1-2.巨塔の国


   *


 申請許可や助成金の審査が下りるのは時間かかるのに、こういう手間は迅速なんだなと一周回って感心する。

「退去、令……」


 今日中の宿舎オテルの退去を願われてしまった。扉のネームプレートに上貼りされたメッセージを見、ようやく手に持っている退去願の封筒にも現実味が持ててきた。研究所を解雇されたのだから、同じ管轄であるここも追い出されるのは当然か。

 今度は家の荷造り。とはいえ、よく工房に泊まっていたから大きな荷物はない。夕方を迎える前に済ませられそうだ。

 貴族出身の研究員もいることから、王立研究所専用のオテルは広く、住みやすかった。それももう、今日で終わるけど。


 家に残っていた大麦のパンと干した果実を昼食代わりに頬張り、発酵乳ユーグルトで流し込む。吐きやすいからと選んだこの食材らも今日で最後だろうと思いつつ、支度を済ませる。貴族階級の食卓は決まった時間にしかいただけないので、予め近くの市場で買いためておいてよかったと思う。


 3つの刻が過ぎた頃、重たい背嚢はいのうと手提げの大きなトランク、斜め掛け鞄をまとい、白い髪を隠すようにフードを被ったぼくは宿舎を後にする。庭や建物内の手入れをしている使用人と目が合うなり、すぐに視線を逸らす。冷たい視線を浴びたくなかったから。

 振り返ると、5階建ての豪奢なファサードが土地の真ん中に居座っている。もっと抵抗した方が良かった、なんて後悔もあったが、そんな勇気も力もない。逃げ出すようにその場から去った。


 徒歩で町中を歩くなんていつぶりだろう。いつもは馬車での送迎で移動していたものだから、景色でしかなかった町も、なんだか新鮮に思える。最も、最近は研究所の工房に籠りきりだったというのが一番の理由だけど。


 王立研究所やオテルがあった第6層から、荷車2台は乗る滑車リフトを使って第7層へと降りる。歩く道もがたつきはじめ、何度か躓いた。下層区に近づいてきたのもあって、民家や平民の数が多くなっている。


 軒連なる木組みやレンガの建物から覗く地平線を見たとき、風が音を立てて吹く。取れそうになったフードを掴んでより深くかぶった。


「……」

 眼下に広がる広大なレンガ色と灰色の町。城塞の名残か、建物を上回る巨大な水車や複数の歯車がちらりとみえる。陸地の真ん中なのに、造船所でも見ているかのようだ。


 枝葉のようにこの巨塔の国から奥の空へ突き出ているいくつもの石橋と城郭の先に膨らむ建築物の数々は、それぞれ空中都市として機能している。何艘か、雲のように大きな飛空艇がそこへと停留しているのが目に付いた。紡錘形の巨大な気嚢に吊りさがる大船は重工業と"熱電機関"技術の集大成だという。

 そこに使われる浮遊剤や推進剤等の燃料が自分のいた研究部門と関わっているかと思うと、解雇されたにもかかわらず少しうれしくもあった。


 あちこちの煙突から昇る煙や蒸気がぼくのいる場所より高い晴天へと漂っていき、うっすらと消えていく。人の盛況さはここよりも活発だろう。


 第8層以下の下層区は一度も行ったことがない。平民と危険がいっぱいある場所という印象が根強く残っているぼくにとって、あまり行きたくない場所だ。でも、だからといって第5層までの上層区に留まることも難しい。


 家は……。

 振り返り、空まで聳える小ぎれいな建造物群と天をも衝く中央の巨大な尖塔を見上げる。いつもなら通りすがりの雲がかかるはずのそこは、見せつけるように白い町並みをぼくに見せた。そうだ、第4層にサフラン家があるんだ。


「――っ」

 息が詰まる。目から何かが溢れそうだ。

 またも見下されている感覚が肩にのしかかる。その場から逃げるように坂や階段を下り続けた。


「……なんで。どうして……」

 家も職も、あっという間に失ってしまった。このご時世、身分問わず追放クビなんて珍しくはないみたいだけど、こんな突然来るだなんて夢にも思わなかった。


 やっぱり、この国は人が増えすぎたのか。それとも発展しすぎたのか。それとも……価値観が古いままなのか。

 人々がなにに焦っているのかわからない。そうハギンス先生の声が聞こえた気がした。かつての記憶だろう。


 息が切れる。歩いているだけなのに。不安なのも恐いのもわかる。でも、なんでぼくは焦っている?

 ふと、陰りに自分の影が呑まれていることに気が付く。目の前には人5人分はある大きなレンガの壁とそれに匹敵する門。鉄柵と木材の扉でふさがれたそこは、ぼくに覚悟を問うてくる。


 下層区で生活できるかは不安でしかないけど、上層区で味わった出来事を思えば、まだ怖くはないと皮肉にも背中を押してくれる。背に腹は代えられない。生活するだけのお金はあるからしばらくは大丈夫。工房での極限的な生活も、これから役立つだろう。それに、この見た目である以上、拾ってもらえる場所は少なくとも上層区にはない。

 各層との違いは標高差でありはっきりした境目はない。ただ、下層区と上層区との境界は例外だ。それが、目の前の門にあたる。


 門番の騎士に拙い言葉を伝えると、それは簡単に開かれた。上層から下層へ下るのは特に許可は要らないらしい。

 少し不安になるくらいの距離があるトンネルを抜けた先、目に入った景色は喧噪なものだった。


 人々の服装も少し違う。質の低い生地や靴。階層が一つ下がっただけで空気がここまで違うなんて。思わずせき込んだ。薬品には慣れていても、土埃や炭には敵わない。なんだか獣臭くも感じる。目立たないよう古めかしい格好にしたつもりだったが、それでもぼくが少しばかり浮いているように見えた。


 密集した建物は煉瓦製から漆喰、木骨住宅まで色とりどりだが、小さな煙突と5階建ての高さは統一されているようだ。見上げればそれよりも高い灰色の塔――おそらく工場の煙突や炉が空を埋めている。古代より知られるコンクリート製法に加え、鉄鋼の加工が容易になったこの時代、それらふたつの組み合わせによってより頑強な建造物の建築が可能になったと一般社会情勢誌ニュースペーパーで報じられていたっけ。


 石畳みの舗装も粗雑であり、隙間の土から雑草が見える。齧歯の魔物ケモノが壁際のひび割れた隙間で蠢いているのが目に入り、反射的に体が遠ざかろうとしたとき、人にぶつかってしまう。


 すぐさま謝るも、ニュースキャップを被ったその人は返事をすることなくそのまま去ってしまった。それだけみんな忙しいんだ。おろおろする気持ちを切り替えるべく、地図を開き、目的の場所へと向かう。

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