2-3.嵐のあとは虹がかかる

 やっぱり神様は残酷だ。

 楽に死なせてくれない。


「どうしたの?」

 そんな畏怖をぬぐうような明るいランネさんに、ぼくは確認をとる。いつもつっかかる話し方も一段とひどく声が途切れ途切れになる。


「こ、ここって、魔物ケモノ、たくさん、いる場所じゃ……!?」

 震えるあまりかすれたような声だったろうが、それでも彼女はしっかり耳を傾けてくれた。ただ、どうともしていない様子だったのには理解できなかったけれど。

「え? ケモノって"魔法生物ファーディ"のこと? うん、たくさんいるよ!」

 ひぇっ、と喉が空気で詰まる音が出た。魔界は本当にあったんだ。それよりもなんでこの人満面の笑みなの?


「でもこの村に襲い掛かってくる危険な魔物はいないかな」といったとき。


 ズズズゥン! と大きな揺れ。

 地震……!? この家がミシミシと軋み、本棚や机に置いてある本が床へバサバサ落ちた。

 いる! 危ないの思いっきりいる!

「あ、今のは"ランブリシナ・ターモリシス"かな。地中に棲んでる環口竜蟲メミエズの一種で、畑にいるものより大きめだね。ここの真下を泳いだみたい」

 震えが止まらない。いまの揺れが魔物ケモノによるもの……!? しかも彼女の平然とした様子が信じられない。まさか日常的な出来事なの? 


「そうそう、ときどき冒険者っていう狩人もここらへんの魔物仕留めたりするから昔よりかは平和だよ。あ、そっか、塔の国は魔物がいなかったりするのかな」

 しかも何事もなかったように話を続けてる!?

 ここに住んでいるからこそ、そこまで問題としてみていないような口ぶり。教えられてきた常識と真実は異なるってこと? 基準が分からない。でも、冒険者がくるってことは、やっぱりここは第13層なんだ。

 

「13層に人が住んでるなんて……」

「ここってそういう呼び方なんだね。なんか番号付けされてるのいい気分じゃないかも」

 呟きが聞こえていたようで、彼女は口をとがらせていた。しまった、いつもの独り言が漏れていた。

「あ、ご、ごめんなさい」

「ん? アリーが謝ることないよ。でもまぁー、確かに私たちの村以外に住んでいる人は見かけてないな。広い土地だからいくつかあると思ってるんだけど」

 あれ、怒ってない……? 最初からそうだけど、なんだか不思議な人だな。

「人、住めるんですね、ここ」

「うん! 500人くらいいるよ」

 少ない。いや、村の規模だとそのくらいが普通なのかな。ぼくが住んでいた第6層だけでも統計上10万人以上はいる。それだけで生活が成り立つのかな。


「ここに、ひとりで、その、暮らしてる……のですか?」

 そう訊くと、元気よくうなずいてくれる。そっか、一人で……ということは。

「このベッド、もしかして」

 言いかけた声をかぶせるように、彼女の声が大きく部屋に響いた。両腕を仰々しく広げては、

「心配ご無用! それは来客用だから存分に使ってね、久しぶりのお客さんだからそのベッドもよろこんでると思うわ、なんてね」

 そうなんだ。それなら……よかった。申し訳なさが和らいだ。


「不便かもしれないけど、しばらくここに居ていいからね。体も治りきってないし、気持ちも養生しないとね」

 彼女はそういってウインクをした。思わず反応に困り、目をそらしてしまう。ただでさえ直視しにくいほどきれいな人なのに、明るくて、ユニークで、魅力的だ。見ず知らずのぼくに親切してくれるほどやさしいのに、どこか裏があるんじゃないかと勘繰ってしまう自分の醜さを対比し、ますます彼女をみれなくなる。


 でも安静ばっかじゃ退屈だよね、とぼくの気持ちにかまわず彼女は顔を近づけてきた。

「退屈しのぎといってはなんだけど、私に塔の国のことやアリーのこと教えてくれる? 私のことやユングの丘のことも教えるから、お願い!」

 パン、と両手を合わせて頭を下げられる。お願いされるなんていつぶりだろうか。

 うまく話せないよ、といったが、そんなこと気にしないでいいとバッサリ返された。


   *


 少しだけ、お互いのことを話して経緯を知った。

 この村の近くの川辺に流れ着いていたところをランネさんがたまたま見つけたらしい。バッグの中身はぬれていたが、乾かして保管しているという。鍵付きの小さなトランクケース――携帯用錬金術器材は開けていないようだが、防水かつ衝撃にも強いのできっと中身は無事だろう。


 やっぱりあそこから足を踏み外して……幸か不幸か運河に落ちた。なんという奇跡に等しい確率を引き当ててしまったんだ。神様はまだ来てほしくなかったらしい。だとしてもあの高さでは水に落ちても死ぬと思うけど。本当に打ち所がよかったという説明で済むのかな。


「結果アリーは無事にいま生きてるんだからよかったじゃん。神様はちゃんと見てたってことだよ」と、彼女は言ってくれた。ちゃんと見ていたのなら、ぼくをちゃんと殺してくれたはずだ。楽にしてくれないあたり、神に見放された子どもの説も、あながち間違ってはいない。

 ちょっとだけ話が盛り上がった(彼女が盛り上げたに過ぎないが)ところで、こっちの身分も明かした。

 

「ええっ!? アリーって錬金術師なの!? しかも私と同い年なんだよね、すごすぎだよー!」

 部屋の間取りがそこまで広くないのもあって、驚きの声が響いた。簡易的なものなら普通の家庭でできないこともないが、本格的な錬金術をするにはある程度の設備が必要だ。さすがに村にはないから珍しいのかな。そう思ったときだ。


