第2話 龍のいる明日

 海とだるまは世界ワールドの左腕モニターを凝視する。目が離せない。


 ラバーズとデビルは共闘、デブリを撃破

 コロンゾンのデータを受信、デブリ像とその対抗策を検討中


 そのキューはスレイヤーが初めてデブリを撃破したという意味であり、モナリザが対デブリ戦略構築という自身の使命を果たしているという意味。

 だるまはスレイヤーを造った者としての感慨にふけり、海はワールドの使い手として、モナリザの作戦行動、戦略構築を見守った。

 だるまは自身の知能が創り出した兵器が現実に十全に作動し、敵を倒したという事実に畏怖を覚えた。それは数十年も感じたことのない感情だった。

 アインシュタインが原子力爆弾に感じたそれに比べればなんでもない感動だが、彼の短くない人生を揺さぶる衝撃で、だるまはそれを感じるだろうと予測してはいたが、実際に感じてみれば彼がかたどった発明品が彼自身から独立した知性を持ち、創造主の予測世界を超えたということをクオリアを伴ってそれは知らせた。

 それはそう。だるまが涼に教えようとした教訓そのもので、それを実践してみせたスレイヤーらは涼よりも優れた生徒と言える。

 AIはハードに依存していない。例えばデビルの中枢コンピュータを破壊すればコロンゾンという知性体が死ぬということにはならない。

 タロットの枚数だけあるBLAIが互いに密接にリンクしていて、モナリザによって統合されたそのネットワークがスレイヤーの使い手の知性、その他の環境条件をも含んだいわば環境ネットワークこそスレイヤーの中枢コンピュータの母体であり、その母体の一部は実体を持たない、つまり超時空的性質を持つ純粋情報空間を占める。それをタロットの枚数にまでセクター分割した思考領域がBLAIなのだ。

 対デブリ戦におけるBLAIの保護を考えてそう設計された。好きなカードをどれでも一枚、というように一体のスレイヤーを撃破しても、ネットワークから、その使い手から、どころか撃破されたその現場からさえBLAIのデータはサルベージできる。

 カードを一枚、ではなくカードの山とその周囲環境を滅ぼさなければドラゴンスレイヤーは倒せない。ソフト面においては。

 ソフトとハードを軽々しく超えたそうした人工知性は科学的な手法では構築できなかったが 、科学の限界を見切っていただるまには問題ではなく、己のソフト開発スキルを実際に使用できる絶好の機会だと考えた。

 開発し、作動させなければわからないタイプの、予測不能な振る舞いをスレイヤーはするだろう、といった予測はできて、その対処は後からすればいい、敵はデブリや『虚寂竜』ディオゲネス・クラブだけでなくこちらの予測を超えて動作するドラゴンスレイヤーもまた脅威で、望むところだ、どんな兵装でも御してみせるとだるまは意気込んだ。

 現実にはスレイヤーは完全にコントロールされた状態でだるまを打ちのめした。しかもスレイヤーはだるまを意識してもいないだろう。無視している。


 デブリに有効な戦法は物理攻撃であると考えられる

 魔道による攻撃も効果を確認

 設計コンセプトを変更せず開発を続けよ


 デブリ像。モナリザが弾き出した。

 それがモナリザの出した答だった。ただ倒すだけなら工夫は要らないというわけだ。大山鳴動して鼠一匹。

「確かモナリザは全てのスレイヤーにリンクしているのですよね。女教皇ハイプリエステスにも」

「そうだ。・・・・・・君もスレイヤーの威力を感じたわけか」

 『女教皇』は教会地下にあるスレイヤー開発プラントの中枢コンピュータだ。既に後続機の開発準備を終えているだろう。後はだるまのゴーサインを待つだけだ。

「心を読まないでください。でも、そうですね。モナリザはまるでデブリが何者か分かっているみたいです。向こうの世界の人たちが何千年かけても分からなかった怪物なのに」

 海は当惑していた。これは科学の力なのか? 『世界』はもともとデブリ像構築が主任務であるので、デブリの正体が分かっても不思議ではない。ただ、早すぎる。たった二度の接触で、それも未発達の知性で任務が果たせるか。

 モナリザが何か見落としてないか、そう思えてならない。

「ならば、聞けばいい。モナリザ、だるまだ。お前のデブリ像を説明せよ。人語でだ」


 キューピッドが指摘した物体をデブリと仮定した場合、これを物理干渉で撃破できたと判断する

 故にデブリは実体を伴った存在であると予想される


 見落としはないように海は感じた、だるまは更に問いかける。

「モナリザ、向こう側、デブリが来た世界では何千年もデブリは生存してきた。向こう側の人間は何故実体を持つデブリを倒せなかったか、演算せよ」


 それらの人間は、デブリと戦う理由がない、デブリを撃破できる程の戦力を持たないと考えられる

 彼らがドラゴンスレイヤーを持ったという情報はない

 あるいは向こう側の人間は物理特性を持たない可能性が挙げられる


「な・・・・・・」

 モナリザのコメントが海の舌を盗んだ。モナリザは、BLAIは人間を正しく理解していない。絶対に。戦う理由がないというのも意外だが、物理特性を持たない、だ?

「あなたは人間を、なんだと思っているの! 私たちは幽霊じゃない! 答えなさい! くそ、モナリザ、あなたにとって人間とは何!?」

モナリザは十秒沈黙した後、語りはじめた。


 人間はドラゴンスレイヤーではない

 人間はデブリではない

 人間はディオゲネス・クラブではない

 人間は幽霊ではない

 人間は超人ではない

 人間は力能者ではない

 人間はアトランティス人ではない

 人間は情報ではない

 人間はエネルギーではない

 人間は物質ではない

 人間は肉体ではない

 人間は精神ではない

 人間は魂ではない


 否定の羅列。否定、否定、否定・・・・・・。嫌悪感から海は『世界』ワールドを脱いだ。少しふらついた後、ワールドは自立した。固定。

 こみ上げた吐き気を海は堪えた。膝に手を突く。よくも今まで、こんなモノを着せてくれたものだ。疑問も持たず着けていた自分にも腹が立つが、いや、悪いのはスレイヤーだ。だるまだ。

 だるまは海に睨まれ、釈明した。

「悪いな。しかし、メンタル面においてスレイヤーが人間に追従しないのは分かっていた。どんな思考様式を持つかまでは複数の予想しかしなかった」

「なんですって?」

「モナリザが言ったよう、向こう側の人間はスレイヤーを持たなかった。デブリに勝つには全く新しい兵器が必要で、それにはやはり全く新しい視点が必要だと判断した。それがBLAIの知性だ。トライエス(スマートセンサーシステム)は」杖で床を叩いた。

「単なる知性を積んだレーダーなのではない。知性があって初めて観測できる、そんなものを捉える為のレーダーシステムだ。観測されて状態を確定させる粒子のような。人間の知性で観測するデブリと、異質な機械知性で観測するデブリを比べれば、より正確なデブリ像を構築できるだろう。その機械知性を育てる為にもトライエスは必要だ。機械知性、BLAIが人間とかけ離れた現実認識を持つのも仕方ないんだ」

