石畳と一輪花

多部栄次(エージ)

第一章 小さな錬金術師の新たな歩み

1-1.強制解雇

「アルメルト・サフラン。君の任期は満了したから、今日までに直ちに退去願いたい」

「……え?」


 耳を疑った。目の前のルドベック部門長ディレクターは蛙を喰む蛇のような恐ろしい目を向けている。その葡萄ぶどう酒に近い香水フレグランスの香りとブラウンのタイトなスーツ姿を見ただけで思わず身が縮こまり、抱えていた3冊の専門書をぎゅっと抱きしめた。生地が厚いはずの錬金術衣をもってしても、寒気がする。

 朝一番、片づけるはずだった本を置く間もなく、部門長直々に問答無用で呼び出され何事かと思えば。自分の聞き違いであってほしいと、確認を取る。


「あっ、あの……お、お言葉を返すようで恐れ入りますが、えと、に、任期はその、ら、来年度末……までの、話……だったのでは」

 自分でもわかるくらいのか細く震えた声。でも、さすがのぼくも意見せざるを得ない内容だ。しかし、ルドベックさんは眼鏡スクエアフレームをかけ直し、ため息交じりに言葉を返した。


「急遽決まった話でね。君を雇うことにメリットを見出せなくなったのだよ。1Eエントの価値も生み出さない給料泥棒だと、上も判断してのことだ。まぁ、周囲の評価を鑑みればさすがの君も薄々気づいていただろうが」


 氷のように凍てつく声だが、頭を強く殴られたような衝撃がぼくの心をよろめかせる。お互い席に着く間もなく理路整然と整った部門長のデスク前で告げられた以上、本当に急に決まった話なのだろうと思わせる。


 上層部である事業長ジェネラルマネージャーらや運営統括オペレーター理事会プレジデントの権力は大きい。資金もこの組織の方針も、そこに委ねられている。急遽だろうが関係なく、決まったことはそう簡単には曲げられない。でも、だからといってあまりにも急が過ぎる。


 理由は人員削減による収支回復コストカット? それなら前もって解雇の件を伝えるはず。でも、特例でここに置かせてもらっているぼくが強く言える立場ではない。


 ただでさえ、男性社会のこの組織の中では、女性は目に付くだろうし、年齢だって一番下。16歳の未熟わかさにして国に認められた錬金術師になっている例は数える程度の異例だろう。嫉妬や疑惑の目は日々背中に張り付いている。


 なにより、この真っ白な髪と病的に白い肌、そして灰白色の瞳が社会的・宗教的にも嫌厭されているから、向けられている目が良くないのはわかっていた。もちろん、ぼくが周りより劣っていることもわかっている。

 でも、それとぼくが担当している仕事の内容とは話が別だ。


「で、ですが、えっと、あの"研究"は……」

「もの申すならまず成果を上げてからにしていただきたい。半年経ってもなにひとつ前進していない者に発言権があると思うかね」

 ぴしゃりと告げられ、なにも言葉が出なくなる。怖い。でも、確かにルドベックさんの言う通りだ。


「引退されたハギンス特任教授の特別推薦もあって、"プロジェクトPS1"の主任権利を君から剥奪することなく続行させたんだ。最適な環境と縛られない時間、それが自由な発想を迅速に生み出し、画期的な発明を成し遂げると考えてね。しかし蓋を開けてみるとどうだ、失敗が多く、進捗も滞るばかり。研究費も限られているというのに、申請した薬品も備品も費用が他の者よりもかさばっている。それにも関わらず、そのリターンがない。こちらとしては損害なのだよ」

 張る声が大きくなっていき、それに反比例してぼくの体は縮こまっていく。でも、こちらも明日の生活を失いかけている手前、いつも通りの謝罪と反省だけで済ませるわけにはいかない。


「あ、あの……依頼されました"還元性マナ燃料の錬成に対する最適触媒の探索とその合成法の最適化"や、"ラタトスク株由来硬乳菌ユグルトバチルスを用いた恋茄子マンドレイク発酵液の抽出と抗炎性・防黴性の評価、およびそのコスト改善の見込み"、"ヘイムダル波動間相互作用に基づく魔法的治癒促進反応による修復ヒーリング効果の検証と解明"を、その、たっ、達成しております。おっ、お国のお求め、するものの……礎、に、えと、なるはず……です」


