4-1.足枷の意義 (Side:ルドベック)
ルドベック・ベロウソフは憂鬱に見舞われていた。
急遽予定として入れ込まれた王立中央錬金術研究所内の"監査"。抜き打ち検査に等しいそれだろうと最大限の対処を施し、一日の大半を費やした。
「ようやく監査も終わったか。まったく、しつこい連中だった」
疲弊した足取りでいら立つ声をこぼしつつ、部門長室の豪奢な席に背もたれ、ネイビーのネクタイを少し緩ませては息をつく。いまは
だががすぐに彼はネクタイをキュッと締め直し、懐中時計を開けて時刻を確かめる。もうすぐ日が傾く頃。企業提携の会議は一時間後だから時間は少しある。自身の管轄下である6つの研究プロジェクトの各成果報告書と来年度の各予算案をまとめられるだろう。研究振興局から研究費を打ち切られては自分どころか研究員の生活すらも危うい。
整頓されたエグゼクティブデスクに複数枚の書類をファイルから取り出す。羽ペンを手にし、インクをつけたとき、ノックの音が左奥の扉から聞こえた。そのときに、ルドベックは生産性を見いだせない予定をこの時間に入れていたことを思いだし、舌打ちをした。
「入り給え」
扉を開け、入ってきたのは第4研究プロジェクトの主任を務めるシェスカ・ライプニッツだった。白い錬金術衣を羽織る彼女の燃えるような赤い髪はひとつに結っており、その鋭く紅い瞳は女性にして並々ならぬ力強さを感じさせる。いつもの気さくで明るい雰囲気とは異なり、いまは近寄りがたいオーラを纏わせている。
だがルドベックはものともせず、半ばうんざりとした心情を事務的なそれに含ませ、眼鏡越しの凍てつく瞳で返した。
「解雇の件なら先日も説明しただろう」
デスクの前に彼女は詰め寄るように立つ。だが、その口調は至って冷静だった。
「あのご説明では納得いたしかねます。多忙の身で手短に済ませていただいたところ恐れ入りますが、私の理解不足故、再度確認したく存じます」
「いい皮肉だな。私も君のことは良く知っている。回りくどい真似はそのあたりにして、もっと君らしく話したらどうだ」
すぅ、と一呼吸の間が空く。シェスカははっきりと口にした。
「なぜアルメルト・サフランをクビにしたのですか。合理的かつ正当な理由を求めます」
この研究所から追い出されたうら若き錬金術師の不当解雇を、彼女は訴えていた。アルメルトが辞職したその日、シェスカは直ちにルドベックに直談判したが、結論として上の判断と返されただけであった。
アルメルトの不当解雇に対し無関心はもちろん、かえって辞めて良かったと周囲の反応にも流されることなく、腑に落ちない彼女は再び物申しに出た。
カリカリと書類を書きながら、ルドベックは答える。
「相対的な業績不振と客観的な評価を鑑みれば分かることだ。それに、経営方針で"プロジェクトPS1"は次の段階に入ることが決定された。予算の打ち切りを回避するためにな。書類不採択の件もあり、彼女に応用研究は不向きだろうと判断した」
「無茶な押しつけにも見受けられましたが。第三者の目から見ても、あれは酷使以外の何物でもありません。それに、事前通告もなく即日解雇なんて、労働法に反しているのではありませんか。任期も来年度末だったはずでしょう」
「それ以前に雇用契約法に基づき随意雇用の適用がなされている。従来不要とされる手当金を支給しただけでもありがたいと思っていただきたいがね」
それに、とルドベックは続ける。
「彼女は特別な措置の下で雇用された異例だ。どうも運営統括の誰かとハギンス博士の目にはお高くついたようだがね、ここは学園でもなければ市の職人が集うギルドでもない、王の名のもとに作られた研究施設だ。子どもだろうと容赦はしない。最初から首の皮一枚で繋がっていた不安定な存在が彼女なのだよ。外見と境遇に同情し、私情で雇用契約する方が法令的に違反していると思わないかね」
本来ならば、採用の判を押し、指導の責任を務めたハギンス特任教授が退職された時点で、彼女は解任されるべきだった。だが、ハギンスの特例推薦により任期は二年間延長された。
だが、彼がいなければ飼い主を失った犬も同然。家族との縁も切れた少女のお守など、この灰色に染まる法の下で誰がしようか。
「……労働における人種や種族の平等は、この国の労働法でも認められているはずですが」
「生憎だが、彼女を差別的な理由で解雇したわけではない。改善の余地がみられない能力の不足、幾度に及ぶ損害報告、組織への貢献不足……それらが認められただけでも十分な理由だ」
