3-3.想起の涙

 なにかの紅艶の甲羅を器にして盛り付けられた肉や煮込まれた緑黄色野菜の具が、とろみのある橙のスープにいっぱい入っている。細切れにした緑葉と白いソースがかかっており、白い湯気は食欲をそそらせる匂いを含んでいる。


「いただきまーす!」と元気よく言ったランネさんは、熱々のそれをスプーンですくて口に運ぶ。はふはふいいながらも、「ほひゅあ~」と変な声を漏らすランネさんの顔はとっても幸せそうだ。


 ぼくも「いただきます」と手を合わせ、丸いパンをちぎってはスープに浸けてかじった。塩味のある歯ごたえのあるパンに染み込んだスープの温かさが、旨みとともに口の中を満たす。

 いろんな野菜のエキスと肉汁の旨味、そしてミルク特有のまろやかさ。そして食べたことのない独特で濃厚な味がベースになっている。微かに貴重な魚のそれに似てるけど、何か違うような。

 それでも目を大きく開いて、口角が少しばかりほころんでしまうくらいの美味しさだ。

 

「おいしい……!」

「気に入った?」

 ミンさんの微笑んだ顔が覗いてくる。思わずぼくはこくりと頷いた。


「うん……っ、あっ、えっと、は、はい……とても」

 ランネさんと話すつもりで、いや、そのままの自分を見せてしまったようで、顔が熱くなってきた。


 それと同時に、

「「「……」」」

 なんだか複数の視線を感じる。ミンさんがカウンターに戻った時に、イッチさんたちが次々とオーダーし始めた。


「店主、あの子にとびきり美味いステーキを」

「俺はとびきり甘いパンケーキを」

「いや、ここは人気のフルーツサラダをだな」

「そんなに食べきれるわけないでしょうが」

 そう一蹴された3人はしょぼんと肩を落とす。ミンさんは構わず何かを探しているようだった。

 それにしても、どうしてぼくに食べさせようとしていたのかよくわからなかった。


「人気者だね、アリー」

 そうランネさんがにひっと笑いかけてくれる。でもどういうこと?


「な、なんで……?」

「だっておいしそうに食べるから」

「っ!? や、やだ。みないで……」

 口と鼻を両手で覆い隠した。そんなに顔に出ていたのぼく……? しかもまじまじと見られていたことに恥ずかしさを感じる。それで人気者というのも意味が分からないし。

「はい、これ」


 コトン、とぼくたちの前に手のひらサイズの土色の厚い壺、いや、上半分ほどがカットされているなにかの卵の厚殻を器にしたものが置かれた。中に黄色くて甘い香りの凝固物が詰まっている。フルーツの欠片も混じっているような。


「サービス。当店自慢の卵プディングよ」

 すると、ランネさんは飛び上がるように喜んだ。


「やったぁ、これ大好き! えへへ~、ありがたくて涙が出るよぉ」

「よだれしか出てないぞー」

「あ、あのっ……こ、こんな高そうなもの」

 ただでさえ辺境の村なんだから、かなり貴重なんじゃ……。


 だけどミンさんはけろっとした様子で、腰に手を置いては、

「遠慮しないの。サービス提供も商売の基本よ」

「ひゅーひゅー!」

「よっ、さすが姉御!」

「ナイスツンデレ!」

「惚れちまうぜ!」

「あーもううっさい、からかうな馬鹿!」

 3人の喝采にミンさんは声を張る。ちょっと照れているのかな。


「早く食べよ、アリー」

 待ちきれないのだろう、返事をしては、ランネさんが食べるのを待った後にぼくもスプーンで蒸した凝固物をすくい上げる。ぷるぷるとしていて、やわらかそう。


 はむ、と口に入れる。甘い。とろりと溶ける卵とミルクの風味と甘みが、口の中にいきわたり、後からフルーティな香りが続く。おいしい。


「……」

 これ……なんだか懐かしい味がする。遠いようで近い、記憶の奥底に片づけていたもの。


 あぁ、そうだ。家だ。

 弟のオーリアを養子として迎え入れる前に、お母様がお昼時に一度だけ作ってくれたお菓子に似てる。ほんのりとした甘みが、当時の情景を引き出してくれる。


 だけどちょっとへたくそで、うまく固まっていなくてミルク臭かったっけ。試食した使用人の複雑そうな顔に、お母様は顔を赤くしたけど、ぼくがそれで笑ったら、ふたりとも笑ってくれた。


 あのときはまだ、幸せだったのかもしれない。どうしてこんな大切なことを忘れていたのだろう。


「アリー?」

 え、あれ……?