 しかもこれらは本来、ぼくのメインの仕事に当てはまらないものだ。研究助成金のためにとりあえず形にしてくれと急遽頼まれ、研究計画の練り直しから見込みの段階にまで仕立て、突貫的な研究計画提案書プロポーザルを作成し、"錬金術研究開発振興機構ATA"に申請した記憶は吐き気と共に込みあがってくる。


「それは形になっているのか?」

 ルドベックさんのいう"形"は、量産できる段階にまで確立されているかという意味だ。ぼくの声が一層小さくなる。

「そ、それは……あの、これから、です。……学術雑誌ジャーナルは、ぁの……ごめんなさい、落ち、ました……。特許はえっと……まだ、審査中、です」

 一層肩を落とす姿に息が詰まりそうになる。


「話にならん。見込みだの解明だの、方法の最適化も産業レベルにまで持ち上げなければ無力に等しいのだぞ。指でつまめる程度のスケールでは利益にもなるまい。その程度ならばどの錬金術師でもできる。……はぁ、論文不採択リジェクトになるどころか特許もまだなら他の者に任せるべきだったか。全く、ハギンス博士を信じた私が馬鹿だったよ」


 ズキリと胸が痛む。思わず発しそうになった声が出ないように必死に喉を締めた。ただでさえ頭が締め付けられて吐き気があるというのに、この気持ちの悪さはなんだ。眼鏡越しの視界が段々とぼやけてくる。


「私の言いたいことはだね、貴様の研究はほかのどの錬金術師よりも金をかけすぎている。明確な将来性も確約されてなければ失敗数も桁違い。予算を圧迫させるなら打ち切るのが英断だと思うが」

「そ、そんな、研究に費用がかかるのはとっ、当然ですし、そもそもあの研究は数か月で為し得る方が難しいと――」

「甘えたことを抜かすな!」

 体が勝手にびくりと震える。新古典式独特の古めかしくもシンメトリーな部門長室に響き渡る怒鳴り声を前に一層静寂が目立った。

 足が震えている。睡眠不足の目がじくじくする。心臓が止まりそうだ。


「他の奴らは皆三ヶ月のスパンで国に貢献しているぞ。強靭で軽い合金鎧アロイスーツに新規解毒剤の短期開発と量産化の実現、飛空艇燃料効率の向上……我々は発展を望んでいるというのに貴様だけ言うことを聞かぬとはどういう了見だね」


 どうして。企画会議や報告会では賛同し、続行を許可されたのに。

 ルドベックさんは40代にして各研究所で数々の功績を残してきた敏腕の錬金術師だ。それが認められ、第一部門長ディレクターを務めていたハギンス先生からルドベックさんに変わってから約半年、開発において著しい成果をここ"王立中央セントラル錬金術マテリア研究所センター"であげている。


 それに企業コンパニー連携等による研究の事業化や軍事応用へと展開できるテーマが多くなった。でも、果たしてそれでいいのかと疑問に思っている。


 ハギンス先生のおかげで基盤的な錬金術の研究は続いていたし、ぼくもここにいられた。そのことに対してやはりよく思っていなかったのだろう。

 ぼくはこの人が苦手だ。


「良いか、この世界は競争だ。資産だ。技術だ。それらをもっての力だ! この瞬間、他国は力をつけている。後を取られては経済も政治も衰退し、吸収される未来しかない」

「み、未来を視るなら、その……なおさら、10年や20年先に向けた研究が、あの、必要……では」

「応用開発の積み重ねが技術と国を進歩させる。芽を出したきりの研究など、瞬く間に侵蝕した大樹の根に埋もれるぞ。時代の過去といまの流れを見ずして未来を予測できるか」

「そ、それは、仰る通りですが……」

 そこで途切れかけていた言葉がついに途絶える。降りかかる眼光が、ぼくの呼吸を止めた。


「『ですが』……なんだ?」

「い、いえっ、仰る通りです」

 なんて重い声なのか。もう口までもが震えて思うように声が出ない。


 わかればいいと言わんばかりに、ルドベックさんは窓の先へと目をやる。外は朝日で清々しいのに、ここはとてつもなく重苦しい。まるで雪降る夜の牢獄だ。

「明日から君に代わる錬金術師が来る。ミスばかりする青二才の君より遥かに優秀な人材だ。他に先を越される前に、あれもさっさと特許パテントを出さねばな」


 その言葉に違和感を抱く。質問を恐る恐る投げかけた。

「……あの、ごめんなさい、その。う、打ち切るのでは……?」

基礎研究ファンダメンタルをな。明日より"プロジェクトPS1"の応用研究プラクティカルとラボないしベンチスケールへの進出に移る。あれが認められ、世に出ればこの国の繁栄に貢献できるからな」

