第9話 たった一つの正解を
「レナ、愛してるよ」
レナと恋人になってから、15年がたった。そして運命の、私を過去に戻らせるためにレナが命を絶った日。32歳になったレナは、私の妻となっている。前回とは少しずつ違ってきた。前回はそもそも子供をつくる魔術ができるまでも時間がかかったし、なにより合法的に魔術で子供を産んでその子を国に認めてもらうための根回しに時間がかかって結婚までこぎつけられなかった。
本当は私だって、すぐにだって結婚をしたかったのだ。だけど子孫を残したい、好きな人と子供が欲しいと言う本能的欲求を満たせないまま結婚することに、どうしてもレナを付き合わせるのは気が引けたのだ。告白が私からだったから、私が彼女を子供ができない道に引き込んだからこそ、そこは責任をとりたかった。目途も見えていたからこそ、待ってもらっていた。
けれど今、その法案はとっくに通っている。彼女は今、私の妻だ。
「なぁに、急に。変なお母さんですねー」
「レンにふるのはやめなよ」
二年前、なんとか法として認められたこともあり、ぎりぎりレナの30歳の誕生日に間に合って結婚することができた。王女様に遅れる事、7年。だけどあの時のレナはそれまでの歴史上のどんな花嫁より美しく、可愛らしく輝いていたと自信を持って言える。
そして今、私たちには子供がいる。レナと私から一文字ずつとって、レン。日上蓮。それがこの子の名前だ。この子のことは間違いなく愛していて、レナに抱かれている姿は一日中だって見ていたいくらいだけど、さすがに今の愛してるはふらなくていい。レナだけの愛してるだから。
「きゃーふぅ」
まだ1歳になったばかりのレンは当然意味なんて分からない。だけど機嫌のいいレナに微笑みかけられ、嬉しそうに甲高い声をあげた。他人の赤ん坊なら耳障りなのに、どうしてこうも我が子だと和んでしまうのか。
レナは優しい笑顔でレンをあやしてそっとベビーベッドに寝かせ、おもちゃを手に持たせて大人しくしているのを確認してから私の隣にやってきてベッドに腰を下ろした。
「ふふ。なに? 急に真顔で。珍しいじゃない。自分から言いだすなんて」
私からレナに思いを伝えることをためらったことはない。だけど確かに、それはそう言う雰囲気やレナから言い出した場合が殆どで、今みたいになんでもない普通の時間を過ごしている最中に言い出したことはあまりない。
だけど今日は特別だ。
「実は今日は……特別な日なんだ」
もう、未来はとっくに変わっている。王女は今も幸せに暮らしていて、6歳と3歳の子がいるし、隣国と婚姻関係はないがそれなりに友好関係を築いている。戦争の予感はない。何もなければ、積極的に戦争を仕掛ける王ではないのだ。
だからすこしだけ、起こらなかった未来のことを、過去に戻ったことを話そうかと思った。だけどそれは一瞬の気の迷いだ。
そんなことを言ったって仕方ない。レナが納得するまで説明するのは骨が折れるだろうし、それを言ったことで、じゃあ昔のレナとどっちが好き、とかどうせレナは言うだろう。どちらのレナも、レナはレナだと今の私にはわかるけど、知らないとそう思ってしまうのも無理からぬことだ。
だから濁して、だけど今日を平和に迎えたことは私にとって特別な気持ちにさせてくれるのは間違いなくて、私はそれだけを伝えるにとどめた。
「あら? 何かしら。記念日ではないし……もしかして、私への恋心を自覚した日とか?」
「おしいね」
にやにやしながら聞かれたのが、なんとも可愛らしい願望で私もにやにやしてしまう。いくつになっても私に好かれたくて仕方ないそぶりを見せてくれるのが実に可愛らしい。
「えー、なになに。気になるわ。じゃあ……プロポーズを決意した日とか?」
「遠からずと言うか……正解はね、君の為なら何だってしようって、レナの為なら世界の全てを捨ててしまおうって。そう思えた日だよ」
「んふっ。もう、わ、笑わせないでよっ。ふふふっ。いつからそんな、ポエミーに。あははは」
普通に割と全力で笑われてしまった。その声にレンも反応して機嫌のいい声をあげている。誤魔化すためではあるけど、本心には違いないと言うのに。
