2-1.死神は夢見る少女を救わない

   ※


「どうして女が生まれたんだ」

 そう苦悩し、座り込むお父様の横顔は、物心ついたときのわたしにとって最初で最大の足枷をつけるきっかけとなった。

 騎士として国に務めたことのあるトラス・サフラン男爵と元平民のケイト・スクラピアの間にわたしは生まれた。サフラン家は貴族階級の中でも低い位置にあるも、わたしたちは幸せだと思っていた。


「なによ、私が悪いっていうの? 生まれたものは仕方ないじゃない、せっかくこれからを考えようとしているときに後悔させるようなこと言わないで」

「その上"白磁病"だぞ。よりによって御神が見放された落胤らくいんを産むなんて……この家に災いが起きたらどう責任を取ってくれる」

「あんまりな言い方ね、そこまでして私たちを追い出したいの!?」

「それが嫌なら男を産みたまえ! ひとり産めたというのに、不妊症とはどういうことだ!」


 こんな喧嘩は日常茶飯事だった。お父様も、優しい顔をしていたお母様も夜になるといつも怖い顔をしている。


 女であること、この肌も髪も真っ白で、瞳も灰白色であることが喧嘩の原因。しゅに見放された落とし子。悪魔の血を宿した魔女。災厄と病魔をもたらす呪われた子。多くの言い回しがあるも、由来すら明らかになっていない古くからの悪い言い伝えは、この国の社会や宗教に未だ根を張っている。ただ、今となっては捕縛や処刑はされずにいるため、こうして生き永らえているも、民の目はこの肌を引き裂かんばかりに冷たかった。


 それでも我が子を愛するという考えは両親にはなかったようだ。少なくとも、わたしには感じなかった。人の本質は利己的だと、6歳の時に理解した。

 ときには髪や眉毛、睫毛を顔料で染められ肌がかぶれたことも、複雑な目を向けられながらご飯を食べたことも、幼少期のわたしの記憶に鮮明に残っている。


「……なんだ。忙しいから私に構うな」

 お父様に笑顔を向けられたことは一度もない。腫物でも見るかのようなそれだった。お金も厳しくなっていく中、その当たりは強くなっていった。物覚えの悪いわたしを叩いたことだって何度もある。


「あんたなんか産まなければ、私はもっと裕福になれたのに!」

 心が疲弊しきっていたお母様が叫ぶように望んだ一言。そのあとは涙を流しながらハグをしてきて、何度も謝ってきた。お母様だってつらいんだ、きっと咄嗟の一言だったに違いない。でも、あれは本音だ。

 ああ、わたしは要らない子なんだ。


 7歳の頃、新しい家族を迎え入れた。ひとつしか齢の違わない男の子は孤児院から買った養子だと説明された。


「おまえは長男として、サフラン家を継ぐんだぞ。おまえだけが頼りなんだ」

 はじめてわたしに見せるお父様の笑顔は、その養子に向けられたものだった。

 貴族としても余裕がないのはわかっていた。使用人を一人しか雇えなかったのも、階級が低く、お金に余裕がなかったから。権限が弱いと、貴族社会で生き抜くのは相当苦しい。容姿の良い女もいない。だから男という最低限のブランドが必要だった。

 わたしの居場所は、このとき失ったんだ。


 わたしが……ぼくが男の子になれば、お父さんもお母さんも認めてくれるのかな。

 弟のようになれば、ぼくのこと好きになってくれるのかな。


 お気に入りのぬいぐるみを暖炉で燃やした。

 髪の毛も男の子と同じくらいに短く切った。

 男の子の洋服を着るようにした。

 言葉遣いも男の子に寄せるよう練習した。

 たくさん食べて、たくさん鍛えようとした。


 でも、ぼくは弟――オーリアのようになれなかった。

 オーリアのように健やかな体ではない。

 オーリアのように剣武の才に恵まれていない。

 オーリアのように詩や楽、芸術や算術の才に恵まれていない。

 オーリアのように愛着もなければ、はきはき喋れない。

 何をやっても、どれだけ頑張っても何もできないと、ますますお父様はぼくのことを避けるようになった。お母様の目からついに期待という輝きが消え、冷たくなったのもこのときか。