「彼女は優秀な人材です。現場にいた私だからこそわかります。確かに他者とのコミュニケーションに難はありますし、基礎的な能力の欠如も目立つことでしょう。しかし、私たちにはない尖ったものがあります。接していくうち、あの臆病で心優しい少女の中に確固たる情熱を感じました。10代という若さにして複数の研究を並行し、一つの形に仕上げた研究遂行能力は稀有の才能であり、将来的に大きな財産となるはずです。今すぐでなく数年後に、彼女の真骨頂が開花すると私は確信しております。これからの錬金術を切り拓くには彼女が不可欠です」
後ろに組んでいた手が離れる。熱が入った言い方だろうと、上司は即座に切り返した。まるで自分の決定が間違っていないと言わんばかりに。
「随分と肩入れをするではないか。他の誰もが彼女を鼻つまみ者扱いしていたというのに」
「この国を豊かにする指折りの人間を支持しない愚か者がどこにいるというのです」
ぴたりと筆を止める。見上げた部門長の視線は鋭く、主任の燃え盛る紅い瞳を凍てつかんとした。
「……我々の意思決定が間違っていたとでも?」
「お言葉ですが、私はそう感じております」
静寂。冷たくもひとたび接触すれば爆ぜてもおかしくない張り詰めた空気。それを破ったのはルドベックだ。ただ、「ハッ」と鼻で笑った。
「なにかおかしなことでも」
微かに眉をひそめるシェスカに対し、筆をおいたルドベックは同情の目の色を向けていた。何かをあきらめたような様子に、彼女の怒りは腹の底で煮えたぎる。
「短絡的で、感情的な発言に過ぎん。やはり現場は現場の目でしか物事を計れないようだ」
「部門長は明確な先見の目を持っているとでも?」
「直に分かる。あの研究がどう動き、そこに彼女がいないことのメリットも明らかになるだろう。今の我々に足枷は不要なのだ」
「……っ」
なにも伝わっていない。根本的に価値観が違い、そして強情。そう判断したシェスカは、奥歯を噛みしめ感情の爆発を抑える。
息を一つ吐く。
「その様子なら、彼女がどこにいるかも存じていないでしょうね」
「無論、知ったことではない。ただ解雇証明書等の書類を受付で受け取っているならば職には困らんだろう。最も、それは"下層区"で通用する話だが、あの若さなら拾ってくれる輩は腐るほどいる。死にはしない」
「っ、なんてことを……!」
工房で寝泊まりするほどの錬金術師とはいえ、元貴族育ちのいたいけな少女が護衛の一つもつけずに下層区に行くにはリスクがある。騎士団の治安維持体制という名ばかりの活動があろうと、白磁病の子どもを平等に扱う者などいるとは考えにくい。
驚愕の息を吸うシェスカに、ルドベックは至極当然と自らの判断を押し通すように声を一段と大きくした。
「本来ならば彼女を引き取ることもなければ、ひとつのミスでもしようものなら直ちに追い出してもおかしくはない状況だったのだ。これまでも含め、我々なりの温情だと受け取っていただきたいがね」
淡々とした口調はまるで感情がない自律人形のよう。落胆を覚えたシェスカは、呟くように吐き捨てた。
「……あなたほど残酷な人間は初めてです」
少しの間が空き、彼の刺すような視線が逸れる。まるで思考に耽るようなそれだった。
背にもたれたルドベックは足を組み直し、組んだ両手を大腿の上に置く。話すその目は、手元にあり、シェスカを見ていなかった。
「深淵を知ったに過ぎん。こちら側になればわかることだ」
話が終わったと言わんばかりに懐中時計を露骨に音を立てて開く。それを察したシェスカも、これ以上口出ししたところで不毛だと判断したのだろう、一歩引きさがり、しかし未練を残さないように、口を開いた。
「ルドベック
声を張り、きっぱりと言った彼女は一つ結いの紅い髪を揺らしては踵を返し、扉の前へと歩を進める。「失礼いたします」と一言添えては退室した。
閑散とした一室。パタタ、と窓に打ち付けるような静かな音は雨か。薄暗くもなり、室内の照明が一層明るみに感じる。
椅子に背もたれた彼は深い息を吐いた。
「……そう。足枷を外せば明らかになるはずだ。メリットも、デメリットもな」
引き出しに手を伸ばす。そこには
一度目を通したそれを手に取ることはなく、彼は指向性拡張音の魔術効果が施されたベルをチリンと鳴らし、呼びつけた秘書に珈琲を頼んだ。
すっかり濡れた窓へと目をやる。鈍色の空は夕方にしてはやけに暗く、濁っているようにも見えた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
第一章、完結。
次回、第二章「ウェルテル河浄化作戦編」
読んでいただき、誠にありがとうございました!
引き続き、拙作をよろしくお願いいたします。
また、質問等ございましたらお気軽にお申し付けください。
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