実際、レナの幸せの為なら世界がどうなってもいいから過去に戻したかったし、レナの為だからずっとここまで頑張ってきた。その決め手になった日だと言うのに。
「……」
「ふ、ふふ。ごめんごめん。そんな睨まないでよ」
「……笑うことはないと思う」
ぽんぽんと太ももを叩きながら半笑いで謝罪された。別に本気で怒ってるわけではないけど、本気で言ったのにその対応はさすがに自分だけ盛り上がってるみたいで恥ずかしい。つい拗ねたように唇を尖らせてしまう。
「ごめんって。だって、世界を捨てるとか言われても、ふふ。この世界、テンのものなの?」
「そう言う物理的な話じゃなくて、あー、もう」
「はいはい。私のことが大好きなのはわかりました」
「……そうだよ。私はレナのことが好きだ。君に告白したあの日からずっと、一日も欠かさず、あの日よりもっと、大好きだよ」
この気持ちだけは偽らない。誤解をされたくない。何故ならもう二度と、彼女と別れる未来はこないのだから。レナを過去に戻すこともない。何があっても、私が戻ることだってない。だってもう、後戻りのできない未来が、可愛い我が子がいるのだから。
そっとレナの手をとり、もう二度とその手を離さないことを誓いながら思いを伝える。もう何度も伝えてきて、そしてこれからだって何度も伝える、色あせない思いを。
「……ふふ。ありがとう。私も好きよ。ね、レンを寝かせるから、ちょっと待っていてね」
「よかったら魔術を使わない? 騒がしくして目を覚ましたら可哀想だからね」
「騒がしくって……いいけど、体に問題はないんでしょうね?」
「ちょっとだけ寝入りがよくなって、いい夢を見て、眠りが深くなるだけだよ。今までも何回かつかったでしょ」
子供が生まれる少し前から夜泣きに備えて、赤ん坊にも無害で効力はそれほど高くなくて体に無理をしない程度に快眠になる魔術を開発している。レナができれば自然に育てたいと言うから乱用はしていないけど、レナがつらそうなときにはつかってきた。動物相手に試して脳波測定や成長度合いもすでに確認済みの安心安全の魔術だ。
言いながらレンに魔術をかける。レンは手に持っている振ると中の粒子が音をたてるおもちゃを口にくわえて頑張って振っていたけど、目をとろんとさせて口を開いた。
大きな口をひらいて目をくしくしして、それからおもちゃを両手で抱きしめるようにして寝返りをうってすやすやと眠りについた。
「そうだけど、あんまりよく効くし、今日は緊急でもないから」
「レナにもつかってあげたでしょ。気持ちいいでしょ?」
「そうだけど、赤ちゃんだから不安なのよ」
「適正睡眠時間を超えて無理やり寝させることはないから大丈夫だよ。それより、いいかな?」
そっとその頬に手を添えながらした私の問いかけに、レナはふわっとはにかんで頷いた。その可憐さに私はそっと口づけた。
○
「……ねぇ、レナ。質問してもいいかな?」
私は昨日から体に力がはいらなくて起き上がれなくなったレナのベッドの横に座ったまま、そう声をかけた。レナはゆっくりと目を開けて、その目玉だけで私を見て、ひきつるように少し微笑んだ。
「ん……なぁに? 私が、どれだけあなたを好きかって言う質問?」
「今際の際までそんな質問をされるかもなんて、さすがにうぬぼれが過ぎるんじゃないかな?」
「ふっ……うぬぼれじゃなくて、ただの真実でしょう? で、なに?」
長い時間がたった。本当に長かった。繰り返した15年すら遠く、子供たちが成長し、もはやレナと出会う前の自分のことは記憶の向こうに行ってしまうほど時間がたってしまった。
レナはもう、82歳になる。75歳の私はまだそれなりに元気なのに、レナは二年前から急に弱ってしまった。わかりやすい病気とか怪我なら、私がなんとかしてあげたのに。そうではない。レナは純粋に老化していき、些細なことで寝込んでしまうくらい弱ってしまったのだ。
7歳差。大したことのない差だと思っていた。70代だったレナは孫の世話だって関節が痛いと言いながらも元気にしていたのに、最後の子が成人して結婚して手が離れてから、火が消えたようになってしまった。
