第弐拾話 気懐かし姿おぼゆる哉

 千坂碧ちさかあおい


「アオー早く早く!」

「そんな急がなくたってあやめは逃げないって……」


 俺の20mさきくらいから飛び跳ねて手を大きく振っている。

 なんでそんなに足速いのよ……。


 かたや俺は膝に手をつき、息を切らしている。

 6月ともなると宮城も暑い。

 汗も体中から吹き出てくる。

 帽子をかぶっているからか頭もプール上がりかのように濡れている。


 俺だってサッカーを小学校4年生から始めてちょうど2年が経つ。

 上達も感じるし、身体能力も全体的にも高くなったと自分でも思う。


 なのに。

 なんで俺の幼なじみはあんなに速いんだ……。


 メンタルの差っていうやつ?

 俺はただ幼なじみに半強制的に連行されたからあやめ園に向かっている。

 ただ、幼なじみは自分から行きたいと心の底から思ってる。


 ん?

 いや、違う。


 俺はただ幼なじみのランドセルまで背負ってるから遅い。

 さっきじゃんけんで負けたときからこうなることは決まっていた……。


 俺はもう一度息を吐き出し、足を前へ運ぶ。


「もーアオ遅いってばー」

「いや、みおの……ランドセル……背負わされて……るこっちの……身にもなってくれ……」

「それはアオがじゃんけんで負けたからでしょ?」


 膝に手をつく俺の顔を下から覗いてくる。

「ちょ、近いっ」

「あはは、ごめんごめん」

 その笑顔を向けられると俺は弱い。

 しかもこれを無意識にやっているからたちが悪い。


「アオも私に何か仕掛ければいいのに」

「俺がそういうの苦手なの知ってるでしょ」

「アオは優しいもんねー」

「そういうんじゃないって」


 俺はただ無駄に争いごと増やしたくない。

 何か仕掛けたら仕掛け返される。

 やられたらやり返される。

 それが嫌なだけ。

 その連鎖はどこまでも続くならせめてもの俺で止めようと思ってるだけだ。


「アオは優しいよ」


 その眼差しはただただ実直に純粋に真っすぐに。


 澪の周りがぼやけて見える。

 そう見えてしまうほどの存在感。

 まるでこっちの考えていることが見透かされているかのように。

 まるでこちらが間違っているかと錯覚するように。


「そうなのかもね」

 俺はただ肯定するしかない。

 澪にそういわれてしまったらそうなんだから。


 あやめ園に近づくほど鼻腔をくすぐる匂いが濃くなっていく。

 あやめ祭りが開催されている間は出店が立ち並ぶ。


「う~んいい匂いだね~」

 目を閉じながら匂いを堪能している。


「食べ過ぎないようにな」

「アオは相変わらずお母さんみたいなこと言うんだから」

「俺が見てないと何するかわからないからね」

「ぶーー私優等生だけど?」

 口をとがらせる。

「優等生は学校帰りに屋台に寄らないと思うけど」

「じゃあアオも優等生失格だ」

「俺は澪の見張り役だから仕方ない」

「じゃあこれからもずっと私のこと見ててよね」


 急にそんなことを言われたもんだからすぐに言葉を返せなかった。


「まぁ俺にしか務まりそうにないから仕方ないか」

 帽子をかぶっててよかった。

 心からそう思った。


「いやーいっぱい買ったねー」

「たこ焼きとチョコバナナだけだけど……」

 小学生のお小遣いだとこれくらいが限度だろう。

 でも、自分で買ったという事実だけでワクワクする。


 あやめを見れるベンチに座りながら買ってきたもの頬張る。

 たこ焼きとチョコバナナ。それ以上でも以下でもない。

 けれどこうやって祭りの雰囲気にあてられて食べるのは格別だ。


「夕飯ちゃんと食べなよ。またおばさんに怒られるから」

「わかってるってーまだ身長伸びてるんだから」


 平日ってこともあって人はまばらだ。

 カメラを構えている老夫婦や恋人と並びながらあやめを見ている人が目立つ。


「でも、いつかはアオに抜かされちゃうんだろうなー」

 澪はあやめを見ている1組のカップルを見ながら言う。

「嫌なの?」


「嫌じゃないかな。私は早く大人になったアオが見たいな」

 その横顔は綺麗だった。けれどなんだか今にも消えてしまいそうで、返す言葉が見つからなかった。


「澪はさなんでそんなあやめ好きなの?」

 たしかにあやめはきれいだと思う。けれどこんなに頻繁に来たいとは思わない。


「うーーん。なんでだろうね? あやめは綺麗。けれど切ない気もするの」

「切ない?」

「うん。色も咲き方も見頃もなんだか切なくて、なんでかわからないけど親近感が湧くんだよね。ただただ小さい頃から来てたからそう感じるだけなのかもしれないけどさ」


 切ない……か。


 あやめの花びらは下に垂れるように咲く。

 色には淡さが残る。

 しぼんだ花弁は摘まれ、開花し終わった花茎は切り取られる。


 澪の言っていることはなんとなくわかった。そんな気がする。


「あとは……」

 口に右手の人差し指をつけて少し上を向いて考える。


「そうだ! 花言葉!」

「花言葉?」


「うん! アオはあやめの花言葉知ってる?」




 澪の声が遠くなる。

 澪の姿が見えなくなる。

 辺りは白くなる。


 そして

 意識が覚醒する。


「……夢……か……」

 夢というより過去の記憶。


「はぁ……」

 夢にはできるだけ出てきてほしくない。

 夢が覚めてしまえば澪がいない現実をありありと突きつけられるだけだ。


「あやめの花言葉、何回も言われなくてもあの日から忘れたことなんて1度もないよ」


 そうおはようの代わりに澪に返事をして、身支度を整える。

 朝ご飯を食べ、玄関で靴を履いて家を出る。


「おはようございます」

 澪によく似た声音。

「おはよう、なぎ

「いよいよですね」

「そうだな」


 今日は多賀城市にあやめ祭りへの生徒会の案を発表する日である。


「まぁ大丈夫だよ。ある人から背中おしてもらったから」

「え?誰ですか?」

「俺と凪の1番身近な人だよ」


 凪は何か気づいたかのようにはっとして。

「ふふふ、そうですか」


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