第5話
とりあえず実害はないとのことで放置して寝た。次の日も仕事だからだ。
術式に組み込まれているせいなのか、あの黒猫はいつでも呼び出しが可能だそうだ。その『呪い』とやらに呪われる条件というのも訊いてみたが、よく分かっていないらしい。代々女性に憑いてるもんな。
思っていたより面倒な事態ではなかった。こう、世界の裏で起こっている事件に巻き込まれるとか、平和を守る為に命を燃やして戦うとか、そういう危ない系じゃなかった。
まあ、ある意味悲しい話ではあったが。
纏めると、黒猫召喚を覚えたとかそんなんだ。使う機会は非常に残念ながら無さそうだが。
モテる云々も次の人に期待してほしい。なんでおじさんを呪ったのか謎だ。ただ現代日本でハーレムは無理だと思う。法改正が先か、執念が尽きるのが先か、なんにしろおじさんの代で終了はないな。
何度も言うがおじさんなのだ。終わっているのだ。
モテるとかモテないの前に対象じゃないのだ。
となると残るのは日常だ。
いつもの通り朝は五時起きで六時過ぎには車に乗って家を出る。始業は八時だが早く出ねば渋滞に捕まってしまうのだ。電車は電車で大変なのだろうが車は車の大変さがある。もう少ししたら寒さから車のフロントガラスが凍り始める。そしたら朝は氷を溶かすためのお湯を沸かす一手間も加わるという。時間ばかり掛かる朝の通勤。勤め先の工場に着いたら着替えて前仕事。仕事の前の仕事で、仕事じゃなく準備みたいなもの。トンチではない。社会の黒さだ。その後、タイムカードを八時前に通して、点呼、始業。ここでいない人がいたら電話をする。胃がキリキリ。電話に出てくれよう。派遣は要注意だ。平の作業員から脱したおじさんは、今日も書類の作成と工作機械が時間当たりの作成数を下回らないように異常の対処にあたる。
まあ、ほぼ毎日残業なのだが、他の作業者の土曜日を潰さない為に頑張っている。
稼働二時間毎にある十分の休憩中に、磨耗した刃具を交換する。最近『リーダー』に昇格した同じ干支の若い奴と一緒だ。
「じゃあ、俺がこっちの三つやりますね」
「分かった。んじゃ、残りの三つは俺がやるわ」
「ういー。あのデカイやつの刃具交換どうします?」
「え、夜勤やってないの?」
「交換後の刃具が研磨に出されてないんで、やってないですね。記入漏れかもと思って、研磨んところ行ったら、出されてないって言ってたんで間違いないッス」
「……マジかよあのチビメガネ。何度目だよ」
「折れたらライン止まりますしね。換えるしかないッスね。今日は俺が先に飯行きますよ、昨日と逆で」
「おう、了解。それにしても、昨日は砥石、今日は刃具、マジあいつ他の班に行かねえかなぁ?」
「それか一緒に他の班に移動しませんか?」
「はは、だな」
そんな珍しくない会話を交わしながらせっせと働く。毎日のルーティーン。平の作業員を脱したので運動量自体は落ちているものの、どこまでいっても仕事は仕事。残業を終える頃には心身ともにクタクタになっている。
夜の八時半を越えて夜勤がやってくる。受け継ぎを済ましてようやく今日の仕事が終わる。「あ、あの刃具交換やったんすね? 今日の帰りにやろうと思ってたのに」とか宣っているチビメガネは、昨日も同じことを言っていた。
タイムカードを通した後、ロッカーで着替えてから退社する。
いつも通りの一日。
警備の人に会釈して駐車場へ向かう。車の運転席に着くと、忘れていた疲れがドッと押し寄せてくる。
「……終わったぁ」
明日は土曜日でお休みだ。お休みというのはいつでも仕事に出れるようにして待機する日である。
それでも朝早く起きなくてもいい日だ。
惰眠最高。惰眠なんて言い方悪いよ変えるべきだよ。
「どうしよう、おつまみとか買っちゃおうかな」
自然と気持ちも楽になる。何か忘れている気がしないこともないが、歳を重ねる程に忘れるものも多くなるので問題無し。
忘れるということは、必要ないということで、忘れている内容は本人にとって大事なことではないとかかんとかテレビで言っていた。
つまり歳を重ねる度に大事なことというのは減っていくのだろう。悲しいね。さて焼き鳥でも買って帰ろう。
帰り道から少し外れるが、テイクアウト専門の焼き鳥屋へと進路を取る。ヨーソロー。
おっ、今空いてるじゃん、ラッキー。
金曜日の夜ともなれば、混みあっていて入れないこともザラな店だ。三つしか車が停めれない駐車場もあって、泣く泣く帰ることもしばしば。しかしこれが今夜はゼロ。
嬉しい。
「らっしゃいせー!」
車を駐めて、店内へ。店内は醤油ダレの焦げる良い匂いがする。思い出したように食欲が湧く。
カウンター脇のベンチに待ち客が一人。スウェット上下のパツキンねーちゃん。苦手なタイプ。
サラサラサラと注文表に二十本分のオーダーを書いて店員に渡す。
「っざいまーす! 少々お待ち下さい!」
店の外にもベンチがあるので外に出る。店内禁煙で外に灰皿が設置されているので変なことではない。煙草吸わないけど。
だってあの姉ちゃん、ベンチの真ん中に座っていたのだ。近よんなオーラ全開でスマホを弄っていたのだ。
気分良く帰りたいからさ、隣に座って舌打ちとかされた日には、っていうか絶対されるね。されるよ。自信ある。
焼き時間は大体十分。一本だろうが十本だろうが纏めて焼いてくれるので十分。
長く感じる十分。仕事の時の十分はあってないようなもんなのにな。
特にやることもないので景色を眺める。今宵は満月だ。
普段なら、なんとか流星群や皆既日食に興味を覚えるタイプじゃないのだが、手持ち無沙汰になっている時に眺めると綺麗だと感じてしまう流され系。
もしくはこれが歳を取るということなのか?
「なんか黄昏てね、ウケる」
「リストラおやじじゃね? 家族に言えない系」
「いや嫁とかいねえって、未だ童貞のオワコン」
「バカ、聞こえるぞ」
聞こえてますが?
ヒソヒソ話だというのに声量に遠慮のない制服男子が三人、近寄って来た。聞こえない振りで無視をしていたが、すれ違う時に何故か笑われてしまう。
ただ座っているだけなのに笑われるという、おじさんあるあるだ。箸が転がってもおかしい年頃だと言うから仕方あるまい。
なにそれイカれてる。
すれ違ったということは、当然ながら焼き鳥屋のお客さんだ。ベンチを占領しているパツキンがいるため外に出てくる可能性がある。嫌だなぁ。
チラリと店内を確認すると、パツキンと制服男子が共に笑いあっていた。
こちらを指差して。
どうやら知り合いのようですね。嫌だなぁ。
「あっしたー!」
店を出ていく制服男子とパツキンは、笑いをこらえながら肩を叩き合うというふざけぶり。
しかしこれでようやく居なくなってくれる、と気が緩んでしまったせいなのか、目を合わさないように外していた視線が四人組をなぞる。
すると目が合ってしまう。
制服男子の一人の肩に乗っかっている、肌が緑色の腹の出た赤ん坊みたいな何かと。
顔は醜悪で瞳は白目しかなく、口からはキバが生えている。
頭には小さい角が二本。
ポ○モンだろうか。
思わずガン見していると、それに気づいた他の男子がこちらをそれとなく指差してくる。
「なんか見てんだけど?」
「うわ、キモ」
「お前らがうるせえから。いいって、関わんな、いくぞ」
先程までであれば、一様に精神的ダメージを負ったであろう口擊も、今はBGM程度にしか聞こえない。
なんだそれ、飼ってんの?
最近の若者の流行りに、おじさん、付いていける気がしない。
そのまま四人組を見送り、焼き鳥が出来たとのお呼びが掛かったので精算。焼き鳥を持って車に乗り込みエンジンを掛ける。自宅アパートまで安全運転で走行し、部屋に着くと鍵を閉めて珍しくチェーンロックまで掛けるという。
何気に初めて使ったな、チェーンロック。
居間に入るとカーテンを隙間なく閉め、テーブルに焼き鳥を置いて唱えた。
「いでよ黒猫、そして疑問に答えたまへ!」
ヴンという低い音と共に紫色に光る魔法陣が現れる。
さてさて早く出ておいで。俺の目に何らかの仕掛けをしたであろう黒猫さん。
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