3人の子供と、6人の孫。みんな元気でそれぞれの家庭がある。全員同じ国内だし、何かあればすぐ駆けつけてくれるほど近所に住んでいる子もいるし、一緒に住もうと言ってくれた子もいる。気にかけてもらっていて、私たちは子供たちに恵まれている。
だけどそれでも、最後のレナを独り占めしたかった。レナ自身、体が弱っていくのを自覚して、そんな自分を見られたくないからと同居には反対してくれた。迷惑をかけるのは私にだけでいいと言ってくれた。
私だって年をとっているし、普通にしていても関節が痛かったり、筋力もなくなってきていて肉体的な老化を自覚はしている。だけどまだまだ魔術については衰えていない。魔術に関してだけは現役で仕事をしているくらいだ。だから生活には困っていなかった。レナのお世話すら楽しいものだった。私はこの人生に満足している。レナの全てを見守れた。
「もし、過去に戻れるとしたらどうする?」
だけどこうして、本当に命の火がきえてしまいそうなほど弱っているレナを見ると苦しくなる。私は彼女を幸せにできただろうか。私は、彼女がいてくれて幸せだった。レナのいない人生は考えられない。でもレナは、どうだろうか。
年をとったせいかそんな不安がふいにわいてきて、私はこの世界では頭から一度も出さなかった過去に戻る時空魔術を思い出して、ふと尋ねたくなったのだ。
「……今際の際が、冗談にならないって言う時に、そう言うもしも話とか、あんまり興味ないわ。それより、あなたが来るまでに忘れないよう、愛の言葉でも、囁いていてよ」
ちょっとかすれた声に、私はそっと水を飲ませてからレナの額を撫でる。少し冷たい。
「もしも話じゃない。実際に、過去の自分に戻れる魔術は私の頭の中にあるんだ。そしてかつて私はそれを使ってことがある。君が死んでしまって、私は過去に戻ってやり直したんだ。そして今、ここにいるんだよ。君がのぞむなら、すぐにそれをして、過去に戻してあげよう。私と恋人になった瞬間まで戻って、また一から人生を楽しめるよ。どう? 興味ある?」
「……ふっ、ふふ……けほっ。わ、笑わせないで。そんなこと、するわけないでしょう?」
体を震わせて笑い、その振動にすら苦しそうにしながらレナはそう言い捨てた。その肩やお腹を撫でてなんとか宥めてあげる。レナはゆっくり呼吸をしてから、少しだけ微笑んだ。
「本当に、馬鹿ね。過去に戻るなんて、するわけがないでしょう」
そして震えながら微かに指先を動かしたので、そっとその手をとって優しく引き寄せる。レナの手先は長年水仕事をしていたが、その都度ケアをしていたので年の割には綺麗な手だ。
「どうして? もっといい人生を歩めたかも知れないよ。それともレナは後悔が一つもない人生だった?」
戻らないと言ってくれるのは嬉しい。私だって今更戻る気はない。だけどそれはすでに繰り返したからだ。後悔のないようずっと意識していた。だけどレナは違う。ほどほどに失敗や恥をかいたりしていた。もちろんそれも可愛かったけど。私じゃなかった可能性を一度も考えなかったのだろうか。
反対の手でレナの手の甲を撫でながら否定の答えが聞きたくて尋ねる私に、レナが子供たちに向けていたような顔で少しだけ指先に力を入れて私の手をつかんだ。
「……本当に、頭でっかちの、お馬鹿さん。たとえ何回やり直したとして、今、この時に戻ってくるんだから、そんな無駄に面倒なこと、するわけがないでしょう? 私は今が一番幸せなんだから。今、この世界が、私が選んだ未来なのよ」
「っ……ああ。私もそう思うよ」
私は胸がいっぱいになるのを感じた。レナの人生に不満はなく、今でよかったのだと言ってくれた。レナが命をかけて私にやりなおさせた未来は、これでよかったんだ。私は間違ってなかった。
今この瞬間につながる全てが、レナと別れずに過ごすため、たったひとつの正しい選択をずっと選び続けてきたんだ。レナを愛し、レナから離れず、レナと共にいる道を、選び続けてきたんだ。
「これが、大好きなレナと幸せに過ごすためのたったひとつの道だったって、心から信じているよ」
