第21話



 連れて来られたのは総務部がある建物。総務と言うのは小綺麗な作業着を身に纏う人達の部署だ。


 同じ敷地内にあるというのに、全くと言っていいほど来たことのない場所である。


 むしろ俺の作業着で入っていいんですか? 見てよ? 油で変色してボロボロだよ?


 言い訳をさせてほしい。こういう所に入る用の作業着はちゃんとあるのだ。でも仕事用の作業着で直ぐに連れてこられたから。


 着替えを、着替えをさせてください! せめて捕まるのなら正装で、ラインマンの正装で!


 などと言える訳もなく、


「失礼します」


 課長がノックして会議室に入っていく。こういう場合は向こうの返事を待つのがマナーなのではなかろうか? 課長もテンパってます?


 会議室の中には渋いスーツの中年が一人、深い色のスーツの若手が一人。前者は五十代、後者はギリギリ三十代に見える二十代といったところ。


 刈り上げた白髪が前者、パーマで前髪タラリが後者だ。


 刈り上げがこちらをギロリと睨んでくる。


 まさか伝わってないよね?


「ご苦労さん、あとはこちらで確認するので下がってくれ」


「あ、え、は」


 それじゃあお疲れーす、と言って帰れたらどれだけいいか。声を掛けられたのは、どうやら課長のようだ。


「大丈夫ですよ。ちゃんと了解も貰ってますし、安心してください。ただ彼のプライバシーもありますので、席を外して貰えますか?」


 そんなことをニコリと笑顔を浮かべて言ってくる前髪。


「は、はあ。それでは失礼します」


 一度も目を合わせることなく去っていく課長。


 上司が部下を庇うっていうのはフィクションにしか存在しないのか?


 途端に静かになった会議室で前髪がパイプ椅子を勧めてくる。


「どうぞ、座ってください。簡単な確認だけなのでお気になさらず」


 室内にあるパイプ椅子は一つだけだ。どうやら刈り上げも前髪も立ったままらしい。


 両者に挟まれる位置の椅子に座ったところを想像する。とんだ圧迫面接もあったものだ。


「いえ、大丈夫です。見ての通り汚れてるので、立ったままで結構です」


 頬を引き吊らせつつの愛想笑いだ。


 なんだろう。やはりあの札束のことだろうか? 他に心当たりもないし。ゴミ出しの注意ではあるまい。問答無用で逮捕はないと信じてる。ないよね?


「そうですか、無理強いはしませんよ。早速なのですが、昨日の深夜二十三時四十七分に霊安局、失礼。霊障祓魔保安局に緊急コールを入れたのはあなたで間違いありませんか? 渡 光也さん」


 お前ら霊安かい。


 ……まあ、会社に来てるくらいなんだし、氏名ぐらいは押さえられてても不思議ではない。それどころか住所や家族構成、貯金の残額に至るまで調べられてる可能性がある。あるか?


 すっかり忘れていたが通報の件で来たというなら止むを得ず。だって電話した側だし。


 国民の義務を果たそう。


「はい、餓鬼が軽く百匹はいたように見えたので……」


「百匹……?」


 話の主導権が前髪だったので、そちらに話し掛けていたのだが、何故か刈り上げが食い付いてきた。


「いや、暗かったので正確には分かりませんが……」


 もっといたかも。


「そらそうだろ。百匹もいるんじゃ百鬼夜行じゃねぇか。そもそもよぉ」


「筧さん」


 前髪が刈り上げを手で制する。目と目で語り合う二人。なんからの決着が見られたのか、刈り上げが目を背ける。


「すいません渡さん。『餓鬼が異常発生していたので緊急コールを掛けた、で間違いはないでしょうか?』」


「あ、はい」


「……そうですか、ありがとうございます。それで連絡を入れてからの行動なのですが……素早く現場を離れた、とこちらは考えていたのですが。あなたの携帯の位置情報を追うと、現場に一時間近く留まっているようなんですよね。これは何故ですか?」