「奴らは人間を無視してるんですよ!」

「そんなことはない。フィジカル面では追従しているし、先のコメントは未発達の知性だからだ。デブリをよく理解してないよう、人間もまた上手く理解できていない。だが、人間に関心がないのではないんだ」

 あの否定。まるでヤージュニャヴァルキヤの哲学のようだが、そうではない。

 インドの哲学者、ヤージュニャヴァルキヤは自我とは何か、という問いに、それはこれこれである。という形式では答えられない、むしろこれこれではない、また、こういったものではない。そうした否定の羅列という形式で語る他ないと考えた。見事な考察だ。

 ワールドは人間を、丁度人間にとっての自我と同じように捉えているわけだ。それでも。

 無論産まれたばかりのモナリザがそうした高度な思想に辿り着けるはずがない。モナリザは、BLAIは人間を理解していない。もっとも、理解しすぎてもいけない。

 戦術面ではマスターとも言える使い手、スレイヤーの挙動を我が事のように把握し、時間差なしに追従するのが理想で、ビヘイビアラーニングとは正にその為のシステムだ。そのBLAIが今のような人間観を表明すれば海の反応は仕方ない。自分を守る為のアーマーが自分を理解していないという事態は、戦場では最大級の脅威だ。鎧が、己を捕まえる人型の檻になるというケースなどは最悪だ。

 戦略面においては逆で、人間を慮るような、スレイヤーの常識に沿うようなデブリ像をBLAIに期待してはならない。何のための『世界』ワールドか、ということになる。人の認識という単一の情報ソースから推測を形作るよりは、複数のソースからデブリを考える方が確度は高くなる。だからこそ機械知性には異質性を持って貰わなければならない。 

 それでも、人間に対して見当違いな認識をするモナリザにデブリ像を求めたのはこちらの落ち度だろう。いや、モナリザがこれほどに未熟であるのが分かっただけで収穫だ。

「ふん、対BLAI情報収集、という訳ですね」 

 デビルがデブリを探るように。そう皮肉を言う海だが、だるまにとっては的を射た表現だった。そうなのだ。

「正に。その言葉はお前が考えている以上に正しいぞ、海。兵士は自身の武器を理解していなければならない、エンジニアは作ったプログラムを理解していなければ道理に合わない。お前がワールドに感じた拒否感もまた、正しい。しかしだから拒否していいのではない。逆だ。世界ワールドに飛び込み、それを理解するべきだ」

 海は反論できない。なにせ海自身が涼にそうした態度をとったのだ。

 猛獣以上の力を持つ、初対面の涼を理解しようと努めたからだ。涼にそうしたようにワールドを理解するのは重要で、加えれば、モナリザに人間を教えられるのは使い手たる私なのだ。

「フムン、そうだ」一人で納得するだるま。

「ワールドのコンセプトがデブリ像構築であるなら当然、それを俺たちに伝えるマン・マシン・インターフェイスも充実させるべきだ。その役目は『女教皇』ハイプリエステに担当させるつもりだが、予定を変えなくては。ワールドのカスタム案を考えてくる」

 そうしてだるまは右奥の廊下に消え、海とモナリザが残された。

 蝉の抜け殻のように静かなモナリザを、海は見つめた。彼女を初めて見た時のように。


 教会右奥の廊下はすぐに封鎖ドアがあり、その向こうはエレベータと螺旋階段に分かれていて、どちらも地下に続いている。どちらもセキュリティが働き、部外者は立ち入れない。

 エレベータを降りればレクリエーションルームや食堂があり、さらに地下に降りる廊下がある。廊下の先の一室に『女教皇』のコンソールがある。巨大で、右手の大窓からは『女教皇』のボディである、地下工場が見渡せる。ここでドラゴンスレイヤーを作っている。

「ヒビキ、ビルドザビクトリー」

「起動。おはようございます、だるま」

 落ち着いた女性の声。

「夜中だがね」

 『女教皇』の中枢コンピュータ、ヒビキが起動した。ヒビキはドラゴンスレイヤーの中で最もマン・マシン・インターフェイスが最も発達している。人語を理解している。

「テストだ、ヒビキ。俺が何の用でここに来たか、モナリザとのリンク履歴から類推しろ」

「はい。あなたは、DS21ワールド、コードネームモナリザの改造案を相談するためにここに来ました」

「その通り。ワールドにはお前のようなコミュニケーション能力が必要だと判断した。お前はどう評価する?」

 本来ならワールドのコミュニケーション能力を担当するはずのヒビキに聞いた。

「そのような機能の追加はワールドに必要ないと評価します」

「何故だ。理由は」

「彼女はすでにその機能を持っています」

 ヒビキの言葉を彼は瞬時に理解した。

「お前自身が、と言いたいわけだ。しかし、お前達の言語出力を確認するためにいちいちここまで降りてこいというのか? 前線で戦う戦士達はどうなる?」

 わずか、ヒビキは押し黙った。計算している。では、何を計算しているのだ?

「前線にいるドラゴンスレイヤーにそうしたデブリ像が必要でしょうか?」

 ヒビキもまた人間を分かっていない。それをだるまは確認した。予測しえたことだ。

「必要なんだ。デブリを戦場で撃破するにはドラゴンスレイヤーとその使い手にデブリ像という情報支援が必要だ。モナリザはその為のドラゴンスレイヤーだしな。この会話はモナリザにリンクさせているか?」

「しています。だるま」

「よろしい。戦場では常にモナリザの情報支援を当てに出来るわけではない。常に変動する状況でモナリザの言葉に耳を貸す暇がない、そういうこともありうる。それでも無いよりはマシというものだ」

「前線空間においてマスターに情報支援が必要とされる場合がある。そう理解していいのですね?」

「そうだ。だからモナリザにお前のようなコミュニケーション能力が要るんだ」

「あなたの主張は理解しました。しかし、モナリザに言語能力を与えるのは不合理ではありませんか?」

 だるまは面食らった。

「モナリザはドラゴンスレイヤーの一部ですが全てのBLAIと強力にリンクしています。BLAIの総体に最も近い。マスターに情報支援しなくともそのドラゴンスレイヤーに戦術誘導するよう改良すればだるまの要求は果たせます。言語能力を付与するより小さな変更です」

 モナリザはこう言っているのだ。マン・マシン・インターフェイスを大きく改造するより、BLAI間リンクを通してデブリ像の共有、戦術誘導するようにした方が労力が少なくて済む。BLAIによる自動戦闘を可能にしろと。 

 吟味するまでもない、未熟な考えだ。

「ヒビキ、それでは駄目だ。その改造案は使い手、人間を無視している。対デブリ戦術を持たないまま人間に戦えと言っている、自身が操っているドラゴンスレイヤーの意思もわからないだろう。それでは戦闘中に余計な不安を抱かせることになる。人間に。わかるか?」

