第7話 家族がいない朝

 マクシミリアンが目を覚ますと、そこは彼の自宅だった。自分のベッドの上で上半身を起こして周囲を見回す。視界に入ってくるのは弟のチャーリー。マクシミリアンは弟と共同の部屋を使用しているのだ。チャーリーは机に向かって、ノートに何かを書いている。教科書を開いていることから勉強をしているのだろうとマクシミリアンは思った。


「チャーリー! お前なんでここに!」


 マクシミリアンが声をかけても、チャーリーは一切振り向かないでもくもくとノートに何かを書いている。


「うるさいぞ。マクシミリアン」


 兄弟の部屋に、彼らの父親が入ってきた。父親は既に亡くなっているはずだが、どういうわけかそのことがマクシミリアンの頭から抜け落ちていた。


「父さん!」


「マクシミリアン。早く起きてさっさと仕事の支度をするんだな。お前が家族を養っていくんだろ?」


「え? 父さん? 俺は学校に行くんじゃ、仕事って?」


 その言葉を口にした途端、父親の顔の皮膚がドロドロに溶けて、目玉がボロっと崩れ落ちた。肉が完全に削げ落ちて、父親の骸骨が見えた。


「ひ、ひい……」


「マクシミリアン。俺は死んだんだ。知っているだろ?」


「知らない知らない! 父さんは死んでなんかいない。あれは嘘だ。そうだ。俺はずっと夢を見ていたんだ。目を覚ましたら、父さんが生きていて……俺は学校に行くんだ」


「兄さん……うるさいよ。勉強に集中できないだろ」


 チャーリーから発せられた声。マクシミリアンはチャーリーの方を見ると、丁度彼が振り返った。自分より年下だったはずの、チャーリーの顔は皺だらけの老人になっていて、マクシミリアンはその光景に絶句した。


「兄さん……必ず帰ってくるって言ってたのに……僕は何十年も待っていたのに」


 マクシミリアンは、ベッドから飛び起きて恐怖の叫び声をあげながら、部屋から飛び出した。なにかがおかしい。そう思って、家から出る。外に出た時にマクシミリアンは信じられないものを目にした。


 街並みが明らかに変わっている。道は舗装されていて、見たこともないデザインの自動車が大量に走っている。そのスピードは、マクシミリアンが知っている自動車よりも圧倒的に早くて、走行時の音も信じられないほどに静かだった。見ただけでわかる。自分が知っている自動車よりも遥かに性能が上だと。


 マクシミリアンの頭脳がついに理解することを拒んだ時に、彼は目が覚めた。彼の視界に最初に入ってきたのは真っ白な天井。その普段見慣れていない天井を見た時に彼は全てを思い出した。現実を認識した。自分は、伝染病に感染したせいで田舎の村の病院に押し込まれたんだと。


 夢は夢で絶望的であったが、現実も決して良いものとは言えない。父親が死んでいることは事実だし、母親と弟と引き離されたのは事実だ。マクシミリアンは、重い体を動かしながら、ベッドから出た。そして、カーテンを開けて外の景色を見る。


 のどかな田舎の村という感じで、道を普通に村人が歩いている。畑を耕している村人もいれば、井戸から水を汲んでいる者もいる。みんな、それぞれに生活があるのだ。彼らが元々ここの住民だったか、それとも病気で外から連れてこられた人かは、マクシミリアンにはわからない。けれど、マクシミリアンは彼らの日常の生活を見て、早く自分の日常の生活に戻りたいと思った。


 病室の扉がそっと開かれた。病院食を配膳しにきた若い看護師が中に入ってくる。


「マクシミリアン君。おはよう」


「え、ああ。おはようございます」


 マクシミリアンは昨夜の出来事から、この病院の関係者に猜疑心さいぎしんを抱いている。明らかに異常な黄疸ができている人間。バールを持って夜中に出歩いているハンナ・ベイカー医師。ベイカー医師は明らかに怪しいとしても、この看護師がこの病院のことについてどれだけ知っているのかはマクシミリアンにはわからなかった。彼女は何も知らされないまま働いているのか、それとも全てを知った上でベイカー医師に協力をしているのか。もし、後者だった場合、マクシミリアンの昨夜の行動がバレたら、何をされるのかわかったものじゃない。


