3-1.二つの世界の間に在る村

   *


 青と緑の境界線。そこにぼくは立っている。


 どこまでも続くであろうその先に、果てのない水と命の世界があると彼女はいう。風が草原を靡かせ、白い花が舞い上がる。それを目で追い、空を見上げる。

 眩しい日差しにいくつもの小さな雲が太陽を覆い隠した。小舟のようにこの大空を悠然と流れていき、それを渡り鳥の群れが追い抜かす。


「広い……」

 そうつぶやいたぼくの隣に、ランネさんが並ぶ。ミルキーブラウンの髪をゆらめかせる彼女は、横から見ても綺麗だった。同い年とは思えないほどに。

 黄金色の瞳は、一体どこまで先を見ているのだろう。


「なーんにもなくてすーっごいつまんないんだけどね、風が気持ちいいんだ。嫌なことがあったらあの地平線に向かって思いっきり叫ぶの。そしたらぜんぶ空と太陽が受け止めてくれるから」

「……そうなの?」


「たとえばね」といってはスゥ、と息を大きく吸う。「太陽のバカヤローッ!!」

「……太陽さん、罵倒しちゃった」


 平原に響いたようなそうでもないような。呆気にとられてしまったけど、彼女はうんと背を伸ばした。


「はーすっきりした。アリーもやってみたら?」

「えっ、ええっ?」

「目標は大きな声を出す、だね!」


 突然言われてもできないよ。大きな声なんて出した記憶ないのに。

 でも彼女の押しに圧倒されてしまったぼくはいないはずの助けを求めるように周りを優柔不断に見、意を決して息を吸った。

「た、たいようさんの――っ」


 大きな陰りが辺りを一瞬だけ覆う。そして、空を見上げていたぼくの目にはいったそれに、総身が硬直した。


 若草色の刺々しい鱗。長い首、禍々しい頭部と双角。折り畳んだ手足の爪は鋭く、光沢を帯びている。まるで山そのものと対峙するような果てしなさ。そう彷彿とさせるその頑強な巨体を、空を覆わんばかりの翼膜で滑空させている。感じた熱風が、背筋を凍らせた。


 絵本や図鑑でしか見たことのない魔物。生態系の頂点に君臨する種族と云われる百獣千魔の王。


「い、いいいい、いま、いまの……ッ!?」

「え? 竜原目ドラゴンだけど」


 さらっといいすぎ!

 ドラゴンってもっと小さくて、鳥と同じくらいの鳥竜爪類アルビキスや荷車を引く獣竜蹄類エクルスのことを言うんじゃなかったの? ごく平然と言っている彼女に、自分との価値観の違いがはっきりわかる。


「あ、そっか。はじめて見るならちょっぴり恐いかもね。大きいし。こっちから危害加えなければ大人しいから大丈夫」


 ちょっぴり恐いどころじゃないよ。大きいから恐いわけじゃ……なくもないけどそうじゃないよ。

 生きた心地がしなかった。でも竜はあっという間に空の彼方へと飛んでいったので、関心どころか眼中にすらなかったのだろう。神は触らないに限る。


「じゃ、村にいこっか」

 そう言われるがままに、ランネさんの後ろをついていく。平原を下り、土手の道へと足をつけたときだ。


「あ、止まってアリー」

「え?」

 歩くのをやめ、ぼくの前に出された手に従ったとき。


 バクン、と。


 一瞬だけ落とし穴ができたかと思えば目の前に大きな紅紫マゼンタの花が咲き、すぐに蕾として分厚い花弁をねじ閉じた。ぼくの背丈の倍はあるそれは、まるで最初からそこにいたかのように生えていた。


壺腸草ディオネペア・ジムノテラクスだよ。たまに地中で生えてくるんだよね」

 絶句の声しか出ない。


「まぁ食べられても丸呑みだし、中にある何本かの支柱針を折れば自力で出られるからそこまで問題ないよ。あ、中身の粘液は水溶性だけど毒があるからすぐに体洗うのは必須ね。放っておくと痺れて動けなくなるし、皮膚から壊死するし」

「……」


 確信した。これ命がいくつあっても足りない。

 村の中って、普通安全なはずじゃ……。


「ちなみにこれ調理したらおいしく食べられるから、見つけたら刈り取ることが多いかな」

 例えばあんな感じに、と指差した方へ首だけをギギギと動かす。

 少し離れた先に生える樹の木陰、ぼくよりも6つは若いであろう少年らが土を踏み鳴らして意図的に例のトラップ花を外に出していた。


「すっげぇ! ほんとにいたぁ!」

「引っ込む前に刈りとろーぜ! ぶよぶよしたところがうまいってばーちゃんがいってた!」

 子どもたちがたくましすぎる。あんな巧みにナイフでザクザクと魔物を掻っ捌く子ども見たくなかったな。

 

 危険すぎる道中もすぐに終わり、両端が石垣で阻まれた土手道を通った先、民家が多く集っている場所へと着く。木材と石材だけでできた一昔前と思わせる町並み。高低差もあり、奥に何軒かの民家や風車を見かけた。ここから登っていけば続いていそう。

 さらに高いところに建っている白い塔のような建物は何だろう。あとでランネさんに聞けばいいか。視線を前に戻し、フードを被り直す。


 軒の周りには木や雑草、小さな畑で間隔を取っている場所も見かけた。石畳は石積の階段周りくらいしか見かけず、土がほとんどであるため、ぬかるんでいて歩きづらい。


「ここが中央街。市場も酒場もあっていつも賑やかなところなの」


 それでも静かな方だと感じた。ちらほら人がいるくらいで、下層区ほどの喧噪さはなかった。そのかわり、鳥が石垣や積まれた木材に留まり、囀りが聞こえてきた。


 人が通るたび、ランネさんは挨拶する。相手も笑顔で返す。小さな村なだけあって、全員が顔見知りだ。

 そして、ぼくがこの村にいることもあっという間に伝わっているようだ。


「川から流れてきたんでしょ? 体調は大丈夫?」

「おいおい顔白いなおい。まだ病み上がりじゃないか? ランネ、無理させるんじゃないぞ?」

「元気になったらうちの店に来てくれよ。とびきりうまい焼きたてのパンとこの村で作った特製チーズをたらふく食わしてやっからよ」


 ただ、そのいずれもぼくの容姿や身元に対して何かを言う人はいなかった。それが逆に不安ではあった。気遣っているのだろうか。みんなの笑顔を素直に受け取れない自分にまたも嫌気が差してくる。


 そんなぼくの気を逸らすように、極彩色の大きな蝶が数匹通りかかる。発光する粉末を帯のように残していく様は空間の画家のようだった。よく見ると、建物の隅っこや屋根にいろんな魔物がくつろいでいる。狼牙類バルペスカニス猫獣類フェリスだろうか。


 あとは、頭部から尾まで細長く、毛むくじゃらな小さい魔物が数匹、道端で追いかけっこしたりしている。空を見上げれば、それらとは比にならないほどの巨大な黄金色の鳥が数羽、空を横切ったと思えば、溶けるように空から姿を消していった。


「あ!」と声を出してはぼくの手を引き、左奥――特に人が集っているお店の前へと足を運んだ。


「ルミィおばさん、こんにちはー!」

 見覚えのある細身の農婦。木苺をくださったルミィさんと他3人の奥様方が談笑していた。金髪に赤毛、茶褐色、そして黒の髪色。色の特徴しか印象に残らないのは、あまりにも自分の容姿に対してコンプレックスを抱いている他ならないように思える。


「あらふたりとも。アリー、あなたも元気そうになってよかったわ」

「……えと、ルミィ、さん」

「名前覚えてくれていたのね、嬉しいわ」


 あの時のように、にっこりと笑みを返してくれる。それにどう返せばいいかわからない。焦って挙動不審になってしまう。

 すると、一人の赤毛の女性が口を開いた。それに続いて、名前も知らない奥様方が次々と口を開く。


「この子が塔の国から流れてきたっていう?」

「うそ、まだ子どもじゃない。大変だったでしょ」

「顔色が悪いわよ。そうだ、今日アンディさんから新鮮なお魚をいただいたのよ」

「あらいいじゃない!」とルミィさんが両手を合わせるも、すぐに困り眉になる。「でも病み上がりだと体に障るんじゃないかしら」


 それに乗じて、他の人も頷いた。そこまで気を遣わなくていただかなくても、と思ったとき。

「そうねぇ、綺麗な川で採れたのならまだいいのだけれど」

「じゃあはちみつなんてどうかしら。レイムの果汁とあたたかいミルクと一緒に混ぜるとおいしいのよ。いま持ってくるわね」


 そう言って、黒髪の女性はすぐそばの家に入っては、すぐさま戻ってきた。持ってきた円柱型のカゴには檸檬形の黄色い果実と乳が入った瓶、そして琥珀色の蜂蜜が入った瓶が入っていた。


「そ、そんな……、こんなに、たくさん」

「全然いいのよ! 子どもを元気に育てるのが大人の務めなんだから、気にしないで受け取って」


 一見すると重そうだが、ランネさんは軽々しく手に提げた。

 その際にランネさんは硬貨数枚を女性に渡したのを目にする。


「別にいらないわよ」と遠慮されていたが、「さすがの私もただでこんなに貰うわけにはいかないから」と返した。そういうちゃんとしたところ、あったんだ。元が失礼な人だって思っていたわけじゃないけど。


 それにしても、貨幣経済ってこんな辺境の小さな村でも成り立つんだ……意外だな。物々交換や価値の交換かと思っていたけど。


「はやく元気な顔になるのよ。ランネもちゃんと診てあげてね」

「うん! ありがとー!」


 元気よく手を振って別れるランネさんに対し、ぼくは頭を下げた。さようならの声が小さかったから、聞こえなかっただろうな。


 通り過ぎる果実店や肉屋、ついには道具屋も目に入った。流通の場はあるとは考えにくいけど、自給自足よりもある程度の貯蔵や管理ができる場所に留めておく方が都合がいいのかな。


「塔の国にはもっと大きな商店街マーケットがあるんでしょ?」

 ふたり並んで歩いているとき、ふとそんなことを彼女は言った。


「えっ? あ、うん、そう……かも」

「貴族の人でもお買い物するんだね! あ、メイドさんっているの?」

「うん。研究所に、行く前は……その、身のまわ、回りを、いろいろしてくれた」

「いいなぁ~、メイドさんって服装かわいいよね。ふわりと揺れる黒いロングスカートに白いフリルのエプロン。キャップもおしゃれだよね」


 まるで自分がメイド服を着たかのように、ぼくの前でくるりと回っては裾をつまみ上げる。民族調の衣装でも彼女の回転に合わせてふわりと舞った。


「し、知ってるの?」

「うん! オリビアさんっていう洋裁師がいるんだ。メイド服織ったことあるんだって」


 そんな会話をしていくうちに、彼女が次に連れていきたいところに着いたようだ。

 少し大きめの民家。それでも上層区の住宅街には遠く及ばない。シェアハウスだろうか、それとも領主が住んでいるか。こんな危険な辺境の地を所有する人はいないはずだけど。


「ここは料理店! 私もよくここに行くんだ」

 全然違った。


「ちょうどお昼も近いし、ここで食べてこ!」

 建物の角に位置する両開きの扉を躊躇なく開ける彼女に慌ててついていく。

 カランカラン、とベルの音。それに気づいたのだろう、店の中から女性の芯の通った声が聞こえてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る