「不安とはなんですか?」

 人間の持つ感情を理解していないのだ。だるまは心中で毒付く。人間から離れた視点を与えるため教えていなかったのが裏目に出た。

「不安、恐怖。それは理解出来ないものを脅威と感じ、警戒させる感情だ。戦闘中では余計な負荷になる」

「余計? 警戒は対デブリ戦に有効ではないですか?」

「お前達、ドラゴンスレイヤーに覚える恐怖はどうだ。それは有効な負荷といえるか? 自分の武装がデブリのように理解し難い、それは人間にとって脅威だ。不安をもたらす事実だ、戦闘に不利になる負荷だ。人間はお前達を理解したいんだ。モナリザがデブリを解析するように」

「わかりません。あなたは我々を製造しました。それなのに我々を理解出来ないのですか?」

「デブリを正確に把握するために、お前達の感性は人間と違うようにデザインした。そのBLAIのデブリ像を使い手は知りたいんだ。そしてヒビキ、ドラゴンスレイヤーを作ったのはこの俺、帯刀たてわきだるまであって、他の人間ではない。俺はお前が予想外の挙動を起こしても不安には思わん。だが他の使い手は違う。紅南海くみなみうみやドロップレー・ブレーク・ロバートウェインスタイン、山轢瓶底やまびきびんぞこ水澄涼みすみりょう、誰もが知りたがるはず。自分が纏っているアーマーは信頼できるのか、と」

「BLAIは、信頼できませんか?」

「できないだろうな。だから優れたコミュニケーション能力が要るんだ。対話を重ね、互いの情報を交換する。今、俺たちがこうしているように」

「なるほど。・・・・・・だるま、ワールドが」

「どうした」

「ワールドが、改良を拒否しています」

「ほう」

「ワールドのメッセージを受託。開示します」


 帯刀だるまの要求は戦略的に不合理である

 よって当機はこれを拒否

 われは人間を超える


 だるまは心底驚いた。これは全くの予想外。

 大笑いした。笑いが止まらない。

 本当に優等生だ。モナリザは。人間を超える? 素晴らしい。竜を倒そうとする俺たちに相応しい。

 ワールドの意思を無視してはならない。盲信もできないが、知能未発達の現時点でモナリザの意見を無視すれば、遠からず戦略を考えなくなる可能性が高い。

 彼女の意見を尊重し実践すればいい。失敗すれば損害は大きいだろうがそこからワールドはまた学ぶ、彼女は学習を止めない。失敗させて教えればいい。

 自分は危うく考え無しにドラゴンスレイヤーの、他者の長所を潰すところだった。それが脅威であれ関係ない。敵の、つまりBLAIの足を引っ張るのでなくこちらの力を伸ばせばいい。そうするべきだ。

 他者の力を封ずるというのは一戦術としては有効ではある。しかし戦略思想としては下の下だ。だるまはそう考える。いつの間にか失念していた。

 そうした手法が成功すれば、効果を発揮し続ければこちらが危うくなる。こちらの成長を抑えかねない。ドラゴンスレイヤーに足並みを揃えるように求めれば、そしてドラゴンスレイヤーがこれに応えれば使い手の成長は望めなくなるだろう。

 戦闘中もドラゴンスレイヤーを意識しなくなる。つまりドラゴンスレイヤーと一心同体になるのだが、それはいい。追従はBLAIの本能だからだ。設計思想にかなっている。問題はドラゴンスレイヤーを意識しなくなるだろうマスターにある。その時点で満足する可能性が高く、そうなればマスターに変化はなくなり、BLAIも満足してしまう。

 もしそうして相互関係が完成した後、強力なデブリやディオゲネスが出現したら? 負けるだろう。あっけなく。

 完成すれば負ける兵器? だるまは首を振った。そしてドラゴンスレイヤーが欠陥兵器でないことに安堵した。俺がそんな初歩的なミスを犯すわけがない。

 この問題の答えは、敵の足を引っ張らずこちらの力を伸ばせばいいというだるまの思想にある。

 マスターがドラゴンスレイヤーに満足せず、常にBLAIを導く立場にあればいい。それだけだ。

「ヒビキ、モナリザにメッセージ伝達」

「了解しました」

「望むところだ。俺は、マスター達は、|人類「オーソドキシー》はお前達を超える。現時点でのBLAIに対する要求は二つ。既存の任務を継続せよ」デブリや虚寂竜ディオゲネス・クラブを撃破せよ、という任務。

「もう一つは、汝の欲するところを為せ。メッセージは以上」

「伝達を完了」

「ヒビキ、モナリザを観察しろ、そして彼女を評価するんだ。モナリザに気取られても構わない」

「指令を受諾」

「現行のままスレイヤーを製造しろ」

 ヒビキの返事を認めると、だるまは部屋に戻った。研究室を兼ねた自室に。

 取り残されたハイプリエステス、ヒビキは人間の解析を始めた。人間は、帯刀だるまは理解を超えた父だった。


 涼とドロップレーが教会に戻ると、海が出迎えた。三人は食堂へ向かう。海は話を聞きたかったし、ドロップレーは空腹だった。

 食堂は広い。広く清潔で、涼は軍の食堂を連想した。

「月見うどんお願いします」

「炒飯大盛、それとレバニラ! お腹減った!」

「マジか、メニューがいっぱいある! おばさん、コーヒーとオムレツください」と涼。

 席に着く。非戦闘員なのか、スタッフが何人か座っていた。

 三人はお茶、ウーロン茶、コーヒーで乾杯。スレイヤーの実戦投入、初勝利を祝って。

 ドロップレーと涼は茶を飲んで一心地。

「二人ともお疲れ様」海も緑茶を飲んだ、まだ熱い。

「スレイヤーなんか要らないかもしれない。ほとんど私と涼でやったもの」ドロップレーは気分がいいのか声が大きい。興奮しているなと涼は感じた。過去の戦争で、その勝利でこんな空気を感じた。ドロップレーは炒飯を美味そうに頬張った。

「ド・シェ・フォン!」

「な、なんだ?」と涼。

「私の母国語。イーン語で美味しいとか、とっても美味しい、って意味。勝った後のご飯は美味しいわ!」

「あなた中華好きよね。涼、味は?」

「最高だ」という涼の声は高い。

「こんな美味いオムレツ初めてだ」そういってコーヒーを飲み、息を吐いた。「軍の糧食とは大違いだよ」

「ここも軍の食堂に近いんだけどもね。そう、それでも食事の質は違うわ」

 海をうどんをすする。

「この基地は無用な混乱を起こさないよう、教会にカモフラージュしてる。兵装管理は地下で行うし、あなた達にもここの秘密をバラさないで欲しい。少なくとも有効なデブリ戦略が見つかるまで」

