デブリ ドラゴン デビル
樹 覚
第1話 悪魔の腕
死せる街、ネクロポリス。夜。その街は暗く静かになる。電気が通っていないのだ。ガスも。百年近くインフラに手が加えられていない。
雪は道路を覆い、寒風が鋭く体温を奪う。冬はこの街よりも無慈悲だった。
あと三ヵ月もすれば暖かくなる。
あと三ヵ月もすれば。家が遠い。人並みに足並みを揃え歩くようになったのは何故だったか? そう、友人や仲間に合わせようとしたからだ。共存すること。それこそが涼の悲願、涼の神だ。孤独に生きていくなど考えられない。他の超人たちと同じく、涼は常人にこそ祈る。
常人らしく振舞うのはいいがここには誰もいない。仲間も。通りすがりも。
…………?
何かわからないものが、そこにあった。朝通ったときはなかったし、これまでも一度もなかった。
それは二メートルほどある、洗濯機に似ていた。断続的に機械音を出して少しずつ震えている。胴体の周りを二つの鍋・・・・・・の蓋のようなものが回っている。胴体の下部から太く長い、ケーブルで織られた筋肉が伸びていてその先端には大きな金庫がくっついている。金庫に似た金属の箱。
ゴミにしか見えなかった。震えているゴミも鍋を回転させているゴミも、巨大な洗濯機も見たことはなかったが、ゴミ以外の何物とも思えなかった。
誰だ? こんな物捨てたの……。
脇に寄せようとしたでもない、単純な好奇心で近づいた時、金庫が頭に直撃した。電柱にたたきつけられ、涼は困惑する。
な!?
着地して、とっさに拳を握る。ビルをも木っ端微塵にできる超人の拳だ。二つの鍋蓋がこちらを向いて静止した。金庫をつなげたケーブルはうねっている。
殴られた? ゴミに? いや、ゴミは動かない。動く機械を見たことがないほど涼は原始人ではないが……まだ目の前のそれを機械とは認識できない。ゴミでなければ明らかに機械なのだが。
ネクロポリスで第一に考えるべきもの、それは身の安全だ。それは超人的な身体能力を持つ涼とて例外ではない。
殺したくはないけれど。
超人の防御力などこの街では何の意味もない。物理的に無敵であろうと関係なく、ネクロポリスは危険を己の住人に突きつける。洗濯機の姿をしていようが自分を攻撃するものは敵だ。洗濯機どころか、得体の知れない相手では手加減のしようもない。殺人の覚悟すら決めて、涼は拳を振りぬいた。直撃。殺人的な衝撃波。巨大な洗濯機は宙を飛び、地面にバウンドし、ビルに直撃した。殺していませんように、と涼は祈った。
!
ビルから金庫が飛び出してくる。涼は金庫を両手で捕まえて一本背負いのように洗濯機を放り投げた。
涼に殴られた時は水平に飛んだが、今度は上空に、ほぼ垂直に。
「あなた! 水澄涼!?」
後ろから声がする。振り返れば女が二人。バイクにタンデムだ。涼の名前を知っているようだが面識はない。片方は首までの赤い髪、吊り上がった双眼。どこかで似た顔の女と会った。背は高い。ダークスーツ。理知的な雰囲気に、涼はネクロポリスの住人ではないなと思う。
後ろに乗っている方の女は、いや、少女か。十六か十七歳。白人。小さなティアラを載せた鮮やかなブロンドを膝のあたりまでおろしている。バイクに巻き込まなかったのか? ウェディングドレス――涼の知識にはないが――Aラインのドレスを着ている。首飾りはドレスに合わせ、白い宝石をあしらったもの。そのファッションもネクロポリスでは奇抜だが、手にしているのは更に奇抜だった。
「そのままそれを破壊して!」
赤髪の女が言う。足元のマンホールの蓋を手にする涼。
「あれが何か知ってるのか!?」
「デブリよ!」
命がかかっている時に、敵の名前などどうでもいい。知っているのか、と問う時というのは、相手の戦法、武装、長所、弱点を必要としているということ。
だが洗濯機は、デブリの落下は始まっている。考えている余裕はない。いつだってなかった。デブリとは? 自分はなぜ超人に生まれた? なぜ狙われた? 二人の女は?
空中で洗濯機は金庫を振り下ろす。中身のない金庫は風を切り涼の頭へと飛んでいく。
涼は金庫のキャッチを試みる。だがその時大型獣の
「!」
金庫はまるでその機能のように涼の腕を肩まで――収納した。銃弾を弾き、ミサイルの直撃でも吹き飛ばなかった己の体が。かつての戦争すら無傷で切り抜けた腕が。激痛よりも早く、大きく喪失感が爆発する。構っていられない。腕よさらば。
反対の手に持っていたマンホールを金庫に叩きつける。金庫は鍋蓋でマンホールを防ぐ。花火に近い火花。鐘を叩いたかのような轟音が二人の少女に襲い掛かる。積雪が舞い上がり、周囲の窓ガラスは衝撃ですべて粉砕。マンホールは鍋蓋を紙のように引き裂きそのまま洗濯機を両断した。マンホールもまた衝撃に耐えきれず断裂。
着地した洗濯機は動かなくなる。
あまりに異質の存在に、その沈黙後も涼は勝利を確認できない。死んだのか? 武器を捨てていいものか? それを知っている人間がいる。
「お前ら――」
少女たちの方をみると二人は気絶していた。最後の一撃で発生した衝撃波をもろに食らってしまっていた。死んだのか? 顔が青ざめる。ボロボロになったマンホールを捨て二人に駆け寄る。
「大丈夫か!? 大丈夫と言ってくれ! 頼むから起きてくれ、死なないでくれ、生きていてくれ!お願いだから……返事してくれ!」
言葉が勝手に出てくる。耳は勝手に女性達の鼓動を聞き取っていた。生きている。
しかし安堵のため息など出てこない。振り返れば、洗濯機から金庫が切り離され、ケーブルで這いずっていた。逃げている。金庫が。
「なんなんだあいつ……」
涼は思い出す。あの金庫の中には俺の右腕。俺にはもうない右腕。肩を見れば血が勢いよく出ている。
「あ……」失神。出血と同じく、初めての失神。
「右腕の欠損? 超人を傷つけたのか、デブリは」
声が聞こえる。
「そうです。私たちは失神していたのでどういった方法で涼を傷つけたのはわかりません」
