3-4.獣人と霊獣と牧場と
*
「いやぁおなかいっぱいだよ~。ミンさんの料理おいしかったでしょ」
ぽんぽんとおなかを叩くランネさんはご満悦のようだ。あのあとおかわりしたんだからすごい食欲だ。
隣を歩くぼくは民家越しの畑に目を向ける。膝丈ほどの作物から背丈を越えるものまで、そのいずれもが何なのかはわからないが、ところどころ枯れている色が目立っていたことに違和感を覚えた。
とはいえ
わずかな坂道がちょっとしんどくなったころに、ランネさんが声をかける。その元気いっぱいな様子は思わず足の疲れがとんじゃうほど。
「これから牧場に行くんだけど、私の友達がそこで働いているの」
そのときにふと見えた湖畔と木々、そして丘の上の平原。とはいえまだ丘の頂上でもないが、そこに草を貪る魔物が数頭居座っていた。
「け、
「あれは家畜。みんなおとなしいから大丈夫だよ」
柵についていた扉を開け、道なりに進む。だだっ広い放牧地にぽつぽつといる魔物は一種類にとどまらない。左手の柵越しには半楕円球状の大きな石色の硬い皮膚をまとう
「ひゃっ」
右側に気を取られていて、左手の目の前にいた綿毛の四足角獣に気付かなかったぼくは、びっくりしたあまりランネさんにぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい……っ」
「あはははっ、怖がることないよ。みんなおとなしくてかわいいから。ほら」
そう言って牧草をむしり取り、魔物の口元に出す。すると魔物は口を突きだしてはなめとるように草を取り込んで咀嚼した。
「アリーもやってみたら?」
そう訊いておいて牧草を渡してきたので、断る選択肢はなさそうに思える。ただ、相手も悪気はないので、せっかくの親切心を無下にしない為にもぼくは草を受け取り、ゆっくりと魔物へ差し出した。草の先端がふるふる震えている。
そんなぼくの心境をお構いなしに魔物は手に持っている草に食らいついた。体ごと引っ張られたぼくはとっさに手を離し、大きく後ろへ下がる。変な声を出しちゃった気がするけど自分の手も食べられそうだったのでそんなことを気にしている場合ではない。
「た、たべた……」
「そりゃ餌だもん、食べるよ」と彼女はその魔物を撫でながら笑う。「こうしてみると結構かわいらしいでしょ」
彼女の真似をするように、ぼくもおそるおそる手を伸ばし、草を咀嚼している魔物の顔を触る。変な感触、でもあたたかい。そうか、魔物も生きているんだ。
「うん……そう、かも」
と言ったときになんだか違和感を覚える。魔物が食べているものが緑色でなく白色であることに。そして自分の頭が引っ張られているような感覚に。
「……へ? ひゃあっ!?」
「ってアリー! 髪の毛食べられてる! 離れて離れて!」
やっぱり魔物は怖い。愛着をもつのはまだまだ先かもしれない。
ランネさんに助けてもらい、膝丈まで伸びている白い髪は無事だった。そういうこともあると励まされたのか否かわからないフォローを入れられながら、丘の上へと歩を進めた。
「シィーナーッ!」
草地の先、ぽつんと、しかし大きな家屋と風車が目に入った。隣接する家畜用の小屋と思わしき建物からちょうど出てきた人物に、ランネさんは大きな声で呼んだ。
近づいていく内にその人が綺麗な女の子だとわかった。
陽の光できらきらと輝くような、空色を帯びた綺麗な髪は長く、膝丈まで続いている。おっとりとした目つきと表情に、物腰の柔らかさを思わせる。ぼくたちよりは少し年上だろうか。ランネさんや他の村人たちと同じ独特な民族衣装だが、少しデザインが異なり、また厚手の手袋と腰エプロンをつけているあたり家畜の世話でもしていたのだろうか。
そして肩に乗っている白い毛玉にしか見えない小さな魔物。「みー」と小さな口を開いて小さく鳴くそれは、尻尾も二つの耳もまた白く、丸かった。あれも家畜なのかな。
ただそれよりも、気になったことが一つ。