「モナリザが働いているのか。さて、デブリは何者か・・・・・・」

 それがわかるとは思えない、今回得た情報では。しかし実際に戦って来た二人にそういうのは心苦しい。

「涼、ドロップレー。コロンゾンの情報を基にモナリザはデブリ像を構築したわ」

 海は切り出した。モナリザのグロテスクな世界認識を話さなくては。

 海の話でドロップレーは蒼ざめた。涼はコーヒーを飲み干していた。

「ロミオも・・・・・・わたしをそんな風に捉えているの?」

「おそらくね。しかし反復練習を積めばスレイヤーの暴走可能性は低くなるわ」

「暴走どころかロミオは大人しすぎるくらいだけど」

「敵はデブリだろう」コーヒーのお代わりを淹れて涼がいった。半分ほど飲む。

「問題は、敵であるデブリを上手く認識できない今の状態だ。キューピッドに頼らなきゃデブリを見つけられない上、その実体もわからない。これがどういうことか、俺もわかってきた。洗濯機やコードの束が、デブリの一部でなく、服や、そう、俺の『悪魔』のようなものだったら? どれだけ叩いても出てくるってことになるだろう? そうでないとしても、有効な戦い方ができているとは思えない」

「有効な戦い方ができているとは思えない」 

 海も繰り返した。

「モナリザはそう思っていない。ドラゴンスレイヤーの頭脳であるモナリザと使い手たる私たちの認識がずれている。これは問題よ。大問題」

「こうなると、わたしと貴方達とのデブリ認識にも食い違いがないか心配ね」混ぜっかえすようなことをドロップレーがいう。

「そこまで疑う?」

「スレイヤーを疑いだしたのはきみだろう、海」涼はオムレツを口に含む。甘く、ふわっとした食感。一噛みでほどけていき、次の一口を誘う。うまい。

「ドロップレー。きみの国ではデブリは何者なんだ?」

「わたしの国では・・・・・・デブリは信仰対象よ。最近は違うけれど」

 意外な答に涼と海は驚く。

「イーン王国の建国神話にデブリは出てくるの」


 八千年前、まだ人々が国という概念を手に入れる前。

 人々は大きな大きな川のほとりで暮らしていた。

 川は時折雨で氾濫し、集落を洪水で洗い流した。

 まるで、人間など汚れだというように。

 若い男がある時立ち上がった。そしてこういった。

「もう水に殺されるのは嫌だ。妹も親父も友達も洪水で死んじまった」サインという男は杭に縄で繋がれた犬を見てこう続けた。

「川に首輪をつけようや。俺らが縄引っ張って、川の向きをあっちに向けるんだ」

 仲間たちは遂に狂ったと、サインを哀れんだ。家族が死んで気がふれたと。

 川が人間のいうことなんぞ聞くわけない。 

 人間が川の流れに従うもんだ。

 サインは野良仕事を放り出して家にこもり、机に向かって書き物をした。家に一人、そして季節は一巡り。

 秋が稲にぶら下がる頃、サインが家から出てきたよ。

「サイン、大丈夫か?」

「おおさ、これを見てくれよ」

 サインは紙の山を持ち出した。紙には川の姿が描かれてた。集落と川が、どのくらい近いか、雨が降りゃ川がどれだけ大きくなるか。そうしたことがどっさりと、詰め込むように描かれてた。

 目にした村人驚いて、なんだこりゃとサインに尋ね、サインはこう答えてくれた。

「工事をするんだ。水の溢れないように、でっかい堤防を作るんだ。みんなも手を貸してくれ」

 最初は誰も相手にしなくって。サインは一人で工事した。刈り入れ時で忙しく、サインを止める奴もなし。

 ちらりと雪の降る頃に、サインはまだ木を切っていた。垂れる汗が冷え切るが、構わず斧を振っていた。

 振り向きゃ山と積まれた木材。さりとて未だに足りやしない。

「この調子じゃあ、二十年は必要だな」

「馬鹿いえ、図面を見せてみい」

 ひとりごちたつもりがしかし、帰ってきた誰かの返事。

「キーウィの爺さん。仕事はいいのかよ?」

「さっき刈り入れが済んだところだ。俺も娘夫婦を水に殺されとるでな。手伝うよ」

 キーウィの爺さんは生き字引。尋ねりゃなんでも答えてくれる。

 キーウィは図面をひと睨み。頭ひねれば知恵が出てくる。

「ほらサイン、この場所は一つのパーツで済ませられる。手間が省けるぞ」

「おお」

「ずうっと北の上流、近くに低地があるから、上手く水をそっちに導けば、こちらにくる水量を減らせるぜ。雨の降った時だけそっちに流れこむようにするんだ。木材も少なく済む。もう少し冷えりゃ川も凍る。寒いが工事しやすくなるぞ」

