2-4.魔物を癒す少女

 窓からだ。そこには3人ほどの少年少女らがのぞき込んでいた。背が低いのか、それとも立地によるものか、頭しか見えなく、ぴょんぴょんと跳ねている。


 信じてなかったわけじゃないけど、ほかにも住んでいる人がいるのは本当みたい。

 ただ、地面の中にケモノがいるのに、子どもたちは平然と外を出ていることが心配でならない。そんなにジャンプしたらケモノに気づかれちゃう……!

 はらはらしたぼくの内心を知る由もなく、ランネさんは窓の方へと向かった。


「なにーどしたの?」

「この子けがしてるの」と女の子が言うと、前に出てきた男の子が抱えている何かを彼女の前に見せたようだ。ランネさんの体が視線と重なっているのもあって、ここからじゃよく見えない。


「あ、本当だね。じゃあ玄関に回ってくれる?」

「ねぇねぇ、あのおねーちゃんは?」ともう一人の男の子がぼくに気づいた。思わず体がびくっとする。

「髪真っ白だー!」

「……っ」


「こら、指ささないの。アリーお姉ちゃんのことも診察の時にお話するから」

 軽く叱るような口調で彼女がいう。そこで詰まっていた喉に空気が通った。

「おねーちゃんもけがなの?」

「はやくげんきになってね!」


 そう声をかけられ、手を振ってくれた。でも、とても返す気にはなれなかった。言われた通りに、3人はすぐにいなくなる。

 振り返った彼女は両手を合わせ申し訳なさそうな顔を浮かべる。


「ちょっとごめんね。しばらく席外しちゃうけど。……アリー?」

「……え、あっ。だ、大丈夫ですの、で。おき、お気に、なさらずに」

 すぐにノックが小さく聞こえてきた。はーい、と大きめの声で返事しては、踵を返し扉を閉めた。歩く音が振動と音で体に伝わる。この部屋以外にも廊下や別の部屋があるのだろうか。


 静かになる空間。涼し気な風が白い髪を撫でる。

 ベッドから足を出して降りる。ギギィ、と床のきしむ音。ちょっぴり体は痛いけど、立てるし歩ける。

 窓の外を見眺める。密集とまではいかないが、歩ける距離に民家が集っているのが見える。畑らしき緑の絨毯カーペットの先にまた数軒程の集落がある。あ、風車がある。もう昔のものかと思ってたけど、はじめてみたな。


 どこからか音色が聞こえる。重い吹奏楽器フルートのような、一定の音を延々と弾き続ける弦鳴楽器ヴァイオリンのような。でもどちらでもない、神秘的な、しかし不気味さを煽る調べが静かに響いてくる。

 ふと空に陰りが生じる。雲が横切ったのかと空を見上げ――雲?


 違う。魚? いや、大きすぎる。それに長く巨大な尾びれの動きが上下だから魚なのか疑わしい。しかも4頭いる。

 雲と同じくらいの標高にいるのにここら一帯に薄暗い影を生じさせるほど。それにしては半透明で空の色が突き通っている。もしかしたら本当にそういう形の雲かもしれない。でもしっかりゆっくり泳いでいる。飛んでいない。あの音も上から聞こえてくる。


 なにあれ……。

 口をぽっかり開けたままゆっくり前を向く。妙な気配を感じたからだ。


 目が合った。なんか変なものと目が合った。

 窓から10歩先、地面からゴム風船のように膨らんで出てきたようなそれは丸っこい形状の尾無半魚アヌラにも似る。ぷるぷるした三角耳がふたつついているのが可愛らしいと思ったが、でかい。体高は大人二人分ある。

 ぬめったシアンブルーの表皮からなにかが揮発していて大気が歪んでいる。前方についたぬばたまの瞳がまっすぐとこちらを見つめているように見えないこともない。

 ただ、生物的な感覚を信じるとしたら、これは紛れもなく。


「……」

 両開きの窓をそっと閉じる。

 見なかったことにしよう。くるっと背を向けて、気になっていた本棚へと目を向けた。半分ほど謎の置物場所になっているけど、村にしては本が多めだ。

 背表紙を見ると、歴史書や文学書、図鑑が目についた。いろんなジャンルをそろえている。木材で作られた机に置いてある本を読んでみる。


「……魔物ケモノの、記録書」

 きれいなスケッチでいろんな姿の魔物ケモノが描かれていた。行動や鳴き声、習性や餌、骨格や危険性等、特徴が細かに書き記されている。植物もあり、薬効評価や調合の相性もメモされていた。


「あの人のノートなのかな」

 そういえばまだ彼女の仕事を聞いていなかった。扉へと足を運び、そっと開ける。

 少し狭い廊下。ちょっとだけかび臭いのは水回りの場所があるからか。扉はふたつほど。左手の扉のない出口から複数の声が聞こえてくる。あそこにいるのかな。


 そろりと歩き、部屋をのぞく。照明石はあるはずなのに薄暗い。壁一面の棚にはいろんなガラスや陶器の瓶や器具、そして本。奥にあるのって調合台かな。薬の臭い。ということは、ここは調合室か、あるいは診療室? 広めの部屋の中央には簡易的なベッド、いや実験台があり、そこに4人が囲んでいた。子どもたちが心配そうに台の上の生き物を見ている。


 あれって魔物ケモノだよね。

 子どもが抱えるくらいの大きさだが、兎介獣リポリアのような体型と頭部かつ縦長に大きな耳介、加え蚕のようなもっふりとした首周りの水色の毛並み。尾びれは丸く、魚のようだがそこにも涼しげな色の毛並みと斑点模様が生えている。背面につく蛾のような羽が翼膜として機能しているように見える。しかしぐったりしており、治療台の上は鱗粉まみれになっていた。


 あ、腕ケガしてる。それで子どもたちは心配して拾ってきたんだ。

 ランネさんは傷口を桶に入った水で流したとき、羽がバタバタと激しく振った。驚く子どもたちに反し、彼女は冷静だった。見たことない真剣な表情、なのにとても安らかな目。彼女は魔物の大きな目に手をかざして、


「えっ……?」

「"鎮心の清めジ・アンゼ・エパム"」


 手の内がぽぅ、と仄かに光ると、魔物はおとなしくなった。呼吸もゆっくりと安定し、まるで眠ったような穏やかさだ。


 ……いま、なにをしたの?

 まさか、あれって魔術? いや、道具を使った様子もない。詠唱を入出力子コマンドとして魔法を発動して、鎮静作用を促した? そんなことができるの?

 そう考えているうちに、彼女は傷口に軟膏を塗り、薬草を包帯代わりに巻き、治療を完了していた。

 あの調合薬もなにでできてるんだろう。お薬のことは専門外だからあんまり詳しくないけど、魔物用の治療薬ってあるんだ。


「これでよし! みんな、見守ってくれてありがと」

「治ったのー?」

「おねーちゃんありがとー!」と少女。

「みんなよく保護してくれたね」

「うん! だって鱗粉がお薬になるの知ってるもん」と少年が元気よく言う。

「お、このあいだ教えたことしっかり覚えてるじゃん! えらいぞ~」

 そう彼女は腰を落として頭をなでる。少年も嬉しそうな顔だ。


羽兎レピトラガスは夜行性だから、いまはこっちでゆっくりおやすみさせておくね。ちょっと日光で目を傷めちゃってるのもあるだろうけど、夜になると元気になるはずだから」

 いくつか会話を交わした後、彼女は子どもたちに胡桃クルミを一個ずつ渡しては玄関前まで見送った。


「ねぇねぇ、あの白髪のおねーちゃんと遊べる?」

「元気になったらね」

 そんな会話をしている隙に、そろりと台の上に近づく。そこにいた魔物はスゥスゥと寝息を立てている。調教師テイマーでさえも、暴れた魔物を鎮めるのは容易じゃないと聞いたことがあるのに。

 扉の締まる音。急ぎ足が聞こえてきたとき、ちょうど彼女と目が合った。


「あっ、ごめんね。いま済んだところだから。体は痛くない?」

「だいじょうぶ、です。ランネさ……あっ、ランネ、その……」

 あちこちを見渡し、なんていおうか言いよどんでしまう。

「ふふふ、ばれてしまっては仕方ない」と突然演技っぽい口調で彼女は始めた。でも、ぼくの聞きたいことを察してくれたようだ。


「見ての通り、お医者さんやってるのだ! ……って言いたかったんだけど、実はアリーみたいにこれっていう職には就いてないんだ。お母さんが治療師ヒーラーだったの。私はまだまだ見習いなんだ。でも、この村で魔法生物の生態調査や治療といえば私って言われてるよ!」

 すごいでしょ、と歯を見せて笑う。なんだか、かっこよかった。

 

「そ、そうなんですね……あっ、そうなん、だね。あ、あの……すごい、ね」

「それに私のお父さんがこの村の調査班でね、口うるさいし家事すらできないけど、探険や魔物のことになるととにかくすっごい人なの! それで私も小さいころから魔物のこととかいろいろ頭に叩き込まれていたかな。ま、いまは土地を開拓できる場所とか探しに調査班と行動してるけどね。もう半年くらい経つかな」

 自分のことのように話す彼女が羨ましかった。ぼくの父は……ううん、もう親子の縁は切れたのだから、考える必要はない。なのに、どうしてこう、未練がましく残っているのか。やっぱりどんな目に遭っても、ぼくは家族のことが好きだったのかもしれない。

 ぼくでさえそうなのだから、大切に育てられてきた彼女にとって、半年間も親がいないことは苦痛だろう。それもいつ帰ってくるかわからないのだから、本当は不安でたまらないはずだ。


「そ、それは……その、母方、も……?」

「あ、お母さんはね、ご先祖様のもとに帰っているよ」

「えっ……?」

 それはつまり、もうこの世に……。


「あ、えと……」

 だからこの家には彼女ひとりしかいないんだ。ひとりで、頑張っているんだ。

 言葉を選んでいると、先に彼女の元気そうな笑いが聞こえてきた。

「あっはは、ごめんねこんな話して。いないのは寂しいけど、もうとっくに吹っ切れていることだから気にしなくていーよ! それよりも話遮っちゃったね、なにか気になることでもあった?」

 そう首をかしげる彼女。そのおかげで、頷くことができた。聞きたかったことを口にする。

「いまの、もしかして……魔法?」

 必死の思いで聞いたが、答えはあっさり返ってきた。


「うん、そうだけど。めずらしかった?」

「現象や魔物でしか、し、知らなかったから。ひ、人が道具を、その、使わずに魔法、扱えるの……はじめて、みた」

「えっ、そうなの!? てっきりもっとすごい魔術師がたーっくさん塔の国にいると思ってたけど」

「……昔は、いたみたい……だけど」

 数十年前までなら珍しくなかった。だけど、あのときを境に――。


「アリー?」

 声をかけられたことにハッとし、前を向く。

「あ、いえ、なんでもありま、せん」

 首を傾げる彼女に申し訳なくなる。うまく説明できないことにもどかしく感じた。


 コンコン、と。

 木の扉をノックする音が玄関から聞こえてくる。元気な返事をした彼女はすぐに向かった。ついていくように、治療室の右手にある扉へと向かう。古臭いソファとカウンターがついた受付部屋。それを彷彿とさせる小さい間取りの左手奥――玄関の扉を開く様子を、治療室の入り口から覗くように見届ける。


 チリンチリン、とガラスベルが鳴る。来客は40代程度のご婦人。農婦にも見えるが、すらっとしていて、ぼくよりも健康的できれいだと感じた。


「ルミィさんこんにちは! あ、昨日はお手伝いにいけずごめんなさい」

「いいのよ全然。駆除作業するだけだったから。今日は別件でここに……あら、あちらの子が川辺で倒れてたっていう?」

 気づかれた。ひぅ、と変な声が漏れ出てしまう。


「こ、ここ、こんにち……は」

 扉のふちに手を添えたまま、会釈する。初対面は苦手だ。顔を上げると――ぼくの白い髪に視線がいっていることがわかった。それがたまらなく怖い。何を思っているんだろう。どういう反応が来るんだろう。


 だけど、ルミィ婦人は微笑みを向けた。

「緊張しなくていいわよ。具合はいかが?」

 一瞬なんて言ったかわからなかったが、把握した時、こくこくと頷いた。すると、安堵したような、柔らかい声が返ってくる。


「そう、それならよかったわ。ランネから話を聞いて心配だったけど、無理はしないでね。なにか困ったことがあればいつでも頼っていいから」

「あっ、それってもしかして」とランネさんが遮って、婦人の腕に提げていた籠に目が行く。すると婦人はため息交じりに肩を落とす。

「食べ物にはとことん鋭いわね本当に。別に焦らなくても……ほら、採れたての木苺。ランネ好きだったでしょ」

「やったぁ! ありがとルミィさん!」と両腕をバンザイして喜んだ。


「独り占めするんじゃないわよ。ちゃんとその子にも食べさせてあげなさいね」

 どうやら用事というのは、それだったようで、籠一杯の赤や黒の小さな果実をいただいた。丸っこくてコロコロしててかわいらしい。

 それじゃあね、と夫人がその場を後にし、外まで見送ってきたランネさんが戻ってくる。


「やったねアリー! 今日はキイチゴパーティだよー!」

 籠にかかった一枚の白い布をとり、僕の前に差し出すように見せる。これだけ喜んでいるなら、今季は豊作なのかな。いや、この人なら凶作でも同じ笑顔を向けそうだ。

 気まずそうにうなずいてしまったが、彼女はさほど気にした様子はない。籠を持ったままキイチゴをひとつ口に放ると、声にならない甲高い声を出し、全身を悶えるように震わせる。

「~~っ、この甘酸っぱさがたまりませんわぁ!」

 頬に手を添え、お嬢様のような口調になるほどおいしいみたいだ。やっぱりこの人は不思議だな。

 それに……。


「あの」

「んー?」

「この髪のこと、なにも、思わないの?」

 勇気を出して放った一言。この国では白い髪や肌、目をもつ白磁病の人を嫌う人が多い。それにもかかわらず、ここの村の人たちは触れることすらしない。それがたまらなく怖い。


 なんのことだか、という顔を向けた彼女。意図が伝わらなかったようで、意を決した僕は背中やおなかまで流れるぼさぼさのそれを持った。

「この白い、髪」

「……? きれいな白だなーって」


 面食らった、といえばいいのだろうか。

 そんなこと言われたことがなかった。こんな石灰のような濁った白い髪。忌み嫌われ続けてきたそれを、難なく受け入れているように感じた。

 この人も、いや、この村の人たちはもしかしたら、リーヴァン先生やハギンス先生みたいに……。


「どうしたの?」

「……いえ、なんでも、ありません」

「立ちっぱなしで疲れたでしょ。はやく戻ってお話しの続きしよっか」


 頷くことしかできなかったぼくは、彼女の後ろに続く。

 甘酸っぱいキイチゴをおやつにし、彼女が淹れたハーバルで苦みのあるハーブティーとよく合った。オーツの麦とカモミール、レモンバームが入っているんだそう。


 彼女は笑わなければあまりしゃべらないぼくを嫌うことなく、よく話してくれた。好きな食べ物の話題だけで、一刻が過ぎるほど。それだけ彼女の話術は豊富で、引き込まれた。それに、錬金術師のぼくの話を合わせてくれたのか、調合の話も余すことなく話してくれた。彼女もぼくと似た失敗談や経験談を持っており、ちょっとだけ気持ちが和らいだ。日が落ち、夜更けに気付いたのも随分後だった。


 楽しい。人と話すのってこんなに楽しいんだ。まるで夢みたい。

 こんなに素敵な夢なら、いっそ覚めないでほしい。


『――なにをやっている、アルメルト・サフラン』

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