「じゃあ、聞くんじゃないよ……まったく。……馬鹿なことを話して、疲れたわ。少し、寝るわね」
「お腹は空いてない?」
「大丈夫よ」
段々食が細くなってきたレナだったけど、数日前から固形物を受け付けなくなった。栄養価の高い水分で誤魔化しているけど、もう内臓が弱っていて、本当はすでに死んでいてもおかしくないのだろう。
だからこそ今際の際、なんて冗談で言ってみたのに、それに怒ったり、まだまだ生きると強がりすら言ってくれなかった。
でも、わかった。レナが心から満足してくれていることがわかったから。私もそろそろ、諦めよう。レナが今日まで生きてくれたのは私の為だ。私が熱心に世話をして、魔術を駆使してなんとかするから、レナもそれに付き合ってくれている。
だけど本当は体は限界で、きっと話をするだけでもそうとうな苦痛なんだろう。もう疲れたと言うなら、静かに眠らせてあげよう。
「そっか。じゃあ、もう寝るのを邪魔しないよ。ゆっくり休んで」
「ん…………ねえ、気持ちよく、眠れる魔術、あるんでしょ? つかってくれない? 昔、してくれたでしょ?」
「……うん、いいよ」
本当に眠れる魔術を指しているわけではないことくらい、長い付き合いだからわかる。つい最近も確認された。楽に死ねる自死の魔術があることを。最期を覚悟した人間が、安らかに眠るように死ぬ魔術。自分自身ですら使えるから自死と言う名前だけど、もちろん他人にも使える。とはいえこれはあくまで本人が了解していないと使えない。少しでも拒否しようと魔力防御すれば簡単に一般人の無意識レベルでも防げる。そう言う風にあえてつくられた魔術なのだ。前回のレナもきっとこの魔術を使ったのだろう。あまりに安らかな死に顔だった。
レナにもう一度会うまで、瞼にやきついて離れないほど美しい死に顔だった。
私はレナの手を強く握りながら、魔術を行使した。使い慣れない、むしろ嫌いな魔術ですら私は何一つミスすることなくすべらかに発動させてしまう。だけどその途端やわらいだレナの表情に、私もほっとする。
ここしばらくずっと、レナは苦しいのを無理に誤魔化すようなこわばった顔をしていたから。
「ああ……さっきまで苦しかったのが、嘘みたい。テン……やっぱりあなた、最高の魔術師ね」
その声からも、重さがなくなっている。少しかすれていても、その伸びはレナの元気なもので、レナは私を向いてほがらかに微笑んだ。それだけで涙が出そうなのをこらえる。
「ああ、もちろん。レナが望むなら、その通りだよ」
「ありがとう……愛してる。大好きよ」
「私も愛してる。すぐにではないけど、そっちに行ったら必ずもう一度会いに行くから。だから、隣はあけておくんだよ」
「しかたないわねぇ。こんなおばあちゃんになっても、あなたは私が好きで仕方ないんだから」
「うん、そうだよ」
素直に頷くと、レナは微笑んでその目を閉じた。少しだけ、その眼尻には涙が浮かんでいる。
「馬鹿ね。……手、離さないでね」
「うん。離さないよ。お休み、レナ」
レナは一度だけ強く私の手を握り返し、そしてゆっくりと力をぬいた。ゆっくりと、その体から生気が抜けていくのが目に見えてわかる。いま、まさに天に昇っていくのだ。天井を見上げて、その手が冷たくなるまで見えないレナを見送った。
とまってもまだ頬をぬらしている涙をぬぐい、レナを見る。ようやくはっきりした視界の中、美しいレナの死に顔があった。前に見た時より、たくさん年をとり、たくさん苦労が刻まれていて、だけど前に見た時よりずっと、綺麗だと思った。
そっとその唇にキスをした。冷たくて、でもまだ少し柔らかいレナの唇。
「……レナ、愛してるよ」
この言葉が、天まで届くのだろうか。届かなくても構うまい。だって、思いはすでに伝わっているのだから。ただ、言いたくて言っただけだ。
おやすみ、レナ。また会う日まで、いい夢を見てね。
大好きな恋人と別れない為のたった一つしかない方法 川木 @kspan
★で称える
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