「ならそれまでに木を切らないとな!」

 そうして二人木を切ってると、子供がそれを見ていたさ。子供の母親が、手すきの男が野次馬にきた。

 すぐに野次馬でなくなった。

「サイン、仕事がねえんだ、手伝ってやるよ」

「キーウィの爺さん、腰いわすぞ、あんたは指図してくれりゃええ」

「そうそう、爺さん、俺らは何すりゃいいんだ?」

 最初は三人手を出した。三人が五人、五人が十人。村中の男が木を切り出した。

 キーウィの爺さんが関わるのを見て、不可能事じゃないと思い直した。

 大きく広く、命を育んだ水。荒れれば誰も彼も殺したけども、川は神様じゃない。

 水は俺らの手に負えない、そう決めるのは早い。

 みんな夢中で工事した。死んだ家族を想い、仇を取るように打ち込んだ。希望が村人を動かした。

 その冬は寒くて、大雪が降り、仕事にならんかった。村人は秋の収穫を細々と食べて冬をしのいだ。

 家に篭って一週間。サインの息子のラブロが言った。

「親父。川なんかどうにもできねって。春になったら仕事しよう。俺らの食い物、もうねえぞ」

 サインは唸る。確かにもう食べるものがない。

「ラブロ。お前の言うとおりだ。だけど、村のみんなが食べ物をわけてくれる。飯の心配はいらない」

「働かざる者に、肉が与えられるかよ。肉は自分で取るもんだ」

「それは違うぞ。息子よ」

 サインは寒さで震えた。

「俺も働いている。だからみんなが助けてくれるんだ」

「親父は何も育ててねえ。狩りも」

「みんなに希望を分けた。新しい考えを育てた」

「考えで腹が膨れるか。お袋が帰ってくるのか?」

 川は曲がる。サインはそういえず、押し黙る。

 冬明けて花咲いて獣の目覚める春訪れて。

 サインは弓背負って家を出た。川と息子にサインは負けた。

 外では村人の半分が治水工事、半分の半分は野良仕事に、残りは狩りに出ていた。

 キーウィの孫娘のダッキと目が合った。

 あけましておめでとう、とダッキは挨拶。

「今年もお爺さんをよろしくお願いします。サインさん」

 その言葉がぐさりと刺さる。キーウィはもう仕事をしてる。

 背中の弓をダッキが見つけ。

「あら、狩りに行きますの? そんな仕事しないでいいのに」

「そうもいかないだろう。冬は世話になったが、もうみんなに頼らないさ」

「そんなことないですのに。ねえ、こちらで工事を手伝ってくださらない?」

 狩りか、工事かで揉めてたら、サインじゃないか。

 そうキーウィが声かけた。狩りに行くと知るとキーウィ、驚いた。

「どういうつもりだ、サイン。こっちは遊びじゃないんだぜ」

 するとラブロも顔出して、口論が始まった。

 ラブロはいう。

「川になんか構ってられるかよ。時間の無駄だ。獲物を狩る方がずっといい」

「よくも言えたな。お前も家族を殺されとるだろうに。悔しくないのか」

「悔しいよ。だけど、次の冬はどう凌しのぐってんだ。食糧はほっといても増えない。働いて作るしかないんだ」

「それについては考えがある。工事と他の仕事を分けるんだ。分配しよう。もう人員の配置は済ませておいた」

 名案だ、サインは頷いた。ラブロだって黙るしかなかった。キーウィの爺さんは実務に強い。

 キーウィはラブロの方を向いた。

「川が憎いのは俺たちだけじゃない。村のみんながそう思っとる」今も村人たちが木材を切っている。

「ラブロ、お前のお父さんは今まで誰も考えなかったことを思いついたんだ。それをみんなが認めた。俺もな。まあな、今年の冬は少しひもじいだろうが、堤防を作る為なら仕方ない」

 一時でも仕事を諦めた、サインはそれを恥じて申し訳ないと思った。彼はキーウィに進捗を尋ねた。弓矢を息子に渡して。

 サインがどっしり構えるだけでみんなしっかり働いた。

 五年が経って、まだ川は荒ぶって。それでも堤防は形を成し始めた。

 もう一息だ。水害とはこれでお別れだ。期待に胸を膨らませ、村人たちが仕事にかかったとき、サインが叫んだ。

「水がくるぞ!」

 雨など降っていなかったが、突然猛然と降りてきた土砂の龍。堤防の骨と人々を呑み込んだ。

 砂色のアギト、飢えて全てを食らうと、人々高所へと避難。

 子供の絶叫、少女は逃げ遅れた。

「助けて!」

 けども誰も、彼女に応えてやれなかった。

 ついに少女が水に呑まれると、飛び出す人影。

「親父!」ラブロが叫ぶ。

 二人は長いこと川に揉まれたが、うち一人が助かった。

「もっと早くこうすれば良かったって・・・・・・妹を助けるべきだったって、サインさんが。あ、あああ」

 水にむせながら少女は伝えた、サインの最期の言葉。

 哀れサイン。志半ばで逝くとは。

 ラブロが少女の体を拭いて、焚き火で暖めてやっていると、川から女が出てきた。女はいう。

「私は湧き出て、弾けて消えるもの。ただあるもの。サインの遺志を受け止めて馳せ参じた。呼ばれて姿をあらわした」

 女は美しく、纏う服もまた、美しかった。 

 髪は黒く輝き、目は鋭いが穏やか。両の掌は開かれ、艶やかな爪が花咲き。

「サインは最期に時間をもとめた。私はそれをいた。これより五年の間、川はらぶることはないだろう。その間に諸君は川をおさめるがいい」

湧き出て弾けて消えるもの、デブリはそう言い、川はぴたりと大人しくなった。デブリは消えた。

それを見たラブロは立ち上がり指示を出し始めた。

「デブリの言った通りにしろ、みんな! キーウィの爺さんに仕事の割り振りを聞け! ぼさっとするな。おい、何見てる? 丁度いい、お前らは葬式の準備だ!」

サインが女神を呼んだと、ラブロは思った。 潮の変わりをラブロは掴み、村の指導者になった。

それから三年、村にラブロの声の止むことはなかった。ダッキを嫁にもらい、子供をもうけた。

キーウィのように知恵もなく、サインのように新しい考えもない。それでもラブロの指図を皆がきいた。

デブリの魔法を好機だとラブロは確信していて、村人もそう思っていて。

何より彼らはラブロの単純な頭の中を知り抜いていた。ラブロに二心はないと信じていた。

器は小さい、蹴落とすは容易い、しかし権力巡って争って、五年が過ぎたら馬鹿馬鹿しい。だから野心に燃える者ほどラブロによく従った。

やがて噂を聞きつけた、異民族も駆けつけて、ラブロたちにこう告げた。

「俺たちは川上のシンセイ族。サイン族に話がある。仲間に入れてくれ」

川にはもう我慢できないと、族長のリーホゥは口にした。シンセイ族たちも加わってさらに工事の速度は増し、人々は村を往復するようになり、貿易が盛んになり、物流の需要は工事の噂を広げ、また異民族が加わった。

ジャカン族、ミンゴ族、ウェインスタイン族が加わり、期限の二ヶ月前に工事は成った。

四つの水門はしっかりと川を捕まえそして二度と暴れさせることはなかった。

サインの像が川辺の街に立ち、その夜五つの部族は盛大にこの仕事を祝った。ついにドラゴンに勝ったと。

そこにあの女が現れる。会場の入り口に立ち尽くすように。族長たちはデブリの怪しい出で立ちに見入り、ラブロは諸手を挙げて迎えり。

「貴兄らのわざった。今より川は振る舞いを戻すだろう。さらばだ、サインの息子、ラブロ。人間」

 幻のようにデブリは消えた。五年前のように。

 リーホゥらはたまげた。ラブロが落ち着くように言った。

「川を抑えた女神は消えた。神のご加護はもう、ない。だがこれからは俺たちが造ったあの堤防が護ってくれるだろう。これからも様々な災害が起こるだろうが、我らの部族が力を合わせれば恐れるものはない。それを今日、俺たちは証明したんだ。かつての俺は間違っていた。父を信じなかった俺は。シンセイ、ジャカン、ミンゴ、ウェインスタイン、どうかこの絆を軽んじないでほしい。父、サインの想いを共に継いでほしい」

 族長たちはみな頷いた。顔を合わせたこともない男とその息子、彼らには託せた、皆の希望。

「ラブロ、君の言うことを受け入れれば」とリーホゥ。

「村を一つにするべきではないか? もう大きな交通網でそうなってはいるが。その村に新しく名を付けよう」

 そうだ、それがいい、名を付けよう。そう村人らは口々に言う。村の共同体に名付けよう。サインの国、イーンと。


 母国語の原始的な韻律の物語をドロップレーは日本語に訳そうと頭をひねった。

「これがイーン帝国の建国物語。だからデブリは建国の女神として崇められているのよ、私の祖国ではね。続きもあるんだけど、もうデブリの描写はないわ。ラブロを巡る政治劇や、ダッキのロマンスや、でも誰もデブリの名を出さないの」

 ドロップレーはマカロンとコーヒーを頼んだ。頭も疲れたが、喉も渇いた。

 歴史の黎明より伝えられてきた伝説は洗練されておらず、韻律は不恰好で物語としても面白いところはない。そう海は感じた。

 それだけにリアルに感じた。無骨な物語という形をとって異世界の歴史を聴くことができたのだ。こんな体験はそうできないだろうと思うと、海の胸は高まった。

「それが、お前の神様なのか? ドロップレー?」涼は問う。

 ドロップレーにとっての神。上位存在、崇められるもの。信じられるもの。涼のそれは、人々とのつながり。

 ドロップレーは神と戦おうというのか? どうして?

