第8話 霊安局1 ※三人称視点


「…………センパイなんでスーツなんスか」


「馬鹿かよ。俺らみたいな勤め人が仕事する時はスーツだろ」


 都内を走る車の中の一つで、そんな会話をする男女がいた。


 不機嫌そうな顔の女がハンドルを握り、素っ気無さそうな顔の男が助手席に座っている。どちらも歳若く二十歳に差し掛かったぐらいに見える。


 灰色のジャケットにスカート、黒いハイヒールを身につけた女の方は、スーツを普段使いしないのかスーツに着られている感がある。その体格は小柄で、一部を金に染めた黒い髪を背中の中程までストレートに伸ばしている。運転の方も慣れていないのか、ハンドルを握る手は両手で肩に力が入っているのが見てとれた。


 助手席の男は、女とは反対に長身で、濃紺のスーツと黒の革靴を見事に着こなしていた。櫛を通しているようには見えない乱れた短めの黒髪が、男の怠惰な雰囲気とマッチして疲れた若手リーマンのように見せている。火のついていない煙草を咥え、僅かに倒した座席に足を組んで詰まらなさそうな表情で背中を預けている。


「そんな規則ないスけど」


「世の常識を考えてみろや。面接も履歴書の写真も、別にスーツ姿でとは書いてなくてもスーツじゃないってだけでハネられんだぞ? 裏方仕事だろうとスーツ着とけ。ジーンズにパーカーで行ってナメられんのも癪だろ。中身は変わりゃしねーってのによ」


「途中で愚痴に変わってんスけど。それじゃそのタバコもポーズっスか? クールっスか? クソうける」


「ぶっとばすぞ」


「分かったっス」


 タイミング良く信号が赤に変わり、間に合うようにとアクセルを踏み込まれた車が、急加速して交差点を抜けた。車内では加速により座席へと押し付けられる形になった男女。文句を言いたそうな男と、指示に従っただけだと澄ます女。


「……事故んなよ」


「死ぬ時は一緒っスね」


「おい」


 男は嫌そうな顔で横を見るも、女は運転に集中してて気付かず、気を散らさない為になのか会話が途切れる。


 数十分程走り、目的地に着いた様子の車が減速を続け、やがて止まる。


 そこは青いビニールシートが視線を遮るように立てられ、黄色いテープで立ち入りを禁止されている河川敷だった。周りをパトカーや警官が固めている。


 車を降りた男女がそこに近づく。当然のように気付いた警官が道を塞ぐ。男がタバコをポケットに直すと、代わりとばかりに黒い手帳が出てくる。男がそれを掲げて開く、女が同じように手帳を取り出して続く。


「連絡入ってますか? 捜査一課の由良川ゆらかわ 右京うきょうです」


「同じく瑪野めの りんです!」


「……確認しました。どうぞ」


 手帳を一瞥した警官が道を譲り敬礼すると、右京と名乗った男の方は目礼で通り過ぎ、凛と名乗った女の方は敬礼で返した。


 やや小走りになった凛が右京に追い付くと小声で話し掛ける。


「やっぱりスーツいらないっス」


「黙ってろ」


「センパイの対応に問題あるんスよ。そこんとこ教えて上げますから飲み奢って下さいよ。持ち帰りは無しで。カラオケでもいいっス」


「ふざけんな」


「えー、ふざけてないっス。ヒドいっス。傷付きました。賠償を要求するっス。でも優しいあたしは三ツ星のレストランからグレードを下げて駅前の飲み屋で許すっス」


「ふざけろ」


 ピリピリした空気の中を、軽快な会話を交わしながら歩く二人は浮いていた。しかし何故か咎めたてられることはなく、むしろ故意に無視されているような雰囲気だった。一度も話し掛けられることすらなく、青いビニールシートで隠された場所へと入っていく。


 ビニールシートの向こうでは、コートを着た警官の指示で制服の警官が草むらのあちらこちらを調べていた。


 指揮をしている警官は二人。スーツの上からコートを着ている二十代半ばぐらいの男性と、四十代ぐらいに見える男性。二十代半ばの警官が資料を読み上げ、四十代の警官がそれを聞いている。


