第28話 愛しい遠さ
「君が遠いよ藍…………」
咲夜と心から繋がって、大五郎は幸せだ。
でもどうしても、死んでしまった恋人への。
藍への寂寥感、後ろめたさは感じてしまう。
――右手を空に掲げて、ぎゅっと拳を握ってみる。
「僕は、幸せになるよ」
それは宣言だった、けれどそれは藍への決別を意味しない。
愛が無くなった訳じゃない、ただ。
「囚われたままだと、僕は何処にも行けないから」
諦観のままに留まり、そして潰えても良いと思っていた。
それが藍への愛の証だと、そう思っていた。
(でも……苦しかったんだ)
この命は藍と共にある、だからこそ進まなければ。
「――ああ、それは違うね。僕が、進みたいんだ」
今の大五郎を見たら、彼女は何と言うのだろうか。
浮気に怒るのか、それとも祝福するのか、はたまた憎悪を向けるのか。
「君の言いたいことは、僕が寿命で死んでから聞くよ。……それまで、天国で待っていてくれるかい?」
もし天国が、来世があるのなら。
その時は、また。
――掲げていた手を下ろし、静かに瞳を閉じる。
(心地良い風だね……)
今なら、素直に言える。
もう一度、確かに言える。
噛みしめるように、大切に大切に言葉を紡いだ。
「僕は……、幸せになるよ」
「あら、私を幸せにするとは言ってくれないの?」
「うーん、もうちょい時間をくれないかな。というか来たならいきなり声をかけないで、挨拶してくれないかな?」
正直に言うと、少しドキっとした。
何せ、こっぱずかしい青春独り言をしていたのだ。
大五郎は動揺を隠し、隣にきた咲夜を見る。
彼女の美しい黒髪は、風にたなびいて。
「それで? 私を放っておいて何してるの青春くん?」
「最初から聞いてたならそう言ってっ!? 誰もいないと思ったから浸ってたのに!?」
「腰が怠い私を置き去りにした罰よ、いったい誰のおかげで腰がダルいのかしら?」
「あー、君が性欲お猿さんだから?」
「ジャッジを絵里に頼もうかしら」
「止めて!? マジで止めてよそれっ!? 僕どんな顔してえっちゃんに会えばいいのさっ!? 本当に止めて、そんな夜の生活とか絶対にえっちゃんには話さないでよね!?」
「…………その、ごめんなさい?」
「手遅れだったっ!?」
頭を抱えだした大五郎を、咲夜はケラケラと笑って。
それが癪に障った彼は、彼女の肩をふくれっ面でペシペシと叩く。
「あー、痛い痛い。これって暴力だわ、恋人になってそうそうDV受けているわーー」
「ズルくないその言い方っ!?」
「あら、私を幸せにするって言えない甲斐性なしの癖に?」
「うーん、もしかして根に持ってるね?」
どうやら気分を損ねてしまった様だ、だが彼女と繋がる赤い糸は違うと断言して。
「これは第三者として親切心で言うのだけれど。美しいカノジョを持つ果報者の神明某くんは、愛しい彼女のご機嫌を取る必要があると思うの」
「なるほど、じゃあ第三者として聞くけど。ここから挽回するならお姫様に何を捧げればいいかな?」
「いつもと違うところへ行けば良いと思うわ」
「なるほど、今日の放課後は屋上じゃなくて街に出てデート。――そういう事だね」
ならばプランを練らなくては、一度家に帰って着替えて晩ご飯を豪華にいく方向性、それともこのまま放課後制服デートと洒落込み夕飯までに帰るか。
だが、咲夜から帰ってきた答えは予想外のもので。
「いえラブホ、ラブホに行きましょう」
「いいねラブホ…………え、ラブホ? 本当に? 僕の聞き間違いじゃなく?」
「ラブホテル、そう確かに行ったわッ!!」
「なんでそうなるのっ!? さっき君ってば腰が怠いとか言ってたでしょうがっ!! ホントに性欲お猿さんなワケっ!?」
なんでそうなるのだ、と大五郎が心底困惑している中。
咲夜は正々堂々と、胸を張って告げる。
「学生らしく――――爛れた放課後も青春だと思うのよ!!」
「力強く言わないで!? 僕はもっと普通にイチャイチャしたいよ!?」
「ふッ、……そこよ。そこなのよ大五郎くん。私はこう思うの、鉄は熱いうちに打てって」
「つまり?」
「大五郎くんは思ったよりナイーブだから、このまま責任という重石を詰んで私から逃げられないようにしようかな、と」
「何か反論できない自分が嫌だっ!?」
「具体的には? 穴あきコンドームとか用意しております。獣の様にセックス!! ぬめぬめとナメクジの様にセックス!! 若さに任せてセックスして失敗とか今のうちに経験したいとか全然思ってないからッ!!」
「何がそんなに君を駆り立てるのっ!?」
目を丸くする大五郎に、咲夜は大胆不敵な笑顔で答えた。