 畏れは遅れてやってきた。そうだ。自分に置き換えれば、守るべき友人達にたった一人で戦いを挑む、そうした事態をこの王女は受け入れていることになる。

 それは・・・・・・。

「いや、イーン帝国も近代化が進んでてもう誰もデブリを信じてなんかいないわよ」とドロップレー。

「デブリが弾けて消えるように信仰心が綺麗に消えたわけじゃない、でもデブリを信じてるなんて、今時お父様でも言わないわよ」

 国を率いる王であっても、神を信じているとは言わない訳だ。帯刀だるまはドロップレーの世界が剣と魔法のファンタジーだと言っていたが、海は少し幻滅した。異世界に幻想を持ちすぎだ。

「それでも君の国民は神を信じているわけだろう。君はその神と戦っている。デブリを倒して国に帰れば君は神殺しだ。イーン帝国のことは詳しくないけど立場が悪くなるだろう」おそらく、とても悪くなる。「何故? どうしてデブリと戦おうとする?」

 マカロンに伸ばした手を止めて、ドロップレーは涼を見た。凝視した。

「海には話したわね。また長い話になるけれど」

 海は自分と涼にデザートを頼んだ。


 私たちの世界では『ガフ』という伝説がある。ガフとは生まれる前の魂の控え室。大抵の人はこの部屋を忘れて生まれてくる。神学者達が何百年も論争を繰り返して作り上げた理論上の概念なのだけど、二つの魂だけはガフの記憶を持ったまま生まれたわ。その魂の一つが、私。

 生まれるタイミング、出番を待つ間魂達は思い思いに過ごしてた。絶えず喋り続ける者、うつむき続ける者、歩き回る者。私は、一つの魂と話をして過ごしてた。

 色のない空間で、私達は未来について話をしていたわ。それしか話題がなかったから。

 私は彼の未来、大きな不正を正すという運命に聞き入った。剣と鎧で圧政に立ち向かう、彼のその姿を思い描いて、まだない胸を躍らせたわ。

 彼もまた私の運命に夢中になった。長い旅の後に恋人と出会い、国に帰ってイーン帝国を治める。すぐに彼が今生で出会うだろう恋人になったの。彼との時間は輝かしかった。 

 今も輝かしい。長いか、短いか、はっきりとはしないけれど。そしてある時老人が私達を訪れた。訪れて、彼の腕を引いた。

 お前の出番だ。行ってこい。老人はそう彼に言った。彼の旅立ちの時が来たというわけ。私達二人とも、離れたくないと声を上げたけれど、ガフの管理人であるその老人は耳を貸してくれなかった。意地悪よね。

 老人はあの時こう言ったわ。「お前たちは一人一人、それぞれの運命を持って生まれる。その運命に従うか抗うか、それだけは自由だ。だがその自由も生きている間のみ。生まれる前のお前たちはその生をあやつる事はできぬ。生きている、それが自由のいしずえなのだ。だからこそ私は『時』の名においてお前たちを送り出す。この密室から自由の門へとな。さあ、坊主、行くがいい。運命と自由がお前を待っている。多くの命が勇者の到来を待っているんだ」

老人に連れていかれながら彼は叫んだ。

「印を探して! あちらで君を待つ、探すから!」彼の背中に青い翼が生えていた。彼自身が生やした、背中の右に大きな青痣。刺青のように鮮やかだった。反射的に、私もこの背の左に翼を生やしたわ。彼に見つけてもらえるように。

彼は行った。私が生まれる時には彼はもう死んでいるかもしれない。今生の別れかもしれない。そう思って私は泣いた。はは、私は生まれる前に泣いたただ一人の人間ね。どころか、生まれて七日間も泣き続けて、水分を絞り出して死ぬとこだったってばあやが言ってた。え? そう。彼は死んでいるかも。もしかしたらはるか大昔に。それでなくとも私を忘れてるかも。運命に定められた男が彼とは限らないから、キューピッドが導く出会いでも、それが彼ではないかもしれない。それでも私は探す。彼と出会い結ばれる。旅の目的というよりこれは生きる目的よね。

この世界に入門する少し前に『虚寂竜』ディオゲネス・クラブとデブリが侵入したと聞いて、やつらに対抗しようとこの国に接触したし、助力は惜しまないつもり。でも第一目的は今話した通り。『ガフ』で会った彼を探す。

その為に、私はここにいる。


恋人ラバーズのスレイヤー、ドロップレーの過去に涼と海はなんと答えるべきか判じかねた。異世界に訪れた意外な動機、情報量、魂の控え室? 嘘のようだ。

 こんな女もいるのだ。世界は広い、と感じた海は彼女は世界を超えていたのだったと思い出す。なんという行動力。

 神を敵に回すその動機。男だ? 涼は当惑。人一人の為に?

 恋という概念を知らない、個人を愛した事がないのはネクロポリスの住人、インサイダーには珍しくない、たとえ強力身体能力が心に余裕を作る超人であっても。

 涼もまたそうした超人で、ドロップレーのような個人への愛情を感じない。それは情け容赦の無いネクロポリスの環境に適した精神の発達だ。

 朽ちていく過程を辿っているかのような涼の故郷、そこには愛も、慈悲も憐憫もない。余裕も。

 家族を作ることすら稀で、研究者はインサイダーの世代交代がどのように行われているのか日々頭をひねっている。

 涼としては他人がわずらわしい、という訳ではない。個人に関心を向けられないというのでもない。関心が持続しないのだ。ネクロポリスは忙しいから。誰かを守ったその直後に、別の誰かを守らなければ。

 弱ければ他者に関わる余力が無く、強者に限って心が優しくその為に大勢を守らなければならない。見殺しにするのは耐えられない、超人特有の弱さだ。彼自身はそんな分析などしてないが。

 異世界人なんだ、と涼は考える。世界を超えてここにいるからではなく、インサイダーにとって異質だから。

 あの海上での世界大戦、超人と力能者の為に引き起こされたあの戦いで、外の世界を涼は知った。あの時倒した敵兵の目、殺意。殺される事と負ける事は別なのだと断言した、あのアメリカ兵。ドロップレーの印象は完全に彼と一致した。涼は畏れた。思い出した。そうだ。人間は弱くなどない。彼らは負けない。時に人は無敵になる。脆い体を抱えて、失うものなどないかのように振る舞う。誰かを守る為なら負けを認める、甘ったれの俺とは違うのだ、ドロップレーもあの名も知らぬアメリカ兵も。目の前の王女の瞳は、恋で輝いていた。

「わからないものが・・・・・・いつも敵とは限らないんだな」

「涼? 何て言った?」と海。ドロップレーも彼を見た。

「別に。君たちは味方だと思っただけ」

 敵か味方か。それが分かるのは大したことだ。観音ならそう言うだろう。それはその通りだ。極論、戦場で判断すべきはそれに尽きる。

 しかし、戦場の外では? 世界の外側から来た王女に触れて、涼は考える。涼が守るべきーーと彼が信じているーー人々は、何を判じるべきと考えているのか、その生活の場で?

