第22話 それは救世主を喪った狂信者にも似て
いつもと同じ朝の筈だった、朝起きて藍を起しにいって。
一緒に朝食をとり、登校する。
絵里は朝練があって先に登校、途中のコンビニの前ではトールと輝彦が待ってる。
その前の交差点、横断歩道を青で渡る。
何事もなく、渡れる筈だった。
――――だが。
「う、嘘だ、嘘だよ藍、ねえ起きて、目を開けてよ藍、藍! 藍ったら! 藍藍あいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「救急車! 誰か救急車呼んで!!」「男の子と女の子が!」「ダメだ女の子の方は助からない!」「せめて男のほうだけでも」
衝撃と血、下半身が潰れた藍、骨折したとはいえ無事だった大五郎。
半狂乱の叫びが交差点には轟いて、騒ぎを聞きつけてトールと輝彦が駆けつけた時には、もう。
その後の記憶は曖昧だった。
ただ入院中に無理して葬式に出て、彼女が眠る棺桶の前で酷く騒いで迷惑をかけてしまった事は覚えている。
(藍、藍、藍、藍…………どうして、どうして、どうして…………嗚呼、僕は、僕はどうすれば良かったの?)
入院中は無気力で食事すら自分で取れない状態だった大五郎は、退院後から自室に引きこもるようになった。
両親の語りかけに答えず、食事は夜半に一度。
藍が好きだと言った料理を繰り返し作り続ける、彼が再び入院しなかったのは彼女に好き嫌いが少なかった事、そして彼が料理の腕を磨いていた事だろう。
冬が来て、春が来て、夏がきて、秋が来て。
再び、藍が死んでしまった日が来てしまう。
大五郎はその日初めて、彼女の墓前に立った。
「君のいない世界で、僕はどうして生きているのかなぁ…………」
墓石は何も答えない、死んでしまいたいのに大五郎は死ねない。
(あっちゃんが守ってくれた命、粗末にするなんて出来ない。……でも、苦しいんだ、生きているのが、苦しいんだあっちゃん)
スマホの中に残る彼女の笑顔と声は明確なのに、大五郎の記憶からは少しづつ色褪せていって。
――苦しみが残る。
(寒い、寒いよ、側にきて暖めてよあっちゃん……)
彼女の存在が、大五郎の全てだった。
きっと、あの日、幼い彼女が彼の前に現れてからずっとずっと、頭の中は、生きる目的は藍の笑顔の為で。
(要らない、藍を守れなかった僕がこんな笑顔を見続けちゃいけないんだっ!!)
墓前から逃げ出した彼は、己の部屋へ駆け込むと。
破る、壁一面に張り付けた彼女の写真を半狂乱になって破り捨てる。
気が狂いそうだった、日に日に彼女への想いは募るのに、その行き場が無い。
復讐を考えたこともあった。
でも。
(あの事故で死んでるって、そんなのあんまりだよ……。それにさ、そんな事をしたら僕が老衰で死んで天国で再会した時に絶対に怒られちゃう)
今でもまだ彼女を愛しているのに、彼女との思い出が大五郎を苦しめる。
処分して、処分して、でも捨てられなくて。
結局、写真は机の上にひとつだけにした。
(でも……君の笑顔を見る資格なんて無いんだ)
ぱたり、と写真立てを伏せる。
そこには、幸せだった頃の自分の藍の笑顔がある。
今は、二つともなくて。
――そんな時であった。
「………………ぁ、…………運命の、赤い……、糸」
大五郎の視界に、部屋の壁を貫通して揺れる赤い糸。
人と人の絶対的な相性を、心理学などの学問的な観点から保証し。
それを思いこみと錯覚の力で、大五郎の視界に存在させた、――『藍の為の運命の赤い糸』
「父さん……母さん、そう、そうか――――」
天啓、そう呼ぶべき何かが得られた気分であった。
今見えている赤い糸、即ち両親を結ぶ糸で愛の証。
――――それは神明大五郎が、加古藍を愛していた証。
「居た、嗚呼…………こんな所に居たんだねあっちゃん…………!!」
死んでいない、誰がなんと言おうが生きている。
まだ、大五郎の心の中に藍は生きている。
沸き上がる衝動のままに、彼は靴を履くことすら忘れて外へ走り出した。
(あはっ、あはははははっ!! 世界はあの頃と同じぐらい美しい! 藍が、愛が存在するんだ!!)
走る、足の痛みが妙に嬉しかった。
見える、視る、並び歩く男女に糸が見えない時もあったけれど。
歩く、走る、見える、運命の赤い糸が大五郎には見える。
(――――僕はまだ、立ち上がれる。赤い糸が見える限り、…………あっちゃん、君がどんなに遠く離れていても側にいてくれている証だから)
彷徨う、宛もなく、ただ繋がりを探して。
気づけば、そこは名も知らぬ神社。
(流石にちょっと疲れた、久しぶりだなぁ、こんなに歩いたの)
大五郎は木陰に座り込み一休み、そんな時であった。
斜め上から涼やかな声がかけられて。
「足、痛くないの?」
ちらりと横目で、声の主の小指だけを見る。
(赤い糸は見えない、……これは相手が近くにいないってのもあるだろうけど、そもそも、この人は恋愛がまだなんだな)
じゃあいいや、と興味を無くす大五郎。
当然、返事も返さなかったが声の主はそうではなかったらしい。
心配そうな声は続き、正直、鬱陶しかった。
だから。
「その……、大丈夫です、ちょっと彼女と遠距離恋愛になっちゃって、ヤケになってただけなんで、でももう落ち着きました。もう少ししたら帰ります、だから心配しないでください」
「…………分かったわ」
たったったっ、と軽やかな足音はすぐに遠ざかり。
しかして、すぐに戻ってくる。
「まだ何か?」
「これ、父のお古だけど使って。必要ないならそのまま放置しておいて、明日のゴミの日に捨てるつもりだったから。……それじゃあ、元気だして」
そうして声の主は、薄汚れたスニーカーを置いて去っていった。
「………………悪いことしちゃったかなぁ。嗚呼、これからは、もっとあの頃みたいな感じに戻らないとね。父さんや母さんにも元気な顔を見せないと」
そして。
「トールや輝彦にも心配かけた、…………えっちゃんにも元気な所を見せないと」
大五郎はゆっくりとした動きでスニーカーを履くと、のそのそと立ち上がった。
そして再び歩く、――振り返り、神社の名前を確認する事なく。
「――――こんな所かな、そろそろ三年になるんだ藍が死んでから。うん、水仙さんは笑ってくれていいよ、死んだ恋人をいつまでも引きずる情けない男だって」
「笑う筈がないわ、誰も貴方を情けないと笑ってはいけないの、……もちろん、神明くん自身もよ」
「嗚呼、――……君に話して良かった。今の言葉だけで少しは気持ちが軽くなった気がする」
(嘘つきね、神明くんは)
涙の流れる顔で寂しそうに言う彼を、咲夜はそっと抱きしめる。
お互いに何も纏わず、直に体温を感じあって。
少しでも、彼が暖まるように彼女は柔らかく抱きしめた。
「――――ぁ、…………~~~ぁぁ、ぁ――――」
小さなうめき声は、次第に嗚咽へと変わり。
咲夜は大五郎の頭を、そっと撫でた。
(そう、忘れていたわ。あの時の男の子って……神明くん、だったのね)
運命、そう言っていいのだろうか。
不思議な感覚を覚えながら、咲夜は大五郎の耳元で囁いた。
「明日、一緒にお墓参りをしましょう」
返事はない、けれど確かに彼は頷いて。
次の日、昼前の墓地には二人の姿があった。
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