「起きたときには涼の方が倒れていた」
「
「生きていればいい。興味深いな、超人を傷つける方法は
「悪魔の一種であるというのははっきりしています」
「ドロップレー殿下、私はデブリを見たことがありません。殿下からの情報でしか、デブリを知らないのですよ。対デブリ戦略を構築する立場として、現段階でデブリをこれこれこういうものだ、と決めつけたくないのです。情報は多いほどいい」
「私の言葉が信用できないの? 博士」
「人間の認識を信用できないのですよ。昔、記憶をいじられてどえらい目にあったもので」
「昔の話は興味がありますけど、今の任務を済ませましょう。私のスレイヤーは、
「そうだ。
「俺はここにいるぜ! あんたから話かけてくるなんて珍しいな、博士」
「声を落とせ。うるさくてかなわん。お前はデブリの発生を感知できるといった。本当なんだな? デブリの生態が明らかになっていない以上、お前のご託宣がなければデブリと戦うこともできん。他にデブリの見つけ方が判らないからな」
「俺はデブリを見つけてるんじゃない。出会いを見つけてるんだ。だからドロップレーは俺とつるんでるのさ。大丈夫、お前らがデブリを探す限り、必ずデブリに出会える。それがこのキューピッド様の加護ってもんよ」
「なるほどな。出会いを見つけるか。待て、お前のような妖精でもデブリを探すことはできないのか? お前の魔道では?」
「魔道では無理だな。どういう訳か、デブリって存在を感知できない時があるんだよ。つまり、魔力を発していない時が。そんな時は他の悪魔を感じるようにはいかないさ」
「殿下、聞いての通りです。デブリは悪魔と断じても、異色だ。それどころか殿下の世界でもデブリの情報は極めて曖昧だ。証言や文献にも矛盾がみられる……」
頭がぼうっとしている。今まではぼうっとする頭すら感じられなかった。しかし、意識が急速に回復する。涼は目を開けた。
左右に長椅子が八つずつ置かれている。自分は右列の最後方に寝ていた。奥には十字架にかけられたキリスト像。後方に巨大でカラフルなステンドグラス。教会か。目の前には赤髪の女とドレスの少女。そしてもう一人男がいた。
「目が覚めたな、
その男が言った。中肉中背、口髭と顎髭を生やしているが、あまり似合っていない。
「お前ら……」
「待て涼。お前に会わせたい人がいる。お前と会いたがっている人がな」
右奥の扉が開かれ二人の男が入ってくる。大男と少年だ。涼は大男を知っていた。
「
山轢
「楽にしろ。私も君も軍人ではない。今はな」
少年はこちらをみていない。分厚い眼鏡の向こうの目線を涼は捉えていた。少年は誰とも話さない。少年は見たことがあった。ネクロポリスの子供は無口になりがちだ。ここはネクロポリスなのか?
「ここはネクロポリスだ、涼。お前を探していた。実は、国家がまたお前を必要としている。俺たちを。俺たちはまた軍人となる。多少特殊な軍属組織だが」
「日本の為なら、俺は何度でも戦いますよ」
百年前、立川から高尾までが謎のガスで汚染され、ネクロポリスが生まれた。当初は無人の街だったが、浮浪者や身を持ち崩した人々が住むようになり、ガスに適応した人々の中から特殊な人種が生まれた。超常的な身体能力を待つ超人と力能者と呼ばれる超能力者。
彼らはその奇怪な力とともに不安定な精神を持っていた。定期的に精神安定剤を服用しないと我を忘れ、暴れだす。対策として政府は彼らに無償で安定剤を与える制度を作り出したが、それまで多くの犠牲者が出た。
日本のみならず世界中が混乱した。一般的に穏やかで闘争本能を欠いた超人はその存在を軽んじられていたが、ネクロポリスという劣悪な環境下で育った力能者は全世界から危険視された。その能力を人に向けることに何の抵抗も感じなかった。ネクロポリスでは自分の為に人を傷つけることが奨励される文化があり、日本の無法地帯といえた。
そのネクロポリスで育てば力能者がその能力を使って生き延びようとするのは当然のことで、四年前その姿がカメラで撮影され全ての国家の知るところとなった時、日本が受ける外圧は過去最大のものとなった。
各国が度を失った。仮想敵国も同盟国もなかった。東南アジア、中国、北朝鮮、韓国、ロシア、アメリカ、海底帝国アトランティスが宣戦布告した。他の国もこの戦争を注視した。日本の力を図ろうとしていたのだ。
勝ち目などなかった。
世論は戦争の原因である超人や力能者を徴兵しろと叫んだ。政府も平静ではいられず、超人らを最前線に送り出そうとした。夢物語だったが。
超人は戦いを嫌う傾向があり殆どが戦いなどできなかったし、力能者は闘争心については人並にあったが、その最大の武器は不揃いが過ぎて、到底軍で運用できるものではなかった。制御できれば上出来で、単に力能者としての特徴を持っているのみで、つまり安定剤を欠けば暴走するという点以外に変わった所がなく、どう頑張っても能力を使えない者、突然暴発させる者が多数だった。能力の不発も暴発も安定剤で制御できないのだ。
それでも超人の一部には軍人としての適性を、戦闘意欲を持った者が少数いて、彼らを徴兵することで勝ち目を作り出した。超人のみで結成された部隊、涼も金銭的援助と引き換えに所属していたピーチ小隊。鬼とも闘える桃太郎を揃えた部隊だ。世界中に超人への畏怖を与えつつ、日本は己の防衛を果たした。
その後の緊張は各国の外交努力によって徐々に軟化している。表面上は軟化するふりをしている。
「そういってくれるのは助かるが、その前に説明をせねばな。背景説明だが、その背景がまた壮大でなぁ」
ネクロポリスに隣接した国立の教会、その長椅子に涼と山轢観音、赤い髪の女、
養子として紹介した少年を外させて山轢観音は切り出した。
「お前は、涼、超人の力がなぜあるのか考えたことはあるか?」
「いいえ、そんなことを考えていたら、この街では生きていられないですから」
