第8話 Marlboro

「何にも見えてないんだね」


 そう言って彼女にはフラれた。


 最近、仕事が忙しくなって会えない日が続いた。マメに連絡は取っているつもりだった。今となっては全てが言い訳のよう。寂しい思いをさせたのか、僕の何かに不満があったのか分からない。


 楽しかった日々が走馬灯のように脳内を駆け巡る。笑ってる彼女。


湖畔へデートにいった時、調子に乗った僕が足を滑らせずぶ濡れになった。初めて家に呼んだ時、二人とも緊張しすぎて。結局、何も起らずお開きになった。


「ァッ……」


 もう、彼女がいないと、多分この時初めて自覚して。

 途端に自分が酷く無価値に思えた。


 あまりにも僕の中での彼女の存在が大きすぎて。


 心に空いた穴に、彼女がいない未来に。

 希望を、見いだせなかった。


「し、死にたい」


 口に出してしまえば簡単で、目の前にはこの街にしては大きなビル。テナントは居らず、廃墟のよう。人が死ぬにはうってつけか。


生きてはいる。

しかし、ただ生きている事に何の意味があろうか。


 生きるしかばねという言葉は、今の僕にこそ相応しい。


「痛い、かな……」


 八階以上から飛び降りないと人間は死ねないらしい。

 このビルは十一階。十分だ。


 こんな建物すら、廃墟になるこの街は若い頃の栄光に取り憑かれ、『昔は良かった』と語り、死に腐っていく老人のよう。


立入禁止のロープを越え、雑草にまみれた敷地内。錆ついた非常階段を上る。一歩進むごとにきしみ、最上階に着く前に落ちてしまいそう。


 生き場所も無く、未来など無く。

 そんな中で、僕は彼女に縋っていたのだろう。


 たどり着いた屋上。


 この街に近い海が望める良い眺め。

 だからだろうか、先客がいた。

 手摺りに寄り掛かる青年。


「……隣、いかがっすか?」


 煙草を咥えた、大学生だろうか。

 邪魔だな、どいてくれないだろうか。


「別に……景色を眺めに来たんじゃない」


「何すか、死にに来たんすか?」


「なっ」


 こちらを見もせず、面倒くさそうに言葉を投げてくる。


「失礼だろ……」


「そっすね、いや失敬」


 青年が振り向くと、片頬に大きな火傷に目が行く。クマも酷い。


「お詫びに一本、いかがっすか?」


 差し出される、煙草。


「……僕は、煙草は吸わない」


 言い方がキツかっただろうか。眉を八の字にした青年が、


「そっすか……」


 ちょっと可哀想だった。


「あ~、一本だけ」


 女性に嫌われるから、煙草は吸わなかった。彼女にフラれ、死のうとしてる今。そんなの気にする必要も無い。


「お、それはそれは」


 口にくわえ、


「火を点してくれ」


 ライターは持っていなかった。


「ほい」


 青年は手を添え、火を付けてくれる。不透明な煙を、吐く。


「|Man Always Remember Love Because Of Romance Only《人は本当の愛を見つけるために恋をする》」


「え、何?」


「コイツの語源らしいっす」


「どういう意味?」


「えっと確か愛がどうたら……良いんすか、スマホ通知来てますよ」


「あぁ、すまない」


 さっきから通知音のやかましいスマホを見ると、


「あぁ……」


 最近、近くで起きてる連続放火事件の速報。今回で七件目か。一抹の期待が、かえって落胆を加速させる。


 スマホを閉じようとして、


「あ」


 彼女からの通知。着信だ。


「……っ」


 青年を見ると、『どうぞ』とハンドサイン。彼は立ち去っていった。


「ん~、合わないな。前のに戻すか……」


 その独り言が、微かに聞こえた気がした。

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