「病院食、ここに置いておくからちゃんと食べてね。栄養を早くつけなきゃ治るものも治らないから」


 看護師はマクシミリアンに微笑みかける。その笑顔からは邪気が一切感じられなかった。しかし、マクシミリアンはそれだけで彼女のことを信用できるとは思わなかった。


「マクシミリアン君……やっぱり辛いよね」


「え?」


「家族と離れてこの施設に連れてこられたんでしょ? 私もいい年した大人だけれど、この病院に配属が決まった時家族と離れることになって辛かった。こんな交通の便が悪いところじゃ、中々故郷にも帰れないし……」


 看護師の身の上話を受けて、マクシミリアンは彼女に少し共感してしまった。成人している彼女でさえ、ホームシックを患っている。そう思うと、自分が感じているこの寂しさをこの場でぶちまけてもいいのではないかと思ってしまった。


 でも、やはり昨夜の出来事がマクシミリアンの脳裏に焼き付いている。たった1日しか病院に泊まっていないマクシミリアンですら、この病院の異常性に気づいているのだ。この病院で働いている看護師が、この病院の異常性に気づかないはずがない。やはり、マクシミリアンの疑念は晴れることはなかった。


「私、弟がいるんだ。丁度、マクシミリアン君と同じ年頃かな。生まれつき体が弱くて……あ、でも伝染病にはかかってないんだ。別の病気。その病気の治療代を稼ぐためにも、私はこの病院で働かなきゃいけない」


 目を見開き、ぶるぶると震える看護師。その様子を見ていたマクシミリアンは察知した。この看護師はこの病院の異常性に気づいている。この明らかな動揺は、この病院やその関係者に恐怖をしているのだろう。逃げ出したいけれど、弟の治療費のために逃げ出すわけにはいかない。そうしたジレンマが彼女にはあるのだ。


「ごめんね。マクシミリアン君……」


 看護師は、ずっと口を閉ざしているマクシミリアンの様子を見て、バツが悪そうに病室を出て行った。彼女からしたら、弟と同じ年頃の少年と仲良くしたいという想いはあった。しかし、当のマクシミリアンが心を閉ざしていて、会話を拒んでいると察してしまったのだ。


 去り際の看護師の悲しそうな顔を見たマクシミリアン。看護師に悪いことをしたかもしれないと自責の念にかられる。もう少し適当に話を合わせてあげるべきだったかもしれないだとか、あの看護師もこの病院の異常性を知って不安な気持ちになっているのかもしれないと言った想いがこみあげてきたのだ。


「……とりあえず食べるか」


 マクシミリアンは病院食を口にした。正直、この病院のことは一切信用できない。この食べ物にも変なものが盛られているのかもしれない。けれど、成長期のマクシミリアンにとって、食事を抜くという発想はできなかった。空腹には耐えられずに、病院食を完食。味は決して美味しくないが、何も食べないよりはマシだった。


「あのヒルダって子……ずっとこんな病院食を食べているのかな」


 マクシミリアンが気になっていたのは、昨夜出会ったヒルダ・ベイカーという年老いた少女。一見矛盾している表現ではあるが、母親のハンナ・ベイカーがヒルダを娘だと言っているのだ。ハンナはヒルダを完全に少女として扱っている。その奇妙な事実は確かにあるのだ。


 それは、ヒルダの発言「ずっとこの病院にいる」に関係しているのではないかとマクシミリアンは頭を捻られた。しかし、教育課程を修了していない子供のマクシミリアンにわかるはずがなかった。

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