あやめ祭り
第伍拾話 開祭
2022年6月18日
空は信じられないほど雲がなく、誰もが一目で快晴だと判断できる。
つい最近宮城県が梅雨入りしたということが信じられない。
俺たちは本部のテントのなかにおり、眼前には万葉衣装と平安衣装に身を包んだ執行部の面々が揃っている。
「流石にアツすぎないか?」
「え、ナツもしかして上手いこと言ったとか思ってないよね……」
「気温の暑いと衣装の厚いをかけてねーわ」
「それをジョークと捉える
生徒会室でもよく見かける捺希が鈴望にツッコみその2人をさらに紫水がツッコむというやり取りが繰り広げられている。
左側に目を向けると
「あやめ祭り初日にこんなに晴れるなんて幸先が良くないですか?」
「ちょっと神様やりすぎな気もするけどね……暑い……」
俺はいつも通りのやり取りが行われていることに安堵して、テントの外に出る。
太陽がジリジリと照っている。
とうとうあやめ祭りの初日を迎えた。
あやめ祭りは菖蒲の見頃に合わせて6月中旬から6月下旬・7月初旬まで約2・3週間の間開催される。
多賀城市のあやめ園は入場料無料で常時開放されているのだが、あやめ祭りの開催期間は屋台が立ち並び、特設ステージも設置される。
また、土日限定ではあるが、夜には菖蒲や花菖蒲の花々が一斉にライトアップされる。
俺たち多宰府高校生徒会執行部は何をするのかと言うと土日限定で万葉衣装と平安衣装を着用しながら園内を回ったりする。
一言で言ってしまえば宣伝だ。
万葉衣装や平安衣装の着付け体験、そしてそれらの衣装を着ながらあやめ祭りを楽しむことができることを来場者の方々に知ってもらうこと。
などがあるが、それが全てではない。
「アオ君、今日晴れてよかったですね」
凪がテントの外で空を見上げていた俺のそばに近づいてくる。
「そうだな」
「姉さんの粋な計らいでしょうか」
「どうだろうな」
凪は手を額にあて、日よけにしながら空を見上げる。
「でも、今日の午後急な雨に注意って予報ありましたけど、本当に降るんですかね」
いくら梅雨入りしたからといって、今のこの快晴を見て雨が降るなんて思う人はいないだろう。
「天気予報は当たるよ。これまでのデータの蓄積があるからね」
「そうですかね……」
澪は疑心暗鬼に俺の顔を除く。
俺はもう一度碧い空を見上げる。
「それに澪が見ていてくれているなら尚更だよ」
あの日も今日みたいな五月晴れで天色の空が広がっていた。
雨がこれから降るなんて誰も信じていなかった。
澪はわかっているからな。あやめがどうなればより綺麗に見えるかを。
「アオ君が言っていることはよくわかりませんが、アオ君がそう言うならそうなんでしょうね」
凪はそれだけを残して俺とは反対側を向いて歩きだす。
その後ろ姿に言葉をかける。
「凪は俺のことを買い被りすぎだよ」
凪は俺の言葉を聞いて、立ち止まる。
「私はただ姉さんとアオ君を信じてるだけです。ただ……それだけです」
今どんな表情を浮かべているのか。
こちらから確認することはできない。
それに凪の感情なんていくら幼なじみだからといってわかるはずがない。
――信じてる。
その言葉一つに俺と凪が今まで過ごしてきた日々と時間のすべてが集約されている気がした。
凪は俺にまだ伝えられていないことがあるのだろうか。
「ほら暑いですから、アオ君も早くテントに戻りましょう」
凪は一瞬だけこちらを振り返り、笑顔を見せる。
――アオー! 早く早くー!
いつかの澪と凪の振り向きざまの姿が重なる。
でも、俺がこれから向き合うのは澪と重なった凪でも、凪に重ねた澪でもない。
澪と凪。
一人ひとりと向き合うんだ。
そのためには思っていることを伝えないといけないよな。
「凪」
「なんです?」
凪は歩みを止め、こちらを振り返る。
落ち着いた青色と清潔感溢れる白色の万葉衣装が翻る。
凪の清廉さをこの上なく表現し、引き立たせている。
「衣装、似合ってる。とても」
「……ありがとう……ございます」
凪は俯きながら言葉を漏らす。
今度はこっちを見てくれているから表情がよくわかる。
俺はそれだけ言って凪を追い越してテントへ戻る。
「凪ちゃん顔赤いけど大丈夫!? 熱中症じゃない!?」
「い、いえ大丈夫です。本当に……」
「そう? ならいいけど」
**
腕時計を見る。
俺たちの仕事が始まるまであと15分ほど。
最後の確認をしておこう。
「みんな」
5人が注目をする。
今の顔には緊張はそこまで見られない。
「ここまでの準備本当に大変だったよな。ありがとう」
準備期間はたったの2ヵ月。
この協力依頼を引き受けたときはまだ生徒会執行部は始動してから1週間ほどだった。
それでも1つ1つを確実にこなしてきた。
「あとはどこまであやめ祭りを盛り上げることができるか。それは当日の俺たちの仕事にかかっていると言っても過言ではない」
俺たちの当日のもう1つの役割。
それは――来場者の方々にあやめ祭りを宣伝してもらうこと。
自分たちでもあの手この手で宣伝はしている。
しかし、その拡散力には当然限界がある。
だったら拡散する人を増やせばいい。1人1人の範囲が小さくてもいい。
塵も積もれば山となるだ。
来場していただいた人にあやめ祭りに関することをSNS上に写真と一緒に投稿してもらう。その引き換えに屋台の無料券や多賀城市の特産品である古代米のプレゼントをする。さらに菖蒲の花を渡し、花言葉にちなんだテーマである「想いを伝える」を認知してもらう。あくまでそこから想いを伝えるかどうかはその人次第だ。
でも、そういう機会や舞台があるのとないのとではきっと天と地ほどの差がある。
「とまぁ色々言ったけど――」
俺はもう一度皆の顔を見渡す。
思い出すな。
始動した初日を。
相変わらず頼もしい人たちだ。
だから俺から言えることはこれだけだ。
「楽しもう。仕事のことはどうせみんななら上手くやってくれる。だからあやめ祭りを楽しもう」
「よーし! 円陣! 組もう!」
鈴望が俺の言葉に大きく頷いたあと、右手を高く挙げる。
「よっしゃ! やろうぜ」
「捺希先輩は体育会系のノリですね……」
「こうやって皆と肩を組んでいると不思議と自信が湧いてくるね」
「なんかいいですね。こういうの」
凪が隣からこちらに微笑みかける。
そうだなと答え、一呼吸置く。
声は辺りに響いた後、碧い空へと消えていった。
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