「姉さまって、本当に何もできないんだね」

 そう。不器用なぼくは普通になれなかった。かわいい女の子になることも、元気な男の子になることも叶わない。


 できたのが、錬金術の勉強と扱い方だけ。

 最初はそこまで好きでもなかったけど、他の人よりも優れていると雇用していた家庭教師に評価されたときは、水を与えた魚のようにぼくはひどく喜んだことだろう。オーリアに唯一、教えることができた学問。ああ、やっと居場所ができたんだと。


「この調子で学問に精進なさい」

 お父様もこの点だけは評価してくれて、本も買ってくれた。ますます錬金術が好きになり、理論だけでなく実験もしてみたいと願うあまり、キッチンを使って模擬的な錬成反応を何度か試したことだってある。やめたほうがいいと心配してくれたオーリアに構わずやった結果、使用人にこっぴどく叱られたこともあったっけ。


 周りを気にせずに没頭できたことが、ぼくの人生を大きく変えた。それがよかったのか、お父様はご友人である最高学府機関ユニバーシティ所属の准教授に話を持ち込んだらしい。幸い目に留まったようで、その方――リーヴァン・ミラー先生の推薦で、齢12でマックスボルン大学府に編入することができた。神童という言葉がぼくに与えられた。


「学問は皆平等に受け入れる。そこに身分も年齢も外見も関係ないさ。罪を犯し牢獄に入れられた人だって学者になれたんだから」

 外見や言い伝えを信じないその人は、ぼくを軽蔑せず快く受け入れてくれた。学生らは良い目をしていなかったが。


 筆記や対面試験も、錬金術の項目のみなら上位10%内だったという。リーヴァン先生のもとで指導していただいたおかげもあり、電磁論と構造論に基づく反応促進剤アクセラレータ反応遅延剤リターダー反応停止剤ストッパーの設計と合成に関する研究も順調に成果を挙げていった。3年の月日もあっというまだった。

「私はこの国の不幸を消したいと思っている。国の誰もが豊かで、笑顔になれるような錬金術を創り上げたい。その夢を、君にも理解してほしい。やさしい君なら、きっとできるはずだ」

 その言葉に感銘を受けたぼくは、身の丈に合わない夢を抱いた。錬金術で、この国の人たちを、家族を笑顔にしたい。諦めていたすべてはどうにもならなくても、貧しい心を満たすために錬金術はあるのだと学んだ時、ぼくの胸の内も少しだけ救われた気がしたんだ。


 ただ、幸せはそう長く続かなかった。


 リーヴァン先生が死んだ。

 死因は焼死。家族全員が家と共に燃えたという。放火か心中かは不明だ。重いうつ病に悩まされ日々に疲れていたらしいとか、業績があったことに嫉妬した教員が放火したらしいとか、あてにもならないでまかせが学内に散らばっていた。

 その中にひとつ、原因はぼくにあると、根も葉もない噂も同時に出回った。他の学生よりも長く一緒にいたから不幸が伝染したのだと。陰湿な嫌がらせもこの時を境によりひどくなった気がする。


「正直に吐いた方が身のためだぞ」

 教授ひとりの死はこの国にとって叡智の財産の喪失に等しいのかもしれない。騎士団も交えた取り調べが行われたが、この見た目と先生との親密な関係もあって、騎士団駐屯所の無機質な狭い個室で数日の拘束と尋問が続けられた。典型的な差別主義を、この体で味わった数日間だった。


 白毛の血筋らしく呪いをかけて狂わせたんだろう。白毛は卑しいから嫉妬で家族ごと焼き殺したんだろう。

 違う。尊敬していた恩師なんだ。そんなことするはずがない。そもそも呪いどころか道具もなしに魔法が使える人なんて、この国ではいないに等しいのに。


 怒鳴り、物に当たる音。骨にまで滲みた痛み。鞭で引き裂かれた肌と、そこから飛び散る血。石床を濡らす汗と涎、鼻水に涙、ときには小水。腫れて麻痺した顔。交差する怒りと嗤い、そして甲高い自身の悲鳴。


 認めれば楽になれる。楽に、なりたい。

 それでも否定した。この世界で唯一ぼくの存在を認めてくれた恩師にそんなことするはずがない。でも、もしかしたら自覚してないだけでしたのかもしれない。ぼくはこの手で先生を? ぼくは、先生を殺した。みんながいっているんだからそうなんだろう。……ちがう。ちがうちがうちがうちがう!