いくら綺麗事を言っても、そして本人自身が美しくても。
彼女だって女だ、色々と思うところはある。
「負けたくないの、貴方の元カノにはね」
「いや確かに元カノってカテゴリになるけどさ……、でも藍はもう死んでいて、どう考えても君とも思い出の方が多くなるし。一緒にいる時間だって長くなるんだよ? ――焦る理由なんて無いよね」
「本当にそう思ってるの? 私は処女だったのに藍さんとヤりまくりでベテランだった大五郎くん? 私は男の子とまともに話すことさえ無かったのに、初恋を成就させてラブラブで過ごしていた大五郎くん? 恋人として貴方から二番目しか貰えない私に何か言う事は?」
「な、なるほどなー……!?」
冷や汗が流れる、言われてみれば確かに当然の感情かもしれない。
もし藍に、咲夜に、前に処女を捧げたカレシが居たと言われれば嫉妬するしかないし。
ましてや、己は少しばかり愛情が深い自覚がある。
(うん、逆の立場だと。ちょっと強引に三日ぐらい監禁して休まず迫るくらいはするかもだけど)
いやはや、自分がされる立場になろうとは露ほどにも思わなかった。
とはいえ、彼女の言うとおりにすると本当に今度こそ子供が出来るのが確定事項になりかねなくて。
「あー、少し落ち着こうか咲夜。冷静になって考えてみれば分かるはずさ」
「何を?」
「もし子供がお腹に出来ているなら、ここでセックスするのは不味いと思わない?」
「ああ、確かにそういう話を聞いたことがあるわね」
「でしょう? 慎重に行こう。これからは僕だけの責任じゃなくて、君と二人での責任なんだからね」
「…………大五郎くん」
咲夜は嬉しそうに、大五郎の腕の中に入る。
彼は少しだけ、焦りを引きずった顔で抱きしめて。
「じゃあその代わりに、一つ頼みがあるの。……それで今日は満足するわ」
「何でも言ってよ。君のためなら今晩はフランス料理のフルコースを作ってもいい」
「それも食べたいけど、――――ね、そう遠くないいつかの為に私をお嫁さんとして扱って」
「具体的には?」
「『水仙咲夜を愛しています、僕は咲夜と結婚して幸せになります』って、今ここで校庭に向かって大声で叫んでちょうだい?」
「…………――――なぁ~~るほどぉ~~?」
冷や汗再び、ちらりと下に目を向ければ下校を始めた生徒、部活動を始める為に集まる生徒。
まだ、多くの生徒達がいて。
(しまったっ!! これが目的か!! 僕に自ら外堀を埋めさせて逃げも隠れも出来なくする為の!! 責任をってのはこの事だねっ!? こうしてバカップルさせる事で……僕の責任を重くするつもりなんだ!! くそう、ラブホの話はフェイク……いやどちらでも良かったんだチクショウっ!!)
(あはははッ、気づいたようね大五郎くんッ!! でも今更もう遅いのよ!! 貴方にはもう、叫ぶしか選択肢がないッ!!)
(くっ、ここは勇気を出して叫ぶしか…………、ああ、僕は何を躊躇っているんだ、咲夜の為なら…………――――いやまぁ、それはそれとして恥ずかしいよねぇ)
(ドキドキワクワク、ドキドキワクワク、うふふッ、大五郎くんは本当に私への愛を叫んでくれるのかしら)
是非とも叫んで欲しい、とても青春っぽいし。
その光景が見れたなら、咲夜はとても満たされると思うのだ。
そして。
(まだ、――まだあるのよ大五郎くん? 貴方への仕掛けはもう一つある。ええ、全ては貴方次第……)
(というかさ、素直に叫んで何の問題もないよね僕。
咲夜とも正式に恋人だし両方の親公認だし。でもなんだろう、何か見落としている気がする)
(妥協しない……私は妥協しないの、ええ、次の一手こそが貴方への重石の最大の一手、本来は真面目な貴方なら絶対に覆せない一枚、妊娠という不確かさを補強する最後の一手よ。――絶対に大五郎くんを『私自らの手で』幸せにする、ええ、絶対によッ!!)
(――そもそも、何故、咲夜はこんな回りくどい事をして僕に叫ばせる? 確かに藍への嫉妬心もあるかもしれない、でもそれだけじゃない、よく考えろ……咲夜は何を基準に行動している? なんでラブホなんて誘った、屋上で愛を、妻にすると叫ばせる?)
仲睦まじく屋上で抱き合う二人、大五郎は彼女の背に腕を回し。
咲夜は彼の胸板に、うっとりと顔を寄せる。
表面上は、ラブラブな恋人そのものだ。
(どうか、どうか気づかないで大五郎くん)
(探すんだ、僕は何を見落としている? 僕の為、責任、愛を叫ぶ、妻、…………――妻?)
(でも、もし気づいたのなら。貴方から言い出して欲しい、うん、欲しいな。こういうのは男の人の役目って、時代遅れのロマンチックすぎるかしら?)