 まずい。まだあれを形にしてはダメなんだ。ただでさえ、他のプロジェクトも懸念事項があるというのに。

 言ったらまた怒られる。怖い。嫌だ。無理に決まってる。でも、言わなきゃ本当に……。

 がんばれアルメルト。傷つくのはぼくだけなんだ、言わなきゃ後悔するんだ。


「っ! あ、あのっ、せめてひとつだけご報告させていただきたいことがあるんです! 本当にこの町や王国にとって重要でして、そ、そのっ」

「いい加減にしたまえ!」

 だが、それを聞いてくれそうにもなかった。その目は、部下を見る目ではないと気づいたときには、言葉は自然と止まった。代わりに込みあがってくる涙を必死に堪える。


「……申し訳ありません」

「無口で挙動不審な貴様がなにを言うかと思えば、文句と言い訳ばかりか」

 そう小言を呟くように告げる。この人にはもう、何も通じない。なにも伝わらない。


 でも、それならせめて。

「そ、その、あの、それでは、書類で送付させて――」

「勝手にしたまえ。それで君の気が済むならな」

 大きいため息の後にそう返ってくる。もうこの場に一秒も居たくないような姿勢に、話は終わったのだと察する。果たしてこぼれた一滴の涙を隠すように深々とぼくは頭を下げた。


「本当に、申し訳ありませんでした」

「謝って済むと思ってるのかね。まぁなんでも良いが、あまり癪に障ることを言わないでいただきたい。ただでさえその顔を見るだけで虫唾が走るというのに」

「……はい」

「理解したなら今日までに工房を片して支度を整えたまえ。今月分の給与と退職金等の手当は小切手として受付に渡してある。こんな上層区でなく、下層区で誰の迷惑にもならないよう一人で細々生きる方が貴様にはお似合いだ」


 そんな朝を迎え、午前中はなにも考えることができなかった。ただ、仕掛けていた反応をすべて停止させ、器具を洗浄・整頓し、試薬とサンプル、記録をまとめては次の人が使いやすいようにする。


 ルドベックさんや次の研究員らのための最終報告書類もまとめる程度に作ったし、投函も済ませた。ちゃんと読んで、見直してくれることを祈ろう。


 複数並ぶ錬金炉と使い古したガラス器具。半手動式の原子除去装置ケノンポンプも今日はお休み。薬品瓶が詰められた戸棚の施錠も確認した。嗅ぎ慣れた硫黄やピリジン、エステル臭に満ちた空気を大きく吸う。誰もいない第6錬金工房の静けさを最後に、照明石の調節ねじを絞めた。消費し続けた故に微弱な光となったそれを交換するほどの気力はなかった。


 日が出ている間に研究所を出るのは初めてかもしれない。それがたまらなく、罪悪感を抱かせる。斜め掛けの鞄がいつも以上に重たく感じた。

 レンガ造りの廊下で人とすれ違うたびに胸が痛い。みんながぼくを睨む。同じ錬金術師なのに。人じゃない何かを見るような目で一瞥してくる。


 結果を出さないだけで……違う。

 結果を出さなかったから、みんな怒ってるんだ。


「アルメルト!」

 びくりと体が震えたが、この声は知っている。

 振り返ると、燃えるような赤毛をひとつに結った三十路手前の女性――シェスカ主任が急ぎ足でこちらへ駆け寄ってきていた。

 ぼく一人しかいない単独主任とは異なり、この人は何人もの錬金術師アルケミストを従えさせている。この組織の中でも数少ない、そして優秀な若手女性錬金術師だ。


「……シェスカ、さん」

「事務から話を聞いたけど、解雇って話、真に受けるわけじゃないよね。いくらなんでも今日だなんて普通考えられないよ」

「あ、え、えっと……そう、なん、ですけど」


 上から言い渡されたら、それに従うしかない。ぼくは皆と違ってほとんど成果を上げていないんだし、この国に貢献するようなことをしていなければ、雇った意味はないから。研究方針も変わったのかもしれない。あちらの方が正しいんだ。

