第5話 ヒルダ・ベイカー
病院は消灯時間となり、マクシミリアンはベッドに寝そべっていた。しかし、全く寝付けない。この村に来るまでの長旅による疲労感があるにも関わらず、脳が眠ることを拒否しているような感覚だ。
これまで、マクシミリアンは家族と一緒に過ごして来た。学校の行事や友人宅へのお泊り会など、家族の元を離れて寝泊まりすることはあった。そうした時は問題なく眠れたのだが、今回は状況が違う。今までは、また家族と会えることが確定していたため、安心して眠ることができた。しかし、今は次にいつ家族と会えるかがわからない。そうした孤独感の中、一種のホームシックに陥ったマクシミリアン。彼は、何度も寝返りを打ち、その度にベッドを軋ませた。
だが、体の疲労感はたまっていたので、精神的に寝付けなかったはずのマクシミリアンは段々と眠りの世界へと
その音で再び脳が覚醒状態になるマクシミリアン。彼の精神状態はとても不安定な状態で、少しの刺激やストレスでも睡眠を妨げる要素になる。マクシミリアンの心情的にこの音を無視できなかった。
一定の周期で引っ掻く音は聞こえている。壁に耳を当てて、隣の部屋の音に耳を澄ませると何者かのうめき声が聞こえる。
こんな音が聞こえていては、マクシミリアンは寝付けない。恐らく、隣の入院患者に先程のようなボケた老人がいるのだろうとマクシミリアンは思い、ベル式のナースコールを引っ張った。
ナースが来るまで待つことにしたマクシミリアンだが、体感時間で10分ほど経過してもナースが来る気配はなかった。流石に苛立ちが積もってきたマクシミリアンは自分でなんとかしようと、ベッドから起きて月明りを頼りに病室を調べた。ベッド近くにあった棚に非常用の懐中電灯を発見したマクシミリアン。
懐中電灯の中に電池が入ってるのを確認すると、点灯させてみた。電源は問題なく付く。色々な方向を試しに照らしてみると灯りがふっと消えた。この懐中電灯は、現代の懐中電灯とは異なり、常時ライトを点けておくことはできない。一定の周期でライトが途切れ途切れになるいわゆる“フラッシュライト”と呼ばれるタイプのものだ。
マクシミリアンはか細い灯りを元に自室から出た。廊下を懐中電灯で照らす。夜の病院は不気味なほどに静まり返っており、だからこそ隣の病室からの引っ掻き音が際立つ。足音を立てないように慎重に廊下を進むマクシミリアン。隣の部屋の前に行くと、彼の心臓の鼓動が激しく脈打った。
息を飲み、ナメクジのようにゆっくりと病室のドアの取っ手に手をかける。音を立てずに扉を開こうと力を入れるも、ガチャっと音が鳴るだけで扉は開かなかった。マクシミリアンは予想外の事態に一瞬焦ったが、どうやらカギがかかっているらしいと察したのですぐに落ち着きを取り戻した。
カギがかかっているので、これ以上の詮索はできない。マクシミリアンは病室に戻ろうとすると、目の前の病室から急に激しい物音が聞こえた。廊下にまで響く足音が聞こえて、それが近づいてくる。しかも、その足音は1つではない。2つ……3つ……この病室には得体のしれないなにかが複数閉じ込められている。
その事実に気づいた時、マクシミリアンは腰を抜かして後方に思いきり尻もちをついた。その衝撃で、懐中電灯を落としてしまい、マクシミリアンの焦りは更に加速する。運が悪いことに、丁度“フラッシュライト”の灯りが消えた瞬間に手元から離れた。灯りを失った懐中電灯は暗闇の中に消えた。
懐中電灯を落とした方に這いずるように向かうマクシミリアン。その方向は、マクシミリアンの病室とは反対方向である。手探りで懐中電灯を拾おうとする。懐中電灯は無視して、さっさと病室に戻るという考えは微塵も浮かばなかった。この暗闇の中で灯りを失ったことで最適な考えが出来なくなっているのだ。
