第5話 タックル

柔道部の一年、かつゴリラクルーの一員であり、クラスメイトの石山泰くんとの昼休みの勝負は、早い時間に僕の勝利という形で終了した。

「俺のことはヤスって呼んでよ」朗らかに石山泰、ヤスは柔道場から教室への帰途の間笑って言った。柔道をやっている人間を柔道技で倒したことで、彼のプライドを傷付けて因縁が発生するかなと思っていたけども、それは杞憂だったようだ。少なくとも見かけ上は。

彼は柔道場から戻る間ずっと喋り、僕に質問を浴びせてきた。根底にある彼の疑問は「内股以外の技を仕掛けていたら、どうしていたのか?」というものだ。

正直に言って、腕力や体格差がものをいう技、大外刈りなどの足技を仕掛けられて、寝技に持ち込まれていたらどうなっていたかは分からない。

柔道のルールでは禁止されている技術、実戦的な技術を使って寝技を回避していたかもしれない。

そう、答えるとヤスは「じゃあ俺は1番の得意技を使って、完膚なきまでに一番ダメージの少ないやり方で負けてたんだな!」と、ガハハと豪快に笑っていた。

勝負というのは複雑な因子の絡み合いだ。お互いの体格差、習得した技術の種類、当日の精神状態、環境、服装、太陽や照明の位置。目に見えるもの、見えないものの全てが勝敗につながる因子になっている。

それらの因子を極力排したものが、スポーツとしての格闘技だ。体重制限、画一化された舞台、一方的に有利にならないルール、怪我をしない技術体系。

ヤスはそういった世界の人間で、実際に中学時代は地方大会で優勝、県大会でも何勝か挙げている実績の持ち主。スポーツとしての勝ち負けを多く経験しているからこそ、僕に負けてもあっさりと負けを認めたのかもしれない。

僕やりっちゃんは、竹宮流という古武術の一族の子供に生まれ、幼いことから素手での格闘術、各種武器を用いた戦闘術の稽古を行い、相手を打ち負かす技術を習得してきた。

負けは死ぬことと同義、僕やりっちゃんが子供とは言え僕たちの負けは一族と一門の負け、とも教えられてきた。とても、負けを受け入れることなど想像も出来ない。

そういうマインドの元でりっちゃんはケンカというか、誰との勝負にも無敗であり続けている。僕もデビュー戦になるのか、ヤスとの戦いは勝つことが出来た。

ここでもし負けていたら。僕はどういう気持ちになっていて、師範である叔父、家族、同門の方、そしてりっちゃんからどう思われていたのだろう。想像もつかない想像に形容し難い寒気と不安に身を包まれた。

ヤスとの戦いを嚆矢にこれから、いくつも戦いを経験するのだろうなぁと思った途端だった。

僕たちの教室まであと10数歩という廊下の途中、手足が太くゴツゴツとした印象の男子生徒が立ちはだかっていた。

「ヤス、お前そいつに負けたのか」ゴツゴツとした生徒は僕の隣に立つヤスに向かって吐き捨てるように言った。「負けて、舎弟にでもなっちまったのか」

「舎弟じゃねぇよ。負けたが俺に敵う相手じゃなかった。普通にダチになったんだ」

ゴツゴツとした生徒をジッと観察する。身長は175センチくらい、体重は80kg台後半か90kg台か。短く刈り込んだ髪、太い腕、太い太腿、分厚い胸板。潰れた右耳。確実にゴリラクルーの一員。

「おい竹宮、俺はラグビー部の毛利だ」毛利と名乗った彼は視線をヤスから僕に向けてーータックルを仕掛けてきた。

タックルというのは相手に体当たりして押し倒す技術の総称で、決まった体の動きがあるわけではない。タックルを用いる格闘技やスポーツでは、フリースタイルレスリングやラグビー、アメリカンフットボールが代表的。他のスポーツでのタックルは”体をぶつける”程度の意味を持つ。

フリースタイルレスリングはイギリスの組技格闘技”キャッチ・アズ・キャン・キャッチ”をベースにルールと技術を整備したレスリングの一つで、下半身への攻撃ー足へのタックルや足を掴んで技を仕掛けるーが許容されており、その中でも相手を倒す技術としてタックルが重要視されている。

レスリングにはもう一つグレコローマンレスリングがあり、こちらのスタイルは下半身への攻撃が禁止されていて組み付いてから投げ技で相手を倒す技術体系が出来上がっている。

ラグビーのタックルはディフェンスの主たるプレーで、ボールを持ったプレイヤーに対してディフェンスが唯一許されるコンタクトプレーが”タックル”だ。ボールを持っていないプレイヤー同士が故意に接触したら反則となる。

ボールを持って前進する選手を倒すための技術として、フリースタイルレスリングのタックル技術が同国発祥のスポーツであるラグビーにも参考にされたとかなんとか、って道場の門下生で警備員の曽根村さんが教えてくれた。

毛利のタックルの衝撃は生半可じゃなく、彼の右肩が僕の肋骨から骨盤までの間に突き刺さるようにぶつかってきた。

先の曽根村さんはラグビー部出身で、タックルをされた時の対処法も教えてくれた。曰く「素直に倒される」だそうだ。確かにこの衝撃と体格差があっては踏ん張って耐えることは不可能に近い。

そもそもは、タックルを切る(躱す、避ける)ことが出来ていれば良かったが、考え事をしていたため回避する準備と反応が出来なかった。実際、毛利のタックルは速く・鋭い。

衝突の衝撃から、自分の体が一瞬宙に浮き、地面に叩きつけられる衝撃が背中を襲った。

最悪な展開は馬乗りにされること。それだけは避けないと、と反射的に考えて取った行動は、毛利の右耳を左手で掴み、拳で彼の頭を押し退けるように押す。密着した毛利が汗臭い。

耳を引きちぎるくらいの力を込める。毛利の右耳は潰れて変形しているが、耳を掴まれることは耐え難い痛み、抗い難い痛みや感覚があるらしい。

毛利は僕の体に覆いかぶさるような体勢だったが、耳を掴んで頭を押し退ける動きで一瞬できた隙に毛利の体の下から素早く体を引き抜く。左手で耳を掴んだまま、毛利は四つん這いの状態、僕は低い前傾姿勢になったまま、右膝を毛利の頬に打ち込む。一瞬怯んだ隙に両手で彼の後頭部を掴み、鼻面へもう一発膝蹴りを打ち込む。

ステップバックし、距離を取る。次にまたタックルを仕掛けてきても反応出来る距離。

毛利の鼻から大量の鼻血が流れる。垂れた鼻血が床に血痕を残す。

意識していなかったが、周囲には同じ一年生の人間が何人も。

毛利は四つん這いから立ち上がり、キョトンとした顔をしながら「竹宮・・・めちゃくちゃつええな」と、彼もまた朗らかに敗北宣言をした。

「だろ。俺はもうちょっと痛くねえ負け方だったけどな」とヤスが僕の隣で笑った。

「完敗だよ。あのタックルから抜けて、膝蹴りもらうとはなー」

「あと少しでも抜けるの遅かったら、マウント取られて負けてたよ。耳、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。タックルかマウント取って何発か殴るってのが必勝パターンだったんだけどな」


その後、周囲に居たどの生徒かが先生を呼んだようで、一帯はすわ暴行の現場か!と騒然となった。

名前も知らない先生が駆けつけると、大柄で厳つい生徒が平然と鼻から流血しながら立っており、それより小柄な生徒が立っており、また大柄な生徒が憮然と立っている。

誰が加害者で被害者なのか当事者なのか分かり難いが、加害者は僕、被害者は毛利。

「お前ら!何があったか説明しろ!」この状況に混乱したのか先生は大声で詰問する。素直に、タックルされたから耳掴んで逃げて膝蹴りかましました、って説明が通るか?通らねぇ。

そんなんできるか!再現しろ!となったら、鼻血流れてる毛利とまた密着するのか。制服に血が付くの嫌だな。ヤスはヤスでタックル上手くなさそうだし、変に再現出来なさそう。ここは3人で打ち合わせせずに口裏合わせるか、口聞いたの今日が初めてなんだけどな。

「すんません、僕が竹宮にラグビーごっこでタックルしたら体勢崩しちゃって、変な体勢になって膝が僕の鼻にぶつかっちゃいました」毛利が憮然というか面倒臭そうな態度で先生にしゃあしゃあと適当なことを言っていた。

「・・・・・・」ほら、先生も開いた口塞がらないってよ。でも、どう見ても見た目からは僕被害者、毛利とヤスが加害者なんだよな。僕がどっちにも勝ってんだけど。

「事故ですんで、廊下で遊んですんません。それよか先生、鼻血止めたいからティッシュください。持ってませんか?」

「あ、ああ」先生も気圧されたのか、呆れ返ったのか毛利にポケットティッシュを袋ごと手渡した。「お、お前ら、廊下であんまりはしゃいで遊ぶなよ」

「「うーっす」」毛利とヤスが野太いいかにも体育会系という返事をして、先生は去っていった。

「ごめんな、僕を悪者にしないでくれて」僕のこの言葉も微妙に的外れな感じだけども、毛利には感謝と謝罪でいっぱいの気持ちだ。

「いいよ、俺だって『先生、こいつにやられました』なんてカッコ悪いこと言えねえよ」と毛利は笑って言った。鼻をティッシュで押さえているのでくぐもった声だけども、明るい声だ。

「なぁ、竹宮。いきなり突っかかって悪かった」

「いいよ。そっちも友達が負けたら気分悪くて、カッとなるだろうし。僕の、従妹の件もあるし」今日の2件の喧嘩の発端は、おそらく僕の従妹のりっちゃんに直接的かつ間接的に原因がある。

「竹宮がこんなに強えなら、あっちの竹宮はもっと強えのか?」ヤスがトーンを低くして訊いた。


「ああ。りっちゃんは僕よりもっと強いよ」

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