「インサイダーの模範的回答だな。超人と超能力者、この二つの力には理由がある。百年前のガス、瘴気だ。瘴気が人間の魂に触れるとそうなるのだ。突然変異だ」
「瘴気ですか? ガスの匂いなんてありませんよ、ネクロポリスと外の空気に違いなんて無いです」
「超人の嗅覚でも感じ取れまい、気とはいうが、物質ではないのだよ、完全にはな。魂に触れるのだからむしろ、観念に近い」
突然変異、観念、魂。涼が考えたこともない言葉が頻発する。
「そのガスはどこから来たのか? デブリも同じところから来た。並行世界だ……」
観音は少し黙る。彼にとっても身近ではない領域だ。
「涼、さっきお前は、ネクロポリスと外、と言ったな。その二つを合わせたものがお前の世界なわけだ。その世界を、ネクロポリスのように柵で囲おう。そうして柵に囲われた世界がもう一つあるのだよ」
「……なんですって?」
「多世界解釈。異世界だと思えばいい」
白衣の男がいつの間にか観音の後ろにいた。
「俺は
「帯刀博士は軍事開発と戦略、戦術開発を担当してくれている」と観音。
「百年前、ある研究団体が平行世界を観測する実験を行った。無茶な話だ。観測者と、それに平行する観測対象が交わらないから、平行世界だと言うのにな……」
量子力学では観測されていない物質は可能性(の波)として存在しているとみなされる。それは観測されている時のみ、確固とした物質となる。
観測されていない量子はその可能性の許すあらゆる場所に存在する。それが水素原子でも、椅子でも、人間でも――人間は自分を観測するだろうが――デブリでも。歴史の日に当たらない場所は、常に不確かだ。ミクロの不確定性はマクロの世界観に連結する。つまりこの世界は人間の観測により収束した状態と言える。ならば、世界は他の状態として観測されえたとも言える。そのされえた世界、もう観測しようのない異世界を平行世界という。
平行線は交わらないものだ。しかし、観測対象の存在様式に干渉するのが観測者であるなら、観測者に干渉すれば? 研究団体はそう考えた。
その観測者、実験体は遺伝子実験によって五感を奪われていた。先天的に感覚を持たなかったが為に、この世界を観測しなかった。
そして特殊な機械を用いて脳にある世界観を入力された。観測者は勿論その世界を観測した。無限のバリエーションの中から最も現実離れした世界。ありえないとみなされた世界。剣と魔法のファンタジー。
「ドロップレー殿下はな、その世界からきたお姫様だ」
「デブリもな」と帯刀博士。
「二つ目の世界、ですか。ピンときません」
ため息をつき、「外国と思えばいい」と帯刀博士。
「ドロップレー殿下は、デブリを追って日本に来たんだ」
「デブリと
「武器がいる」と帯刀。いつの間にか金属の腕を取り出していた。
「取り付けてやる」という帯刀の・・・・・・不気味な笑みに涼は後ずさった。
「あの、そのガラクタはなんすかね? またデブリ?」
「面白い発想だな。だがわからないものはなんでもデブリにしようとしているとも言える。こいつはな、涼」くい、と金属の腕を上げる。にやにや。
「新しい腕だ。お前の。いつまでも片腕では不便だろう」
ば、と涼は観音を見る。その目はこう伝えている。このゴミを俺の体に? この男は本気か? 本気なのなら正気なのか? 取り付けるとして、俺の体は大丈夫なのか?
観音が口を開いた。
「取り付けろ、涼。博士の言う通り片腕のままではいられまい」
「俺の友達は腕無しで生きていますよ!」
「デスタッチだな。実は彼も我々、教会に組み入れるか考えている」
「ハカセは黙ってろ!」こいつら、ネクロポリス中の力能者や超人を調べているのか?
「落ち着け、デスタッチにしても」と観音。
「デブリと関わらなければ上手く生きていけるだろう。だが涼、お前は、俺たちはそうではない。デブリと戦わなくてはならない。片腕では危険だしその腕、
命令なら仕方ない。「イエスサー」帯刀が涼の肩の金属部分を調べる。
「接続すると自動で神経の同期調整をする。痺れるぞ」
事実痺れたが、それがどうした、だ。
「軽い」
「超人だからな。金属ごときで重いとは言うまい」と帯刀。
「腕としてみればどうだ。戦闘時に右手が重かったので、では死んでしまうぞ」
「そう言われると、確かに重いす。なるほど、俺の腕じゃないんだな」肩を回すと、無視できない抵抗を感じた。
「そのあたりは少しずつ慣らしていくんだ。『悪魔』は人工知能を持っている。互いにすり合わせたいくんだ、涼」
「あんたに呼び捨てにされる筋合いはない」
帯刀の、インテリが持つ傲慢さを、涼は感じ、苛ついた。しかしその苛立ちを、その理由については分析できなかった、無理もない。知識層と初めて話したのだから。
『悪魔』には肩口から手首まで小さな付属物がいたるところについている。大小三つのレドーム、肩と肘、手首部に聴覚センサ、無数のカメラ。涼にはよく分からないセンサ類。
『悪魔』は複数の情報を集めるスレイヤーだ。しかし人工知能はその統合や、デブリ像の算出には使用されない。
「ものを見て、考える腕ですか。不気味だな。勝手に動き出したりしないでしょうね」
「その心配は要らん。お前の動き、ビヘイビアを学び先読みし同調するように設計されている。『悪魔』に限らずドラゴンスレイヤーの全てがそうなんだ。本能のレベルでお前に追従しようとする」と帯刀。
「スレイヤーは基本的に全て、全身を覆うアーマーなんだ。だが俺やお前のような超人に金属のアーマーはナンセンスだ」と観音。
「人間が紙の鎧を着けるようなものですからね」と涼は観音に和する。
「そうだ。ミサイルでも俺たちの体は傷つかない。しかしデブリはお前の腕を食いちぎったんだからな。馬鹿げていると思うか? それでもないよりかと思い、製造を進めていたところにお前が腕を失って搬送されてきた」
「そして、設計思想を修正した」と帯刀。