 彼女はやさしい。でも、責められてもないはずなのに、彼女の迫った声が、どうしてか威圧に感じてしまう。


「凍結していた研究を3つ進めただけでもとんでもないことなのよ!? しかも半年で! それにあのハギンス先生でも苦戦してた"プロジェクトPS1"の研究を進めながらなんて普通ありえないんだから! 上なんて数字しか見てないからアルメルトのすごさと研究の重要性をわかってないのよ」

「そ、それ……は」

「私から直接ルドベックに言ってやるわ。表面が硬いだけのスカスカ脳みそ野郎に抗議してくる」

「え、あ、あの……っ」


 うまく言えない。うまく声に出せない。

 そのときに後ろから彼女に声がかかる。ぼくの脳が警鐘を奏でる。

 彼女と同じプロジェクトにいる貴族研究員。金髪碧眼で顔立ちは整ってはいるも、組織の地位を鑑みない人で、名前は確か、マラックさん……ことあるごとにいじわるしてくる苦手な人だ。


「やめとけよ主任。こんな白毛女のために動いたところで何の価値もねーよ。それにそいつと縁があればあんたの家系に泥を塗ることになるのは困るでしょ」

 心地の悪い顔を向ける彼はそう言ってシェスカさんの肩に手を置く。途端、振り返りざまに頬を叩く軽快な音が耳に届いた。ぼくの体が思わずびくりとした。マラックさんの体がよろめく。


「最っ低!」

「――ッ、テメ、女のくせに人様の親切をなんだと」

「まぁまぁ」

 ふたりの間をレニーさんが止める。ブロンズ髪越しの優し気な男性の笑みも、ぼくにとって恐いことに変わりはない。彼は別のプロジェクトに配属された上流貴族の出の錬金術師だったはず。シェスカさんの研究と一部連携しているんだったっけ。


「今のはマラック君が悪い。"白毛はくもう"はレディに対して失礼だ」

 両者を離し、ぼくの方へ目を向ける。細身だが身長差が大きいのもあって、自然と彼の視線は見下す形になる。

「確かにサフラン君のやってきたことは現場にいる僕らでも理解はしている。その絶え間ない努力も知っている」


 なだめるような優しい声。「でも」と付け足し、

「結果は結果だ。そのうえ、僕らとろくに会話もできないし、いるだけで空気が悪かったのも事実。職場環境を汚染している点を考慮すれば、上の判断も正しくなかったと言えばウソになるだろう」


 穏やかな声。でも、そんな布一枚のオブラートでは簡単に言葉の刃が容赦なくぼくの胸を刺してくる。一歩身を引いていたシェスカさんの声が一段と低くなっていたことに気付く。

「どいつもこいつも……っ」

「だいじょ……ぶ」

 切羽詰まるような声しか出ない。こんなに小さな声でも、彼女には届き、掴みかかりそうになった手をとめてくれた。


「もう、めいわく、かけません、から」

「アルメルト……?」

 みんなのいうことは正しい。ぼくもシェスカさんみたいな強くて優秀で、綺麗で素敵な女性になれたら、きっとこんなことにはならなかったかもしれない。研究だけじゃない、言動や振舞い、人との接し方が良ければ、まだどうにかなったかもしれない。みんなできることを、ぼくも当たり前にできていれば。

 そう思うほど、息が詰まる。ここにいる自分がどうしようもない存在に思えてしまって、今すぐにでも逃げ出したくなってくる。

 ここにいてはいけないんだ。


「いま、いままで、あ、ありがとう、ござい……ました。こ、こんなぼくに、声をかけ、かけて、くれて。……うれ、うれし、かった……です」

 すべてを出し切った思い。ぼくは彼らの顔を見ずに、エントランスへと走った。


「アルメルト! 待って! アルメルトったら!」

 シェスカさんの呼ぶ声がぼくの心をつかんでくる。彼女は本当に優しくて、でもそれが偽善のように思えてしまって。本心が分からなくなった今、もうここに居場所はない。

 もういい。もういいんだ。

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