「よくも我が友を殺してくれたな」

 釈放されたあとも、家族からの疑いは晴れなかった。どうして信じてくれない。家族なのに、なんで。

 この怪我をみてなにも思わないの? 忌み子として当然の罰だと思ったの?


「ごめんなさい。自分の娘だとわかってても、あなたのことが怖いの。私だって頑張ったのよ。でも、やっぱりあなたは人を不幸にする。言い伝えは本当だったのだわ。神童でも、やっぱり本質は変わらないのね」


 その一件を機に、ぼくを恐れたお母様は家を出ていった。いや、追い出されたに近い。ぼくを産み落とした責任を押し付けられ、もう耐えられなくなったのだろう。真偽はともかく、犯罪者の娘を産んだレッテルはつらいに違いない。

 よく十数年続いたものだと、いや、お父様はぼくが生まれたときから既にお母様に対する愛は失っていたのかもしれない。 


「お父様も言っていたけど、この家から出ていってほしいんだ。使用人も病気で辞めたしさ。出ていったお母様も体を崩される日が多かったし。僕も婚約者が決まったばかりだから、その……悪いけど、式までにどこかいってくれないか。わかってくれるよね、姉さま」


 何かが砕ける音。ちぎれるような音。びちゃびちゃと、嗚咽とともに吐き散らかす音。両腕の鋭い痛み。抜けていく圧迫感。噴き出てくる陶酔感。目まぐるしく視界が流転する。


 ああ、どいつもこいつも。

 自分勝手だ。


 翌日、オーリアは目を覚まさなかった。

 心臓は動いている。しかし悪夢に閉じ込められたようにうなされるばかりで、熱もある。時折あぶくを吹き、息ができなくなることもあった。


 信じたくなかった。だって、ぼくがそんなことできるはずがない。

 でも、思ってしまった。

 なんでぼくがこんな目に遭って、この男が幸せな未来を手にしているの?

 願ってしまったんだ。

 この苦しみを知ってほしいと。


「ち、ちがっ、ぼくは……ぼくはやっていません!」

「おまえがオーリアに手をかけたのだ」

「おねがい、信じてくださいお父様! ぼくは本当になにも――」

「女で、出来損ないで、白磁病で、せっかくの功績を水の泡にし、我が友を追い詰め殺したに飽き足らず、未来ある我が息子を呪い殺そうとした! 一体どれだけ私たちを幻滅させたら気が済むんだ! それに……その目だ。その目が気に食わん。私にあの女を思い出させるなァ!」


 痛かった。心も痛かった。

 でも、きっとお父様も同じ痛みを抱えている。なにかのせいにしないと、形ないものに犯され、狂ってしまうから。


 ねえ。

 神様はどうして、ぼくを見捨てたんだろう。

 ぼくが醜いから? 価値がないから? 悪魔の血をもっているから?


 その日も、綺麗な赤を見た。

 悪いものが吐き出されるような。気持ちいい。これで、ぼくも綺麗になれる。


「喜べ。私の人脈に運営統括として王立研究機関に所属する者がいる。それもあの王立中央セントラル錬金術マテリア研究所センターだ。まぁ宮廷の研究機関とまではいかぬが、ギルドや地方の機関より環境に恵まれている。大学での業績とキャリアを買ってのことだ。おまえにとっても不足ない話だろう」


