第二章 ウェルテル河浄化作戦編
5-1.どうかこのままでありますように
巨塔の国、アンヘルカイド国。
コペルク大陸の端っこにある辺境の地に
だけど、この塔はいつ、だれが、なんのために建てられたのか、知る人はいない。なんでも、一説によれば太古の
ぼくが小さい頃、家庭教師より教わったことだ。そして、塔の外に広がる悠久の大地には世にも恐ろしい魔物が蔓延っていることも。
だけど、違った。
第13層と称される塔の外には、ちっぽけで、だけど温かい村がひとつあった。心優しい人々が住んでいた。
村の名前はユング。
第13層を――この悠久の大地を見守る神の名前だ。
「あ、あの……」
ぼくは小さな家のベッドで寝かされていた。半ば強制的に。
塔の国で転落し、河に流され、果ては看病してもらったときのことを思い出す。でもあのときより、不安はなかった。でもちょっぴり戸惑っている。
もう熱は昨日から下がっているし、咳も鼻水ももう出ないから大丈夫だとは思うのだけど、ベッドのそばの椅子に座っている民族調の衣服を羽織った女の子――ランネはぼくから目を離そうとしなかった。
艶やかなミルキーブロンドのワンサイドショートヘア。同い年だけどぼくよりも少し背丈があって、女の子らしいスタイルをしていて羨ましいと思ったり。でもそのぱっちりとした黄金色の瞳は無垢な子どものよう。
「気持ちは嬉しいよ。アリー自身の意志でここに住みたいって言ってくれたんだから。河をきれいにするって話だって大賛成だよ。私もできることがあるなら協力したいし」
数日前、自分の口からそう言ったことは今でも鮮明に覚えている。なのにこうして風邪をひいてしまったわけなのだけども。
彼女の両手がぼくの頬を挟み込む。唇が前に押し出された。
「でもまずは休養から! 大事がなくて良かったけど、健康と安全が第一なんだからね!」
ふたつ言ってるけど……。
両手を離され、席から立った。先ほど食べた夕食の片づけをするのだろう。重ねられた食器が乗っているプレートを持ち上げたとき、ぼくは恐る恐る、万全だということを彼女に伝えた。
「も……もう平気、だよ?」
「でもまたどこかに飛び出していくかもしれないんだから。だからしばらくは見張ってるの」
振り返りざまに彼女はそう言い、部屋を後にした。すぐ戻ってくるのか、左手奥のドアは開きっぱなしだ。
ランネはやさしい。でもちょっぴり過保護かも。
すぐに歩いてくる音が近づき、ランネは戻ってきた。洗うのは明日にするのかな。
「でもさっき触った感じ、もう風邪も治って具合もよくなっているから、明日から外に出られそうだね」
彼女は
「うん。ウェルテル河を、きれいにするために……いろいろ、準備が必要、だから」
錬金術があれば、あの汚染された大きな河を浄化することはできるはず。だけど、ぼくだけのちっぽけな力じゃ到底及ばない。
必死だったとはいえ、あんな大きなこと言っておいて、ひとりじゃなにもできない自分に歯がゆさと悔しさを覚える。いろんな人の力がないと、絵空事で終わってしまう。
「そういやケイディも言ってたな。『まずはよぉ、信頼関係から築いた方が協力も仰げるだろ。そうなりゃ不審がられることはねぇしな』って」
椅子にどっかりと座り、傍の机に肘をついて偉そうな、そして気怠そうな振る舞いと低めの荒々しい声色でランネはそういった。もしかしてケイディさんの真似をしている?
「似てるでしょ」
にひっと、いたずらっ子のように笑いかけた。ケイディさんに対するぼくの印象と彼女の印象はちょっと離れているようだ。でも、胸の中でわだかまっていたものが取れたような気がした。
なんだかんだ、ぼくを毛嫌いしている彼も気にかけて助言してくれている。それがたまらなく嬉しかった。少し複雑だけど。
ぼくは小さくうなずき、頬を緩ませた。
何をするにおいても、まずは村の人たちと関わることから。
「でも、できるかな……」
不安だった。部外者が、それも出来損ないって研究所の人たちに言われ続けてきた錬金術師が、村の将来を背負うような大きな問題を解決できるのか。人とまともに会話することだってできないのに。
強い力が両肩に加わる。思わず顔を上げると、目の前にランネの顔があった。
「大丈夫! 私がいるから!」
大きめの声にちょっとびっくりしたけど、その言葉がとても頼もしく思えた。根拠のない自信だったとしても、そう言ってくれるだけで、目が熱くなってしまう。
「うん……ありがとう。でも、あのね。最初に……話しておきたい人が、いるの」
ベッドに座った彼女はそのまま耳を傾ける。途切れ途切れに、ゆっくり話すぼくに合わせてくれる。
「錬金術を知っている……ダイマンさんに協力、してもらわないと、河の浄化は……難しい、と思う」
「そうだよねぇ。あの人、人はいいんだけど気難しいから」と、背もたれて腕を組んでは苦笑する。
「ど、どっち……?」
矛盾した性格の持ち主のようだ。それに、前にダイマンさんのことを変人と言いかけた点も気になっている。だけど錬金術を扱える人が一人と二人とでは全然違う。変人呼ばわりされているなら、それだけの実力はあるのかもしれないと根拠のない期待があった。
「ま、明日のことは明日考えよ! 万全な状態でね!」と寝かされる。
布団から顔をのぞかせると、ベッドに腰を落としたランネがぽんぽんと布団越しでぼくの胸あたりをやさしく叩いた。
「アリーが眠るまでそばにいるから」と、彼女は微笑む。
「でも、ランネさ……ら、ランネも、眠い、でしょ?」
熱だって移っちゃうかもしれなかったのに、一昨日も昨日も夜遅くまで看病してくれて、そのまま寝ちゃったんだから。
でも彼女は元気よく首を横に振った。
「全然! 夜はまだまだこれからなんだから!」
といったそばからあくびをしちゃったけど。
「ぼくは、もう……だいじょうぶ、だから。その、あまり眠れてないよね」
「確かにそうだけど」と言いながらううんと悩む。しかしすぐに花が咲いたように閃いたような顔に。
「そうだ! 一緒に寝ればいいんだよ」
「へ?」
どういう思考でそうなったのか考えをめぐらすうちに、ランネは有無を言わず布団の中に潜り込んできた。
「えっ、え、あっ」
「これなら安心する?」
「……ち、近いよ」
真横に並んでは彼女の顔が目の前に来る。カモミールの香り。向かい合っていることに気づき、思わず顔をそらした。あんまり顔を見られるのは得意じゃない。でも彼女はそんなこと微塵も気にしていなさそうな様子に、他の人に対してもやっているくらい慣れていることなのかなと考えてしまう。
なんだかあのときを境に親密になっているような。それは嬉しいけど、ちょっと大胆だ。
「女の子同士なんだから恥ずかしがらなくてもいいのに」
「そ、そうなんだけど……」
そういうことじゃない。でも不思議と嫌ではないと思う自分に驚いている。
彼女はぼくの髪を撫でるように触っては、
「やっぱりアリーの髪きれいだな。さらさらなんだけど、ふわふわしてるしいい匂い」
「それは……ランネが、いつも、て、手入れ、してくれているから」
怖さとは違う気まずさが声をか細くさせる。顔が熱い。
最初は嫌だった。大嫌いな白い髪を、大好きだといわれることに驚きと疑念があったのだから。だけどお風呂で髪を洗われるときも、長い髪を乾かして櫛を入れるときも口にするから、お世辞でなく本心なんだろうとようやく信じることができた。それでもぼくは複雑な気持ちだけど。
研究所にいたころは自分の身なりをあまり気にしていなかったな。かわいいものには興味あったけど、化粧やお洋服は可愛い女性でないと嗜めないものだと思っていた。くせっ毛はあるも、ぼさぼさの状態から毛並みがさらさらと整ったのはランネのおかげだ。
「アリーは磨けば磨くほどかわいくなるってこと、自覚しないとね」
「……そんなことない」
「そんなことなくない! アリーはかわいいの!」
「……」
この人はずるい。でも、言い返す気もなかった。必ずぼくが負けちゃうから。
悶々としていると、寝息を立てていることにぼくは気づいた。人の気も知らないで、ちょっぴり自分勝手だ。でも、やっぱり疲れてたんだ。
「……」
見つめられていない今なら、彼女の顔を観ることができる。
睫毛、長いな。鼻筋もスッとしてて、肌も白くて健康的で……とてもきれい。
あ、目尻にほくろがある。知らなかったな。
唇もきれいなピンクで、やわらかそう。
まるでお人形さんみたい。
かわいいな。
「……っ」
なに考えてるんだぼくは。
目をつむろう。何も考えないようにしなきゃ。どうしよう、胸のどきどきが止まらない。
自分ばっかりこんな気持ちになって、どうかしている。友達ってこういうものなの? できたこともないからわからない。けど、離れてほしくない気持ちに嘘はない。ぬくもりを感じて、このまま眠りにつきたい。
どうかこのまま、安らかな夢を見させて。
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