「えーと、実はですね……」


 昨日の籠城をご説明だ。


 疲れて帰ろうとしたこと。森にゴブリンを見つけたこと。黒猫とウノして時間を潰したこと。結界の隠蔽効果で隠れたこと。嘘偽りなく話した。


 警察は警察でもあっちの警察。そういや公的機関だったな霊安。それでも警官だなんだと嘯いて、こんな普通の工場に来てもいいんだろうか? 霊安局の立ち位置というのは、俺が考えているより上の可能性が出てきた。交番じゃなく警視庁だった、的な。


 俺の話を聞いた前髪はやや考える素振りを見せつつ、刈り上げをチラリ。このあいだに挟む静かなが嫌だ。疚しいことに覚えのあるおじさんとしては攻められているようにも感じる。もっと声出して行こうぜ!


「渡さん」


「は、はい!」


 ビックリしたぁ。急に声出すんじゃねぇよ。


「そのお話を信じるとしたら、あの場には無数に餓鬼がいたことになりますよね? しかし現場に到着した担当官は餓鬼の存在を確認していないんですよ。代わりに大規模な術の行使跡と、忘却処置が必要な警備員が何名かいたぐらいで」


 忘却処置ってなんだよ。パッと光ったら忘れる感じかな? うんうんあるよね。秘密組織だもの。こんな人いたかな? って忘れ去られる処置じゃないよね?


「渡 光也さん。霊安局は『あなたが何らかの大規模呪術を行使して餓鬼を殲滅したと見ています。いかがでしょう?』」


 キン、と何処かで高い音が鳴った気がする。きっとモスキート音だろう。おじさんになると聞こえない筈なのに。ははは、俺もまだまだ若いね。助けて。


 前髪野郎の瞳が間違えようもないほど紫。


 ここ最近で慣れつつある不思議現象の気配。


 身を護るために結界を張れと冷静な部分が告げる。しかし前の霊安局の一件から、ここで結界を張ればまた騒ぎになるぞと冷静な部分が告げる。


 おいぃ。どうしろってんだ俺の冷静な部分。


 とりあえず返答しておこう。


「いいえ、ありません」


 これにやや驚いたような表情を浮かべる前髪。なんでビックリするんだよ。お前が訊いたんだよ。


「嘘は…………ついていませんね」


 これに応えるように、長く息を吐き出したのが刈り上げ。


「珍しいな。お前の勘が外れるのは」


「いつも当ててばかりじゃバランスが取れないでしょう? こういうこともあります」


 ……なんだろう、この当人同士にしか分からない会話は。おじさん置いてけぼりだよ。


 こちらを無視して話を進める二人に、しかしおじさんにも分かる空気が漂っている。


 残業が終わった時の空気だ。


 今の質疑応答に、俺には分からない決着があったと見ていいのか?


 もう帰るとばかりに足を踏み出した刈り上げに道を譲る。


 こちらには一言も無しのようだ。感じ悪ーい。


 刈り上げが先に部屋を出ていき、後を追う前髪が俺の前を通り過ぎる。しかし何かを思い出したとばかり足を止めた前髪が振り返ってこちらを見る。

 

 すると再び響くモスキート音。これに前髪をよく見ると、また瞳が紫に変色しているような……。終わりじゃないんかい。


「ああ、そうそう。一応聞いておきたいのですが『あちらこちらで異常発生している餓鬼に、渡さんは関わりありませんよね?』」


「え? あ、はい、ないです」


「そうですか。御手間を取らせました」


「はあ。お疲れ様です」


「ありがとうございます」


 ペコリと頭を下げて去っていく前髪。


 ……餓鬼の発生に関わるってなんだよ? 腹ペコなら増えるらしいので『お腹減ってないですか?』的な何かか?


 まさか食事のお誘いでもあるまいし……。違うよね?


 残された会議室で、未だ呆然としているおじさん。


 結局なんだったのか。


 もしや通報の度に、後日の報告が必要なのだろうか?


「…………ハッ?! そういえばあのお金のこと言ってねぇや」


 ホッとしたようなモヤモヤが残るような……。


 暫く悩んでいたのだが、残りの仕事のことを思い出して、慌てて部屋をあとにした。


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