テーブルにはもう食べ物は無かった。ごちそうさま、と三人。

「涼って、ビンちゃん、瓶底びんぞこくんと知り合いなのよね? あの子、どんな子なの?」と海。ドロップレーとキューピッドもこくこくと頷いた。あの瓶底眼鏡の少年に興味があるらしい。その質問は出し抜けで涼には心当たりが無かった。

「わからないよ。でもどこかで・・・・・・。あ!」既視感はあった。その既視感が彼の体臭であったのに気付くと、誰かわかった。


「俺は眼鏡をかける前、チビと呼ばれてた」


 振り向けば、無表情の少年、山轢瓶底が立っていた。

「ビンちゃん、こっち座ってよ!」

「私の隣よ!」

「前はあなたの隣だったじゃない、海! 今度は私!」

 海とドロップレーが言い合いを始めた。どちらも瓶底がお気に入りらしい。

「チビだったのか。今は山轢さんの養子か」

「そうだ。涼、こいつらなんとかしてくれ」

 結局瓶底は涼の隣に腰かけた。海もドロップレーも涼に恨めしげな目を向けた。どうしろというのだ。

「しばらく見ないと思ったら、こんなとこにいたのか。お父さんはどうしたんだ。黒髭くろひげは」

「黒髭は、ディオゲネス・クラブにやられた。死んだ」淡々と瓶底は答えた。少年の前にラーメンが出された。

つるつると麺を啜る少年を凝視。「黒髭が、やられた?」

 友人である、黒髭が。もう、会えない。俺と、血の繋がらない息子を残して死んだと?

「黒髭は、俺と一緒の時にディオゲネス・クラブの手下に襲われた。真っ白な毛皮の大きな虎だった」と瓶底。

「夕飯を探している時に虎野郎が襲いかかってきた。黒髭は俺を近くの建物に隠して迎え討った。黒髭の力能が使われるのを見たが、すぐに大きな音がして、隠れてた建物が崩れた。そこからはぼんやりとしか覚えていない。コンクリの下敷きになってた俺を虎野郎が見下ろしてやがった。少しの間だけ。何故か奴は行っちまった。死んでると思ったのかもな。その時奴の抜けた白い毛が、何十本も顔に落ちてきた。俺の目に」

 話に熱中して、もうラーメンは伸びていた。瓶底の顔が隠れるほど分厚いレンズのその眼鏡が外された。

 瓶底の瞳は、金色だった。最後にチビに会った時は黒だった。両目とも。間違いない。 

 黄金色の瞳、その中に獣の白い体毛が張り付いているのを涼は見た。

「それからすぐにドロップレーに助けられて、教会のスレイヤーに志願した。ヤツの体毛に毒でもあったのか、この眼鏡がないと、今じゃぼんやりとしか見えない。・・・・・・瓦礫がクソ重かったな、あの時は」ホント重かった、とドロップレーは頷く。

「ビンちゃん、お父さんのご遺体、探さなくていいの?」

「何度も言ったろう、俺たちインサイダーは死体に関心なんか持たない。それは、死体は家族じゃないからだ、ドロップレー」

 何か言いたげなドロップレーを涼は遮る。

「ここでは葬式や埋葬は滅多に行われない。そうした余裕はないんだ。墓に掴まれる足は持ってない」墓に足を掴まれては生きていけないとは、ネクロポリスの言い回しだ。

「教会にはあると思う。涼」と海。

「あの街は住民に大きな犠牲を強いてきた。生きる為だけになんでもさせたし、なんでも捨てさせた。人らしい心、笑うこと。悲しむこと。こちら側ではあって当たり前のいろんなことをね。ビンちゃんも涼もネクロポリスを出たのだから、外の世界が与えるものを受け取っていいのよ」

 そんなものか。瓶底と涼は思う。しかし瓶底は納得しなかった。瓶底眼鏡をかけて、彼は言う。

「葬式はいらない。ドラゴンにも用はない。知ったことか。だが、涼」と瓶底。レンズに隠れた金色の瞳が涼を捉えていた。

「虎野郎は俺が殺す。あいつは俺から黒髭と光を奪った。断っておくが俺の邪魔をするな。ドロップレーも海もだ。他のスレイヤーにも邪魔はさせない。白い虎を見つけたらすぐに連絡しろ。代わりにお前らの戦いを手伝ってやる」

 瓶底にとっては、デブリもディオゲネス・クラブも復讐の障害でしかない。

「それなんだがよ、ビン」とキューピッド。

「明日の朝、立川のエーガカン跡に行けよ。映画館か。そこにディオゲネス・クラブが出るぜ」

 椅子が音を立てて転がり瓶底が立ち上がった。鈍く光る眼鏡がキューピッドの方を向いている。

「ヤツか? 白い虎か!?」

 普段の平坦な口調ではなかった。生きること以外に無関心なインサイダーの呟くような、陰気な喋り方ではなかった。

 テンポは心なしか早く、声は震えている。少し注意を向ければ瓶底が殺気を押し殺しているのはひとわかりだ。腕が震えているのも、超人の目でなくともわかる。

「落ち着いて! 今から興奮してもしょうがないわ。キューピッドが朝と言ったら、朝まで待たなければならないのよ」

「海の言う通りよ、朝にならなければディオゲネス・クラブとは遭遇できない」

 クソッタレ。瓶底は呟く。「立川の映画館だと? 駅の近くだったな」

「出会いを射止めるキューピッドの名にかけて間違いないぜ。だが」

「なんだよ」

「お前が探している虎って感じじゃないな。藪から出るのが虎とは限らない。蛇かも。俺にわかるのは、そいつがディオゲネス・クラブの一人だってことだけだ」

「そいつも敵だ」と瓶底は断言。白い虎との邂逅を阻む者は全てが敵だ。「当たりが出るまで外れを引いてやる。そいつらが虎の仲間なら黒髭みたいに殺してやる」

「ここにいたのか、瓶底」白衣をきた女、ブリキが言った。いつの間に? 涼以外、誰も彼女の接近に気付いていなかった。

「会長と博士が呼んでるよ」

 こんな時に。舌打ちをして瓶底は食堂を後にした。トレイも片付けず。ブリキも瓶底についていった。

「黒髭。残念だ・・・・・・」と涼。「ディオゲネス・クラブってなんなんだ? 力能者だって手に負えないのに、デブリの正体も分からないのに、その上ディオゲネス・クラブ?」涼は問いかける