(もし、もし僕の考えが正しければ……、いやでも、そう、なのか? でもなぁ、これは叫ぶより躊躇しない? いやするよね、というか気が早いよね??)
――結婚届。
それが彼女の最終目的の筈だ、大五郎とて最終的には。
具体的には高校卒業時、あるいは妊娠発覚時には喜んで判を押そう。
だが今はまだ早い、恋人にされて同棲して正式に恋人になった直後だ。
(不思議だなぁ、というか震えてきたぞぉ? 責任をちゃんと取るつもりもあるし、咲夜を幸せにすると約束できる、でも……いやマジで早すぎないっ!?)
全てはそこに尽きた、いくら何でも気が早すぎる。
ここは慎重に行動しなければならない、いや、叫んでしまえば良いのだ。
叫んで、そこで終わりにすれば。
だが、息を大きく吸い込んだ所で大五郎はぴたっと動きを止めた。
(――あれ? もし僕が結婚届まで読んでる事を読まれていたら?)
何せ、咲夜は大五郎のカウンター存在のような相性を持つ、天敵といっても過言ではないのかもしれない。
嫌な予感がする、もし彼女がそれを読んでいたのなら。
大五郎が結婚届けを読んでいて、それに気づかせない為に愛を叫ぶと予想していたのなら。
(あわわわわっ!? さ、最悪だっ!! ど、どうすれば良いんだっ!? もはや愛を叫ぶのは結婚届を拒否するのと同義っ!! しかし結婚届の事を聞けば即座に人生の墓場!! 詰んでる? 詰んでるよね僕っ!? いや良いんだけどやっぱ早いって躊躇うって!! 高校生で結婚とか早いって!!)
(――――動きはない、吸った息も吐き出したわね。という事は大五郎くんは迷ってる、或いは……気づいた)
ギラリと咲夜の瞳が光る、そうこれは彼の頭の良さを利用した作戦。
こちらの考えを読まれる前提で、絵里達幼馴染み協力のもと考えぬかれたこの作戦は。
(この時を、待っていたのよ――――ッ)
動くのは今、大五郎が考えすぎてフリーズしている今。
スカートの右のポケット、朱肉があって。
スカートの左のポケット、小さく折りたたんで判子の箇所が表になった結婚届が。
不意打ち上等。これが人生をかけて、ひとりの男を救うと人生と共にすると決意した女の意地。
(――――あの約束を守ってくれない男の子に、プロポーズなんてさせてあげない)
彼は覚えているだろうか、あの約束を。
嘘をついて、妥協させたあの約束を。
結婚とか責任とか、そんなの建前だ、そうこれは復讐なのだ。
恋する前に愛を知ってしまった女の子の、愛する男の子へのリベンジ。
そして。
「――――んんっ? ねぇ咲夜、今なにかした?」
「ええ、拇印をちょっと」
「ぼいん? あー……僕に押しつけたおっぱい? それにしては指に変な…………って拇印っ!? ま、まさかっ!?」
「はい、じゃ~~んッ!! 結婚届ぇ!! これで大五郎くんは私のお婿さん決定ッ!!」
「は? え? ちょっとよく見せてマジなのマジでっっていうか流石に親に怒られるよねそれっ!?」
「安心して、そして良く見て? ――この保護者の所の筆跡、誰のだと思う?」
にこにこして広げられた結婚届、そしてその筆跡。
見覚えがある、残念ながらとても見覚えがある。
「な、何してるの父さん母さんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんっ!? とういか君の親も了承してるのコレっ!?」
「ええ、じゃあ出しに行きましょうか大五郎くん。――それともパパって言った方がいい?」
「お腹を大事そうにさすりながら言わないでぇ!! マジで待って、何でもするからまって!! まだ早いって!!」
強引に奪い取ることも、無理矢理破き捨てるのも出来ずに、大五郎は咲夜の腰にしがみついて縋る。
彼女は、殊更に微笑むと。
「そうねぇ……じゃあゲームをしましょう。私が勝ったら出しに行く、負けたら大五郎くんの好きなタイミングで出してね」
「乗った!! 是非とも勝負させてくださいっ!!」
「ゲームの内容はクイズ、――――『忘れている事はなんでしょう?』よッ!!」
「…………え、何それ??」
「期限は、明日の放課後まで。ヒントは一切ナシ、ああ、結婚届を今すぐ出しに行くなら教えてあげても良いわ」
「それ選択肢無いやつっ!?」
「ふふっ、期待してるわよ大五郎くん。ええ本当に、期待してるわ」
妙に意地悪く微笑む咲夜を前に、大五郎は必死に頭を悩ませる事しか出来なかった。
そして夜である。
(――――これはもしや、誘惑してそれとなく聞き出した方が良いのでは?)
一端、思い出すのを諦めた大五郎は。
恋人がシャワーから戻ってくるのを、パンツ一丁で薔薇をくわえて待ちかまえるのであった。
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