラバラにしたり、こちらに喰い掛かってくる、殺意を持った生物が、身近に何匹もいるのだと理解したのなら、課長もこんな指示を出したりはしなかった筈だ。
フォークリフトの運転手も直ぐに逃げただろうし、後輩くんもあんなに易々と視線を切ったりしなかっただろう。
なんせこのモノノケ業界、あっちもこっちも命が軽い。
もし俺も呪われていなければ、似たような反応をしたと考えれば合点がいく。
赤ん坊サイズの餓鬼なんか『子猿みたいなものだろう?』なんて考えているに違いない。
課長の言葉に作業場から離れた組員が戸惑う。
鉄材が落ちてきたことから、何かしら危ない事が起こっているとは分かっていても、上の方の責任者から、そう指示をされたら従ってしまうよな。
とりあえず現実を見て貰おう。
「課長、上、上」
天井を指差して課長の視線を誘導する。
「なにが上う……え……」
「うっわ、めっちゃいっぱい居る。これはマズいッスね……」
そう、多い。
明らかに増えていってる。こんなに沢山入ってきたんなら、流石に誰か気付くと思うのだが、まるで突然湧き出したかのように増えている。
腹ペコが多いのか? 昼前だから。
「これで作業を続けたら事故が起きますよ」
「…………そうだな。あー、ちょっと待って貰って、今から緊急で会議を開くから」
いやいや、待てない待てない。こんなとこで待ってたら怪我する。
現に機械の駆動音に紛れて誰かが叫ぶのが聞こえてくる。外でフォークリフトがコンテナや壁を破壊している音がデカいせいか聞こえないのだろうか?
こんなにハッキリ
「おい全員帰れ! 今すぐ!」
「ちょっと渡くん! 勝手に判断してもらったら困る。まずは工場の外に避難して貰ってだね?」
「あれ、外にもいますよ。つーかこれ、絶対どっかに穴が空いてますよね? 朝からこんなに居たんなら気付かないわけないッス」
後輩くんの援護に課長がイラ立つ。
もし穴なんか空いてたら、それを見つけない限り、追い出したとしてもまた戻ってくるかもしれないもんな。
「そんな保証はないだろう? いいから一回……」
課長が何か言い掛けたところで、再び天井の餓鬼が鉄材を投げてきた。
しかし今度は結界を展開せずにこれを見送る。
鈍い音を響かせてワンバウンド、課長の鼻先を通り過ぎていく。
「おし、いいぞ帰れ。刺激せずに見つけたら逃げろよ」
足を止めていた組員を更に急がせる。課長はもう何も言わなかった。
「ほら、課長も」
「あ、ああ……しかし……」
流石にこれ以上はつき合えない。足が鈍る課長を置いて俺も走る。
因みに後輩くんは鉄材が落ちてきた辺りで一人ダッシュで駆けていった。もう危険なのは誰の目にも明らかだ。ここから先は当人の危機意識の問題だろう。
巻き添えも道連れもごめんである。
ここにいるのは社会人。
全員が大人なのだから。
だから更衣室に走る人を止めたりもしない。もしかしたら俺が目指す駐車場の方が危険かもしれないしな。しかし一々着替えんの? 着の身着のまま逃げ出す程の緊急事態だとは思っていないんだろうか?
工場を抜けて正門まで走る。横から突っ込んできたフォークリフトを結界で弾く。
気にしてられない。
警棒で餓鬼を叩きのめしている警備員の隣をすり抜ける。餓鬼は意外とタフなのか、何度となく起き上がっている。
スタミナで負けそうだ。
「おーい、気にせず逃げとけ!」
「クソッ、この!」
ダメだ。職務に忠実なのかテンパっているのか、餓鬼を蹴り飛ばすのに夢中で聞いちゃいない。
こちらも飛び掛かってきた餓鬼を結界でいなして駐車場の奥へ進む。
やはりここにも餓鬼がいた。
車になんの怨みがあるのか、剥ぎ取ったバンパーで隣の車のフロントガラスを叩き壊したり、タイヤのゴム部分に噛みついたりして解体している。
駐車場まで逃げてきた他の社員が、自分の車が壊されて発狂している。
だからって餓鬼に殴り掛かるのはどうかと……。
俺の車は一番奥に停めていたお蔭か無事のようだ。いや第二駐車場の方は餓鬼が少ないのか、ほとんどの車が無事だ。
「よし、セーフティ」
車に乗り込み結界を発動させる。実績のある籠城パターンだ。
……しかし本当にどうしたものか。これって日本全国で現在進行形で起こっている事件なのか? それとも地元ローカル的なもの? どっち?
餓鬼の氾濫。
野良犬なんてレベルじゃねえな。黒光りするアイツと同じ頻度で見掛けるんですけど。頭文字が同じだからか?
「とりあえず、通報と黒猫と情報だな」
全く。業界に入ったばかりでこんなトラブルが起こるなんて。
引退だよ引退。
普通のおじさんに戻ります。
こういうのはどこかの主人公が苦難と試練を乗り越えて尚且つ起こってしまう業界バレ的な事件じゃないのかね?
業界レベル1のおじさんじゃ対処出来るわけねえだろ!
つまり主人公が悪い。
「まあ、通報だな通報」
餅は餅屋で。
後の事は専門機関に丸投げが俺達モブのやり方。
「会社……再開されるかな」
この歳で転職は厳しいんだけど。
憂鬱な気分でスマホを開いた。
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