 現場の指揮官に当たりを付けた右京と凛が、その二人へと近付いていく。その様子に気付いた四十代の警官の方が表情をしかめっ面へと変えた。


 しかし警官の心情など気にすることなく右京が声を上げる。


「どうもご苦労様です。この事件、一課の担当になったんで、受け継ぎます」


「……一課うちににお前みたいなのはいないんだが?」


「連絡、行ってますよね?」


「……クソがっ……!」


 四十代の警官が二十代の警官から資料を荒々しく取り上げると、叩きつけるように右京へと渡し、方々に散っている警官に撤収を指示していく。


 暫くして、ビニールシートの囲いの中から警官がいなくなったばかりか、十分に離れた頃合いを見計らってから、右京の背中から凛が顔を出す。


「こ~わっ! あたしああいうのダメっス。NGっス。パワハラっス。センパイ助けてっス。これがこの仕事の厳しさなんスね。なんかお腹空きません?」


「まだ何も仕事してねーだろ。くっちゃべってねえで仕事しろ」


「そうスね。センパイはまだ働いてないっス。車の運転してきたわたしとは比べもんにならないっス。ところでクッチャベルってなんスか? お腹減る?」


「……もういい。俺が周りを調べてくっから、お前は資料読んでろ」


「調べるところなんかないっスよ。濃すぎっス。邪気だらけっス。穢されたっス。お風呂入りたい。被害者喰われてたんで、どうせまた餓鬼っスよ。ちょっとレベル高めの。瘴気吸ってゴブリンからホブゴブリンにレベルアップしたんスよ。ありありっス。ビール飲みたい」


 ブツブツと喋りながらも、見えない何かを払うように、凛はパタパタと手を振った。


「資料にある男性な、格闘技経験者だってよ。顕在化したとしても追っ払うか逃げ切るかぐらいは出来るだろ。大体三十代の男女が、このクソ寒いのに河川敷で何してたんだよ」


「だからレベルアップしたんスよレベルアップ。何っていうかナニしてたんじゃないスか。セークス。そういう性癖なんスよ。パンツ下げてたんで逃げられなかったんスよ。あ、パンツってズボンのことっスよ? 勘違いしました? だとしたらこれセクハラじゃないスか。飲み屋から寿司屋にレベルアップを要求しまっス」


「……だから資料読めば、してたかしてなかったかぐらい分かるだろ。どっちにしろ顕在化してんなら、探して祓う必要があるだろうが」


「センパイおこりんぼっスね」


「お前な?」


 いい加減限界が来たのかギロリと睨みを利かせる右京に、凛は体を抱きしめて対抗する。


「なんスか襲う気ですか現場プレイっスか今日は下着があんま可愛くないんで勘弁して下さいと言うか意外と純なんで外とか嫌なんですけどでもどうしてもって言うんならもっと雰囲気とか気遣いとか欲しいのでホテルならスイートでプール付きを希望しまっス! …………ハッ、もしや仕事は口実でデートに誘ってます?」


「……頭痛え」


 溜め息を吐き出しながら右京はを打った。


 すると不思議なことが起こった。


 未だ血臭が残る生々しい現場の有り様が、柏手の音と共に変化した。その場に残る雰囲気が一掃されていく。まるで臭いすら薄れたように感じられる。


「うわ、すげーっスね。一発っスか。術具無しとか鬼すげーっス。やり方教えて下さい」


「……っかしーな? 頭痛のタネが消えねえ」


「いまバカにしました?」


 無言で草むらに分け入っていく右京に、凛が「ねえねえ」と話し掛けながら付いていく。


 一方、ビニールシートの外側では、撤収指示を出す四十代の警官に、眉根を寄せた二十代半ばの警官が話し掛けていた。


「いいんですか? 現場荒らされますよ。証拠もなくなるかもしれないし、明らかな『語り』ですけど」


「そうだな。なんせ一課から一課だ。記録には残らねえ」


「いえ、担当官の名前が……」


「残らねえよ」


 それは乗り込んできた二人組だけでなく、自分達の名前も残らないのだと気付いた二十代半ばの警官が顔を青くする。


「……こういうことってよくあるんですか?」


「滅多にないな。お前は運がいい。なんせこういうケースもあるって早々に知れたんだからな」


 返す言葉も無くなり、あとはビニールシートの回収を残すだけとなった作業。誰もが沈黙して中の二人を待つ。


 程なくして、二人が出てきた。


 しかし役目は終わったとばかりに声すら掛けず去っていく二人。中で何をしていたのか、この事件の扱いはどうなるのか、そういった説明が一切なく。


 直前まで担当していた警官が目の前に居るにも拘わらず、眼中にないといった様子で。

 

 エンジン音を立てながら去っていく車を見つめて、二十代半ばの警官が苦々しげにポツリと呟く。


「……警察って、自分が思ってたのと違いました」


「そうか。それに気付けたんなら天職だな」


 返答は納得のいかないものだったが、四十代の警官が右京に資料を叩き渡していたことを思い出して、二十代の警官は反論を飲み込んだ。


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