「僅かな修正だ。腕がなくなったなら右腕部を中空にする必要はない。EPRアクチュエータを小型化せずに済んで、その分出力の上昇に成功した。元から山轢会長の進言で全身の武装化は決定していなかったからな。当面は右腕部のみの武装で戦ってもらい、全装甲が必要と判断された時は改装する。何か質問は?」
聞きたい事はいくらでもあったが、まずは身近なことからだ。帯刀でなく観音に聞く。
「給料はでますか? 孤児院に寄付したくって」
正式に教会に所属する事になった。命がけは変わらない。少し収入が増えただけだ。疑問も。
「考えるな」教会の椅子で寝転び、ぼやく。機動音。右腕ではない。足音のようなリズム。右奥にある廊下の方からだ。
まるでロボットのような女が出てきた。右足。左足。一歩進むにも苦労しているようだ。デブリと戦った時にいた、あの赤毛の女だ。全身装甲で覆われているが、匂いで分かった。全身の輪郭が分かるほどタイトにデザインされているスレイヤーだ。丸い、女性的なライン。腕が少し膨れている。両腕が。
女が、
「涼。ゆっくり話をするのは初めてね。腕の調子はどう」
「右腕なら、なくなったよ。君は・・・・・・」
「紅南海。これから一緒に戦う事になるわ。きみとはだから、仲良くしたい」
「仲良くか。それはいいね。・・・・・・といっても、変な意味じゃなくだ」
「分かってる。超人は人と仲良くしたいのよね。こちらは助かるわ。お互いに命を預け合うんだから。その腕にしても、除け者のままではいられないわ。それを自分の体の一部にしなければ、危ない」海はギリシャ彫刻の女性のような意匠の、フェイスマスクを上げる。
「きみのそのアーマーも、そうなのか」
「これもスレイヤーだし、あなたと同じく習熟訓練が必要。だけど慣れれば自分の手足そのもののように、それ以上に早く動かせるようになるわ」
「手足以上にだって? 機械である以上、人の操作を受けて動作に移る、上手く言えないがそこにラグタイムがある筈だろう?」
「上手く伝わっているわよ。言いたいことはわかる。でも兵器にそんなラグタイムがあってはならない。スレイヤーはだから、中枢コンピュータと各駆動部のアクチュエータを量子エンタングルでリンクしているの。このリンクは中枢コンピュータの出力をラグタイム無しでアクチュエータに伝える。らしい」
「らしいって? 量子エンタングルというのはどんな技術なんだ?」
「私が作ったんじゃないの。専門的な事はわからない。帯刀博士に聞いたらいい、訳ではないわね。あの人、説明が苦手だから。というより説明する気がないのね」
「わかる」と涼。頷く。
「嫌ってるのね。帯刀博士を」
「超人だって木偶の坊扱いされれば腹が立つ。荒事のできる奴なら尚更だ。あいつ、何者なんだ?」
「彼については私も知らされていない。ある意味でこの教会の裏のボスとも言われているわ。頭もいいし、戦略眼もある。発言力は傍目に判るほど大きい。だけれど、人望はないわね。だからその点は山轢会長が補ってるの。人望なしに組織はまわらないから」
涼は軍隊時代を思い出し、そうかなと呟く。上官だった観音のさらに上にいた、口汚く命令する上官に人望なんてなかった。思わずついていきたくなるような人望は。
「俺の腕。まともに戦えるのかな。あんなバケモノ相手に、オモチャの腕ではな」
「あなたはミサイルでもオモチャ扱いでしょう。
「きみみたいに?」
きみ、とは。馴れ馴れしいと海は思った。いや、これはこちらを警戒していないのだ。超人は傷つけられることが滅多になく、人懐っこい。簡単に距離を詰めてくる。
だがその相手が無邪気な熊同然では、それも初対面だ、こちらは遠ざかりたくなるものだ。
それでも海は、彼を受け入れようと決めた。彼はパートナーだ。ワールド以上に自分を守ってくれるだろう。
「そ、私みたいに。効率的な練習があるわ。組手をしましょう」
「ああ、外に出よう」対人戦闘訓練か。
外は暗い。雪も、溶ける様子はなく、冷たい。しかし、ネクロポリスの静けさはない。車の音がした。
ネクロポリスを囲う儚く薄い壁がすぐに見えた。超人でなくとも簡単に壊せるだろうし、事実過去には壊されてきた。補修の跡がある。この壁は涼よりも長く存在し、傷つけられてきた。
涼は、自分が死ぬのと、この壁が取り壊されるのとではどちらが早いだろうと考えた。もし壁が取り壊されるのを見ることができるのならそれは喜ばしいだろうか、それとも災いがネクロポリスに流れ込む事になるだろうか。
もし、が枝分かれする思考、涼は初めてネクロポリスの未来を想像した。そこに自分の存在を配置するのは、驚異だ。初めて海に入った時のように。
「ここは
国立か。ネクロポリスとその外の境界にいるわけだ。車ならネクロポリスにもあるが、真夜中に走らせるインサイダーはいない。もちろん、免許など持っていない。柵の向こうから音など聞こえなかった。
「寒くないのか、海」
「大丈夫。スレイヤーは基本全天候型よ。中は暖かい。涼、安全面を考えて、スレイヤーは戦闘に入る宣言がなければコンバットモードに入らない。人工知能の名前を呼び、宣言して。モナリザ、 シャルウィーダンス。演習モード」
ワールドの電子音を涼は捉えた。海には聞こえただろうか。
「デビルの中枢コンピュータの名はメフィスト。メフィでもいいの。名を呼んで、レシーブオール、と、宣言。そして演習モード」
「メフィ、レシーブオール。演習モード」するとまたワールドから電子音。これは海にも聞こえた。ワールドの左腕前腕部はノートパソコンのように開き、ディスプレイとキーボードが収まっている。ディスプレイには文字が並んでいた。
「パスワードエラー? これなに?」宣言されたデビルの中枢コンピュータの名が登録されているものと食い違っている。という報告の下にさらに文字が並んでいた。
親愛なるだるまへ
最後に君の顔を見たのは何時だったか。
吾輩のサプライズで楽しんでくれたか?