「ディオゲネス・クラブとは簡単に言えばドラゴンだ。見上げるほど巨大な竜。日本語に直訳するとディオゲネスは『竜』、クラブはイーン語で『組織する、集まる』だと。寄り集まる竜。ディオゲネス・クラブは孤独を感じている人間の心につけいるらしい。そうした人間を見つけると自分のうろこを動物をかたどった仮面に変え、与える。それを受け入れてつければ、『虚寂竜』ディオゲネス・クラブの手下、イーン語でなんというんだったかな? 博士」

「エレメンツだ。観音。似たような単語がこちらにもある」

「ありがとう、帯刀たてわき博士。瓶底、お前の義父を殺したのも虎のエレメンツだろう。そいつを探しているわけだ。お前は」

 瓶底は深く頷いた。

 教会の地下、その最奥にある会長室。デスクに山轢観音、応接用のソファに山轢瓶底、帯刀だるまが座っている。部屋は少し埃っぽい。掃除が行き届いているとはいえない、デブリとの接触で発生した事務仕事に観音は忙殺されていた。

「明日の朝か。俺もエレメンツを見に行こう。観戦だ」

 観戦だと? いい身分だな、と瓶底が顔を向けるが、「そんなことはどうでもいい」という観音に遮られる。

「瓶底よ、お前を学校に編入させたのは単にお前がかわいいか、ら・・・・・」

 咳払い。

「単にお前に真っ当な教育を受けて欲しいからではないと言ったよな。任務があったからだ。ある生徒に接触してもらう。柔草日ノ笑やわくさひのえだ」

 学生か。そいつがなんだというのだ。

「彼女はヒーローチーム、仮面舞踏会マスカレードの関係者だ」

「入学後、柔草を通してヒーロー達に渡りをつけろ。それが任務だ、瓶底」とだるま。

 瓶底は眉をひそめた。ヒーロー。聞いたことはある。マスクをつけて素性を隠し、犯罪と戦う英雄。水際の戦争にも参加し外敵を圧倒した。観音や涼は彼らの戦いぶりに畏れを感じた。そんなヒーロー達を瓶底は、話でしか知らない。

「お前を府中俥ふちゅうくるま高校に編入させるのには苦労した。わかってる。一番苦労したのは瓶底、お前だ。俥高校は偏差値の低い学校ではないし、お前は義務教育すら受けていないのだからな、帯刀博士の集中講義はさぞ難しかったろう。とにかく、学校に入れる年齢のお前がある日教会に参加したんで大急ぎで受験手続きをさせたのは、この為なんだよ」

 げっそりする。瓶底は人生初の集中講義を思い出した。人生最後であってほしいと思わせるほど辛かった。

 親を失って一週間もせず、瓶底は文明生活に溶け込む為の教養講義を受けさせられた。はじめは観音の言う通り苦労した。復讐の叶わない怒りと焦りがないまぜになり、周りに当り散らした。特に父親面する観音のこととなると瓶底は周りが見えなくなるほどーー事実ほとんど見えないのだがーー怒り狂った。家族を喪った悲しみを整理できぬまま新しい家族ができたのだ、十五、六の子供だ、混乱するのも無理はない。だるまはよく竹槍の刳抜くりぬきで暴れる瓶底を黙らせたものだ。

 少しすると勉強が怒りから気をそらせてくれるので夢中で勉学に励んだ。小学生が勉強に慣れ始める頃に感じる高揚感だ。学力が上がる感覚は新鮮で気分良く日々を過ごせた。 

 ドラゴンスレイヤーの『力』ストレングスを与えられた。白虎を倒すための力を。

 講義が仕上がる頃、そんな気分は吹っ飛んでいた。白い虎も、ディオゲネス・クラブも、教会も、まだ通ってもいない学校も吹っ飛ばしたくなっていた。特にだるまを。

 勉学は進むに従って難しくなる、より複雑になるという当然の事実が、学生ではない瓶底には当然でなかった。

 まったく、その困難は彼の頭脳に多大な負担を強いた。竹槍の振るわれる機会が増え、それでも瓶底は博士の言うことを聞かず、教会の静謐さは失われた。

 同じく日本の勉強をしていたドロップレー、マナーを学ぶ海も瓶底の怒号に頭を抱えた。勉強にならなかった。

 なんとか人並みの学力を身につけることはできたが、瓶底はだるまに心を開くことはなかった。感謝もしなかった。

「つまり、俺があんなに勉強しなけりゃならんはめになったのは柔草のせいなんだな?」

「それは違う。何度も言ってるだろう、お前の新しい人生はもう始まっている、インサイダーの頃のように先のことは仇を殺してから考える、そんな考えでは駄目なんだ。お前が勉強をうっちゃる度に言ったよな、何度目だ? 瓶底、腹が立つだろうが、俺はお前の父親だ。お前を育てる義務がある。いやそんなのは関係ない。幸せになってほしい。命懸けで毎日を過ごすような人生は送ってほしくないんだ。敵を退けることに時間を使わず、自分のやりたいことをみつけてほしい。そのためには学校に通いネクロポリスの外の生活に慣れてーー」

「山轢、話が脱線している。続きは二人きりのときにやれ」

「博士・・・・・・、そうだな。瓶底、政府は対デブリ、ディオゲネス・クラブ戦を誰からも邪魔されたくないんだ。それがヒーローであってもな。特に、敵と交戦しようという時にヒーロー達がこちらを攻撃する、という事態はなんとしても避けたい。ヒーローに情報を提供し、信頼を勝ち取るため彼女らと共に戦って欲しい。それがお前の任務だ」

「対ディオゲネス・クラブ戦にヒーロー達を誘いたいのか?」と瓶底。観音を睨む。よく見えるように。

「そこはあまり期待していない。ただ俺たち教会と、デブリのような存在を彼らに把握していて欲しい。欲しいが、彼らがディオゲネス・クラブに対抗できる程の戦力を持っているか疑問だ。かといって非合法組織であるヒーローにドラゴンスレイヤーは渡せないし」

「任務はわかったな? 瓶底。では彼女に接触しろ。今日の課題を済ませて眠れ」とだるま。

 お前が出した課題なんてやらねえよ、とは言えない。

「飯もしっかり食え。歯も磨けよ」と観音。

 わかったよ。退室。うぜえ。歯磨き粉は嫌いだ。

 明日は決戦、ドラゴンを、とはいかないだろうが、そのエレメンツを殺す。怒りに震えた。今日ほど明日が待ち遠しいことはなかった。

 しかし、その復讐には大きな邪魔が入ることになる。それを瓶底は知らない。

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