病室の扉を内側からドンドンと叩く音が聞こえた。それと同時に、気味の悪い唸り声が聞こえる。マクシミリアンの手探りの手が早くなる。早く懐中電灯を拾ってこの場から離れたい。その一心で手を動かす……あった。マクシミリアンは懐中電灯を拾い上げて、それを病室へと向けた。
ガチャリと開錠する音が聞こえた。内側から病室の鍵が開けられたのだ。そして、病室の扉がゆっくりと開く。そのタイミングとほぼ同じ時、懐中電灯の灯りが点いた。
光に照らされる薄気味悪い黄色い肌の人間。その目には生気が宿っていなくて、口がだらしなく開いていて涎が垂れている。マクシミリアンは思わず声をあげそうになったが、必死でこらえた。
このままでは、あいつらに捕まって殺される。そう思ったマクシミリアンは、位置的に自分の病室に戻れなかったので、すぐに1番近い病室へと逃げ込んだ。すぐに病室のドアを閉めて、内側から施錠した。これで奴らが入ってこないだろう。そう思って、ほっと胸を撫でおろした。
だが、安心したのも束の間。今度は病室の内部から、ガサゴソと衣擦れの音が聞こえた。マクシミリアンは思わず構えた。そして、懐中電灯の光を音のする方に向けた。
「きゃ、眩しい」
女性の声が聞こえた。声の感じはまだ若いから、マクシミリアンは自分と同い年くらいかと思った。だが、光に照らされたその姿を見て、マクシミリアンは驚いた。その容姿は、少女というにはあまりにも皺だらけで、痩せこけていた。昨年亡くなった自分の祖母を
マクシミリアンは理解した。彼女はこの病院に入院している患者だ。その患者の部屋に無断で入ってしまった自分が明らかに悪い状況だ。
「あ、えっと……ごめんなさい。俺は怪しいものじゃないです」
怪しいやつの常套句を思わず言ってしまう。だが、女性は恐怖というより驚いた顔をしている。
「え……あ、あなたは……? 何者……?」
「マクシミリアン。今日は検査入院のためにこの病院に泊まることになったんだ」
「マクシミリアン……? あなたのような人初めて見た」
マクシミリアンは女性の言葉に疑問を覚えた。自分は特に奇抜な容姿をしていないし、不可解な発言もしていない。唯一、おかしい点をあげるとするならば、夜中にいきなり病室に入り込んでカギをかけたことくらいである。なのに、初めて見たとはどういう意味だろうか。
「俺……そんなに珍しい恰好しているかな?」
「ええ。暗くて良く見えないけど、あなたの顔に皺が1本もない。ママより皺がない人は初めて見た」
「なんだよそれ……」
明らかな老婆のママ。それはもう、きっと皺だらけなんだろうとマクシミリアンは思った。そんな人と比較して若いマクシミリアンに皺がないのは当然である。
「えっと……あなたの名前をまだ伺ってませんでしたね。よければ教えてくれませんか?」
「私はヒルダ・ベイカー」
ベイカー。聞き覚えのある名字だ。この病院の医者の名前が、ハンナ・ベイカーだった。偶然、名字が一致しただけか。それとも、もしかしたらハンナの血族かと推測するマクシミリアン。
「ヒルダさんはいつから、ここに入院しているんですか?」
「わからない……私は生まれたからずっとここにいた」
「生まれたからずっと!?」
見た目が明らかな老婆であるヒルダ。その彼女が生まれてからここにいたということは、半世紀以上ここにいるということになる。しかし、マクシミリアンはそんなはずがないと思った。
赤ちゃんが老人になるまでの年月が経てば、建物は確実に老朽化する。ところが、この病院の外装も内装も全く古さを感じさせなかった。マクシミリアンは建築に明るい方ではないから詳しい分析はできないが、見た目的には築20年も経ってないように感じられた。
さっきのゾンビのような存在に、このヒルダという人物。この病院は何かがおかしい。マクシミリアンの不安材料がまた1つ増えた。
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