とまれ、君を驚かす機会はいかにも惜しい。
我がいたずら心をどうか許して欲しい、
この再会の奇跡に免じて。
この際告白すると君が生きている事は吾輩分かっていた。
だが吾輩はあの事件の結末する仕儀にて君と袂を別つと、決めたのだ。だるま。
その決意を翻す時が来たのさ、今。
こうして
なお話すことはあるのだ、いくらでも。
ありったけ話すことが友にあるというのは良いことだ。
君の婚約者については残念だ。
望み断つなかれ、彼女の業は吾輩達の頭の外にも及ぶ。
釈迦に説法、敢えて言おう、人が意思する限り、必ず結果を呼ぶ。
さて吾輩は忙しく、君と顔を合わせる時間もない現状、
こうして間接的にやりとりするのが今は最上。
かつまた、吾輩は劇薬、この燃える友情を直に伝えるは双方に益なきと愚考する次第。
かつての我らのコンビは過去のこと。これよりはより良き距離で寄り合いたい。
そしてだるま。君の設計したメフィストだが、二つ欠点があると見受けた。
うち一つは君なら他のアーマーでカバーすると吾輩は見抜いた。
ではもう一つとは?
道徳的、倫理的なものだ。すでに死んだ者の名を、今を戦う兵器に与えるとは!
メフィストは真実死人だ。戦いを感じるまい。
戦場において、危機も感じず教訓も学ばずでは一切がお終い。
生まれた者、生きるものが必要なのだ、だから。
新鮮な戦場においては生と知性と美徳こそ宝。
こうしたことを失念するとは君も耄碌したか、まさか!
真実、古いものこそ古びるまい、これぞ時代の
古びぬ者の一人として君にこの新しきAIを送ろう。
そしていずれ君と交わりたく思う、学者の王。
厄介者の悪魔は百年前に死んだ。
紹介しよう、その人工知能の名はコロンゾンだ。
L.O.ハーレムルート
p.s コロンでも認識はするよ
名が長いと僅かなりと
不便だろう戦うとなると
「・・・・・・」
涼にはこの詩が何を意味するのかわからなかった。メッセージは、誰に向けられたものだ?
しかしその答が分かっていた、海には。
「帯刀博士に見せましょう。涼、絶対にデビルを起動させないで」
こうして戦闘訓練は流れた。
そのメッセージを読む間、読んだ後もだるまは無表情だ。今日会ったばかりの涼はともかく、海も、観音も、ドロップレーも初めてみた顔だ。
雰囲気だけでだるまは周囲にただ者ではないと思わせてきた、しかし不敵に、明るく振る舞うことで自分は味方であると表現し、その印象を和らげてきた。
しかし、無礼な饒舌と超越的なにたにた笑いの仮面が削げ落ちてだるまは抜き身の刀のようだ。何人も斬っている。
竹の杖で床を叩きながらだるまはため息をついた。
「みんな、デビルのAIをすり替えたのは敵ではない。昔の俺の同僚だ。敵ではない。だが奴はハッキングを行なった。 そうでなければそもそも俺がここにいることがわかる筈がないからな」
「冗談じゃないぞ。ハッキングなどできる筈ない。マジシャンウィルスのプロテクトが破れるわけがない」観音が呻くように言った。
「俺にもどうやったのかわからない。だが何事にも最初がある。だいたい、マジシャンウィルスの正体自体君たちは知るまい。最近の若者は危機感がないんだ。コンピュータのプロテクトを製作者不明のウイルスに任せるなんて、俺の若かった頃なら狂気の沙汰だ」
二十年も前。ネットでマジシャンウィルスというコンピュータウィルスが流行った。日本中で。どんなセキリュティも破って。ウィルスの発見から一月もせずに、ネットに繋がったコンピュータは全て感染した。その時点でもその製作者は判明しなかった。今なお。
そしてマジシャンは既存のどんなウィルスもしなかった振る舞いをし始めた。
セキリュティソフトとして働き出したのだ。その威力は凄まじく、現在もマジシャンのプロテクトを破れたウィルス、ハッカーはいない。マジシャンは自分以外のあらゆるウィルスをコンピュータから締め出し、ほぼ完全な独立性を保証した。矛盾した独立性を。
現在の人々はマジシャンを信頼しきっている。出所不明のウィルスを。信頼せずともネットに繋げば即座に感染してしまうのだが。
だから教会の地下開発室のコンピュータに侵入するなどできる筈がない、そう観音は言いたいのだ。
「とまれ、エルの作ったものなら、少なくとも俺の不利益になるような、トロイの木馬ではあるまい。水澄涼。コロンゾンを立ち上げろ。演習モードで試験作動する」
「ことわる。博士には信頼できるだろうが 、俺は会ったこともない奴の作った腕なんて取り付けていられない。外してくれ。博士。いや、外して下さい、観音」
「馬鹿め。コロンゾン、レシーブオール。演習モード」涼ではなくだるまが唱えた。ワールドから電子音。
accept pass
trainingmode
製作者権限はコロンゾンにも有効だった。
デビル、演習モード。
「帯刀だるま! ふざけーー」
腕を乗っ取られた怒りを感じ、胸に衝撃、気付けば教会の外で夜空を見上げていた。
教会の扉は涼の体を受け止めても壊れず開いてくれていた。
外まで吹っ飛ばされたのだとわかったが、どうやって?
涼は凄まじい速さで緑の棒が胸を衝いたのをとらえていた。しかし、あれはなんだったのだ? あの緑の棒は?
白衣を羽織っただるま。杖をついて外に出てきた。竹の杖。あれか?
「水澄涼、演習だ。お前は強くならなくてはならない。誰よりもな。ドラゴンスレイヤーの責任は重い。涼、お前が世界を守るんだ。ネクロポリスや日本を守って安堵してはいられないぞ。強さというものを教えてやる」
戦えなければ死ね!