「実はこの村にもね、錬金術を研究している人がいるの。ダイマンさんっていう変じ……男の人とモノンちゃんっていう女の子」

 ちょっと意外。そのふたりはどんな研究をしているんだろう。優しい人だったらいいな。


「といってもダイマンさんは失敗作ばーっかり錬成するし、モノンちゃんもまだまだ見習いだけど、ふたりとも塔の国に行って正式な錬金術師になるのが夢なんだって。せっかくだし、大先輩のアリーからいろいろ教えてあげればいいよ」

 そんな恐ろしいことをさらっという彼女に、ぼくは首を横に振る。ふるふるふると必死に断ったつもりだったが「だってアリーはプロじゃない!」ときらきらした笑顔で返されて、何も返せなくなった。


「で、でも、ぼくなんかが、そ、そんな教えられることなんて、なにも」

 途端、両の頬を彼女の両手で軽く押さえられた。押し出されるように唇が前に突き出て、話せなくなる。


「"ぼくなんか"は禁止。ただでさえアリーは立派に生きてるのに、さらに国が認める錬金術師として国のために頑張ってるんだから、もっと誇りもたなきゃ。尊敬してるのに自信がない先生を見たって、生徒は不安に思うだけだよ?」

 そう諭す彼女の瞳はまっすぐとこちらを見ていた。

 生きていても価値を生み出せず、むしろ不幸にさせたぼくだ。そんな大層な人なんかじゃない。

 それに、まだ会ってもない部外者を尊敬するなんてあるのかな。


「でも、ぼくはみ、みんなと、ちがって、なに、なにひとつ……成果を、出せません、でした。足を、ひ、ひっぱって、ばっかり、で……めいわく、かけつ、かけ続けて」

 これまでの日々の記憶が勝手に思い出てくる。徐々に声がか細くなって、絞り出すのに精いっぱいになる。


 みんなが怖かったのは忙しかったのもあるけど、やっぱりぼくがいてはならない人間だったから。子どものくせにひとりの錬金術師として図々しく肩を並べようとしていたから。どんなに錬金術が好きでも、錬金術が唯一の特技でも、国や学問に貢献するような研究を進められても、それがみんなのためになっていないから。

 普通に話せない、普通のことができない。ひとりでやるほうが気が楽。そんな人を快く思う人なんているのだろうか。

 少なくとも、こんな愚痴をいう人のこと好きになる人はいない。


「それだけいっぱい挑んできたんだね。やっぱりすごいよアリーは」

 でも、彼女の顔色が曇ることはなかった。


「というか! そこって国の中でもハイレベルな研究所なんだから、そこにいるだけでもとんでもないの、もっと自覚しなきゃ!」

 ベッドの上をバフバフ叩く。でも、と言いかけた言葉が覆いかぶされる。


「どんな経緯だったとしても、そこで頑張っているのはアリーの実力なんだし、支えてくれる周りの人たちもいるんだし、運だってある。私にしたら、成果が出ないことや迷惑かけていることは悪いことじゃないけどな」

「なん、で?」

「だって、それが人間だから」


 訳が分からなかった。悪いことだから叱られる。人としてできていなきゃいけないことだから怒られる。人から外れていることが人間として当然のことだなんて理解できない。

 ぽかんとした口をぼくはしていたことだろう。


「どんなにすごい人も、最初はそういうことしてばっかだよ。私はアリーみたいに大きなものは背負ってないけど、それなりに失敗してるし、みんなに迷惑かけて叱られてばっかだったし。でもそれって、成長しようとしてる証拠なんじゃないかな」

 椅子に体重をかけ、前後に揺れては天井を見上げる彼女。


 成長……。考えたこともなかった。なんでこの人はこんなにも前向きなんだろう。

「"嵐のあとは虹がかかる"。だからアリーも、いつか目に入りきらないくらいおっきな虹を見られる日がくるよ、ぜったいに!」


 なんでこんなにも、希望にあふれてるんだろう。

 最下層の魔窟と呼ばれるこの地で、ぼくと同い年なのに、なんでこんなにも。

 違うんだろう。


「って、なにもわかってない私が言っても仕方ないよね。きっと私には想像できないくらいにアリーは追い詰められていたんだろうし、その気持ちを理解できるなんてとても口にはできない」

 苦笑交じりにそういった彼女は、でも、と付け足す。

「アリーのこと理解したいって思ってる」


 胸が熱い。凍っていたなにかが融け、それが全身に冷たく沁みてきて痛い。沁みるあまり、体が硬直したように動かない。熱いのと冷たいのがぐちゃぐちゃになる。ぼくは驚いてるの? この気持ちは何?

 痛いのに、いつも訪れるはずの不快さがないのはどうして。

 わからない。怖い。

 ぼくはどうなるの?

 ぼくは何を信じればいいの?


「あ、アングレカム、さん」

「ランネでいいよ。むしろそう呼んでくれると嬉しいかな」

「ら、らん、ランネ、さんは」

「追加オーダー。ため口と呼び捨てで」と人差し指を立てる。

「へっ? あ、ラン、ネ……さん」

 ちょっとした間の後に、ぷっと吹き出すような笑いが聞こえた。


「ふふっ、あっははは! アリーってばおもしろいね」

「え、ええっと、え……?」

 おもしろい? なんで? やっぱりぼくは変だから、笑っているのかな。


「そうだね、いきなりは難しいもんね。徐々に慣れていけばいいよ、それでなんだっけ」

「あ、えと、あ、あの、ランネ、さん、は……どうして――」

「ランネおねーちゃーん!」


 どこからともなく聞こえた少年らしき声に、全身が跳ねた。

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