「あら、ランネちゃんじゃない。そちらの子は?」
声色までやわらかく、おっとりした印象。ミンさんのときよりかは緊張がなかったぼくは、今度こそ自分から挨拶できた。
「あっ、アルメルト・サフラン……と、いいます」
「アリーって呼んでね!」とランネさん。てっきり突っ込まれそうだと思ったが、「わかったわ」と気にすることなく承諾してくれた。
「シイナ・アマウミっていうの。気軽にシーナって呼んでくれると嬉しいわ。よろしくね、アリーちゃん」
気になったこと。それは彼女の頭部に生えている獣の耳と、臀部の青白い毛並みの尻尾。
そして聞き慣れない名前。この国の生まれではないのは確かだ。書物で知った程度だが、彼女はこの大陸の外から来た種族だと云われている――。
「"
腰をかがめ、顔を覗いてきたシーナさんにびっくりしてしまう。
「あっ、す、すみません。まじまじとみてしまって……」
「ふふ、いいのよ。"
それに、言い伝えや物語では、亜人族の多くは美しい姿をしているという。シーナさんも例外ではなかった。次元が一つ違うというか、まるで絵画の幽玄な人物を見ているかのような。
いろいろ気になったぼくの気持ちに気づいたかのように、ランネさんは彼女の代わりに紹介してくれた。
「シーナは"
「いまは牧場のお仕事が中心ね。調教師の腕を生かしやすいから気に入っているの。みんなかわいいしね」
特定の魔物を飼いならす調教師なら人間でもできるようだが、中立に立つ亜人族なら魔物とのコミュニケーションも取りやすいのだろうか。それならば、牧場で家畜を飼いならすのは容易だろうな。
「ヨハンナ夫妻はお仕事?」
「ええ、小屋で餌やりをやっているわ。あ、そうだ」
パン、と両手を合わせて、牧場の方へと目を向ける。
「コテツ、こっちにおいでー」
家畜の世話をしていたのだろう、坂下で角獣のそばにいた人が振り返っては、たたた、とこちらに走ってきた。しかしぼくたちの存在に気付いたのか足を止め、帽子を深くかぶる。まずまじとぼくらを見た後、ダッ、と遠回りして家屋の角へと走っていった。こちらから挨拶くらいはするべきだったのかな。
茶色の
「あの子はずかしがっているわね」
「コテツくん
ふたりはくすりと微笑ましそうに顔を見合わせた。
そのとき、さっきの少年がこちらに走ってきた。思わずびっくりして一歩下がった。
「あら」とシーナさんが言う。少年の手には桃色の花があり、それをぼくの前に突き出してきた。
「……ん」
「えっ、あ、あの……?」
どういうことだろう。どうすればいいのか戸惑っていると、少年はもう一歩前に出てきて目の前に花を見せてきた。もしかしてくれるってこと……?
「ん!」
「えっと……ありがとう」
花を受け取ると少年は俯き、すぐに踵を返して家屋の中へ逃げるように入っていった。それを見届けたシーナさんはくすりと笑った。
「ふふっ、歓迎はしてくれているみたい」
「コテツくんもおませさんだなぁ。よかったねアリー」
「う、うん。なんだか、うれしいな」
まさか小さな男の子にプレゼントされるなんて夢にも思わなかった。
みぅ、とまたも小さな鳴き声。シーナさんの肩――いや、頭の上によじ登っている白い毛玉が鳴いているのか。
「その子は……?」
「"
言い伝えの真偽はどうあれ、この村では大切にされているのだろう。魔物と共存できているのも、このアニマのおかげなのだろうか。
「ちなみにその子の名前はタイソンね。ね、タイソン」
「みー」
「つ、つよそうな名前だね……」
元気よく鳴いたので、本人(?)も気に入っているようだ。誰が名付けたんだろう。
「気になるなら触ってみる?」
そうシーナさんは頭からタイソンを持ち上げ、前に持ってくる。ぱたぱたしている四足は触るとぷにぷにしている。間近で見るとふわふわしててやわらかそう。
「触るー!」