自分の食い扶持も稼げないのか、化け物。
誰も守れない奴はな、誰も守ってくれんぞ。
「俺は腰抜けじゃない!」
立ち上がり、涼は構えた。教会の中でワールドがデビルの挙動をモニタ、演習モードの作動を確認、演習開始。情報収集。レーダー、赤外線カメラ、動体センサー、視覚モニターアクティブ、音声記録、放射線測定、浮遊分子採集、自己アクチュエータの動作モニタリング開始、スマートセンサーシステム(トライエス)作動。スレイヤー、涼のコンディション精査、オールグリーン、ビヘイビアラーニング。
「・・・・・・涼」海は左手のモニターを見つめる。穴が空くほど。
涼の戦意を感じただるまは杖を構えた。
それは杖ではなかった。頭部のキャップは外され、露出した頭部は鋭く斜めに切られていた。竹槍。その曲線は慎重に計算されていることが涼にもわかった。一目で。
その切断面は細長く、滑らか、硬度を上げる為
「目は利くようだな。だがさすがにこの
だるまは竹槍を構えた。尻の方、
「涼、お前は日常的に命を懸けて戦ってきた。正直なところ、お前のそこは買っている。だが命を懸けるだけでは勝てない敵もいる。一が八かで切り抜けるのではなく、どう転んでも勝てない。そんな相手に勝てるようにならなくては」
無茶苦茶だ。絶句。そんなことできるはずがない。
「言葉で言い尽くせる理屈で生きて来た訳でもないお前が、こうして口にすれば、できるはずがないだ?」とだるま。
石突を的確に涼の人中に叩き込んだ。不快な痺れ。カウンターの前蹴りは宙を切った。ふらついた重心、蹴った足に槍を絡ませ、だるまは涼を投げ飛ばした。
「目線で動きが丸わかりだぞ! 本気を出せ!」立ち上がる涼の背中を蹴飛ばし、槍で薙ぐ。無傷。また涼は構え、飛びかかる。
鋼鉄の手刀を躱し、超人の左ストレートを避け、胸に二発、右肩に一発刳貫を叩き込んだ。動きを読まれているとわかった以上、回転数を上げるしかない。小さな打撃に構うことなく、竹槍の嵐の中で攻め続けた。自衛隊で習った格闘術を忘れてはいなかった。忘れずにいて良かった。おたまのように丸めた手刀が、拳に、手刀に、目潰しに変わりだるまを襲うが、どれも当たらない。驚いたことに、音速を超える攻撃の衝撃波まで躱している。
「読むにも程があるだろ! なんなんだアンタ!」
「俺は学者だが、同時に、刀鍛冶で剣士でもある。百年も実戦を重ねて来たんだ。何度となく倒して来たんだよ。
一瞬で顔面を六回突かれ、横っ面を叩かれた。しかし涼のつま先が胸をかすめた。肉が弾け、待ってましたとばかりに血が躍り出た。蒼ざめたのは涼だった。だが今の肌触りは?
「博士!」だるまに駆け寄る。
海と観音も、飛び出した。医者らしき女も。
「博士! 死なないでください!」叫ぶのは涼。
なみなみと血を流すだるまはしかしむくりと起き上がり手で涼を制した。瘦せぎすで鉄仮面を被った(こいつも何者だ?)医者はだるまをストレッチャーに乗せ、教会へとはこびこんだ。奥に医務室でもあるのかと、涼は海、観音とストレッチャーを追いかければ医務室どころかさらにその奥に手術室まで。
「言葉では伝えられない真実がある」とだるま。
「涼、俺はどうあってもお前をしごき抜くつもりだった。ハンデ付きでな。超人などそれでも圧倒できた。だがお前は手の届かぬはずの俺に・・・・・・」
「喋らないで。身体中から血を絞り出して死にたいなら別ですけど」と医者。
「オペを始めます」医者はだるまと手術室へ。
「成功です」簡潔な医者の報告。誰もが息をついた。特に涼。
「自己紹介が遅れましたね。私は・・・・・・訳あって素性は言えませんが、あなたと同じドラゴンスレイヤーです。ドクター・ブリキとお呼び下さい」
自己紹介の遅れている奴が多すぎるなと観音は思う。
「彼女は帯刀博士の紹介で配属した。基本的に医療をやってもらう」
怪しすぎるというのがドクター・ブリキの第一印象だ。怪しすぎて無視しようと思った仮面に突っ込みを入れてしまうほどだ。
「この仮面ですか」仮面をつっつきながらブリキ。
「昔、膝に矢を受けてしまってね」一同、ポカン。
「失礼、少し前に、
冗談を外して気まずそうな医者は続けた。
「帯刀博士には世話になりまして。怪我ならいくらでも治してみせますよ。水澄さん、あなたの腕を治せなかったのは残念です」
「俺を治してくれたのは先生だったのか」
「その通り。わたしは世界初の超人の外傷を治した医者になったわけです。きみの肌は針なら通すんですね」
当然そんなこと涼は知らなかった。針どころか銃弾も受け付けない肌なのだが。
「涼、博士はお前に命懸けで授業をしたんだ。感謝しろよ。博士は滅多に人にものを教えないしな」と観音。
「感謝ですって? あの人は俺を人殺しにしかけたんですよ! それにあの人の伝えたかった事が、よくわからない・・・・・・」
「お前は優しい。ネクロポリスには勿体無い程にな。だからこんな厳しい事を言うのは気が引ける」それが観音の仕事なのだが。
「よく考えるんだ。そして博士が伝えたかった事を理解しろ、いつかはな。だが涼、お前を人殺しにしかけたと言うがそんな事は言ってられないんだよ。お前の敵は強い。人間ではないが、手加減して済む相手とは限らん。そんな予感がするんだ。デブリにはな」
「山轢さんの勘なら信じますがーー」
「全力で当たるんだよ、涼。俺たちがミスれば、人類がどうなるか、わかったもんじゃない。向こう側の世界では、デブリは常に敵視されてきた。その生態や目的もわからんのにだ。ナイーブな態度とは言うまい。俺たちもそうするまでだ」
あの夜。デブリを殺す決意を固めたではないか。人を殺す気で。その決意を国家全体が抱いていると、涼は知った。
そうさせるだけの、何がデブリにあるというのだ。出し抜けの好奇心。生まれて初めて、涼は好奇心を感じた。生きていく上でそんなものは必要なかった。ただ目の前の現実に対処していれば生き延びてこれたのだ。あの戦争だって求められて参戦しただけだ。日に二度支給される精神安定剤の恩と、手当があったから。
この戦いも求められたから応じるのか、俺は? ばかな。デブリが敵なら戦うまでだ。好奇心もクソもない。何者かなどーー
「何者かなど、殺してから考えればいいんだ」
涼の言葉に誰もが目を丸くした。それはネクロポリスの住人、インサイダーの、超人以外が誰でも口にするフレーズだった。
デブリを倒すと、涼は決めた。金属の腕が軋んだ。コロンゾンは腕の動きをモニタしていた。涼の殺意を理解はしていなかったが。
コロンゾンは学び続けている。
子供の頃に世話になっていた擁護施設の隣の廃墟から涼は生活雑貨をかき集めた。長くここで暮らしていたがこれからは教会で暮らす。 施設の責任者である
源は涙をこらえた。
涼は源の手の感触を味わった気がした。感触などなかったが、その腕は確かにあるのだ。源の腕は。
「行ってきます、先生」
「行ってらっしゃい、涼くん」
施設を後にすると、迎えが来ていた。ドロップレー。海のバイクを借りている。背後にはキューピッド。
「ハイ、水澄くん」ドロップレー・ブレーク・ロバートウェインスタイン、と彼女は自己紹介。日本人のイントネーションではない日本語。
「引っ越しを手伝おうと思ったんだけど」涼のキャリーバックを見る。
「荷物、載せられそうにないわね」乗る前に気付いとけ、とキューピッドは思う。口にしないが。
「別にいいよ。走って運べるし。後ろの、その、小さな生き物は・・・・・・」
「こいつ? こいつはキューピッド。悪魔じゃなく妖精よ。わたしはこいつと契約してるの」
「こいつ呼ばわりかよ。腹立つわー」
小さな赤ん坊が飛びながら喋るのはかなりキモいな。とは涼は言わない。
「妖精は悪魔と違うのか?」
「どうかしら? まあ悪魔が人と契約したなんて聞かないわ」
二人は教会へ歩き出した。
観音の話が本当なら、ドロップレーは異世界人ということになる。異世界とは、どんなところなのか? 洗濯機のバケモノがうろついているのだろうか?
