第3話 いじめられている先輩。
中庭に至る廊下の途中であっけらかんとコウは僕から拒絶の答えを引き出させた。
好きという気持ちを伝える行為自身が僕とコウの関係に、何らかの影響を与えることは必至であると思えるが、それでも表面的にも本質的にも僕とコウの関係は良好な状態に戻っている。
僕とコウはタカ派とハト派といった具合正反対に位置する人間で、表面的には争い事を避けるが本質的なところでは争いを肯定/否定している。
もとい、争いごとの解決方法を僕は暴力で、コウは争いが起きる前に話し合いで解決しようとする。
持って生まれた価値観か、環境から与えたれた価値観か。僕はコウの穏やかさを羨ましく思い、コウは僕の力を羨ましく思う。僕はさらにりっちゃんの力と技を羨ましく思う。
りっちゃん、僕の従姉。竹宮利佳子。
古武術竹宮流のエッセンスを爪先から脳天まで充たした戦闘マシン、は言い過ぎか。16歳ながらに実戦経験豊富、負け無しの喧嘩好き少女。
戦国時代さながらの荒武者女子りっちゃんは、コウという男子をどう評価するのだろうか。
「なかなかひどい映画だったよ。主演の女優さんは演技上手いけど、ストーリーとか演出とか展開とかその場繋ぎとか、雰囲気で作ったんじゃないかってくらい」コウは昨夜観たという映画について語っていた。
何でも樹海とネット怪談を盛り込んだ意欲作らしいが、コウの評価はとても辛口だ。「もしかして最後の方に呪いのアイテムの説明があるのかもと思って、観たけど結局説明無くてさ、時間無駄にしちゃった」アヒル口というのか、唇を尖らせて不満げな気持ちをアピールする男子。
「まぁホラー映画って完璧な作りのものは少ないんじゃないのか?」なんとなくでしかホラー映画を観ていないので、なんとも言えないが。
「観た人に考察を委ねるって、設定の自由度が高いとも言えるけど。僕は映画の設定を重視した作品の方が好きだな〜」コウは僕の言うことをほとんど無視して、自分の言いたいことを言っている。余程腹に据えかねる内容だったのだろうか。その後もぶつぶつと感想なのか文句なのか分からないことを呟いているコウと、それを聞き流している僕。中庭で弁当を食べ終わり、50分の昼休みも残り20分ほどかーと思いながら目線を上げると、自クラスではない男子生徒が3人ほどのガラの悪い生徒に小突かれながら歩いていた。
僕らの通う学校はデジタル表示された数字の9の形に似ていて、9の丸部分が中庭にあたる。この中庭は学年問わず昼食の場として開放されており、中央に噴水があり、その周りに花壇やいくつものベンチやカフェテラスのようなテーブルが並んでいる。
その小突かれながら歩いてきた生徒は抵抗もせず、遠目に諦めと怯えの表情が見て取れる。
おそらくはイジメの現場だ。何かしらの辱めを行おうというのだろうか。
下卑た嘲笑と囃し立てる声が聞こえる。服を脱げ、ズボンを脱げとかそういう内容。
「あの人たち、2年生だよ。前に人気の少ない廊下で一方的に殴られてるの見たことある」コウが悲しげに言う。
「知ってるのか?」
「名前は知らないけど。なんかエスカレートしてるみたい」
ここまで聞いて、何もしないわけにはいかない。叔父からの教えで、僕もその通りだと思っている言葉がある。『負けていたり、劣勢の方を助けなさい。そうすればキツい戦いを経験出来る。負け戦を勝ち戦にひっくり返す事が強い者の役目だ』
弱気を助け強きを挫くのは、そっちの方がやりごたえのある戦いだから、という好戦的な考え。
僕はコウに何も言わず弁当を置き彼らの元までの約10mを足早に近づいたのだが、僕よりも先に闖入者が居た。りっちゃんだった。
争いに関して異様な嗅覚が働くのか、りっちゃんはイジメの現場をどこかから見て「すわ喧嘩が出来る一大事」とやって来たのだろう。
「ぱっと見センパイがこの人殴るみたいですけど、私も参加させてくださいよー」ヘラヘラした口調でりっちゃんは言っていた。急に一年生の女子がイジメに参加したいと言ってきたら不審がるだろうに。
1人は真面目そうな顔、2人は性悪そうな平べったい顔をしている。どれも体格は細く、スポーツ経験や格闘技経験は無さそうである。
「私、人殴ってみたくてー」物騒な言葉とは裏腹にニッコリとした可愛い笑顔。イジメられている先輩は怯えながらも理解が追いつかなそうな顔をしている。
「へぇ、可愛い顔してそんなことに興味あるんだ」真面目そうな顔の1人がニヤリと顔を歪めた。おそらく、りっちゃんを性的な対象として良からぬことへと連想したのだろう。
「いいぜ、女に殴られるところ見るのも面白そうだし」
「わぁっ!ありがとうございます」りっちゃんはさらに弾ける笑顔を見せた。「それじゃあ」と言って、りっちゃんは真っ直ぐ踏み込み、攻撃が始まった。
ちなみにりっちゃんと先輩方の立ち位置は、中庭の北側の一角、校舎の壁が造る角の一つで特殊教室が並んでいるため教員や生徒の人通りは少ない。
その角の奥にイジメ被害者となる先輩、人の壁となるようにイジメ加害者たちの先輩が立っている。
彼ら一群の後ろに立つ僕の存在は彼らに認識されているだろうか。
りっちゃんはまず一番近い場所に立っていた平べったい顔の先輩Aの顎に左の掌底を斜め下から打ち込む。