 目が濡れている。頬からあごへとなにかが伝っている。


「え、ちょ、なんでその子泣いてるの」

「あー! ミンちゃんが女の子泣かしたー!」

「「わーるいんだー悪いんだぁ!」」

「うっさい男子!」


 周囲の戸惑いに気付いたぼくは、すぐさま訂正する。思いっきり泣いていることに恥ずかしくなって、耳や顔が熱くなった。

 うまくいえない理由を変に話すより、とっさに思いついた言葉をぽつりぽつりと口にした。


「あ、えっ、あ、ちが、違うの……こんなにおいしいの、はじめて、で……あ、あの、あまり、みないで……もらえると。えっと、はずかしい、から……」

「そ、そう? そこまで……?」


 ミンさんの意外な声を最後に、ランネさんがハンカチで顔を拭ってくれた。大丈夫、といってもやめてくれなかったけど、その瞳は慈しみを含んでいた気がする。

「とってもおいしいでしょ」という笑みに、ますます顔を赤くしてしまった。


「店主、この金をあの子に渡してやってくれ」

「もっと腹いっぱい食べさせてやってくれ」

「あんな顔見ちまったら払わずにはいられねぇよ」

「まずあんたたちが食った料理の代金を支払いなさいよ」


 カウンターの方でジャラ、と音が3つした。大きな胸を持ち上げるように腕を組む店主はそう呆れた様子でなぜか号泣している男の人たちに言う。

 なんでイッチさんたちが泣いているのもお金を渡そうとしているのもよくわからない。お金がないから貸そうとしているのかな。いや、まさかぼくが泣いたから同情して……? そうだとしたら申し訳ないことをしてしまった。


「で、あんたはこれからどうするんだい。いつまでもランネのもとで世話になるわけにもいかないでしょ」

 顔を向けられ、ぼくはびくりと体が浮く。

「は、はい。それはもちろん、ですが……」


 塔の国に戻ったところで……。

 お金もライセンスも家もない。貴族の下で生まれ育ったことも、ぼくにとっては足枷に過ぎず、下層区でひとり暮らせるだけの常識さえもない。肉体労働も然り、事務作業も然り、錬金術以外は普通よりも劣っているとみなされていては、他の仕事をできる気はしない。


 きっと今は死までの猶予期間。死ぬ前に与えて下さった、幸福という気持ち。もう、ぼくは満足だった。だから避けられない終わりを迎えるなら、じわじわと苦しんで命を削りたくない。


「……」

 ここに残って暮らすにしたって、なにかしらの貢献は必須だ。いつまでもランネさんに甘んじているわけにはいかない。顔には出していないけど、きっと無理しているんだろうし、負担になっているのは間違いないだろうから。


 ダイマンさんという錬金術師を目指している方のもとに話を聞いてもらうとか。でも、断られたらどうしよう。


「そんときはそんときだよ。完治までまだまだ時間はあるし、ゆっくり考えればいいよ。なんなら私のお手伝いしてくれても大助かりだし。まぁどうするかはアリー次第だね」

「ランネは楽観的すぎる。"村長"にも話を通してないんだから、追い出される可能性もあるのわかってる?」


 追い出す、という言葉にぞくっとする。

 やっぱり、そういうことはあるんだ。それの判断はこの集落のトップが下す……。

「村長……」

 誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟く。

 どこの集落や組織にもやっぱりトップはいるんだ。まだ挨拶できていないことに一抹の不安を覚える。もしかして無礼なことをしてしまっていないか。


「えー、"教会"に報告はしてるし、何も言われてないから大丈夫だと思うけどなー」


 ランネさんは相変わらずどうってことないような口調だ。イッチさんたちも「まぁまぁ」という様子だが、腕を組んでいて少しだけ思い悩んでいるようにも見えなくもない。帽子の人は反論の口をミンさんに向けていた。


「なに言ってんだよ店主、悪いことしてもねぇのに魔物だらけの土地に追い出す鬼がこの村のどこにいるってんだ。あ、店主か」

「魔物の餌になる?」

「すいません」

「事故とはいえ、運よくここにたどり着いたんだ。できることなら俺たちも全力で支持したい……が、村長の決断には従った方が良いのは確かだな」とノッポの人。


 それだけ村長さんの権限が強いんだ。ただ、みんなの顔を見る限り、支配的ではないようにみえる。信頼できる人なのだろう。


 よっぽど不安そうな顔をしていたんだろう、ミンさんは安心させるようなやわらかい声色で話しかけてきた。


「ちょっと脅しが過ぎたみたいね。そんな顔しなくても、ここの人たちはむやみに外の人間を取って食おうとしないわよ。人も魔物もみんな同じ大地から生まれたんだからさ」

「は、はい……」


 塔の国に戻る方法もまだわからない。冒険者の方が訪れるのを待つ選択もある。でも、魔窟の土地ならば、ここで暮らすこともひとつ。しかし、強制的な追放はないにしろ、この村に貢献できることをしなければいずれ追い出されるだろう。


 職場ジョブ肩書ステータスも、業績かこも関係ない。能力スキルだって場所と状況次第で役に立つとは限らない。否定され続けてきたほどのできの悪い錬金術師ぼくに、居場所はあるの?

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