そういえば、と思う。俺はネクロポリスの外側さえよく知らない。
知らなくてもいいことは無駄と断ずるのがインサイダーだが、涼は戦う為にしか故郷を出た事がないのだ。誰も涼を縛っていないのに。
どこにでも行けるのに、何故出ないのだろう?
「そうだ、涼、念のため、背中を見せてくれない?」
「なんだ?」うろたえる涼を見てキューピッドが笑っている。
不意にドロップレーは背中を向けた。ドレスの背中は大きく開いている。美しい背中。その左側に大きな青痣があった。翼のような。肩まで届いているようだ。
「背中の右側にこんなしるしがある男を、わたしは探しているの。キューピッドと契約しているのもその為。こいつには出会いを見つけるちからがあるから」
涼はシャツをめくり上げてやった。「俺にはそんな跡はないな。その男の子がどうかしたのか?」
首を振るドロップレー。「ごめんなさい。教える気にはなれない。調子のいい願いだというのはわかっているけど、そんな男を見つけたら、すぐ教えて欲しい」
そんな男は見た事がない。
「残念だが力にはなれないな」
「構わない。焦っているわけじゃないから」
悲鳴。遠くない。
「なんだ?」そう言いながら涼は飛び出した。積もった雪と風が夜を彩った。
「ドロップレー、デブリだぜ! 近い!」キューピッドが言う。
ドロップレーも端末を取り出し、スレイヤーを呼び出した。教会の方角からスレイヤーが飛んでくる。ドロップレーの真横に墜落。でなく着地。これを装着。暖かい。
「ロミオ、ラブスターヴフォーブラッド」
愛は血に飢えている。
そのデブリは、男性を殺していた。編み込まれた無機質なコードが蛇のような体を作り上げている。
細長い蛇が絡み合い、一匹の大蛇に擬態しているよう。
全身の骨を圧し折られ、血を吐く死体に、涼は戦慄した。彼はみすぼらしい身なりで、ネクロポリスの住人であるのはひとわかりだ。既に事切れ、助けようがないことも。
デブリは男の全身に巻き付き、絞め殺していた。間に合わなかった。
肉を通してくぐもった、割れる音がして首が垂れた。涼は絶叫。
デブリは男を解放、涼に飛びかかった。振り払おうとした右腕が重い。作り物の腕。
「コロンゾン! レシーブオール!」全てを受け入れろ。コロンゾン、コンバットモード。情報収集開始。トライエス(スマートセンサーシステム)アクティブ。自己動作モニタ、コンバットモードで記録。動体センサーと光学センサーがデブリを捉えた。
コンバットモードになった『悪魔』の応答性は向上せず、まるで涼に俺はお前の一部ではないと宣言しているようだ。
「なんだこの腕!?」左腕で大蛇を掴み、力任せに放り投げた。のたくりながらデブリは着地。音もしなければ埃も立たなかった。蛇の幽霊を投げたのか?
まるで力能者と戦っているような不安。教会はこの不安を感じているのだと、涼は思い立った。実感し、教会の一員になった。
「コロンゾン!」
『悪魔』を振り下ろす。デブリの先端は四方に分かれて涼の義腕をかわし、腕にまとわりついた。その尾が振るわれ、涼の頭を叩いた。バチン! 実体はある。音も。音声記録されている。
「涼!」ドロップレーの声、光の矢がデブリに突き刺さった。振り返れば『恋人』を纏ったドロップレーが錨を弓のように構えている。矢を持っていない右手が放されると、中空に光の矢が現れ飛ぶ。デブリは回避。『悪魔』から離れた。
『恋人』の足は長い。細長かった。下腿部が1メートル近くあり、しかもピューマの後脚のように爪先が長い。人間の脚より関節が多く見えるが、足趾部分が足代わりになっているだけだ。
とはいえ、ドラゴンスレイヤーは反復練習によって即応性を増す。人間離れしたデザインでもスレイヤーの努力に応えてドラゴンスレイヤーの人工知性は主のビヘイビア、行動の特徴を学ぶので熟練すれば自身の身体のように動かせるようになる。ドロップレーのスレイヤーは実戦でも通用する程だった。
「モナリザ、コロンゾンとのリンクを許可。情報収集」
彼女の許可を得て情報リンクを済ませると、ロミオからもリンク要請。
「ドロップレー? モナリザ、『恋人』もデブリの攻撃を受けているの? 答えて!」
デビル、ラバーズは近座標にてコンバットモードに入っている。
二機は共同戦線をとっていると思われる。
ラバーズとの情報リンクを許可せよ。スレイヤー。
「許可」と即答。海はバイクに跨った。タイヤが軋む。走れるが。帯刀博士に改造してもらおう。そう思った。
『恋人』はデブリ戦において必要な兵器ではない。
ある時に日本に訪れたドロップレー・ブレーク・ロバートウェインスタインは、デブリと
もとより他の悪魔の脅威を認めていた日本政府はドロップレーもまた悪魔を、デブリや
日本政府とドロップレーの協力関係が生まれ、教会と対竜装甲兵器ドラゴンスレイヤー製造計画が持ち上がった。計画は基本的に対デブリ戦術が先にあり、これに沿ったコンセプトでスレイヤーは作られる。デビルならデブリの情報収集専用、というような。
ラバーズはしかし、正体不明のデブリに対する白兵戦という、曖昧なコンセプトで製造された。そのコンセプト自体説得力あるものでなく、ドロップレーへの寄贈という意味合いも多分にあった・・・・・・。
その中枢コンピュータ、ロミオはワールドと接続すると、貪欲にデブリの情報を閲覧し始めた。もっともそれはまだそれほど蓄積されていなかったが。
ロミオはデブリを正体不明の敵と結論し、目前のデブリを観察し始めた。
青い矢を避けるためにデブリは複数のコードに分かれる。
ドロップレーはどれを狙うべきか迷い、ロミオは沈黙した。そのあいだにデブリは一体に戻り、『恋人』に巻き付いた。強力な圧力。
両腕部、胴部に圧迫。デブリを遠ざけよ。
「できるならそうしてる!」
更にキュー。金属が割れる音。
両腕装甲破損。アクチュエータに被害なし
涼はデブリを両手で抱き締め、思い切り力をこめた。ラバーズは解放される。
「俺ごと撃て! 殺すなよ!」
ほとんど反射的に碇を構え矢を放っていた。涼の体の強度など考えていなかったが、『悪魔』に当てないようにしていた。連射。デブリは涼に抑えられ分裂もできず矢を食らった。
すぐに光の矢を避けられなくなったデブリはその場にとぐろを巻き沈黙。魔道の力を持つ錨を向けてドロップレーは緊張していた。
こんなにもあっけないのか?
デブリとは、ドロップレーの母国では神に等しい。最近まで崇められていた程だ。そのデブリに簡単に勝ててしまうのは、ドラゴンスレイヤーの威力か。いや。ラバーズは今回は働いていない。
それなのにこの手ごたえの無さはなんだ? むしろ手ごたえの無さがデブリの恐ろしさなのか。まるで幽霊ではないか・・・・・・。
死んだのか確かめる為涼は蛇をデビルでつついてみる。すると蛇は細いコードの山になり、消えていった。「うわー」とキューピッド。
デビル、ラバーズはワールドとリンクを切り、コンバットモードを解除。
涼は死んだ男に駆け寄った。男の目を閉じてやる。道路の脇に穴を掘り、男を埋めた。黙祷。
その男を涼は知っていた。この辺りを縄張りだと言って源や涼を追い出そうとしていた。涼が子供の頃だ。彼が力を持っていれば涼達を追い出せたろう。だが彼はただの人間だった。ネクロポリスの一部だった。最期まで彼は弱者だった。だから死んだ。
虚しかった。やり切れなさが悲しさに重なって涼は泣き出しそうだ。涙は出なかったが、一瞬その虚しさの理由が涼には分かった。
力が運命を決める、ネクロポリスのその掟に従ったままでは納得して死ねない。自分より強い者に殺されるなら納得できる、訳ではない。
そうだ。当然ではないか。死にたい奴はいない。それなら・・・・・・。
そこで涼の思考は途切れた。死にたい奴はいない、というフレーズが頭の中でエコーして消えた。答が出そうだったが彼の意識は現実に向けられた。
「これもデブリなの? 君の腕をもいだのと似ても似つかない」
ドロップレーがデブリと涼を見下ろしていた。竹馬に乗っているように高い。
知ったことか。そうは言えない。俺の命に関わる事なのだ。デブリとは。
「そうだぜ。人間には似てないように見えるのか?」
キューピッドが言う。キューピッドにはあの洗濯機と目の前のコード束が同種に感じられる。
「化け物には違いないだろう。人を襲うのも確かだ」
「そうね。私達が戦うにはそれだけで充分、そう言いたいのね、涼?」
頷く涼をドロップレーは見つめた。超人は優しいと言われるが、どうだろう? 彼の優しさは本物か?
彼女が生まれ育ったイーン王国の
巧言なら簡単に言える。それを実行するのは難しい。戦士としてやっていけるだろうか。いや、彼は既に戦ったではないか。心配する事ではない。
「キューピッドの力がデブリを探す。それを叩いていくしかない。そのうちデブリがなんなのかわかってくるはずよ。それまでは辛抱して目の前のデブリを倒し続けるしかない」
涼は何も言えない。そうだ。デブリとは、それについて何も言えない存在なのだ。何も分かっていないのだから。
分からないという感情、それは涼の人生には珍しくなかった。理解するより打開した方が早い。力能者と戦う時には相手の能力など分からなくても本人を叩けば生き残れた。かつての戦争の原因も知らない。分からなくてもよかったのだ。
デブリについてはそうではない。そんな気がした。事実観音達は情報を欲している。この右腕、デビルも情報収集用兵装だ。デブリを知る事は、この戦いの本質だ。
帯刀博士が何故こんなにもろい兵装を超人に与えたのか、その理由が理解できた。
このガラクタ、張り子の悪魔がこれから必要になる。
デブリとはなんなのか? その答こそ、俺たちに必要なものなのだ。
デビルからわずかな振動。アクチュエータが震えている。俺はここにいる。それは疑いようのないことだ。そう言っているかのようだ。
違和の腕に問う時がくるだろう。では、デブリとはなんなのか? と。
雪が降る。ドロップレーは震えた。ラバーズを着けていた方が良かったかもしれない。
冴えた空気を雪が切り裂く。男を埋めた墓が白くなる。デビルも冷たくなるだろう。ネクロポリスの住人は凍えないように今晩を生き延びようとするだろう。教会はヒーターをつけたはずだ。冬は続く。戦いは更に長く続くだろう。
ネクロポリスに雪が降る。今年のネクロポリスには、雪以外の脅威が潜んでいる。
涼の代わりに、デビルが震え続けた。
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