平べったい顔の先輩Bと真面目そうな顔の先輩は目の前で意識を失った平べったい先輩Aの顔を見て、現状理解に努めている。
顎を打ち込まれておそらく脳震盪を起こして体勢が崩れ落ちる平べったい顔の先輩Aの鼻面へ真っ直ぐ掌底を打ち込む。空手の中段突きと同じ軌道の掌底。
りっちゃんの体重は軽いが、全身の筋肉はしなやかで金属製のバネのようである。動きの起こりが見えないほどに、初動が速い。
平べったい顔の先輩Aの鼻が潰され、より顔の立体感が損なわれてしまったが、りっちゃんは先輩Aのすぐ右に立っていた平べったい顔の先輩Bの脇腹へ左の肘をめり込ませていた。
肝臓へのダメージを目的とした打ち込み方。そして、右の掌底を平べったい顔の先輩Bの顎へ、真下から打ち上げる。
平べったい顔の先輩2人が倒れ込む様子を見届けながら、りっちゃんは空手の残心の形を取る。左足を引き、左手を拳にし左脇の下へ、右手は正拳下段払いの形。惚れ惚れするほど美しい所作。
まさに一瞬の早業。一呼吸の間に2人を打ち倒した。
「さ、次は先輩ですよっ」残心も一瞬で解き、りっちゃんはニッコリと笑った。
真面目そうな顔の先輩は一瞬で起きた事態の把握と、目の前の女子の強さを理解したらしく、戦う覚悟を決めた顔をした。
ボクシングの構えのような両拳を顎の前に上げる構え、左手と左足が前に出ている。
その構えを見て僕とりっちゃんは察する。この男は弱いものいじめしか出来ない、実力の持ち主だと。
先輩は抱きつくような形でりっちゃんへと飛びついた。いや、飛び付こうとした。りっちゃんは既に先輩が飛びかかる分だけステップバックしている。
行くあての無い先輩の体は空中を彷徨い、側から見るに無様な形で左足を大きく踏み出して踏ん張った。重心が前に、下に、移動していることが容易に見て取れる。
その先輩の左頬をりっちゃんは手のひらで引っ叩いた。女の子らしい攻撃とも言えるビンタだ。皮膚へのダメージは攻撃側の体格や力に関係なく、相手へ痛みを与えることができる。
殴るとは違う種類の痛みで戦意を喪失させやすいが、振りかぶる形の攻撃になるため動作が大きく、当てにくいのが難点か。
りっちゃんは相手の攻撃を躱し、女の子っぽいビンタで反撃し、さらに無言でうすら笑いを浮かべて怒りを誘っている。
先輩は体勢を直し、右の回し蹴りのような蹴りを放つ。プロレスのミドルキックのような足での攻撃。汚い蹴りだなぁという印象。
りっちゃんは左足を上げて左膝と左肘で自分の胴部にやってくる蹴り足を受ける。受けに使った左足をそのまま踏み込み、右の正拳逆突きと左の正拳順突きの2連打を胸部へ。
打ち抜けているから衝撃は背中へと伝わっているはず。
りっちゃんの制服のスカートがふわりと舞った。腰の入った突きを打った証拠。
先程の突きといい、スカートのふわり具合といい、ため息が出るほどの美しさ。今日のりっちゃんは正統派空手スタイルなのか。
先輩は胸を押さえて悶絶している。呼吸の感じから肋骨は折れていないだろう。
「今日は美しい空手だったでしょ?」りっちゃんは後ろを振り向き、僕へ可愛い笑みを投げかけた。僕は頷きを返す。
「手は大丈夫?肋骨の上から殴ったでしょ、さっきの人胸薄いから拳頭に骨当たったんじゃない?」拳頭はその名の通り拳を作った時の指の付け根の部分、第三関節というんだったか。空手ではこの拳頭を鍛えて拳ダコを作り上げる。
りっちゃんは女子らしい手にするために拳を鍛える鍛錬はいていなかったと思う。殴るときは掌底を多用するのも、それが理由だったと思う。
「大丈夫よ。少しは拳鍛えてるし、何よりさっきの突き綺麗に打ち抜けたから、拳にはそんなにダメージなかったもん」
本人が大丈夫というなら大丈夫なのだろう。僕が心配することでもない。
さて、事後処理。
「先輩大丈夫でしたか?」奥でうずくまるいじめられていた先輩にりっちゃんは声をかける。
「あ、ああ。君強いんだね。。」
「ありがとうございます」りっちゃんは弾んだ声で答える。その声、普通は君可愛いねって褒められたときの声やろ。「先輩は3人相手にやられちゃってましたね。多人数相手するのはしんどいから、一対一の状況にしたほうがいいですよ」りっちゃんはケロリとした声でまた的外れなことを言う。
「い、いや喧嘩じゃなくて、あいつらは僕を一方的に殴ってくるんだ」しょげた声で先輩は言う。
「そうなんですか。まぁ、この人らにまた殴られるようなことあったら、いつでも呼んで下さい。私は一年四組の竹宮です」
「僕は、吉本だ。なるべく頼らないようにするよ」
「いいんですよ、いつでも頼ってください」りっちゃんは実戦のためなら優しい顔をして笑う。
僕はなんだか出るタイミングを逸した上に、ここで吉本先輩に名乗ったところでお呼びではない感じが強すぎるので、何も言わずに去ることにした。
中庭のベンチに戻ると、コウがびっくりした顔で出迎えてくれた。
「竹宮さんって、めっちゃ喧嘩強いね・・・」
「殴る技術をもったジャガーみたいなもんだよ」りっちゃんのしなやかな身のこなしと、強靭なバネは大型のネコ科みたいだと常々思っていたので我ながら上手い例えが出来たと思ったがコウには思ったように伝わらず。
ふうん、と流されてしまった。
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