「あなたに言ったわけじゃないのよ?」といいながらぼくにタイソンことアニマを受け渡した。意外と重い。でもあったかくてやわらかい。見た目通り、白い毛がとてもふわふわしていて、不思議な感触。
「いいなぁ」
「じゃあランネちゃんはこっちで我慢してね」
シーナさんは自分の尻尾を前に差し出した。やったぁ、とランネさんは構わずもっふりとしたふさふさの尻尾を撫でまわしたり、抱き着いたりしている。なんだか微笑ましいな。
ふと視線を落とすと、短い手足をぱたつかせながら、つぶらなぬばたまの瞳がじっとこちらを見つめている。思わずぎゅっと抱きしめると、「ナァー」と漏れたように可愛らしい声がそばで聞こえた。
干したてのお布団みたいな落ち着く香りとふんわりとした肌触り。このまま眠ってしまいそうなくらい、心地が良い。
「……」
小さい頃、ご飯の時もお布団に入るときも、いつでも一緒だったぬいぐるみのことを思い出す。テリーと名付けていたそれはもう、いない。ぼくの手で暖炉に放ったことも思い出し、涙が出そうになる。
「大丈夫?」
目の前にもっふりとした尻尾と、やさしく撫でられた感覚。そう声をかけてくれたのはシーナさんだった。ちょっとだけうるんだ目から漏れそうになった涙をぬぐうように、尻尾の毛先が頬を撫でる。滑らかな毛並み、なのにちょっとだけしっとりしていて、ほんのりあたたかい。
「だめー!」
そのときランネさんに体を引っ張られ、強く抱きしめられる。彼女の胸にぼくの顔が埋まり、景色が見えない。いつの間にかぼくの腕からタイソンはするりと抜け出したようだ。
「アリーを慰めるのは私なのー! すぐお姉ちゃんみたいなことするんだから!」
「あらあら、そうだったのね。ごめんなさいね、気を付けるわ」
そういってはふふっ、とシーナさんは笑う。「とても大切なお友達なのね」
「うん!」と元気な返事。嬉しいのはもちろんだけど、同時に疑問も出てくる。
「ランネ……くる、しい」
「あっ、ごめん!」とすぐさま離してくれた。
同時、すねになにかがいる感覚。足元をみると、タイソンがすりすりと顔や白く丸い体をこすりつけていた。「みぁ」と小さく鳴いたのを耳にし、すっかりくぎ付けになっているのが自分でもわかる。
「その子もアリーちゃんのこと気に入っているみたいね」
タイソンを持ち上げ、ぎゅっと抱きしめる。前足の肉球が首元にぺたんと張りつき、気持ちがいい。ずっと抱きしめていたい気分。
なんだか癒される。かわいい。そう思いながらふとまぶたを開けると、ランネさんとシーナさんがひそひそと話しながらこちらを見ていた。
「やっぱりモフモフは世界を救いますね、シーナお姉さま」
「そうね、改めてその力におそろしさを感じるわ」
「な、なんの話、ですか……?」
ぼくがそう戸惑っていると、シーナさんが思い出したかのように、ランネさんに話しかけた。
「そうそう、ランネちゃん。もう話は回っていると思うけど、今季の収穫量がまた減ったみたいで、次の寒冷期は乗り越えられそうなんだけど、このままじゃ貯蓄が底を尽きてしまうかもって」
「牧場も厳しいの?」
「ええ、何匹か病気になって。原因は餌にあるかもってヨハンナさんも言ってるの」
「やっぱり作物……ううん、土かもしれないね」
「思ったよりもウェルテル河の影響が大きいみたい。あれで魔物や魔法現象も徐々におかしくなってるから、きっと」
ふたりの真剣な話に、ぼくはただ耳を傾けることしかできなかった。思えば、ルミィさんたちの会話も魚がどうとか言っていたし、畑の作物もいくつか枯れているのがあった。牧場の家畜もそういうものだと思っていたが、もしかしたらぐったりしていて動きが鈍いのかもしれない。
「みー?」と抱き着かれたままのタイソンは顔を上げてこちらを見ている。なんでもないよ、と頭をなでると嬉しそうな鳴き声を発した。
そのときに吹いてきた風は、どこか冷たかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます