第8話 新しい住居

 食事を終えたマクシミリアンの元に若い看護師がやってきた。


「マクシミリアン君。ベイカー医師が呼んでいるわ。ついてきて」


 マクシミリアンはベッドから起き上がり、靴を履き看護師の元に近づこうとした。その瞬間、看護師は鬼のような形相になり「ストップ!」と声を荒げた。看護師のいきなりの豹変にマクシミリアンは驚き戸惑っている。


「適正な距離を保ちなさい。ソーシャルディスタンスは、感染を抑えるために必須なの。あなた、私に病原菌を移すつもり?」


 まるで、自分が汚いばい菌のような扱いを受けているようで、マクシミリアンは少し嫌な想いをした。看護師が言っていることは感染拡大を防ぐためには、理に適っていることではある。しかし、言い方がキツいせいで思春期の少年の心に傷を負わせてしまった。


 看護師に近づきすぎないようについていくマクシミリアン。ベイカー医師がいる診察室まで辿り着いたら、そそくさと看護師はその場から立ち去った。


 マクシミリアンはベイカー医師を見て息を飲んだ。昨夜、使い込まれたバールを持って現れたベイカー医師。単なる医者がそんなものを持って夜の病院を巡回するわけがない。彼女に対する不信感を持っているからこそ、それを悟られないようにマクシミリアンは平静を装った。


「マクシミリアン君。あなたの検査結果だけど……そこまで重症ではなかったわ」


 その言葉にマクシミリアンの顔が明るくなった。


「じゃ、じゃあ! 俺は家族のところに戻れるんですか?」


「落ち着いて。私は“そこまで”と言ったはず。入院するほど重篤ではないけれど、家族の元に返せるかどうかは話は別よ。あなたには殆ど症状が出ていないけれど、あなたから感染させられた人が重症化するリスクはある。だから、しばらくは感染を抑えるためにこの村に隔離させてもらうわ」


 一瞬与えられた希望は、すぐに打ち砕かれた。しかし、気になる語句がある。


「入院するほどではないとは……?」


「言葉の通りね。あなたは今日には退院してもらいます。住むところは心配しなくてもいいわ。あなたと同じように、ほぼほぼ無症状だけど他人に感染させるリスクがある人たちが集まっている宿舎がある。そこで彼らと共同生活をするといいわ」


 既に働いている年齢のマクシミリアンだが、それでも一人暮らしをするには、まだ若すぎる。今までずっと実家で育ってきた人間にとっては、共同生活の方が良い場合もある。特に現代と違い、家電という概念が存在しない家事が重労働の時代なら猶更だ。


「そうですか……わかりました」


「すぐに退院の手続きをするわ。医療費については心配しなくていいわ。この病気は国から貰っている補助金が莫大なの。だから、患者は無償で治療を受けられるの」


 社会福祉が充実していないこの時代……どころか、現代ですらほぼほぼあり得ない9ような厚遇。しかし、まだ若く世間を知らないマクシミリアンは、それを疑うことなく受けいれてしまった。ベイカー医師のことは信じていないけれど、治療費の心配をしなくても良い安心感が彼の心を緩めた。人は信じたいものを信じてしまう性質がある。特に金銭的に余裕がないマクシミリアンにとって、“これ”を信じた方が心が楽になるのだ。


「はい。わかりました。ありがとうございます」


 マクシミリアンはベイカー医師に礼を言い、そそくさとその場から立ち去った。この気味の悪い病院から早く抜け出せる。そう思うと心が弾んだ。昨夜の出来事は、きっと夢だ。初めて、親元を離れて入院することになった不安から幻覚を見たに違いない。マクシミリアンはそう解釈した。


 病院の受付にて。退院手続きを取ったマクシミリアンは、受付の事務員から村の地図と紹介状を渡された。その地図を元に、感染者向けの共同住宅を目指すことにした。



 1日ぶりの病院の外。田舎の空気は、すっかり澄んでいた。病院の空気は、どこか陰気で淀んでいた感じがしたので一気に解放感が溢れる。完全に緊張が緩んだマクシミリアンは、たまらずに欠伸あくびをしてしまった。病院が不気味なことを除けば、数日は滞在するのも悪くないかもしれないとマクシミリアンは思った。


 だが、その考えも一瞬で改めることになる。故郷に置いてきた母親と弟のことを想うと、一刻も早く戻りたい。彼らには生活をしていくだけの金銭的余裕がほとんどないのだ、仕事をしなくて済むのは、マクシミリアンの肉体的に楽なことではあるが、賃金が貰えないのは非常にまずいのである。


 故郷の家族のことを想うと、少しネガティブな気持ちになってしまった。足取りが少し思いが一歩一歩確実に共同住宅へと足を進ませる。


 遠目から見ても目立つ大きな建物、比較的、最近建てられた感じの建物が村の端っこの方にあった。家に近づくと、三つ編みの成人女性が洗濯板で洗濯をしている様子が見えた。女性はマクシミリアンに気づくと、洗濯の手を止めて立ち上がり、大きく息を吸い込んだ


「あなたはー! 村の子供なのー! ダメじゃない!! ここに来たら!!」


 女性は遠い位置から大声で、マクシミリアンに伝えた。この施設には子供がいない。だからこそ、この女性はマクシミリアンが、ここの住民になる存在ではなく迷い込んだ村の子供だと思ったのだ。


 マクシミリアンは構わず女性に近づき、病院で受け取った紹介状を女性に見せた。


「僕はマクシミリアンです。ここは、例の病気の感染者が集まる共同住宅であってますか?」


「え、ええ……あってるけど。あなたみたいな若い子が、ここに来るなんて珍しいね。ねえ、キミはいくつ?」


「14歳です」


「へー。若いね。30代の私でも最年少だったのに、いきなり10代の子が来るなんてびっくりしたよ」


「30代ですか? 全然見えないです」


 マクシミリアンは女性が30代と聞いて驚いた。彼女の見た目は20代前半辺りだと思っていたからだ。化粧もほとんどしてない状態で、この見た目の若々しさは異常である。自分の母親と同じ年代だとは思えない。


「ふふふ。いい子だね。若い子にそう言ってもらえると嬉しい」


 女性は手を頬に当てて喜んでいる。先程まで洗濯していたから手指は濡れていて、水滴が頬についても気にしている様子はない。


「私は手が濡れているからその紹介状は受け取れないけど……この家の裏手辺りに発電施設があるの。今なら、そこにスミスさんっていうお爺さんがいるから、彼に渡して。特徴的な頭頂部をしているから、見ればわかると思う」


「はい。わかりました。スミスさんですね。ありがとうございます」


 マクシミリアンは一礼をして、家の裏側へと向かった。家の裏手側からはケーブルが伸びていてそれを辿ると1つの小屋に辿り着いた。そこのトビラをノックしてみた。すると、中からツナギを来た老人が不機嫌そうに出てきた。老人の頭頂部は女性が言った通り、特徴的でミステリーサークルができていた。


「ん? なんだ坊主。この家に近づくなってママに言われなかったか?」


 その挑発的な物言いにマクシミリアンはムッと来た。流石にマクシミリアンも“ママ”がどうのこうの言われるほど幼い歳ではない。しかし、これから一緒に住むかもしれない相手とトラブルを起こしたくないからぐっと堪えた。


「ベイカー医師の紹介でここに来ました。僕も既に例の病気に感染しているので、近づいても問題はありません」


「ほーなるほど」


 老人は、マクシミリアンから紹介状を受け取り、それを読んだ。


「うん。確かにあの女の字だな。ってことは、今日からここに住むことになるのか。よろしくな坊主。俺はスミスだ」


「坊主はやめてください。僕にはマクシミリアンという名前があります。というか紹介状に書いてたはずですよね」


「んな長い名前覚えられるか。坊主で十分だろ」


 スミスの一言で乱暴に片付けられてしまった。

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