 そう日が経っていない頃。お父様に呼び出されそう告げられたが、押し付けだとすぐにわかった。こんな人間を受け入れるところなんてどこにもない。だから多額の金額を支払い、無理難題も構わない、何をしても構わないという条件で雇わせたんだ。

 実質、奴隷とそう変わりない売買だ。


「そこに棲んでもらう。何か訊きたいことはあるか」

「……。ありがとう、ございます」

「……そうか」

 煙草に火をつけ、ふかした音。それがどうしてか、今でも頭に残っている。


「あれから私も考えたんだ。これまでいろいろ言ってきたが、それでも私はおまえのことを実の娘だと認めていたようだ。おまえも同じように私のことを実の親だと刷り込みで覚えている。それが互いの不幸を生み出している。つまりだ、これ以上期待しないためにも、縁を切った方がいい」

「……っ!?」

「おまえもそれがいいだろう、おまえはおまえの好きなことで食っていけるし、貴族社会に干渉することもない」


 要は自分の目に届くところにいないでほしい。最後の最後まで、この人は自分勝手だった。

 この人は孤独の恐怖を知らない。どんなに憎んでいようと、どんなに恐れていようと、子どもは無条件で親を愛しているというのに、この仕打ちはあまりにも――。


「おまえはもう、我々の子ではない」


   ※


「――ッ!」

 一斉に光が視界を覆い、思わず飛び起きた。

 長い間溺れていたように苦しい。ようやく水面へと顔を出したみたいに、必死に息をする。喉に息が詰まり、嗚咽する。


 体中がぐっしょり濡れていて冷たい。目頭が熱い。

 ここは? 見慣れない光景を前に、頭が自然と冴えてくる。町から落ちて死んだはずじゃ――。


「よかった。声、聞こえてる? ちゃんと見えてるかな?」

「……っ」

 女の人の声にびっくりし、反射的に身を縮める。強張った体はとどまることなく震え続けている。


「あっ、ごめんね、びっくりさせちゃったよね」

「あ、え、えっと」

 優しく語りかけるような声。おそるおそる視線を上げると、見知らぬ女の子が心配そうな顔を近づけてきていた。金髪……いや、淡い栗色ミルキーブロンドのショートの片側を髪留めで留めており、黄金色の丸い瞳がはっきり見える。


 幼さも残っていて、背丈と健康的な体つきを見るからに実年齢は自分と近いかもしれない。でもどこか大人っぽくて、綺麗な人。淡い金属光沢を見せるネックレスとイヤリング、そして落ち着いた表情と声色がそう感じさせているのか。

 染められたシーツからは果実の香り。抱きかかえていた温かい毛布は肌触りが良い。


「汗がすごい……いま拭いてあげるね」

 伸ばしてきた手にビクッとしてしまう。ただ、持っていたタオルでぼくの顔や首周りにべっとりついた汗を拭いただけだった。

 ぼくはベッドで寝ていたの? あごが未だ小刻みに震えている。

 

「お水飲む? それとシチューも食べる? ちょうど作ったところだし、あ、粥の方がいいかな」

 たくさん訊かれて、返事に困ってしまう。早く答えなきゃ。でもなんでぼくがここに。ここは夢? 天国? でも体が重たくて痛い。


「あ、言ってなかったね。私はランネ。ランネ・アングレカムっていうの、よろしくね! あなたのお名前は?」

 彼女の疎ましいほどの活気に気圧され、言葉が出てこなくなる。

「いぅ、え……あ、え」

「ゆっくりでいいよ。まずは深呼吸して、自分のペースで大丈夫だから」

 言われたとおりに、深く息を吸う。血が巡るような、じんわりと熱が全身にいきわたる感覚。それでようやく、ぼくは実感した。


「あ、アルメ、ルト。さっ、さふ、サフ……ラン」

 思い出した。

 目の前の女の子の眩しい笑顔が、どこまでも残酷に見える。

 死に神様、どうして。

「アルメルトっていうのね。じゃあアリーちゃんだ!」


 そんな、信じたくない。嫌だ。

 もうこんなのたくさんだ。


「よろしくね、アリー」

 ぼくはまだ、いきている。

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